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私には性別がありませんでした  作者: 六条菜々子
第3章 きっかけ
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第37話 俺の過去を知る人たち

「何で私とお母さんを置いていったの?」

 そう。これが一番の疑問だった。お母さんと校長先生の間には別れるような要素がないのだ。特に仲が悪いというわけでもない感じなのだ。ではなぜ別れたんだ。そう俺は思った。

「置いていったわけじゃないんだ。私に覚悟がなかったんだ」

 覚悟がなかった? 母さんに子どもを産ませときながら、そんなこと言うのかよ。俺は思わず声を荒げそうになったが、校長先生改め父さんは何か言いたそうな顔だったので、取りあえず今は自重した。少し話を聞いてから、俺の意見を出すことにしよう。

「覚悟がなかったってどういうこと?」

 俺はなるべく落ち着いた雰囲気を出すように注意しながら質問をした。父さんに本当のことを聞きたいから。ただそれだけの為に。俺にとっては大切なことなのだ。

「実はな、お前の体はちょっとした障害を抱えていてな。あの時の私ではとても抱えきれなかった」

 父さんによると、俺の体は普通の人とは違い、染色体の配置等が少し異なっていたらしい。そして医師にこう告げられていたそうだ。『この子の体は発達障害を起こすかもしれない。今は外見だけでは男の子にしか見えないと思いますが、将来的に発達段階での障害が起きて、男の子なのか女の子なのかがよくわからない状態になるかもしれません。でも今のところ、この子は男の子です』

 今のところ。二人が待ち望んでいた子どもは将来的に男女どっちなのかがわからなくなる。そんなことを言われてしまうと、確かに目をそらしてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。俺がその立場でも少し戸惑ってしまうかもしれない。

「でも、それを母さんに一人で背負わせるのは違うと思う。私が言える立場じゃないけどね」

「ああ、そうだ。確かにあの時の私はバカだった。とんでもないやつだった。後悔しようにもしきれない」

 そして、俺の体は7歳ごろになると、異変が起きた。なんと、胸が膨らんできたのだ。しかし、まだそんな歳ではないのだ。

 病院で検査してもらうと、ホルモンのバランスがおかしくなっていたそうだ。

「検査してもらったら、女性が半分を越していたそうだ。男女が半々。もはや異常というしかなかった」

 このままでは体に悪影響を及ぼしかねない。そう判断した医師は両親にホルモン注射を勧めたらしい。

 そこから約3年ほど男性ホルモンの投与を続けた。胸はしぼんでいった。しかし、お父さんはそんな俺の状況に耐えきれなくなり家を出て行った。なんて無責任なのだろうと一瞬思ったが、その気持ちがほんの少しだけわかるような気がした。

 そして俺が中学生くらいになり、検査を受けると以前より男性ホルモンの数値が安定化しだしたので、男性ホルモンの投与はいったん止めることになった。あまり増えすぎると、それはそれでまた別の問題が発生するらしい。

「実はな、私はそこまでしかお前のことを知らないんだ。ここ数年、お母さんとは沙希のことで話していないんだ」

 本来であれば、子どもが成長していく姿を、だんだん大人になっていく姿を楽しみに親というのは子どもを育てるものだ。そんな、普通なら当たり前のことがお父さんはできなかったのだ。

「だからな、沙希は家に帰って今日のことをお母さんに話しなさい。そこでちゃんと自分と向き合いなさい。私の様に逃げ出しても何も始まらないからな」

 そう話したお父さんの姿は、どこか寂しそうに見えた。



 外はすっかり暗くなっていた。お父さんとどれくらい話していたんだろう。決して楽しい話ではなかったけれど、時間を忘れるほどに話に夢中だった。このままだと、知ることが出来なかったかもしれない、出生の時の話を聞かせてくれたのだ。

 本当のことを言ってくれてありがとう、お父さん。


「ただいまー」

「今日は遅かったね。学校で何かあったの?」

 俺は今日学校であった事をお母さんに話した。気付くとお母さんは涙を流していた。

「そう。やっと話してくれたのね、あの人は…」

 お母さんは涙を拭いて俺のことをじっと見つめた。俺は恥ずかしくなってきたが、笑える状況ではなかった。今は真剣にならないといけない気がした。

「お父さんのこと、何でずっと隠してたの?」

 お母さんもまた、俺に本当のことを隠していたうちの一人なのだ。まあ、隠したくて隠しているわけではないとはわかっているのだけど。子どもには言えないことだっていうのは分かるけれど。少し悲しかった。

「だって、『性別が分からないの』なんて子どもに言えると思う?」

 まあ、それもそうだ。まず理解が出来ないだろう。高校生になっている今だって俺は理解できないことだ。自分の体の事なのに。

「で、沙希はどうしたいの? その話をもっと聞きたい?」

 詳しい理由はわからないが、俺には小学校の時の記憶がほとんどない。だから、お父さんのことを覚えていなかったのだ。俺には、昔の記憶がほんのわずかしかないのだ。

「うん。話してくれるのなら聞きたいな」

 俺の今の知りたいという気持ちは、多分好奇心じゃない。記憶のピースを埋めていきたい。昔、何故かはわからないけど、勝手に外れてしまった記憶のかけらを…。

「とりあえず、あの事を話そうかな。あれはあんたが中学生になる直前くらいだったかなぁ?」

 ホルモン注射をやめたぐらいに、俺は一度、自殺未遂をしてしまったらしい。そんなこと、全然記憶にない。

「理由は聞かなかったけど、多分あの注射の意味を知ってしまったんでしょうね。なんの為に打っていたのかを」

 体の状態を安定化させる為に打っていた注射。でもそれのせいで心はボロボロになっていたんだ。記憶の中にはないけど、胸が少し苦しくなった。

 覚えていないのではなく、俺は思い出したくないだけなんだろうか。

「その日あたりからはあなたは家の中では女の子らしくしていたかな。意識していたんだと思う。でもそれしか方法がなかったんでしょうね、あの時のあなたには。結局一ヶ月くらいでそこまで女の子らしくしなくなったけどね」

 一ヶ月の女の子生活か。そういえば、俺の部屋に何故か一枚だけ妙に女の子っぽい服があったなあ。もしかして、あれをずっと着ていたのか。

「もしかして、俺がこんな体だって武弥とか七海たちは知ってたの?」

「うん。言ってたよ。でも、沙希が性的な障害みたいなものを持ってるって言ったのは、結構最近だけどね。それまでは『この子のことを男の子か女の子かという視点で見ないでほしい。どっちでもないのよ』ってずっと言ってたわ」

 確かに今までの人生の中で、俺が覚えている限りでは『男の子らしくしなさい!』とか『女の子らしくしなさい!』などとは言われたことはない。母はいつも『自分らしくしなさい!』という、今考えればとても難しいことを言っていた。あれは俺のことを気遣って言っていたのだ。そんなことにも、お母さんは気を付けていたんだ。

「あれからもう結構経つのねえ。あんたもすっかり大きくなっちゃって。昔はあんなに小さかったのにね」

 お母さんは神妙な顔で俺を見た。すると、突然涙を流し始めたのだ。俺はびっくりしてしまい、気が付いたらお母さんに抱きついていた。そして、お母さんは下から俺を見てこういった。

「ごめんね。今まで隠していて」

 大粒の涙を目に浮かべ、母は言葉を発した。俺が苦しんだように、そんな俺の姿を見ていてお母さんもまた苦しんでいたのだ。

「そんなこと言わないでよ。昔は苦しかったのかもしれないけど、今の私は毎日が楽しいよ?」

 実は俺はお母さんの話を聞いているうちに少しずつではあるが、記憶を戻し始めた。やっと、やっとちゃんと過去のことを思い出すことができる様になるんだ。そう思うとうれしい反面、思い出さない方が良かった記憶も思い出すんじゃないかって内心不安ではあるが、今はとても楽しみだ。

 そんなことを考えていると、いつの間にか俺は笑顔になっていた。すると、お母さんも俺を見て笑っていた。なんだか、今までよりお母さんとの距離が縮まったような気がした。


「あ、お姉ちゃん。帰ってたんだ」

「うん。七海、ちょっと話があるんだけどいい?」

「わかった。でも夜ご飯食べてからね」

 そうだった。ご飯をまだ食べていないことに俺は全く気付いていなかった。

 そう思うと、俺のお腹が鳴った。


「で、話って何?」

 ご飯を食べ終え、俺は妹の部屋に来ていた。あのことを話しに来たのだ。

「私の…体のことについてね。七海は知ってたの?」

「詳しくは知らなかったけど、遥お母さんにはよく『あの子のことを男扱いとか女扱いとかはしないでね』って念を押されてたかな。言われていた時は何のことか全くわからなかったけど、頭のどこかでは何となくお姉ちゃんが他の人とは何かが違うって気づいてた」

 他の人とは違うか。確かにこんな中途半端なのは、なかなかいないだろうな。ものすごく他人事のように言っているが、これはすべて俺のことだ。今まで意識してこなかった分、あまり深く考えられないのだろうか。

「でも、お姉ちゃんがまだお兄ちゃんとして生活していた中学生の時、あたしの中ではお兄ちゃんはやっぱり女の子なのかなあ?ってずっと思ってた。周りの男子とは何かが違っていた」

 違っていた。それがどういう風に違うのかはわからないけど、どういうのなのだろう。でも、七海は女の子なのだ。何かを感じ取ったのだろう。

「特に違ったのは、お姉ちゃんの女子との会話かな? 他の男子と話すときは素っ気ない返事しかしないのに、女子と話すときはとても生き生きしてたと思う。普通、男子って女子とはあまり話盛り上がらないし、そもそも長く話をしたがらないよね。それなのにお姉ちゃん、まるで女子みたいに楽しそうに話しをしてたし」

 確かに、そう言われてみればそうだ。俺は自然と女子と話すことが多かった。男子と話すことはあっても、何かが俺とは違うっていうか、波長が合わないっていうか。でも、男子を特別避けていたわけじゃない。なのに何故か勝手にそうなっていた。心の奥では俺は女子なのだと思っていたのだろうか。

 いや、まさかな。

「私の今の状況を見ていてどう思っているの?女子の体になった私を見て、七海はどう思っているの?」

「別にどうも思わない…って言うとちょっと違う気がするけど、お姉ちゃんの好きなように生きていけばいいってあたしは思ってる。だから別に何とも思ってないよ。でも、ほんとのこと言うと、お兄ちゃんよりお姉ちゃんの方があたしは好きだな」

「好きなようにか。って、別にあんたの好みは聞いてないよ! じゃあ、じゃあさ、もしまた私の体が男に戻っちゃったら前みたいに七海は私とは話してくれなくなるの?」

 そう。俺はこのことが気になっていたんだ。七海は今でこそ普通に話してくれるが、俺がまだ《お兄ちゃん》だった時、七海は俺のことを避けるように生活していた。まるで俺の存在を否定していたかのように。

「いや、あれは違うんだよ。お姉ちゃんと話したくなかったわけじゃなくって、お姉ちゃんとどう接したらいいのか分からなかったんだよ。ただ普通に話せばいいだけなのに、お姉ちゃんのことを見てれば見てるほど、普通の男子じゃなかったから…。だからお兄ちゃんからお姉ちゃんになったのは、あたしはとてもうれしかったよ。お姉ちゃんはどう思ってるのかわからないけどね」

 お姉ちゃんの方がいいなんて、それってただの好みの問題じゃん、と一瞬思ったけど、七海は俺に羽衣を重ねてしまう部分もあるのだろうか。

 それなら、別に問題ないかもって思っちゃうなあ。


 今まで、俺は無意識に家族を避けていたのかもしれない。自分が何なのかがわからなかったから、こんな自分と関わって欲しくなかったのだ。

 でも、今は違う。かけた記憶のピースを集めることができた俺は、自分自身の過去について少しではあるが思い出すことができた。これは俺にとっても、母や七海、武弥たちにとっても大きな進展なのではないだろうか。そう勝手に思っている。

 決して合うことがなかった歯車が、少しずつ、少しずつ合わさって、回りだした。

 俺は少し成長できたのかもしれない。


 そんなことを考えていると、七海が俺の部屋を訪ねてきた。前までは目を合わせることもなかったから、少し緊張してしまうところもあったりする。

「ねえ、お姉ちゃん。良かったら、今日は一緒に寝ない?」

 それはあまりにも突然のお誘いだったが、俺はこう即答してしまった。

「わかった。うん、いいよ」

 そういうと、七海は満面の笑みを浮かべた。


 今まで、みんなを避けていた分、俺が…いやもう私でいいかもしれない。私からみんなに近づいていかないと。精一杯の『恩返し』をしないとね。

 そんなことを思いながら、《俺》を卒業した私は寝る準備をして、七海の部屋へと向かった。

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