第55話 恋愛感情
悪い予感がする。そんな感覚を持ったことは、誰だってあると思う。
今の私はまさにその状態になっている。
「ねえ、七海」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
私は聞くことをためらった。いくら姉妹だからと言っても、七海がつらい過去を振り返らなければいけないことをしてもいいのだろうか。
それは踏み込んではいけないところなのではないだろうか。
何よりもこんなことをして羽衣が喜ぶのだろうか…。
いや、喜ぶわけがない。
本来ならば、私には知ることが出来なかったはずのことなのだから。
でも、私の勝手な思い込みだとしても、これは知っておかないといけないことだと思うから…。
「突然こんなことを聞くのもおかしいとは思うんだけど…」
「うん」
私は臆病者だ。いざ、聞かないといけないことが出来た時に限って人との接触を嫌う。
それによって、今まで勝手に私が解釈していた『あの日』のことを変えてしまうかもしれない。その時に羽衣が何を考えてそう言ったのか。
もしかすると、このまま勘違いを続けていてもいいのかもしれない。羽衣はそう思っているかもしれない。でも、それが私が感じることのできる最後の羽衣の感情ならば、聞いてみてもいいんじゃないかと思う。
本来は消滅したはずのあの瞬間の羽衣の感情を七海なら知っているかもしれない。
すべては推測。何も確証はない。だからこそ、聞かないといけない。
「羽衣のことなんだけど……聞いてもいいかな?」
七海は予想通り、いい顔はしなかった。
数年たっているとしても、あの事故が起きたことには変わりない。それはもう逃れようのないことなのだから。
「……わかった。いいよ」
その返答はあまりにも意外だった。何度か踏み越えてしまったこともあった。しかし、こんなに直接的ではない。
今は違う。羽衣のことを七海へと直接的に聞こうとしている。
「『あの日』の……羽衣の高校受験の日の事なんだけど」
この日は私が七海とデートした日でもある。半ば無理やりに連れていかれたのを今でもよく覚えている。
「羽衣から何か聞いてなかった?」
「どういうこと?」
そう返ってくることは薄々分かっていたけど、どう返答すればいいのかわからない。
どの程度まで七海があの日の羽衣のことを知っているのかを知らないからだ。
「私の事、話してなかった?」
今の状況だと、こう聞くしかない。これ以外に聞く術を私は持ち合わせていない。
「沙希お姉ちゃんの事…?」
七海は話しづらそうにしていた。やっぱり何かが起きていたことには違いないみたい。
でも、それが何なのか。羽衣の気持ちを感じ取ることが出来ない私自身にとても腹が立った。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。
私たちは顔を下に向けて黙り込んでいた。
部屋の中はとても静かで……でも決して嫌な空気ではなくて。何だかとても懐かしくて心地よい。そんな感覚を持っていた。
「私に気を遣わなくてもいいんだよ? 話したくないって思ったら話さなくてもいいからね?」
別に七海が嫌な顔をしている訳じゃない。この部屋から出たい。そんな風に思っている訳でもないと思う。
ただ不安なんだと思う。今まで…それこそ数年間言わなかったことを言い出すなんてめったにない話。それを七海はしようと頑張ってくれている。
いつものことながら私は残酷な人間だ。なんて、なんてひどいことをさせているのだろう。
しかし、聞かずにはいられない。
「実はね。あの日にお姉ちゃんは沙希お姉ちゃんとしてた『恋人ごっこ』をまた始めようとしていたの」
衝撃だった。
薄々勘付いてはいたものの、実際に話を聞くのはやっぱり違う。
「いつからそのことを知っていたの?」
「お姉ちゃんから直接聞いたのはあの日の一週間前くらいだね」
『直接聞いたのは』ってことはやっぱり七海は気付いていたんだね。
そんなことには全然気づかずに。自分のことで精一杯だった私からは何も言えることがなかった。
「直接聞いたってことは羽衣から話があったの?」
「うん。相談したいことがあるんだけどって急に部屋に入ってきて言ってきてね。今までそんなことなんてなかったから、ほんとにびっくりしたよ」
妹にさえ、自分の感情を押し殺して生活していたんだね…羽衣。それが耐えきれなくなってしまったのかな。それはわからない。でも、そうじゃないかなとは思う。
それとも、ただ単純に話を聞いてくれる人がその時に七海しかいなかったのかな。
「なんて言ってきたの?」
「すごく思い悩んだ顔をしててね。『ねえ、私どうしたらいいんだろう』って言って来たよ。すぐに分かっちゃったの。沙希お姉ちゃんのことで悩んでるんだって」
私とどうやって関わればいいのかわからなくなったんだろうね。その当時、私は私のことを全然知らなかった。そもそも意識したことがあまりなかったから。でも、真実を知ってから変わったかと言えば、そんな簡単な話でもない。
どうしても自分のことを受け入れ切れていない部分があるから。
「でね、お姉ちゃんはゆっくり話し始めたの。『私は秋路のことが好きだけど、秋路は私のことをそういう目では見れないのかな』って。だから私は言ってあげたの」
七海と羽衣はどこか似ている。そう感じたことがあった。
まるで双子みたいだった。
その言葉を七海が言った瞬間に私は確信した。
七海の姿はまるで羽衣だった。
『人を好きになるのに性別なんて関係ないよ?』