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私には性別がありませんでした  作者: 六条菜々子
第6章 無意識的から意識的へ
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第60話 ラブストーリーは突然に

 翌日になり、窓の外は太陽のおかげで、すっかり明るく照らされていた。昨日色々なことがあったせいで、結局一睡もできなかった。頭の中がずっとごちゃまぜになっている気分だった。

 例の件の衝撃に、私は耐えられているのかどうかは自分でも分からなかった。今まで頑張ろうと少しずつ努力して繋げてきた糸が一瞬で途切れたような感じだった。地に足が立っていない。もはや、自分自身がどこへ向かえばいいのか、何を目指せばいいのかが分からなくなってしまった。

 一気に、希望が絶望へと変わっていた。


 しばらくしてから、私は部屋を出た。一階のリビングに行くと、そこには朝食を急いで食べている七海の姿が見えた。後ろに来た私に気が付いたのか、七海は声をかけてきた。

「お姉ちゃん、おはよう!」

「おはよう、七海」

 七海と私のテンションは真逆だった。明と暗がはっきりと二人の間で分かれていた。最近は、こういう日が多いので、嫌な気持ちになってしまう。私が気になっているだけなのだろうか。

 リビングにかけてある時計を見ると、7時50分過ぎだった。いい加減に支度を始めないといけない時間だ。

「ごめん、お姉ちゃん。今日は日直だから先に行くね!」

「わかった。気を付けてね」

 七海の元気な声は、家の中に響いていた。それは、いつも通りのような雰囲気であったが、私は元気を出せるような状況ではなかった。自分の周りが、闇で包まれているような気分だった。


 私は、学校へ向かう準備をすませて家を出た。すでに、いつも家を出る時間よりも遅くなっていることを、リビングにいる時に確かめていた。一応、始業には間に合うけれど、少し急がなければいけなかった。

 昔は、この時間に家を出ることが普通だった。早歩きで学校へと向かっていた。ただ、それは私がまだ「男の子」として生活していた時の話である。今でもそうすることは出来る。しかし、女性ホルモン治療を受けている今では、勝手が違うのである。

 つまり、筋力が落ちたのだ。ホルモンの作用によって、筋肉がどんどん落ちていっていることを体感的に認識できるほどのものである。私の体は、確実に変化しつつあるのだ。


 学校に着き、自分の教室へと向かうと、すでに先生が教壇に立っている姿が見えた。私は、あまり音をたてないように気を付けながら、自分の席に着いた。

 先生の話す内容は、相変わらず同じであった。毎日のように、同じ内容の注意事項を読み上げている。何か新しいことがあれば、そこに追加して話すのだ。こんなことは、言わずとも分かることではあるが、生徒のほとんどは、教壇にいる先生の話を真面目には聞いていないのが現状だ。

 しかし、今日の先生の話の内容は、いつもとは違っていた。それも、一部分ではなく、ほとんどの話が変わっていたのだ。

「もうみんなが、ここの生徒として過ごすことが出来るのも、残り一年を切っています。こんなことは、言わなくても分かるとは思うけれど、自分の将来のことを日頃から考えて生活してほしいと思っています」

 それは、今の私には胸に刺さる言葉だった。自分の体のことでさえも、区切りをつけることが出来ていないのに、将来のことを考えることが出来ていなかった。


 私は、何を目指していたのだろう。昔の私なら、将来の夢をはっきりと持つことが出来ていたのだろうか。一体、何になりたかったのだろう。

 その答えを見つけ出すことは、今の私には出来ないことなのだろうと思った。



「中津、一緒に帰ろう」

「いいよ」

 放課後になり、私は武弥と一緒に帰ることにした。

 最近では、私が転校生だという設定も薄れており、武弥とも距離を置く必要がないだろうということで、二人だけで帰ることも珍しくなかった。

 たまに、武弥君と仲が良すぎる気がするけど、一体どういう関係なのという質問が来ることもある。それには、別に普通だと思う、と返すようにしている。確かに、私と武弥の関係は親友以上のものだと感じることもあるけれど、やはり友人としての関係だけなのである。そう思うからこそ、こうして気兼ねなく話すことが出来るのだ。

 話すことは、学校であった些細なことから昨日のテレビのことまで色々だった。武弥と話すことが出来れば、何でもよかったのである。

「なあ、沙希」

「どうしたの?」

「今日は、少し寄り道していかないか?」

「……いいよ?」

 武弥からの提案に少し戸惑いながらも、私は断る理由がないため、一緒に寄り道をすることにした。


 この時期の森本は、天気が少し不安定なことが有名である。地理的な要因が重なり、元々晴れる日が少ない。なので、青空が広がるなどということは、この地方では一年に数回程度である。それゆえ、地元の人々は曇りのことを「今日は晴れているね」などということも多々ある。それぐらいに、澄み切った青空というのは貴重なものなのだ。

 しかし、今日は違っていた。これでもかというくらいに晴れている。こんなことはめったにないので、少し困惑するほどである。

「どこに行くの?」

「到着するまで内緒だ」

 武弥は、そう言ってごまかした。

 遠くに夕日が沈んでいくのが見えた。日が落ちるときに面白いのは、海に近づくまではとてもゆっくり進むのに、海にかかると途端に消えていくところだ。あの現象に名前はあるのだろうか。瞬き現象とでも名付けてみようか。そうすれば、私が名付け親になれるかもしれない。

「ねえ、もう日が沈んだよ?」

「まだだ。目的地は、まだ先だぞ?」

 楽しそうに話している武弥に、私はあきらめの表情を浮かべた。

 それから十分ほど行くと、そこには橋が見えた。普段の帰り道とは真逆の方向なので、初めて見る光景に、私は少しテンションが上がっていた。

「もうすぐだ。あの場所に沙希を連れてきてみたくてな」

「あの場所?」

 何か思い入れでもあるのだろうか。武弥の言い方は、何かを含ませているように感じた。もしかすると、私の知らない武弥の話が聞けるのではないだろうか。そう思うと足取りも軽くなった。

「今日くらいしかないだろう。こんなに晴れているのは」

 武弥は、そう言いながら空を見上げた。私もそれにつられて、空を見上げる。すると、そこにはたくさんの星が見えるのだ。見慣れない景色に戸惑いながらも、私はその時間を楽しんだ。

「どうしてこの場所知ってるの?」

 私は疑問に思った。この場所は、武弥のいつも通っている道ではないはず。なのに、武弥はまるでいつもと同じように、そこのベンチに座っている。

「偶然見つけたんだよ。どうしても寄り道したくなる時ってあるだろう?」

「まあ、あるけど」

 また、武弥は私に何かを隠している。どうしても、偶然だとは思えなかった。

「そんな時に見つけたんだよ。この景色を」

 それは、私の今まで知っていた星空とは違っていた。とても澄み切っており、まるで写真を見ているかのような感覚に襲われた。

「ありがとう。連れてきてくれて」

 私は嬉しかった。武弥は、前からここに私を連れて来たいと思っていたのだろうか。そう考えると、感謝の気持ちを伝えずにはいられなかった。普段は何も考えていないふりをしているので、少し卑怯な手を使われたとも思った。

「お礼なんていいよ。無理に連れてきたのは、俺の方だから」

 武弥は、なぜか照れたような顔をしていた。照れさせるようなことは、言ったつもりがない。無意識に言ってしまったのだろうか。

「でも、どうして連れてきてくれたの? 今日は何の日?」

 私は、シリアスな雰囲気が苦手だ。この空気に耐えられなくなってきたので、茶化してみることにした。

 返事を待っている時に武弥を見てみると、顔が強ばっていっているような気がした。茶化すつもりが、余計に変な空気が漂ってしまった。

「なあ、沙希は好きな人とかいるのか?」

「え? いや、居ないけど。それがどうしたの?」

 武弥にしては、珍しい質問だった。恋愛の話なんて、ほとんどしたことがない。私が恋愛ドラマの話をすると、武弥がわざと無視するくらいである。だから、興味がないとかではなく、苦手なのかと思っていた。

「そうか、いないのか」

 複雑な気持ちなのか、武弥は何とも表現しづらい顔をしていた。本当にいないのだから、こう答えるしかなかったので仕方ない。ここで嘘をつくのも変だからね。それに、相手は武弥である。嘘をついても、何の意味もない。

「ねえ、どうしたの? ……なんか武弥らしくないね」

「どういう意味だよ」

「だって、武弥の口から『好きな人はいる?』だなんて聞き間違いかと思ったよ」

「そこまで馬鹿にしなくてもいいだろ」

 さすがに怒ったのか、武弥の口調は少し荒くなっていた。

「沙希は、あの日のことは覚えているか? 俺たちがまだ中学生の時の……お前がセーラー服を着ていた日だ」

 私にとっては、あまり思い出したくない日だ。武弥の前で、初めて泣き顔を見せてしまった日。

「もちろん。ちゃんと覚えてるよ」

 忘れることなんてできるはずがない。あんなに恥ずかしい思いをしたのは、あの日が最初で最後だ。

「そうか。じゃあ、あの言葉は覚えてるか?」

 武弥の言葉によって、忘れかけていた記憶が、一気によみがえった気がした。

 あの日、羽衣の家に私はセーラー服姿で登場した。その姿に、武弥は軽いパニックに陥ったのか、二人で台所を借りて作業をしている時に、突然『俺の嫁にならないか?』と言い出したのだ。よく考えてみると、とても異常な空間だったような気もする。

「その様子だと、きっちり覚えているみたいだな。顔が真っ赤になってるぞ」

「あんなこと言われたら、誰だってこうなると思うよ」

 今思い出しても、あの時の体が痒くなるような感覚に襲われる。それほどに、衝撃が強かったのである。

「あの時な、言えなかったことがあるんだ。あの言葉でごまかしただけなんだ」

「ごまかした?」

 その言葉に疑問を持ったと同時に、ごまかし方が下手過ぎるだろうとも思った。いくら何でも突飛し過ぎである。しかし、武弥が言いたいことが何となく分かってしまった。私は、心のどこかでそれを聞きたくないと思っていた。それを聞いてしまうと、もう今のような関係には戻れない。なぜかそう思ったのだ。

「沙希、よかったらでいい。無理だと思ったら、別に無視してくれても構わない」

「うん」

「俺と付き合ってくれないか?」


 ああ、どうしたらいいのかな。聞いちゃった。聞いてしまった。

 まだ聞きたくなかったよ、武弥。

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