第27話 俺の知らない俺
俺は、今日も文芸部に来てしまった。
実は、昨日部長にあることを言われたのである。『もしどうしても来るのが嫌なら、このまま名前だけでも置いておくだけでもいいんだぞ』と言われたのだ。やはり、文学部の存続に関わる問題が発生しかねないのだろう。辞めてもいいとは言わなかったのが、そのことを裏付ける確かな証拠だった。
ただ、文学部に来たくない理由は無かった。むしろ、俺はいつの間にかここに来ることを楽しみにしていた。
だから、俺は思っていた。卒業するまで、文学部員であり続けようと。
そういえば、今日は神田先輩が来ない。いつもならば、神田先輩は正面にあるパイプ椅子に座って本を読んでいる時間だった。
今のこの静かな時間を大切に過ごしたほうがいい。なんとなくそんな気がした。しかし、俺はこの部活の活動内容を未だによく分かっていない。原稿用紙などの備品は、和室の方に用意されているらしいが、使っているところを見たことがない。ほこりを被って、かわいそうな状態になっているのではないかと思った。
それとなく、何をすればいいのかを部長に聞こうと思ったが、部長は和室の畳の上で熟睡中だった。
誰かに聞くことを諦め、かばんから本を取り出そうとして振り返ると、紅音ちゃんがいつものようにメイド服を身に着けて、お茶の準備をしていた。この教室では似合わない、なんとも面白い風景である。
お茶をこぼさないか心配だったが、紅音ちゃんは慣れた手つきで運んでいた。いつからお茶配りの担当なのだろうか。少し気になったが、質問するほどではないと思い、口には出さなかった。
「はい、どうぞ。まだ熱いと思うから、気をつけて飲んでね」
「すみません。ありがとうございます」
俺がそう言うと、紅音ちゃんはこっちを見て、少し笑って部長の元へ行った。てっきり、部長のことを目覚めさせるつもりだと思っていたが、紅音ちゃんは、起こそうとはしなかった。
そのかわりに、自分がさっきまで身に着けていたカーディガンを部長の背中にかけていた。なんて優しいのだろうか。
文学部室が和やかな雰囲気に包まれるなか、廊下から誰かが走る音が聞こえた。それは次第に大きくなり、文芸部室の前あたりで止まった。
「沙希、ここにいたのか」
少し疲れたような表情を浮かべて、神田先輩が引き戸を開けたまま言った。放課後なのだから、ここに来るのは当たり前のことだと思ったが、あえてそのことには触れないでおこうと思った。
「ずっとここにいましたよ。それで、その荷物はなんですか」
俺の中では、すでに予想はついていた。きっと例のものだろう。
その後、俺の質問に答えなかった神田先輩に連れられて、隣の準備室に誘導された。この時点ですでにあやしいと感じていたが、やはり予想通りの状況になってしまった。
「お前のために買ってきたんだから感謝しろよ?」
そう自慢げに話す神田先輩であったが、俺はあまり嬉しくなかった。
「本当に買ってきたんですか。メイド服」
この状況下では、これを着ないという選択肢は見当たらなかったため、仕方なく着ることにした。
ただ、そこに一つの問題が生じた。
「もしかして、メイド服を着るのは初めてか?」
まあ、当たり前と言えばそうなのだが、俺はメイド服を一度も着たことがない。こういう服を間近で見ると、金具や紐がいたるところにあるため、非常に着ることが難しいということを今初めて知った。
「私が手伝ってあげるから、心配するな」
神田先輩はそう言いながら、メイド服への着替えを手伝ってくれた。
「神田先輩って格好いいですよね」
それが、俺の素直な気持ちだった。凛々しく、頼りがいのある人だと感じていた。
「何を言いだすんだ」
「神田先輩ってなんでも出来るイメージがありますよ」
「なんでもってほどじゃないよ。私にだって、できないことはいっぱいある」
そう言うと、神田先輩は少し悲しそうな表情を浮かべた。しかし、それはほんの一瞬のことだったので、見間違いかと思った。
「そういうことじゃないですけどね。格好いいですよ」
「恥ずかしいからやめろ。できたみたいだな。ちょっと、そこに立ってみろ」
立ち上がると、メイド服が見た目とは裏腹に軽く作られていることが分かった。なんというか、思っていた以上にふわふわとしている。
しばらくすると、神田先輩が俺の前に姿見を持って来てくれた。なぜ準備室に姿見があるのかと思いつつも、俺は自分のうつっている姿を見て、とても驚いた。いや、驚いたというよりも困惑したといった方が正しいのかもしれない。まず、この人は誰だという気持ちでいっぱいになったからだ。鏡にうつる姿は、自分自身の姿じゃないと思えるほどだった。
率直に言うと、純粋に可愛いと思ってしまったのである。