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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
旅立ちの季節
90/91

神様の庭

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 ノラは追い立てられるようにして、やってきた方とは反対の穴に入った。慇懃なトカゲと不遜なトカゲは後をついてきた。

「ねぇ、釣り竿ってなに?ミライはどうしてそんなものを欲しがっているの?」

 ノラは、新たに生えてきた太いしっぽをふりふり歩いている、慇懃なトカゲにたずねた。

『神の御国の泉より、魂を釣り上げるつもりなのでしょう。魔学者様のご友人をお救いするには、どうしても必要な物でございます』

「そうだったの……」

『生命の樹の枝で作られた釣り竿は、冥府の神の館にございます。悪魔は今まで何度か盗みに入っているので、館に嫌われてしまい、中には入れないのです』

 無理難題を吹っ掛けられたと思っていたノラは、事情を聴き溜飲を下げた。

「それにしても、長い洞穴ねぇ……家の中にこんな場所があるなんて、知らなかったわ」

 ノラが感心すると、トカゲはちょっぴり気を良くしたようだった。

『私どもは普段、人に見られぬようこのような穴ぐらや床下に住んでおります。魔学者様の母君に見つかれば叩き出されてしまいますのでね。もっとも、私の祖父は人間に追い回されることさえ、楽しんでいたようですが……』

『おじいさん?』

『はい。祖父は偉大な冒険家でございました。若かりし頃には、ここよりはるか東に流れる大河の先まで旅をしたそうです。なんでも、大河には巨大な橋がかけられており、その向こうの森には人間達の墓があるとか……』

「ああ、なるほど」

『祖父に憧れ、いつか私も冒険の旅に出たいと思っておりましたが、ある時いたずら狐に捕まり大事なしっぽを失いました。家の敷地を出ることさえ叶わなかったこの私が魔学者様の案内役を務め、神の御国に行ったと知れば、祖父はさぞ悔しがることでしょう』

 慇懃なトカゲは自慢のしっぽを大きく振って、誇らしげに言った。

『もう直ぐです、魔学者様』

 はやる気持ちを抑え、足元に注意しながら歩いて行き、出口まであと数メートルといったところで、ノラとトカゲは足を止めた。

『な、なんだあれは……』

 出口の前には巨大な、小山ほどもありそうな番犬が横たわっていた。番犬は鋭い牙の見え隠れする口から涎を垂らし、ぐるるる、ぐるるると唸るような寝息を立てていた。ノラとトカゲは困り顔を見合わせた。

『一度戻って悪魔を呼んできましょう。そうしましょう』

 慇懃なトカゲは恐怖にひきつった顔で提案した。

「時間がないわ。そっと脇をすり抜ければ大丈夫よ」

『俺はいやだ!俺は引き返すぞ!行くならお前らだけで行け!』

 不遜なトカゲはわめき散らすと、もと来た道を慌てて戻って行った。

『私はお供いたします。ええどこまでも』

 慇懃なトカゲはせっかく生えた尻尾が切れないよう、前脚にしっかりと抱え、鼻息も荒く言った。

 ノラと慇懃なトカゲが、抜き足差し足、巨大な番犬の顔の真横を通り過ぎようとしたその時だ。

 番犬が目を覚まし、ぎょろりとした眼でノラを睨み付けた。番犬は稲妻のような声で吠えかかり、ノラとトカゲは声にならない悲鳴を上げて、一目散に逃げ出した。

『あの者はどうやら、冥府の神の館の入り口を護っているようです。話が通じる相手ではなさそうです』

 無我夢中で走り、飛び込んだ茂みの中。トカゲが震え上がって言った。

「どうしよう、これじゃあ中に入れない……」

 ノラは困り果てた。首輪に繋がれた猛犬は、天まで届きそうな門の前で、何人たりとも通さぬと言うようにきょろきょろと注意深く辺りを見張っていた。

『簡単だよ。私をもぎって、あの大きな口に放り込めば良いんだ』

 茂みの陰から様子をうかがっていると、背後で声がした。振り返ればそこには、一本の木が立っていた。枝には重そうな果実がぶら下がり、風に吹かれてゆっさゆっさと揺れていた。

「誰?どこにいるの?」

『ここだよ。君の眼の前』

 木の実が答えて、ノラはぎょっとした。恐る恐る手を伸ばすと、木の実はぱくりと噛み付いてきて、ノラは悲鳴を上げた。

「あ、悪魔なの……?」

『悪魔?……違うよ。私は考える果実。一口食べればどんな野獣も紳士に早変わり』

 考える果実はやけに陽気な自己紹介をした。

「あの番犬も紳士になる?」

『もちろん。二本足で立って、そのうち山高帽をかぶりはじめるよ』

 ノラはステッキを持って背広を着た番犬を想像した。

「ちぎっても良いの?本当に?」

『腐って土に還るよりはましさ。時間がないんだろう?さあ、ひと思いに……』

 考える果実がしきりにすすめるので、ノラは重みでたわむ枝の先に手を伸ばした。すると背中からにゅっと誰かの大きな手が伸びてきて、ノラの指先を掴んだ。

『それは神様のものだから、とってはいけません』

「オリオ……!?」

 大きな手の持ち主は、兄のオリオだった。オリオはノラの手を握ったまま、にこりとほほ笑んだ。

「どうしてこんなところにいるの?ここでなにしてるの?」

 混乱したノラはオリオの顔を見上げて、矢継ぎ早に質問した。

『あなたを助けにきたのです』

「どうやってきたの?それに、どうして裸なの?」

『地上で作られた物は、ここへは持ち込めない決まりなのです。ほら、あなたも』

 ノラは自分の体を見下ろして驚いた。裸んぼうで、下着一枚身に着けていなかった。ノラは急に恥ずかしくなって、もじもじと膝をこすり合わせた。

『そんなことより、一刻も早くこの庭園から立ち去りましょう。神様に見付かる前に』

 オリオは慌てた様子で言って、ノラの手を引いた。ノラはとっさに手を振り解こうとしたが、彼は放そうとしなかった。

「待ってオリオ。私たち、神様の釣り竿を探しているの」

 強い力でぐいぐい引っ張られながら、ノラはオリオの裸のお尻に向かって言った。しばらく抵抗していると、彼は立ち止まってノラを振り返った。

「生命の樹の枝で作られた特別な釣り竿で、アベルを助けるのに、どうしても必要なの」

『…………』

「時間がないのよ。お願い、手を離して」

 ノラが懇願すると、オリオは黙って進路を変更して、彼女を一本の樹木の前まで導いた。彼は一番細い樹の枝を、小指ほどの長さで手折って、ノラに手渡した。

『これを口の中に隠してお持ち下さい。地上に戻るまで、決して口を開かないように』

「これは……?」

『生命の樹の枝です。枝の先に髪を付ければ、釣り竿となるでしょう』

「あ、ありがとう……!」

 ノラが感激してお礼を言うと、オリオはうれしそうに顔を綻ばせた。

 ノラとオリオと案内役のトカゲは、元の世界に帰るため、冥府の神の館の前までやってきた。

『私が見張りの目をそらします。その隙に……』

「?オリオも一緒に帰るんでしょう?」

『いいえ。私は共には行けません。今はまだ……』

 オリオが首を左右に振りながら意味深長に言って、ノラはようやく彼の様子がおかしいことに気付いた。

「?……お兄ちゃんじゃないの……?」

 青年は兄のオリオに似ていたが、良く見ればところどころ……物静かな眼差しや、髪型や、筋肉で盛り上がった肩などが違った。

「ジャン……あなたは、ジャンなの……?」

 ノラが半信半疑にたずねると、偽物のオリオは肯定も否定もせずに柔らかくほほ笑んだ。彼はノラの背中をそっと押し出した。

『さようならお姉さん。近い未来、私を愛してくれるはずの人。どうかお元気で』

 ジャンが別れを告げて、ノラが生命の樹の枝を口に含もうとしたその時。

『これは返してもらうぞ』

 それまで黙りこくっていた案内役のトカゲが、ノラの手の中から生命の樹の枝を奪った。

 ノラとジャンが見ている眼の前で、トカゲは身の丈四メートルもありそうな大男に変身した。ジャンは青ざめ、ノラは目を白黒させた。

『この庭の植物を地上に持ち帰ってはならない。知っているな?』

『はい、神様……』

「え!?神様!?」

 ノラはぎょっとして目の前の大男を仰いだ。

『途中ですり変わったことに、気付かなかったのだね。私はずっとお前の後ろを歩いていたというのに』

 神様は威厳のある顔でノラを見下ろして言った。畏怖を抱いたノラは、ジャンと一緒に神様の前に跪いた。

「神様、どうか見逃してください。友達が今にも死にそうなんです」

『今にも死にそうなのは、お前の友人だけではない。何万という子供達が、愛する者の復活を願い、日々私に祈りを捧げている』

 神様は落ち着き払った声で言い、ノラを黙らせた。

『悪魔に唆されたお前は、祈ることを忘れ、恐れ多くも神の館に盗みに入ろうとした。そしてお前の弟は肉親の情から、罪悪と知りながら、大切な生命の樹の枝をいとも簡単に手折ってみせた』

 神様は厳しい視線ジャンに向けた。

『罰として、お前には反逆者のしるしと、実姉をその手で殺してしまう運命を与える』

 神様はジャンに向かっておごそかに言い渡した。

『そしてお前には、人間の王に尽くす使命と、弟に殺される運命を与える。大それた考えを抱いた報いを受けるが良い』

 続いてノラに罰が言い渡され、恐れ戦いた彼女が、弁解を口にしようとしたその時。

 突風が吹いて、神様の手の中の生命の樹の枝が舞い上がった。

『その運命、拒絶する』

「ミライ……!」

『遅くなってすまないな。髪型が決まらなくって』

 ごてごてに着飾ったミライが気障ったらしく前髪をかき上げ、ノラの肩を親しげに引き寄せた。

 ミライは空中でキャッチした生命の樹の小枝を、ノラに手渡してやった。ノラは今度こそ神様にとられないよう、さっさと口の中に放り込んだ。

『またお前か……』

 神様は呆れたような、うんざりしたような声を出した。

『久しぶりに息子が訪ねてきたんだ。もっと嬉しそうな顔をしたらどうだね?』

『悪魔め。お前など我が子とは認めん。即刻立ち去るが良い』

『せっかく二時間もかけて準備したのに、残念だなあ』

 ミライは嘘っぽい口調で言って、ノラをよいしょとその腕に抱え上げた。

『神様はご機嫌斜めのようだ。言われた通り、我々は帰るとしよう』

『待て。その子供は置いて行け』

『それはできない相談だ。私と彼女は将来を誓い合った仲でね。言ってみれば一身同体、片時もそばを離れたくはないのだよ。……そうだろう?愛しい人』

 ミライは猫なで声で言って、ノラのほっぺに熱い口付をした。ノラは返事の代わりに、左手の甲で頬をごしごし擦った。

『では、これにて失礼』

 ミライとノラは、大鷲とひばりにそれぞれ姿を変え、神々の庭を飛び立った。神様は後を追いかけてくる代わりに、呪いのような言葉を投げかけた。

『今は逃げるが良い、人間の子よ。その羽根のはばたく限り、遠く、力尽きるまで。しかしお前が獣の肉を食み、恵みの雨を求める限り、運命に逆らうことはできない。お前は遠くない未来、ここにいる男の手で殺されるのだ』

 恐ろしくなったノラは、ちらりと目下のジャンを見た。彼は神様の横で手を振っていた。

 ノラとミライは、三日三晩休むことなく、大空を飛び続けた。長い長い旅を終えて家に戻ってきた時、ノラは自分では水も飲めないほどに疲れ果てていた。

「ミライ……アベルを……」

『ああ、ああ、わかっているとも』

 ねずみの姿に戻ったミライは、力なく地面に横たわるノラの髪の毛を引っこ抜くと、それを枝の先に括り付けた。小指の先ほどの長さだった生命の樹の小枝は、今や立派な釣り竿のようだった。

 ミライは大きな水たまりに釣り糸を垂らした。

『安心して眠るが良い。お前の心はしるべとなって、必ずや友の魂を導くだろう』

 ミライがしっかり保証すると、ノラは安心して、静かに瞼を閉じた。闇の中でノラは、一匹の小魚が深い水の底から、自分に向かって真っすぐに泳いでくるのを見た。


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