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【旧版】狼になりたい  作者: 須賀マサキ


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2/3

  ☆  ☆  ☆


 翌日は朝から奏音とのデートに気を取られて、講義もあまり身に入らなかった。

 放課後一度部屋に戻って、おしゃれな服に着替えよう。デートのあとは食事をおごるべき? でも誘ってきたのは向こうだし、かといっておごられるのもあれだから、せめて割り勘だな。

 もしものときに備えてマウスウォッシュとブレスケアの準備が必要かもしれない。

「え? も、もしものとき? ちょ、ちょっとそれは早すぎるって」

 空想に引きずられて真っ赤になりながら、直貴は「何を想像してるんだよ」と自分で自分に突っ込みを入れた。狼になりたいとはいえ、この場面でなると、意味が違ってしまうではないか。

 ウキウキとドキドキと微妙なスケベ心が浮かんでは消える。直貴は約束の時間を気にしつつ、寮に戻った。すれ違う友達におかしな目で見られないように、何気ない表情を作って自転車を停めていると、いきなり着信音が鳴り響いた。

「奏音ちゃんかな」

 清楚な笑顔を思い出しつつ携帯を取り出す。ところがそこに書かれていたのは、薫――今一番かかわりたくない人物の名前――だった。

「あっぶねー、出るのよそう」

 無視して部屋に戻ろうとすると、「ナオくんっ」と背後からキツめの口調で呼びかけられた。

「まさか、無視するつもりだったんじゃないよね」

 直貴は首をすくめ、ゆっくりと振り返った。携帯電話片手に薫が玄関付近に立っている。

「な、なんだよ、突然……」

 またいつものように雑用を言いつけられるのではないかと、直貴は半身に構えた。

「実はね、女子寮のほうで、食堂に通じる廊下の蛍光灯が切れてしまったの。交換してくれない?」

「それくらい自分たちでできるだろっ。難しいわけじゃあるまいし」

 できるだけ不機嫌に返事をしたが、

「大家さんからのお願いだから、ね」

 拝むように手のひらを合わせ、笑顔でウインクされてしまった。意外なことに、いつものような上から目線ではなかった。それに大家さんからの頼みでは、引き受けないわけにはいかない。還暦を越えた女性にそんな仕事をさせるのは忍びなかった。

「しかたないなぁ」

 約束の時刻まではまだ余裕がある。蛍光灯一本交換するのに、そんなに時間は要らないだろう。直貴は渋々ながらも女子寮に行った。

 扉を開けると廊下は真っ暗だ。日の入り時刻は過ぎているが、外灯の明かりも届いていないのは不自然だ。第一、蛍光灯が一本切れたくらいでこんなに暗くなるはずがない。明かりはほかにもあるのだから。

「どうして……」

 尋ねようと直貴が振り返ると、薫は「あとはよろしく」と言い残して外に出、ご丁寧に扉を閉めてしまった。

「ちょっと! 真っ暗で何も見えないじゃないかっ」

 直貴は扉を開けようとしたが、鍵かかけられたのかびくともしない。

「なんだよ、いつもの悪ふざけ?」

 脅かすにしてもやり方が幼い。だが暗いところに閉じ込められた子供ではない。こんなときは慌てることなく、電気のスイッチを入れればいいことくらい解る。直貴は手探りで明かりのスイッチを探し、押してみた。ところが何度かスイッチを押しても一向につかない。

「電気が切れたんじゃなくて、ブレーカーが落ちたのかも」

 しかしこれでは中の様子を確認することもできない。どうしたものかと考えているうちに目が慣れ、扉付近に非常用の懐中電灯を見つけた。

 直貴は何げなく廊下の奥にある食堂あたりを照らした。

「うわっ」

 驚いたことに、小学生くらいの女の子が入り口付近で後ろを向いたまま立っている。大家さんの孫娘だろうか。

「あー、びっくりした。ねえ、どうしてこんな暗い所にいるの?」

 女の子は背を向けたまま返事もしない。直貴は少女に近づき肩を軽くたたいた。

 すると少女の首がゆっくりと動き、百八十度回転した。

「えっ、ええっ?」

 直貴は彼女の顔に光を当てた。

 そこにあったのは、血走った目をし、しわくちゃだらけの顔だ。口は耳まで避けて、ニタニタと笑いを浮かべている。ホラー映画で悪魔に取りつかれたヒロインそのままだ。

「うわああああああああっっっ」

 直貴は弾かれるように後ろに跳び、そのまま腰を抜かしてしまった。

「あ、あわわ、ななな、なんだ、なんだよーっ」

 這うようにして玄関まで逃げかかったところで、廊下の明かりがついた。思わず天井を見上げる。どれもいつもと同じ明るさで、切れかかっているものはない。

「……あれ?」

 エクソシストのヒロインかと思った少女は、よく見ると精巧につくられた人形だ。廊下の窓は暗幕で(おお)われ、お化け屋敷さながらに、恐ろしい人形がぶら下げられたり、不気味な絵が飾られたりしている。

「どういうことだ?」

 バクバクいっていた心臓も少しずつ収まり、直貴は冷静になってあたりを見回した。すると「大成功っ」という声が響いた。

 振り向くと玄関先に、薫が笑いをこらえて立っていた。食堂の扉から顔をのぞかせているのは、くすくす笑いを浮かべている優香と千絵里だ。

「ナオくんがこんなに怖がってくれるとは、予想以上の反応だったな」

 千絵里が腰に手を当てて満足げにうなずいた。

「ああ、そういうことか」

 直貴にも状況がつかめてきた。

「きみたちは、バンドのアドバイザーであるぼくをひっかけて、脅かしたってわけなんだね」

「あら、そうじゃないわ。毎年人気のお化け屋敷を、真っ先に体験させてあげたのよ」

 目をぱちぱちさせながら優香が答えた。

「お化け屋敷だって?」

「忘れたの? 今日はハロウィン。毎年恒例の女子寮主催のパーティーじゃない」

 女子寮の食堂で開かれる、ハロウィンパーティー。その会場にたどり着く前に、お化け屋敷というかお化け廊下を通ってもらうのが、毎年のやり方だ。もちろんそのことは直貴も知っている。しかし今年は奏音からデートに誘われたことで、パーティーのことはすっかり頭から飛んでいた。

「はいはい、わかりました。ぼくを実験台にしたんだね。それなら大成功さ。十分怖かったから」

 精一杯、不機嫌な表情を浮かべて、直貴は女子寮を出ていこうとした。

「待って、ナオくん」

 いきなり薫に行く手を阻まれる。

「実験は終わったんだろ? ぼくの役目は終わったんだ。もう帰るね」

「帰っちゃダメ。ナオくんには大切な仕事があるのよ」

 背後から優香が、甘ったるい声で直貴を引き止めようとする。

「幽霊役をするはずだった子が、今朝から熱を出したんだ。彼女はやるって言い張るんだけど、あたしたちで止めたのさ。交代要員はちゃんと用意するから、心配しないで休んでろってな」

「交代要員って……まさか……」

「察しがいいな。ナオくん、きみのことだよ」

 千絵里が返事とともに直貴を指さした。

「待てっ。ぼくはこのあと用があるんだ。きみたちの願いは聞け……」

「これに覚えがない?」

 薫が差し出した狼のゴムマスクを見たとたん、直貴の言葉が途中で止まった。

「昨日スタジオに忘れてたのよ。ハロウィンの仮装用グッズでしょ」

「あっ、それはっ」

「こんなの買うくらいだ、よっぽど狼男にあこがれてんだろ? 望み通りその役をさせてやるから、お客さんの女子を思う存分脅かしなよ」

 反論も忘れて肩を震わせる直貴に、千絵里がマスクをかぶせた。

「おお、似合う似合う。いつもの羊さんとは別人だ」

「本当は用事なんてないんでしょ? いつものように、断るための口実だって解っているのよ」

「口実じゃない、本当に……」

「あたしたちの頼みが聞けないっていうのかい?」

 千絵里の口元から笑みが消えた。ノーを言わせてもらえないような威圧感がある。狼男のマスクを買い、狼男になると誓っても、中身はいつもの直貴そのままだ。

「つべこべ言わず、そこに立って準備するっ。もうちょっとしたら、お客さんが来るんだよ」

 三人組は直貴にノーというチャンスすら与えてくれない。なんとか逃げ出し、奏音とのデートに行きたい。だが目の前で三人が目を光らせている。このままでは完全に遅刻だ。

「とりあえず電話して事情を説明しないと……」

 ため息交じりの息を吐き、直貴はスマートフォンを取り出した。

「ええと、奏音ちゃんは……あれ?」

 いくら連絡帳を捜しても、奏音の名前が出てこない。

「しまった。ゆうべメモの文字に見とれてて、登録するのを忘れたんだ」

 バカバカバカバカっと自分の頭をぽかぽか叩く。すると背後から手が伸びて、直貴のスマートフォンが掠め取られた。

「ナオくん、これは預かっておくわね。お化け屋敷の狼男には要らないものでしょ?」

「おいっ、返せよっ」

 満面の笑みを浮かべる優香から奪い返そうとするが、すぐに千絵里にパスされた。

「途中で鳴られると興醒(きょうざ)めなんだ」

 千絵里は直貴の電話をポケットに入れた。何か言い返そうと直貴が口を開きかけたが、薫の人差し指が、狼男のマスクの上から唇に触れ、言葉が止まる。

「文句を言わないで、玄関に立って。あと五分ほどで、お客さんたちやってくるんだから」

「効果音はあたしに任せてね」

 優香が手にしたミュージックプレイヤーを操作すると、『ぎゃああああああ!』という少女の甲高い悲鳴が廊下に響いた。続いてホラー映画のサウンドトラックが流れる。ジェリー・ゴールドスミスの『オーメン』だ。直貴は選曲の良さに感心する一方で、こんなときまで音楽に耳が行ってしまう自分が滑稽(こっけい)だった。


  ☆  ☆  ☆


「がおおおおおっ!」

「きゃああっ!」

 デートを邪魔された上にお化け要員に駆り出された直貴は、半ばやけになって、訪れる客たちを全力で脅かしにかかった。彼氏を連れてきた寮の住人は特に念入りに男のほうを脅かした。女子を脅かせばわざとらしく「きゃあっ」などと悲鳴を上げて彼氏の腕にしがみつく。それを見ていたら無性に腹が立って、途中から彼氏のほうを脅かすことにした。

 情けなくもおびえる彼氏にがっかりしちまえっ。狼男に変身したブラック直貴は、図らずも女子三人組が期待した以上の働きをした。日頃のストレスがいい仕事をさせたのは言うまでもない。

「ナオくん、お疲れさま。お客さんも揃ったから、前座のお化け屋敷は終わりにするわね」

 不意に廊下の明かりがつき、優香が食堂から出てきた。

「前座だって?」

「これからあたしたちライブをするの」

 いつのまにかライブ用衣装に着替えている。まさかこの後、楽器のセッティングやれというのか。

 直貴は何も準備をしていない。自分のシンセサイザーやノートPCは部屋に置いたままだ。

 それともお化け屋敷で入場者を怖がらせている隙に、勝手に部屋に入って、楽器を持ってきたのだろうか?

 ライブをするつもりなら、あらかじめ一声かけてくれなければ。

 それよりも一番の気がかりは奏音だ。約束の時刻から一時間以上が過ぎている。連絡も入れずにすっぽかしてしまった。

 このままで良い訳がない。好きな女の子を放って、どうして三人組のわがままに振り回されなくてはいけない? こんなのおかしい。今厳しい態度をとらなくて、いつとる?

 直貴は決意した。いい人でいる必要はない。

「おい、ぼくのスマホは?」

「それなら食堂にいる千絵里が持ってるわ」

 直貴は食堂に入り、奥のステージで薫と打ち合わせをしている千絵里のところまで、観衆をかき分けて行った。

「あ、ナオくん、お疲れ。実はこの後のライブだけど……」

「ライブって何の話だよ。聞いてないよっ」

「あたりまえさ。だってサプライズ……」

「うるさいっ! サプライズってどういう意味だよ? ぼくの予定を無視して、無理やり手伝わせるのがサプライズなのか?」

 千絵里が口を挟もうとしたが、キッとにらみつけて阻止し、直貴は続ける。今まで抑えていたものが、堰を切ったようにあふれ出す。

「いい加減にしろよ。これ以上ぼくを振り回さないでくれ。人のことなんだと思ってるんだ? きみらの執事か? お守り役か? ぼくは忙しいんだ。こっちにだって予定があるんだ!」

 そう怒鳴りつけると、直貴は千絵里が持っていた携帯電話をひったくった。急いで着信履歴をチェックする。

「あちゃー」

 数回の着信履歴とメールが一件届いている。奏音からだろう。開くのも恐ろしい。

 重い気持ちのまま顔を上げると、薫が口を半開きにし、直貴を見返している。

「……な、なんだよ。何か言いたいことでもあるのか?」

「いや……ナオくんがそんなに大声出すなんて……」

  珍しいね、と薫も千絵里に同意した。

「予定があったなんて知らなかったよ。それならそうと、初めから言ってくれればよかったのに」

「最初からそう言ったじゃないか。無視したくせになんだよ」

「だって、本当に断るための口実だと思ったんだよ」

 あのねぇ……とつぶやくと、直貴はステージを振り返った。ライブの準備は終わっている。珍しく直貴抜きでセッティングしたのだろう。

 でもそこにはノートPCも音源も置いていない。もちろんCDプレイヤーなども。

「今日のライブは、サプライズのつもりだったのよ。あたしたち、自分たちだけで全部できるようになったの。それを見てもらいたくて、ナオくんがお化け屋敷にいる間に準備したんだから」

 いつの間にか戻った優香が、合わせた手のひらを口元に近づけ、説明を始めた。

「お客さんと言っても、あたしたちに協力してくれる人たちばかりなの。ナオくんに成長を見てもらいたいって相談したら、準備を手伝ってくれることになったの」

「お客さんに準備させるなんて、どんなバンドだよ」

「講義が終わってから支度するんだから、時間なくて大変だったんだよ」

「あたしたち、ナオくんの裏方なしでバンドをやる自信がついたのよ。お願いだから一曲だけでいいの。聴いてくれない?」

 薫がそう言うと、三人はそれぞれの楽器を手にして、小さなステージに立った。

 食堂に設けられているのは、中学か高校の文化祭でやるような、小さな教室でのライブと同じ規模だ。みんなの協力のもとでセッティングされた、一から十まで全てが手作りのステージだ。

「じゃあ、行くわよっ」

 千絵里がスティックを軽く叩いてリズムを刻む。一小節のちに、優香の奏でるギターが入り、薫はシンセサイザーを駆使してベースを追加しながらキーボードを演奏する。やがて優香が歌い始めた。

 ときどきリズムを崩したり、ミスタッチがあったりするけれど、緊張しながらも必死で頑張っている姿が微笑ましい。

「なんだよ、いつの間に。立派なガールズバンドに成長してさ」

 まさかここまで成長するなんて、嬉しい誤算だ。

 楽器も触ったことのない状態で始めた彼女たちは、エアバンドというパフォーマンスからバンド活動をスタートさせた。将来的には自分たちで演奏するのを目標にしてはいたが、それは無理だろうと予想していた。そして直貴はいつまでも裏方で演奏させられる。そう考えて半ば諦めていた。

 だが彼女たちは、スタート時に直貴が提案したことを覚えていて、陰で楽器の練習を続け、エアバンドから生演奏できるバンドへと成長した。

 アドバイザーの直貴が一番信じていなかったことを、立派にやり遂げた。

「宮原直貴、彼があたしたちの師匠です! ナオくん、いろいろとありがとう!」

 ステージから優香が叫ぶと、お客さんたちから拍手が沸き上がった。

 成長した弟子たちの応援に見送られて、直貴は女子寮を後にした。



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