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私の知っている都会と違う

私の知っている都会と違う

作者: KEITA

 

 ――都会ってのは、田舎もんにとって夢と希望と成功に満ちた優しい場所だと、そう思っていた時期が私にもありました。



 なんの変哲も無い田舎農民の末娘として生まれ、変わり映えのしない生活に飽き飽きし、十四のときに一念発起。一旗あげてやると息巻いたはいいが、アテもツテも才も何も無かった小娘は上京したその日に身ぐるみ剥がされあっという間に違法娼館に売り飛ばされた。都会ってこわい。

 泣きには泣いたが身ぐるみ剥がされた状態では物理的に逃げ出すことも出来ない。これもおバカな私の自業自得、仕方ないとばかりに布きれ同然の格好で初仕事に挑んだ。お客はのほほんとした風情の若い男性で、そのとぼけた顔に見合わない方であった。いや、性的な意味でなく。

 見た目はのほほんと世間知らずなおぼっちゃまに見せかけ実のところは潜入捜査官並び警察官、違法賭博や違法売春・娼館といったものを取り締まるお役人さまであったのだ。私のような事例は多く、都の裏的社会現象となりつつある。ここ最近はその噂を恐れて地方からの観光客が激減し、余波的な犯罪も多発しているためお役所としてはやっと重い腰を上げ、本格的な問題解決に乗り出していたらしい。そういう噂も届かない私の故郷って一体。

 ともかく、私に事情を説明&聴取終えてからのお役人さまの行動は素早かった。裸同然だった私の身体に自分の上着を被せ、私の髪と周囲の寝具を乱しことが終わったかのように見せかけ娼館の主人を呼び出した彼は、「この娘が気に入った、贔屓とさせてもらう」と言い「親族に内緒で囲いたいのだが」と大金をチラつかせた。その金額に眦を緩ませた違法娼館の主人は田舎の小娘一匹でなんとか儲けんとばかりに揉み手し、巧妙な話術に乗せられるがままべらべら喋り、こいつは地方から出てきたおのぼりさんで身元証明書は焼き捨ててある、そういう女だからどうこう扱っても足がつかないから大丈夫、面倒な手続き無く安く買い取れますぜと自分から暴露してしまった。そしてお役人さまは自供が取れたその場で現行犯逮捕、暴れる中年オヤジの首筋に手刀を入れて昏倒させてからさっさと縛り上げた。であえ、であえーとの声に何も音沙汰が無いと思ったら娼館の輩はみんな彼の部下によって縛り上げられ連行されている真っ最中であった。本日のお客全員が潜入捜査官だったらしい。ちなみに私のお客(予定)だったお役人さまは、連行している最中で目を覚まし暴れる犯人をのほほんとした顔のまま無造作に蹴りつけ、また昏倒させていた。都会ってやっぱりこわい。

 ギリギリ未成年娼婦の道を逸れることが出来たといえ、当の私はそれからの先の行くあてが無かった。私の前にもこの娼館から言い値で売り飛ばされた例は数多く、そのルートを逐一辿って身元確認や裁判のための証拠を照合するのにお役所は大わらわ。客取る前に保護されたんだし保証金は支給してやったんだし五体無事なんだから後のことは自分でなんとかしてねーと窓口で云われるだけであり、とてもじゃないが小娘一匹の全財産を取り戻してくれる様子でなかった。保証金ったってこんな雀の涙じゃどうにもなりゃしない。布きれから普通の服に衣装チェンジ出来たくらいだ。救われたと思ったが一転、この物質的切迫状況。私は落ち込んだ。やっぱり都会っておそろしい。こんなところに長くいたくない。

 しかし路銀なくしては故郷に戻れない。かくなるうえは不承不承であるがこのおそろしい都会に留まって、ちょっとでも金を貯めねばなるまい。しかし都の真っ当な下働きは大抵が月雇いが主で、日雇いとなるとムキムキマッチョの大工さんしか出来ないような即戦力労働しかない。体力こそ人一倍、あとは読み書きが出来るだけで特にこれといった公的資格も筋力も持ってない私である、まして上京したその日に身分証を全部燃やされた小娘(未成年・保護者とツテ無し)だ。正規ルートで雇ってくれる職場など殆ど無く、寄ってくるのはなんだか勘違いした孤児院の役員だけ。そうじゃない、私はみなしごじゃないしこの都に長く留まってもいたくない。小娘なりに、路銀を貯える収入を得たいだけ。しかしそのためにはとにもかくにもひたすらに身分証の再発行を待つしかなかった。

 恥を忍んで故郷に手紙送って迎えに来てもらえばいーじゃんとも云われたが、威勢よく啖呵切って実家をおん出てきてしまった手前、かなり気まずい。そして今の状況、田舎からの月イチペースの馬車をのんびりと待っていても実質無一文なのであっという間に食いッぱぐれてしまう。日銭に困っては元の木阿弥だ。なんでもしますんで雇ってくださいと方々に頭を下げてみたが、未成年を長期労働させるのは法律が云々だとか君のような若い女の子に肉体労働させるなんてかんぬんとかのご高尚な説教に遭うだけで前に進めない。斡旋所の受付さんも私が保護者なしの未成年と見るや気の毒そうな顔で「はよ孤児院行け(意訳)」とのたまった。イラッとしつつ都会なんざ只の地獄だと再認識。

 このままではみずから年齢詐称して娼館の扉を叩いてしまうこととなる。そんな出戻り超イヤだ。やーい出戻りだーと田舎の悪ガキに後ろ指を差される屈辱の方が遥かにマシである。悩みに悩んだが、大きな街に必ずひとつはある慈善的宗教団体の神のしもべになりませんかとの誘いは丁重にお断りしておいた。食いッぱぐれからは逃れられそうだが、ガラじゃないし金も貯まらない。それにこういうのに一度入ったら最後、これまた物理的に逃げ出せなくなるに決まってる。一刻も早く都から田舎に戻りたい私にとって、メリットはまったく無い。孤児院居候並びシスター化するのは本当に困ったときの最終手段にしとこう。都会って本当メンドい。

 上京した直後は希望に燃え立つ就活意欲だったのに、今は一転なんとも強迫めいた就職難。これが音に聞く氷河期ってやつか。どうしたものかと頭を抱えた矢先、救いの手は思ってもみないところから差し伸べられた。そう、冒頭で出逢ったのほほん男性、もといお役人さまだ。なんと彼は本物のおぼっちゃまだったらしい。

「君を保護したのは僕だし、都にいる限りは最後まで責任とるよ。と言っても君は路銀を貯めたいようだから、就職先を世話する。丁度屋敷の使用人の枠が空いているんだ、僕の家に来ない?」

 本物のおぼっちゃま証書持ち、もとい信憑性のある貴族名ほんみょうで潜入していたわけか。道理で、あんなずる賢そうな娼館主人に簡単に信用されたわけだ。

「仕事内容は屋敷の掃除全般。あと敷地内の手入れも出来ればやって欲しい。女の子にしては重労働だけどもちろん住み込みだし、即日から給料は出せないけど、僕が屋敷にいる限り三食も提供するよ。給金は仕事ぶりをみて相場から上下させてもらう。正規雇用でないから少し低めになるけれど……一日の就業時間及び期日は君の自由。お金が満足するまで貯まったら、好きに出て行って構わない」

 もちろん、これほどの好条件で否と言う選択肢は無い。

「ほ、ほんとうに雇ってくださるんですか。しかも働いた分だけお給料払っていただけるんですか」

「本当だよ。君が良ければね」

 なんと責任感があり気前の良いお役人さまだろうか。都会も捨てたもんじゃない。

「はい、もちろん喜んで!!」

 そんなわけで、田舎から出てきた単細胞小娘は深く考えずのこのこ付いてったわけだ。




 お役人さまは神さまか天使さまか、喜んで働かせてもらいますとばかりに駆けつけた先は凄まじい屋敷であった。いや、誇張でなく。

「……なんでこんなに草ボウボウなんですか」

「庭師雇ってないんだよねー」

「どうして玄関入ったら立派な蜘蛛の巣が堂々と正面に張ってるんですか」

「ほら痩せたでっかいのがいるだろう? あれ見てたらなんとなく愛着湧いて僕からは巣を壊せなくなっちゃってさー」

「廊下歩いたら足跡付くってなんですか。いつからのホコリですかこれ。何この屑山。テンプレ異臭……!」

「ここしばらく帰ってなかったから一週間分かなー。あ、床の拭き掃除は先代が生きてた頃からずっとしてないかも。ゴミも出してない」

 上記の会話が示す通り、手入れが皆無の本物の汚屋敷おやしきだったのだ。そればかりか。

「っていうか、(小さいけど)ちゃんとしたお屋敷なのにお役人さま……じゃなかった、旦那様おひとりだけしかいないのは、」

「ウチ、ぶっちゃけ貧乏貴族なんだよね。税金払うのに手一杯で、数人以上の定期人件費捻出する余地無いんだ」

 あ、でもちゃんと貯金はあるし泊まれる部屋もあるから安心してー。そう言いつつ足でぐいぐいとホコリその他を脇に寄せ、私室までの道をつくってくれる彼。のほほんだが優しいしこの人は大変いい人である、こうして素性の怪しい小娘を簡単に雇ってくれたのだから。

 そう無理矢理考えていた矢先、のほほんと爆弾は投下される。

「言い忘れてたけど僕、これからもちょくちょく留守にするから。なるべく死なないようにしてるけど、ひょっとしたら永久に帰って来なくなるときもあり得るから、そのつもりで」

「……」

 窮地を救ってくれた恩人だということは置いといて、私はこの人間モップに全力で確認したくなった。路銀になるだけの給料、最後までちゃんと払ってくれるんですよね?と。さすがに失礼だと思ったので、そういう問いは止めたが。


 ともあれ、雨露が凌げるばかりか日々の食事に困らなくなったのは万々歳である。不平不満ならび漠然とした不安など、現状況で表に出せるわけがない。私は新しいご主人、もとい旦那様の恩義に報いるため、そして無事故郷に戻るため、精一杯与えられた仕事をこなした。その内容とは無論、汚屋敷の大掃除ならび手入れ全般である。

 雇われた次の日(さすがに気持ちの整理をつけるため一晩は必要だった)、私はさっそく屋敷の扉窓を全開にし、ホコリまみれの家具やら敷布やらを全干し、天井からざかざかと蜘蛛の巣を全壊(旦那様が「さようなら僕のベストフレンド」と切ない声で呟いていたのは無視)、余分なものを全捨てさせた。ホコリ払い塵取り箒掛け雑巾拭きを一通りおこなったあとは調度品を元に戻す。外に出せなかった調度品の数々はピカピカと光沢が出るほどに磨き上げると、昨日とは打って変わってこじんまりながら立派な貴族屋敷の内装らしくなる。幸い台所や厠、浴室など定期的に使われているらしき場所は割とホコリが少なかったので短い時間で済んだ。家の中が片付けば、あとは得意分野である。掃除婦ルックを農婦ルックに替えて外に繰り出し、周囲にボウボウと生えた雑草の除去をおこなう。幸い隣接した倉庫に道具はちゃんと揃っていたので必要なのは要領と根気だけだ。田舎で培った草刈り忍耐という名の農民スキルで刈って刈って刈りまくり、陽がすっかり落ちる頃には汚屋敷はほぼ屋敷になった。

「――うわ、すごいね」

 朝から私の働き振りを苦笑気味に眺めていた暇人旦那様(今日は休暇らしい)は、見る間に綺麗になっていく自宅に感嘆の声をあげた。当然の反応である。

「君、掃除の達人? 片付けの名手?」

「ただのしがない元農民です。それよりそこ拭きますんで移動してください」

「あ、ごめん。……とにかく凄いよ、まさか女の子一人でここまで、しかも一日でほぼ片付くとは思わなかった」

「男性なら半日で出来るでしょうね。そこ退いていただけますか」

「あ、ごめん。耳が痛いなー」

 育ちが悪いんで、つい皮肉が洩れてしまった。二分の一近く年下の小娘にさっくり刺されながら、旦那様は怒った風情でない。のほほんととぼけた風情で微笑み、のほほんと首を竦めてみせる。

「僕は昔からそういうのが苦手でね。人間の掃除は得意な方なのに、物の掃除は不得意なんだ」

「意味わかりません。そんなことよりどいてください」

「あ、ごめん」

 段々言葉に遠慮がなくなってきたのは仕方ない。この人はお貴族さま称号持ちのエリートなお役人さまで仕事にかけて敏腕かもしれないが、家事労働においてはあまりに無計画で、あまりにモノグサだ。

「ここ数年でどんどん使用人は辞めていってしまってね。ま、僕が家主になってから節約のために減給しますって言ったせいなんだけど」

 そしてケチである。なんという三重苦か。一緒に暮らしたくないタイプだ。

「それにしたってお一人でスス払いくらいできるでしょう。はいどいて」

「あ、ごめん。忙しくしているうち後まわしにしていたら、面倒くさくなってしまって。この屋敷には僕一人しかいないし、別に気を遣わなくてもいいかなって」

「片付け出来ない人の典型的言い訳ですね。どいてくださいってば、掃除の邪魔です」

「あ、ごめん」

 何せ二階の私室でさえ寝台周辺はしっちゃかめっちゃかに散らかっていたのだ。私物や大事な書類等は旦那様に片してもらい、私は洗濯してないシーツ諸々をよいせっと洗濯、新しい寝具を引っ張り出してイチからベッドメイキングした。それにしてもお貴族さまのお屋敷らしく、物はそれなりに揃っている。なのにそれらを使った形跡がない辺り、ズボラケチそのものだ。結婚できないタイプである。

「なんだか誤解してるようだけど、所帯持ってないのはワザとだよ。これでもそこそこの家柄だから見合い話は結構持ち込まれ、」

「そんなこと訊いてないです。邪魔です」

「あ、ごめん」

 しかしこの人は仕事はともかく、家のことに関して本当に役立たない。家主のくせにさっきから掃除婦の言いなりだし。片付けの指示に従ってくれるのはありがたいし率先して手伝ってくれる辺りやる気はあると見えるが、高いところの埃を払ったり重いものを運び出す以外の役に立ってない。如何せん手際が悪くフットワークも重く掃除中の私語が多過ぎる。ついイラついて口調も乱暴になろうというもの。

「旦那様、申し訳ありませんが清掃に関して旦那様は役立た……わたし一人でも出来ますので、どこかでお茶飲んできてください」

「あ、うんわかった」

 あんまり役立たないんでそう言うと、旦那様は首を竦めてすごすごと階下に向かう。使用人に私室から追い出された主人は数分後、お盆を持ってすごすごと戻ってきた。

「お茶淹れたよ。ちょっと一休みしない? 朝から働きづめだろう」

「……いただきます」

 すごすごと受け取ってしまったのは仕方ない。さすがに疲れて喉が渇いていたのは事実だし、お盆からは凄くいい香りがしたから。

「ありがとうございます、美味しいです」

「それはよかった」

 旦那様は自分も一口飲んでにっこりと笑う。こう言ってはなんだが、昨晩の夕飯も今朝の朝食もひどく美味しくなかった。素直に店屋物にすればいいものを「歓迎も込めて久しぶりに手作りしようかなー」とのたまった挙句、凄まじい化合物が食卓に出てきたのだ。食べられるとこだけ選り分けて食べたけどあんなのはもう金輪際見たくない。片付けも私がやるはめになった。そのくせ食後に出てきた紅茶だけは素人舌にも解るほどひどく美味しくて納得いかなかった。不器用なら最後まで不器用でいろよ。

「この紅茶、我が家が昔出資していた先の特産品でね。もうそれは取りやめてるけど、先代からの贔屓で優先的に買い取れるようになってる。僕は昔からこれが好きで、忙しいときも欠かすことが出来ないんだ。気分が和むし疲れも取れる効果のある一級品だよ、美味しいだろう?」

 頷くと、旦那様はこぽこぽと紅茶を新たなカップに注ぎながら、そっと瞳を伏せる。こうしてみると顔はそんなに悪くないし、身体つきも少し痩せ気味ながら締まってはいる。外見は落ち着いた風情の好青年そのものだ。目を見張る美形というわけではないけど、割かしどの世代にも好感を抱かれそうな容貌である。

「……旦那様は、どうして所帯をお持ちでないんですか」

 さっきは話を遮ったというのに、思わずそんなことを訊き返してしまった。するとのほほんとした声にほんのりと侘しさが混ざる。

「こんな仕事してるし、収入ばかりか明日の命もしれない身だからね。僕は妾腹の次男坊だし、家名と領地自体は異母兄が別の場所で継続させているから子供を作る義務も無い。ここは今の職場になってから買い取った、死んだ親戚の家なんだ。潜入捜査のときはその人の家名を使わせてもらってる。勿論実家とはもう、絶縁状態さ」

「あ……」

 掘り起こしてはいけないことを掘り起こしてしまったのだろうか。

「ああ、気にしないで。不幸自慢をするつもりは無いしこういう仕事してる以上、身元をわかりにくくするのは当然のことだよ。足がつくから家庭は持てないし、弱みになるから近所づきあいもしてない。一時期関係無いところで変な噂を立てられたりもしたけど実害は無かったし。ま、市民の暮らしを守るために活動してるんだから末端の僕ひとり何言われたっていいかって思ってた」

 こくり、と紅茶を飲み干してから続ける若き苦労人旦那様。

「でも、君を見てたら思ったんだ。こんな若くて未熟でおのぼりさん丸出しの女の子が拙いながら懸命に、目的のために邁進している。なのに大人であるはずの僕は、しなければならないことから逃げてるだけなんじゃないかって。――そう、今こそゴミ屋敷もといお化け屋敷という汚名を返上するときだと」

 前言撤回。のほほんとした瞳が輝き出しているが、言ってることは失礼極まりないし程度が低い。娼館に来てたときは髪もセットしてたしかっこいい装いだったのに、今はぼっさぼさ且つ首から下が全然違うので別人に見える。オフ仕様のたらーんとだらしなく開けた襟元とくたびれたズボンなので、シリアスがまったく似合わない。内実もズボラケチだし。

「そういえば壁とか柱とかに汚い字で落書きしてあったんですけど」

「う、うん」

 ズボラケチ家主の目線が泳ぐ。

「もしかしなくともこのお屋敷、旦那様が留守のときは近所の悪ガキの胆試し合戦場と化しているんですか」

「そう、そうなんだよ! ひどいよね、最近の子供はしつけが全くなってない! 他人様の家に勝手に侵入するなんて!!」

「そういえば門の錠前だけ新品でしたね。もしかして、侵入されてることに気付いてからやっと取り付けたとか」

「……」

 図星だったらしい。

「悪ガキも悪ガキだけど大部分は旦那様の自業自得だと思います」

「その通りだと僕も思います」

 素直に反省する辺り好青年には違い無い。が、如何せんのほほん過ぎる。呆れ半分の心地でいたら、旦那様は顔を上げてまた邪気の無い顔で微笑んだ。

「ともあれ、君が来てくれて本当に助かったよ。給料は約束どおり、弾ませてもらう。ただ、身体を壊しちゃ元も子も無いからほどほどにね。頼りにしてる」

 その視線は、私を真っ直ぐに見つめている。それは都会でよく遭った形ばかりの同情のものでなく、子供だからといって見下げたものでもなく、まっとうに私を働き手として認めている信頼の光であり、励ましと労わりに満ちた表情だった。都会に来てから張り詰めてたもの、胸の中のトゲトゲしたものがすっと溶けるように消え、新たに湧き上がるぽかぽかの気持ち。

 頼りにしてる、だって。

「あ、はい。……ありがとう、ございます」

 当然だという顔で返応しようと思ったのに、なんだか声が震えてしまった。頬も熱い。風邪でも引いてたっけ私。ちょっと俯いたら、瞼も熱くなってきて参った。ヤだ、泣きたくないのに。

「お茶のお代わりいる?」

「……いただきます」

 この人はのほほん過ぎるが、やっぱりいい人だ。

 路銀が貯まるペースが滞ったとしても、仕方ないか。美味しい紅茶を啜りつつ、私は覚悟を決めたのだった。例え、それは危険な前フリだと自分でわかってはいても。


 ・

 ・

 ・


 ――あっという間に時は流れ三年後。かつての汚屋敷は完全なるお屋敷になり、私はだいぶその場に馴染んだ。馴染んでしまった。旦那様からの呼び名が「君」から愛称になり、物言いも互いに遠慮がなくなり、お仕事の方もちょっとばかり危険な場所に赴くことが少なくなり、ほっそりしていた旦那様のお腹にちょこっとお肉がつくようになったこと以外は特に変わり映えのしない平穏な日々。

 私達の住んでいる国の成人年齢は十六歳、結婚可能年齢は十七歳からである。路銀なんちゃらと言いながら、私は結婚出来る年になるまでこの屋敷に留まってしまったというわけだ。理由は察してやってほしい。不肖十七歳、今じゃ立派に恋する乙女(失笑)だ。前フリとか自分で言わなきゃ良かった。

 どうしてそういうことを前置いたかというと、そういうことになってしまったからである。めでたく十七回目の誕生日にその事変は発覚した。歳を食うと同時にあっさりと名字変更「されて」しまったのだ。つまり、お察しな形で。

「最初は本当に純粋な責任感というか、厚意のつもりだったんだよ。君を女性として好きなんだって気付いたあとも未成年に手を出すわけにはいかなかったからね」

 こんなさらっとした告白はじめて聞いた。

「色々くだらない問題もあるし、下準備させてもらった」

 ここ最近、屋敷に帰って来る頻度が抜群に高くなった旦那様はそう続け、にっこりと笑った。身分証再発行を故意に遅らせたばかりかどさくさに紛れて只の農民の末娘に勝手に付加価値を付け書類偽造、私の親元に早馬を送りせっせと外堀を埋めていた策士とは思えないほど邪気の無い笑みだった。いつものことながら。

「そういうことで、結婚して?」

 こんなあっさりしたプロポーズ初めてだ(いやプロポーズ自体お初だけどさ)。

「な、な、な、」

 偽造された証書(本人が誕生日のこの日まで気付いてなかったという点も笑える)を握り締め、私はワナワナと震える。顔色は赤くなったり青くなったりと忙しい。

「なんで、なんでただの元農民な私が、異国の没落貴族の落とし胤になってんですかぁ―――!?」

「いやー奇縁だよねえ『つい最近判明した』尊い血筋の令嬢が、とある没落貴族の屋敷に住み込みで働くうち家主と恋に落ち、『たまたま』デビュタントに居合わせた貴族の一人に養子に望まれて、『身分差を乗り越え』幸せな結婚するなんて、いやー」

「胡散臭い後付説明どうもありがとうございます、なんて言いたくないですよこれ詐欺でしょぉ―――!?!?」

「奇縁だよねえ」

 のほほんと笑う旦那様の視線下、燦然と輝く「お貴族さま」の銀印。それが(名字変わってる)私の名前脇にでかでかと判してある。なんてことだろう、都会って本当にこわい……!

 本格的に混乱しかけた私を宥めるよう、旦那様はいつもの紅茶を淹れてくれた。ああ悔しいけど落ち着いてしまう。いい香りだ悔しい(反芻)。

 私自身、一旗とまではいかなかったが新天地でそこそこ裕福な新生活をゲットし路銀を稼ぐ必要がなくなったのは良いことだと思うしかない。でもなんでそういうことになったのか、いつの間にこんなことになってしまっていたのか。旦那様への身分違いのあれこれに一人で悩んでた毎日とか、今の状態だと別の意味で恥ずかしい。ちっくしょう、両想い且つこんな解決方法あるんならあんなに悩む必要無かったのに。

 そういえば十五歳の頃は旦那様に乞われるがまま貴族の公式マナーやら令嬢の嗜みやらを習わされ(勤続一年目の規則とか言われた)、十六歳になった時頼まれるがまま社交パーティーにお供し(二年目の規則とか略)、ほいほいとなんかの書類書いてしまった(規則とか略)と思い出した。思えばあれが婚姻お披露目と養子縁組なんちゃらだったのだ。おバカだ。もう都会に住んで三年経つってのに、未だおのぼりさん気分が抜けてなかったのか。頼まれると嫌とは言えず、シンデレラごっこに戸惑いつつ内心浮かれ、惚れた相手に弱すぎる自分がおバカ過ぎてしにたい。都会なんて都会なんて。

 責任転嫁な怒りがふつふつ湧いてきて、紅茶カップを置くなり涙目で旦那様を睨む。

「身分証勝手に偽造するなんてひどいッやっぱりこんなの横暴です、罰としてお掃除もうしないッ実家に帰るッこんなトコ辞めてやるぅ~」

「じゃあ掃除婦は解雇」

 羞恥まみれの駄々っ子状態となった私に対し、旦那様は笑顔を崩さず言い放った。憎たらしいほどに落ち着いて見えるが、その実、口に運ぶカップから紅茶が一滴も垂れていないこと、テーブルの下の足がさっきから一ミリも動いてないことなんかに気付いてしまったら、それ以上怒れない。この人は掴みどころが無い風に見えて、結構わかりやすい人なのだ。独りが平気なフリしながら実は寂しがりやで、本当は感情豊かなくせにすべてをのほほん顔の下に覆い隠して。伊達に三年間見つめ続けたわけじゃない。

 最近は自室周辺を片付けられるようになった旦那様の長い指が、すっと偽造書類の名字をなぞる。のほほんとしたいつもの声に、真剣な懇願の響きを載せて。

「この仕事は、だいぶ条件がいいと思う。特に何をしてくれとかは無い。ただ、僕の傍にいて欲しい、一生を共に暮らして欲しいんだ。――報酬は君の望むがままなんだけど、どうかな?」

 卑怯だ。私がお給金以外に望むものなんて、そんなものひとつしかないっていうのに。

「じゃあ旦那様をください」

「こんなものでよろしければ」


 ……名字が変わったその夜。「私だけの旦那様」になった彼は、いつかの娼館で小娘の髪を乱したときとは比べ物にならないほど優しい手つきで、新妻に触れてくれた。


 都会ってやっぱりこわい。だって気がついたら、心も身体もぺろっと美味しくいただかれてしまってたんだもの。



「……旦那様のロリコン」

「それやめて(←こっちもこっちで悩んでたらしい)」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しく拝読させて頂きました。 田舎娘ちゃんのずらずらと続く独白の中から、「あらあら、うふふ……」なんて微笑ましく見ていたら、ラストは旦那様、裏切りませんでした! のほほんな顔して実は策士、…
[一言] 良いカップルでした(^^) 幸せな家庭を築いて、末永く爆発して下さい(笑)
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