三
☆ ☆ ☆
駅前の待ち合わせ場所に着いた。
約束の時間はとうに過ぎて、奏音の姿は見つけられない。携帯に電話をかけてみたが、電源が切られている。ピアノコンサートの最中なら、それも仕方がない。
直貴は噴水の縁に力なく座った。駅前の広場を行きかう人たちを、ぼんやりと見るでもなく見る。
ハロウィンの認知度が上がっても、さすがに仮装したまま通りを歩く人はいない。たまに小さな女の子が魔女の格好をして、はしゃいでいるのを見かける程度だ。
「奏音ちゃんも、こんなふうに歩く人をみつめていたのかな……」
最初に三人組に言いつけられたとき、全力で断ればよかった。
何度断っても押し切られてきた。気の強い女子にノー! と言えない自分が本当に嫌になる。
すべては彼女たちの押しの強さ、気の強さのせいにしてきたが、本当にそうだったのだろうか。わがままを受け止めるのは優しさではない。優柔不断で、自分が悪者になりたくないだけだ。意識していなくとも、心の底にはそんな気持ちがあった。だから最後は、彼女たちのいうことを聞いてきた。
面倒な仕事を押し付けられる被害者でいたほうが、周りからも同情される。そのほうが楽だと、無意識のうちに悟っていたのかもしれない。
奏音を傷つけた原因は、すべて自分の中にある。片方でいい人を演じた結果、別の場所で酷い人になってしまった。自分のしたことをふりかえり、足元に視線を落とす。
直貴はしばらくの間そこに座っていた。帰宅する奏音が通りかかるのではないか、そんな淡い期待を抱いていた。
三十分ほど過ぎたころだ。
「よお、直貴。今頃何してんだ?」
目の前で立ち止まった人に、名前を呼ばれた。見上げると、浩太が直貴を見下ろしている。
「何してるかって……遅刻して、会えなかったんだよ、奏音ちゃんと」
「だろうな。彼女、電話にも出てくれないって落ち込んでたぜ。ピアノコンサートに行くこともやめるっていうから、直貴の代わりに付き合ってきたよ」
浩太は肩越しに改札を見た。そこには奏音がいた。遠目で表情まではわからないが、目が合ったと思ったとたん、背を向けられた。
「彼女、本当に直貴のことが好きだったんだな、悔しいけど。でもおれ、振り向いてもらえる日が来るのを待つ。だからもう、奏音ちゃんには近づかないでくれよ」
「でも……」
「もともとそんなに気があったわけじゃねえだろ。つきあう気もないなら中途半端なことをするな。期待させるのは罪だ」
厳しい口調でそう言うと、浩太は踵を返し、奏音の待つ改札口に向かった。
「自己嫌悪だ……」
直貴はますます自分のとった行動に嫌気がさしてきた。
「ぼくは、いい人になりたかったわけじゃないんだ……」
相手を傷つけまいとしたことが、結果的に傷つけることになる。
同じ狼でも、ロンリーウルフになってやる。ひとりでいたら、だれも傷つけることはないのだから。
「……狼に、なりたい」
直貴はポツリとそうつぶやいた。
☆ ☆ ☆
寮に帰ったとき、コンサートはもう終わっていた。数人のお客さんが後片付けをしている。そんな女子寮の前を素通りし、直貴は男子寮にある自分の部屋に戻ろうとした。
「トリック・オア・トリート!」
いきなり女子寮の扉が開き、三人組が飛び出してきた。直貴が帰るのをずっと待っていたのだろうか。後片付けをほかの人にさせるところは、今までと変わっていない。
直貴が解放された代わりに、だれかほかの執事を見つけたのだろう。
気の毒だとは思うが、その立場に戻りたいとは思わない。いい人でいるのはもうやめた。
相手をする気になれず、直貴はそのまま男子寮に向かう。
「トリック・オア・トリート!」
無視していると、もう一度三人組が声をかけてきた。横目でちらっと見ただけで、直貴はそのまま通り過ぎようとした。するといきなり、
「うわっ、冷たいっ」
顔に水をかけられた。
「命中っ。大成功だね」
驚いて顔を上げると、千絵里が大きな水鉄砲を構えて、直貴を見ている。いたずら用に準備していたようだ。
「何するんだ、いきなり」
「だってナオくん、無視するからさ。こんなかわいいギャルに声をかけられたのに」
かわいくない、と心の中で悪態をつき、直貴はハンカチでぬれた顔をふく。
「後片付けは手伝わないからね」
「もうほとんど終わってるから、いいわよ」
優香が例の鼻声で答える。
「今まで裏方してくれてありがとう。これはお礼」
薫が手提げ袋から何かを取り出し、直貴の頭にかぶせた。
「ちょっと、なんだよっ」
かぶされたものを外して手に取り、直貴はわが目を疑った。成人済みの男子大学生が使う代物とは思えない。
「猫耳カチューシャ。明日からのステージ衣装だよ」
「おいっ。ぼくにこれをつけて、オーバー・ザ・レインボウのライブをやれっていうのかい?」
まったく何を言い出すのかと思ったら。直貴たちのロックバンドにはどう考えても合わない。
「違うよ、これはあたしたちのバンドの衣装」
「あたしたちのって……だったらぼくにはもう関係ないだろ」
「昨日、これからのバンド名考えてたら、いいのがひらめいたの。『ニャオくんズ』っていうのよ。リーダーのナオくんと、猫の鳴き声を混ぜたの」
「センスないな……って、待て。だれがリーダーだって?」
三人組がそろって直貴を指さした。
「エアバンドから演奏できるバンドになったから、もうぼくがいなくてバンド活動ができるだろ。なのにどうしてリーダーがぼくなんだよ。さっきライブで、ぼくは要らないっていってたじゃないか」
「違うわよ。ナオくんが要らないんじゃなくて、ナオくんの裏方が要らなくなっただけ。ひとりだけ実際に演奏されるのは嫌だったけど、あたしたちもできるようになったことだし。これからは一緒にステージで演奏しましょうね」
優香の笑顔が悪魔の微笑みに見えた。かわいい顔をしているけれど、この三人はハロウィンの夜に地上に出てきた悪魔たちに違いない。化けの皮を剥いだら、ジャック・オ・ランタンか魔女がいるのではないか?
「ね、だからこれからもよろしく」
三人組の声がみごとにハモった。魔女たちの大合唱だ。
「っと待て。ぼくはそんなこと……」
「てことで、今週末もスタジオで練習するから。バイトに行ったついでに年内の土曜日にスタジオ予約しておいてね。あ、これが計画表」
薫が直貴に予定表を押し付ける。反論する間もなく、三人組は女子寮に戻っていった。
「なんだって? まだ彼女たちの世話をしろって?」
断らなきゃと思っても、パーティー終了後の女子寮には立ち入れない。
「知らない、知らないっ。スタジオの予約なんてしてやるもんかっ」
不意に、三人のがっかりした顔が、手の中の猫耳カチューシャに重なった。表現はいびつだが、彼女たちも音楽を愛する仲間だ。一生懸命な彼女たちの練習する機会を奪う資格が、自分にはない。
いい気味だと思うより先に、気の毒だという気持ちになった。
「……しかたないか」
猫耳カチューシャを捨てるに捨てられない。リーダーになるという話は別にしても、もう少し面倒を見てあげないとだめだな。
「……あっ」
そのとき直貴は、根本的なことに気がついた。
つまり自分は、いい人でいたいのではなく、悪い人になれないタイプなのだ。
「だめだっ。このままじゃぼくは、一生執事のままだっ」
お化け屋敷でかぶっていた狼男のゴムマスクと、猫耳カチューシャをした自分を想像する。本当に目指すものはどっちだ?
「狼になりたい。ぼくはやっぱり、狼になりたいっ」
子執事の女難はまだまだ続く。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。