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私には性別がありませんでした  作者: 六条菜々子
第4章 本当の気持ち
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第42話 『あの日』はまだ続いている

 あの日のことは忘れていない。むしろ、七海の予想外の行動に驚かされっぱなしだったから。あの日以降、七海は私との接触をなるべく避けるように生活していた。私が羽衣ともう二度と会えないということを思うと、素直に会うことはできなかったのだと思う。姉妹という間柄だとなおさらに。

 でも、さっき七海は『私が何をしようとしたのか』と私に言ってきた。それがどういう意味なのか、私は必死に考えた。あの日、私は七海に何をしてしまったのだろう。わざわざ二人だけの時間を作り、出かけた。そして、私のことを求めてきた。挙句の果てには手を繋ぎたいとまで言ってきたのだ。一体、七海はどんな気持ちで接していたのだろう。あの時、あの瞬間を。そして、その日の夜を…。

 もしかしたら、今日のデートはあの日の続きなのだろうか。叶うことがなかったあの日の次の日を。また始めようとしているのだろうか。だとしたら、何で今なんだ?


「お姉ちゃん。駅着いたよ」

 気が付くと、夜八時以降は無人駅となる森本駅に着いた。今ではすっかり見慣れたこの景色も、今日はなんだか物足りなく感じていた。人がいないから?いや、そんなのはいつものことだ。では、なぜなのだろう。

人があまりいないこともあってか、この時間帯は走る人を良く見かけようになる。いわゆるジョギングだ。運動不足の解消で走っているらしいが、俺にはよくわからないことだった。私は大人ではないということなのだろうか。

やっぱり私はまだ、幼い子どもなのだろうか。

「そういえばさ」

 駅に着いたという報告を私にした後、ずっと話さなかった七海が長い沈黙を経て、私に話しかけてきた。さっきの話が消化不良なこともあったので、話したいという気持ちが私の中に多少はあった。せっかく隣で歩いているのに、無言のまま、ただ過ごすのは退屈だ。誰だってそう思うと私は思う。

「お母さん、つまり私の本当のお母さん。綾音お母さんのことなんだけど」

 少しずつ、少しずつ深い闇の底からすくい上げるように話し始めた七海は、私の目からはとても人に話したいことだと思えるような状況ではなかった。むしろ、無理やりだった。苦しみながらも言葉を口から出していた。先ほどまでの雰囲気とは全く違っていた。

「七海のお母さんか。私はあんまり話せなかったな。話す機会なんてたくさんあったのに」

 ただでさえ、その名前を口に出すことでさえも苦しそうにしている七海に対して、俺は冷静だった。少し前のことを思い出しただけ。記憶の断片の奥底に眠っていたような宝箱を偶然見つけた。そんな感じだった。しかし、信じ切れていない自分がここにいたのだ。もう三年以上経っているのに。私が頭の中で思っていたより、心の傷は大きかったようだ。七海の母親の話が出てくるということは、そこで同時にこの世から消えてしまった羽衣のことも思い出してしまうからだ。

「うん。あのね、実はお母さんがまだ家にいたときにこんな話を聞いたことがあったの」

 まだ家にいた時というのは、それが事故の起きる以前の話であることを指す。つまり、まだ生きていた時の話だ。今まで、私は七海の気持ちも考慮して触れてこなかった話題だった。でも、今は違う。七海自身がこの話題に触れたのだ。

 一体、どんな心境の変化なのだろうか。それとも、つらいことを思い出してもいいと思えるような話題なのだろうか。

「ちょうど、そこの十字路の話なんだけど」

 七海はゆっくりと話し始めた。さっきよりも少し気が楽になったようだ。とても落ち着いていた。

 それは、今から約30年前の話だった。七海の母親である、綾音さんがまだ私みたいな年齢の時。その当時、綾音さんは特に仲が良かった男子がいたらしく、その人が七海の父親なのだそうだ。まだ、仲が良かっただけの時に七海の父親が綾音さんに告白した場所らしい。電灯は一つだけ。人が行きかうことの多い、この場所で思いを打ち明けたのだと思うと、胸が熱くなった。

「それでね、二人が初デートの場所に選んだのがあの桜並木なんだって」

 二人がお互いの気持ちを知った場所はここ。そして、デートに選んだのは森本の桜並木。すべてがこの土地にあると思うと、少し感動してしまった。運命の出会いを一度に体験していたからだ。なんて偶然なのだろう。

 でも、なぜだろう。とても他人事のように思えなかった。私がこの数日間過ごしている状況によく似ていたからだ。もしかして、七海は私に言ってほしいのだろうか。七海に対してそんな感情は一切ないと。好きではないと言っては嘘になる。しかし、私は七海のことを恋愛対象としては見ることが出来なかった。私が女になったということも、もちろん理由の一つではある。

でも、一番の理由は七海のことを妹としか思うことが出来ないということだった。

私がまだ中学生の時にも考えたことがあった。七海のことが好きなのだろうかと。実は好きなのではないだろうかという気持ちが多少なりともあったのだ。しかし、考えるほどにそれは違うという結論にたどり着いてしまうのだ。あくまでも、幼馴染として。     

そして今は私の妹として。

そう思うことしかできないのだ。でも、そう思うことで変に安心してしまう部分もあった。この気持ちは恋愛感情によるものではないのだという確信を持てたからだ。あくまでも、私たち二人の関係は『姉妹』なのだと。

「桜並木か。羽衣のことを思い出すね」

 この事は言わないでおこうかとも思ったが、言わずにはいられなかった。気づいたら口から出ていた。何度も忘れようと思ってしまった人のことを。

 絶対に忘れるはずがない人のことを。

「虹の丘公園に遊びに行ったこともあったね」

 そうだ。私と七海が中学に上がったときに羽衣と七海と私の三人で遊びに出かけたのだ。出かけたといっても、放課後にちょっとだけ寄ってみたという感じだったけれど。たったそれだけの事だったが、それでもその当時の私にとってはとても楽しかった。その時間は永遠に忘れることが出来ないと思う。

もう帰ってくることのない時間だから。もう二度とあの光景は見ることができないから。今は記憶の中でしか思い描くことしかできない。


七海を見ると、心なしか落ち込んでいるように思えた。デートの最中はあんなに楽しそうだったのに。まるでそう、すべてを忘れたかのような顔で。いや、忘れてしまったような顔で。

なのに、なぜ落ち込む必要があるのだ。臨海でなにかやり残したことがあったのだろうか。この状況で何も思いつくことが出来ない私が嫌いだ。こんなに大切の思っている妹がそこで落ち込んでいるのに、何もしてあげることが出来ないのだろうか。いや、そんな私でも出来ることがあった。

「七海、お菓子買ってあげようか?」

 七海は珍しい生物を見るような目で私を見てきた。普段は何事もけちって生きている私が何かをあげると言っているのだ。そんな目になってしまうのも無理はないかもしれない。でも、少し失礼だと思うぞ。まあ、それだけ素直な性格だということだな。いいことなのかもしれない。

「ほんとに?ほんとにいいの?」

「うん。本当にいいよ」

 七海はようやく元の目に戻った。違った意味でショックだったのだろう。

「買ってもらえるだけでうれしいから、お姉ちゃんの好きなお菓子でいいよ」


 コンビニまでは駅から約5分。それほど遠くないので、駅に向かう学生の利用者も多い。

 七海には先に帰っておいていいといったのだが、どうしても着いていきたいというので、コンビニの前で待っていてもらうことにした。今日の七海は甘えたいのか、わがままなのかがよくわからない。一体、七海は私にどうしてほしいのだろう。それとも、私が気付けないだけなのかな。だとしたら、私はなんてことをしているのだろう。

 お菓子コーナーはコンビニを入って二列目の棚だ。家からも近いので、何度もここへは来ている。だから、どこに何があるのか詳しい自信がある。まあ、特に不要な知識なのだけれど。無いよりはマシだ。あれ?このパッケージ、どこかで見覚えが。私はお菓子をコンビニに買いに来ることはほとんどないので、あまり知らないはずなのだけれど。

 結局、さっき見つけた気になるパッケージのお菓子を買った。もやもやするから、見覚えのある理由をずっと考えていたのだが、今思い出した。

 これは私が落ち込んだ時に羽衣がよく買ってきてくれていたものだ。私が中学生の時によく買ってきてくれていた。決まってこういって渡してきた。『そんな顔しないの!これでも食べて元気になりなさい』もう羽衣が来てくれなくなって、ずいぶんと時間は経っているはずなのに。あんがい覚えているものだなぁ。

 思い出したけど、もう買ってしまったのだから、七海に渡すしかない。羽衣が渡していたことを七海は知らないはずだし。多分、大丈夫だ。

「七海、お待たせ」

「あ、お姉ちゃん。ありがとう」

 七海はゆっくりと袋から例のお菓子を取り出した。私にも食べてほしいと思ったのか、何度か『半分こしよう?』と言ってきたが、あくまでもこれは七海を元気づけるためのものなので、丁寧に断った。初めは嬉しそうにお菓子を食べていたのだが、途中から急に元気がなくなって、さっきと比べるともっとひどくなってしまった。なぜだ。私が断ってしまったせいだろうか。

 考え事をしていると、時間は早く進むといわれている。私は今その現象に襲われた。考え事をしているのに普段と同じように帰り道を進められるというのは、とても不思議だ。

「今日は一日中家を留守にしてたね」

 あまり遠出をしない私にとって、こんなことは一年に一度あれば多いくらいである。それほどに珍しいということだ。

「疲れたけど、お姉ちゃんと一緒だったから楽しかったよ」

 七海は元気にそう言った。そこには、さっきまでの暗い表情は無くなっていた。

 そのことに安心した私は、自分の部屋に戻って着替えようかと階段を上がろうとすると、七海が突然こんなことを言い出した。

「ねえ、お姉ちゃん。今日は一緒にお風呂に入らない?」


 最近の七海はどこかがおかしい。いや、これをおかしいと言ってしまうと少し失礼なのかもしれない。何だか、行動的というか、積極的というか。羽衣のことがあってから、あまり話さなくなっていたのに、私が女の子化してからよく話すようになった。どういう風の吹き回しか、デートの次はお風呂ときた。

 よくよく考えてみると、七海と一緒にお風呂に入ったのはまだ二人とも小学生の時だったような気がする。近くにある公園で服を泥だらけにして、母にこっぴどく怒られたことは今でも忘れられない。その時についでだからと二人でこの家のお風呂に入ったのだ。あの時はまだ小さかったのに。

「お姉ちゃん、先に入るね」

 下から七海の声がした。あまりの部屋の静けさにぼーっとしすぎたようだ。

 私は複雑な気持ちでお風呂場へと少しだけ急いで向かった。


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