第8話 可愛くなる男子高校生
『女体化』現象からしばらくたったある日。この日は休みなので、ずっと家の中にいた。こんな一日を過ごしても仕方がないと思い、外へ出ることにした。そこで俺は気が付いてしまった。気付かないうちに胸が大きくなっていたのである。つまり、予想以上に『女体化』の速度が速い。だから何だという話ではあるが、さすがにここまで成長するとあるものが必要となるのである。そのことは母に相談すると決めていた。一番頼ることができる大人だからだ。そして、幸いにも母も休日なのだ。
「まさか、あんたがこんなことになるなんてね」
これはもちろんのことだが、母にはなるべく迷惑をかけたくない。しかし、『こういうことは絶対相談してね』と母から言われていたのだ。少し恥ずかしいが、素直に従った。相談した方が迷惑がかからないという母なりの考え方に、俺は少々戸惑った。何故そう思うのだろう。普通であれば、俺のような人間は避けられるものなのではと思ったのだ。母はどちらかと言うと、深く干渉しようとしている。俺の持っている考え方がおかしいのだろうか。もちろん、これには正解はない。ある意味、どちらでも正解なのだろう。
どうしようかと困っていると、母がこんな提案をしてきた。
「そろそろ買いに行く? あんたもそろそろ必要になって来るでしょ」
その『買いに行く』という言葉を俺は理解できなかった。買い物に出かけると言うことは、つまり何かを必要としているということだ。では、一体何を買いに行こうとしているのだろうか。もしかして、薬か何かだろうか。いや、今は買いに行く必要がない。
「ブラよ。あんた、自分のが欲しくなると思うし。と言うか、絶対必要になってくるでしょう」
「え」
まさかの展開であった。すっかりその存在を忘れていたのである。あまりにも予想外な回答だったが、確かに最近擦れて痛い時がある。使えば痛くなくなるのだろうか。具体的に想像ができなかった。
でも、その買い物は俺がするのか。何だか不思議な気持ちになっていた。
初の女性用下着の買い物である。しなくてもいい緊張をしている。変な汗をかくというのは、きっと今の俺の状態を指すのだろう。
さすがにいきなり一人で行かせるのはかわいそうだと思ったのだろう。結局、母が買い物に付き合ってくれることになった。『今日一緒に行って欲しい』と頼むと、快く了解を得た。結果的に母と俺の二人で買い物に行くことになった。母と買い物に行くなんて何年振りだろうか。おそらく、中学校に上がってからはほとんど行っていない。そもそも、母と一緒に行動するということを俺が拒んでいたのだ。無意識に母のことを避けていたのかもしれない。あの現象は今考えると思春期というものなのだろうか。
「着いたわね」
相変わらずの気合の入れようである。この人は何に対しても、いつも全力なのである。今もやる気満々といった表情で俺のことを見ている。それに対して俺はあまりテンションが上がっていない。母のテンションにはどうもついていける気はしなかった。まだ不安な気持ちが取れないのである。別に心配なんてすることでもないと自分でもわかっているのだけれど。
ただ、母は若い。見た目も若いのだが、それ以上に周りを包み込むオーラが若者特有のものに感じるのだ。うまく説明できないが、いい意味で元気なのである。また、不思議なことに母のことをなぜかお姉ちゃんだと思ってしまうことがある。その原因は分からないが、とても母とは思えないのである。このことは母には言ったことがない。単純に傷つきそうだからである。実は年齢が近かったりするのかもしれない。そういえば、俺は母の年齢を知らない。
俺がそんなことを考えていると、どんなのがいいのと母は聞いてきた。来たお店は専門店なので、品数が異常に多いのである。同じ商品でも、種類や色違いがたくさんある。つまり、たくさんありすぎて、どうしたらいいのか分からないという状態に陥っているのだ。母から一人で探してもいいという許可は出ているので、とりあえず俺は店中をくまなく探した。しかし、何がいいのか全く分からなくなってしまった。そもそも、自分に合うものがあるのだろうかという心配もあったのだ。
「やっぱり決められないよ」
こんなにたくさん種類がある中で、決めることができなかった。人生初のブラということもあり、何で選べばいいのかも見当がつかなかったのである。
「わかったわ。あんた何色が好きなの?」
このままでは一日が終わってしまうと感じたのだろうか。母が助け舟を出してくれた。こういう時は母に頼ったほうが早い気がする。
「青が好きだよ」
俺は青が好きなのである。部屋にあるものはほとんど青が基本になっている。好きな理由の一つとして、空の色ということもある。夏の暑い日は除くが、よく空を見上げてのんびりするというのも俺の趣味の一つだ。
「青ね。分かったわ」
そういうと、母はすぐに売り場へと戻って行った。母についていくと、青系のものを俺に見せて合わせていってくれた。終始『これはどう? こっちは?』と聞いてくれたが、買うものを選んだのは結局母だった。
家に帰る途中、特にこれといった話はしなかった。でも、母は『何かあったときは言いなさいよ?』と改めて言ってくれた。再確認というわけではないが、母のおかげで少しは成長できたと思える。
「おかえり」
玄関を開けると、七海がリビングからそう言った。七海は俺の妹である。挨拶を交わすことを当たり前だと思う人もいると思う。しかし、この七海の行動は俺が男子として生活していた時にはあり得ないことだった。それが今では当たり前のようになっている。いまだに慣れていないところはあるが、積極的になった七海を見るのは少し嬉しかったりする。
「ただいま、遅くなってごめんね」
ちなみに、七海は高校2年生である。別に隠すようなことでもないが、実は妹と同い年である。なおかつ、同じクラスなのである。これはなかなか珍しいパターンではないだろうか。
「お兄ちゃんの買い物?」
「そうだよ」
七海はとてもくつろぎながらゲームをし、テレビを見ている。ゲームとテレビのハイブリッド化でも目指しているのだろうか。昔に流行ったテレビの二画面機能を使って両方を同時に行っているのである。俺は思わず、どっちかにしろよと言おうと思ったが、こんなことは日常茶飯事なので今更言う必要もないのである。いくらゲームが好きな俺でも、さすがにこれを真似しようとは思わない。いや、出来ないだろう。
我が妹は見た目もパッと見は中学生ではないだろうかというくらいの小柄である。七海自身はそのことをコンプレックスに感じているみたいだが。気にするほどでもないとは思うのだが。むしろ、小柄なほうが愛嬌を感じるというか。別に損でも得でもないとは思う。
「お兄ちゃんどんどん可愛くなるんだね」
俺は七海のその発言に少しドキッとした。七海は『女体化』現象も『俺は女になります宣言』にも特に何も言わずに受け入れてくれた、数少ない理解者でもある。ここまで広い心を持っているのは、とてもすごいことだと俺は思う。しかし、ほんの少し前までの七海とはまるで別人になっている。俺が女体化したことと何か関わりがあるのだろうか。
「今日は沙希のブラ買いに行ってたのよ」
俺は母に選んでもらった水色の柄なしブラを買ってもらった。シンプルなのが一番いいと思ったのだ。ちなみに、母は珍しく俺にプレゼントしてくれたのである。
「お兄ちゃんもこれで女子の仲間入りだね!」
「こういうのって下着で決まるものなのか?」
女子か否かという問題は下着なのか。その部分はよくわからない。
数々の疑問は残りつつも、俺の女子デビューは今日で決まったらしい。ついに俺は家族公認の『女子』となった。家族公認になったことで何が変わったのかは分からない。しかし、こんなことを言われると、さすがに実感もわいてくるものだ。