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第65話 線香花火

 夏休み、最後の日。

 私は、通いなれた通学路にいる。うなだれてしまうような熱気に包まれながら、私は立っていた。


 『女の子化現象』が起きる前日、私はここを急いで歩いていた。なんてことない日常の中にある一つの出来事だったけれど、今思えばあれは私が『俺』として生活することができた、最後の朝だった。

 幹線道路の下をくぐるように存在しているトンネルへと、私は歩いていった。そこを歩きながら、昔のことを思い出していた。

 私が『私』だということを認識することが出来たのは、『女の子化現象』当日のことだった。私は、それまでに何度も違和感に遭遇していた。だが、認識してしまうといけないことなのだと自分に言い聞かせながら、平凡な生活を送っていた。

 私は、その時すでに自分の体が他の人とは違うということに、なんとなく気が付いていたのである。しかし、それを口に出すことや頭の中で認識することは避けた。無意識のうちに、私は自分のことを避けるようになっていた。自分がおかしいだなんて思いたくなかったのである。

 『俺』として生活していた時、一番嫌だったのは声だった。私には、声変わりというものがなかった。ずっと高い声のままだった。だから、なるべく声を低く出そうと、毎日練習を繰り返していた。そのおかげなのか、周りの男の子と大差ない声で話せるまでになっていた。周りの人とは違うということが、とにかく嫌だったのだ。

 『女の子化現象』を受け入れた日からは、元の声の高さに戻すように意識して喋っていた。


 トンネルを抜けると、そこには田んぼが広がっている。その向こうに、校舎が見えるのが、この学校の特徴でもあった。私は、この風景がとても好きだ。

 学校の横の道をずっとまっすぐ進み、何度か曲がると、虹の丘公園にたどり着く。春に、桜が道路を包むように咲くところだ。

 しかし私は、来年の桜並木を見ることができない。もう、できないのだ。


 この一年間、いろいろなことがあった。いろいろなことを思い出した。

 羽衣のこと、七海のこと、そして武弥のこと。

 決して変わることはないだろうと思っていた日常の風景は、あっという間に変化していった。不変なものはないと分かっているけれど、自分には関係のないことだと思っていた。でも、そんな考えは間違っていた。

 結局のところ、変わらないものなんて無かったのだ。


 私は、特に学校に寄って行こうという気はなく、そのまま家の近くまで戻っていた。夕方になり、空は赤く染まっていた。かすかに虫の声も聞こえていた。その中に、セミはいなかった。

 ただ、家に戻る気はなかった。


 森本駅に着いた私は、改札口の前の空間で、ただ一人で立っていた。その行為自体に意味はなかったが、なんとなくここに居たかった。

 帰宅ラッシュの時間帯なのか、改札を出ていく人の多くは、スーツ姿であった。自動改札機が設置されていないこの駅では、駅員二人体制で対応するのが決まりのようだった。しかし、降りる人もそう多くはなく、すぐに駅員は二人体制ではなくなった。

 それを見届けた私は、駅の階段を下った。


 この地域独特の湿った熱気に包まれながら、私はなるべく駅から離れることにした。そうした方が都合がいい。そう思ったのである。




 どのくらい歩いたのだろうか。体が休憩を欲するくらいには、歩いたようだ。たが、今の私に休憩が必要とは思えなかった。今日ですべてが終わるのである。

 事前に思いつく限りのことは、すでに済ませておいた。あとは、実行に移すのみだ。

 そう考えながら歩いていると、踏切が見えてきた。目的地に到着したのである。


 踏切の警報音が鳴るまで、私はそこで待つことにした。これ以上、移動する必要がなかったからである。

 最後の服は何にしようか、などということを考える余裕はなく、取りやすい位置にあった制服を着ている。


 やがて警報音が鳴り始めた。車などが来る気配もなく、この踏切の近くに居るのは、私だけだった。

 遮断桿しゃだんかんが下りてきたが、邪魔だとしか思えなかった。


 電車が迫っていた。私は、線路の中心に立っていた。

 電車の明かりは徐々に大きくなっていくが、その時間がとても長く感じた。まるで、スローモーションのようだった。




 汽笛が鳴り響いたような気がした。その瞬間、全身に痛みが走った。

「さよなら」

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