表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
旅立ちの季節
87/91

戻った日常

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 ソニアがオシュレントンを旅立ったその日から、ノラは長らくさぼっていた勉強を再開した。

「まだ起きてるのかい?根を詰めると、体を壊すよ」

 人も動物も寝静まった真夜中。ノラが難問に頭を悩ませていると、ろうそくを片手にしたオリオが様子を見にやってきた。

「もうちょっとだけ。早く遅れたぶんを取り返さないと……」

 新学期が始まるまでに成績を戻すと決めたは良いものの、半年も机に向かわなかった付けは大きかった。少しくらい無理をしないと、いつまで経っても追い付けない。ノラがそう主張すると、オリオは全く反対の意見を言うのだった。

「お前が頑張り屋なのは、みんな知っているよ。怠けたって誰も文句は言わないよ」

 夜遅くまで机にかじり付くノラを家族は心配したが、喜んでもいた。一時期に比べると、ノラはずいぶん元気を取り戻していた。

「早めに切り上げて寝ろよ。病気になって学校に行けなくなったら、もとも子もないんだからな」

 春になったら、オリオは帝都へ向けて出発する。料理人になるという夢を叶えるためだ。

 部屋に戻って行ったオリオを見送ってから、ノラは小さく息を吐いた。

「…………」

 確かに今日は頑張り過ぎた。ノラは大きく伸びをして、こちこちに固まった肩や首をほぐした。

 ノラはふと、机の片隅に置いてある、金の腕輪に目をやった。サリエリの形見の腕輪は、ろうそくの明かりを受けて、鈍く輝いていた。

「……私がぐずぐずしてたら、あんたまで馬鹿にされちゃうもんね……」

 ノラは腕輪に向って語りかけ、その表面をそっと撫でた。

「自分で言ったことなのに、すっかり忘れてたわ」

 友人で、ライバル。この世での使命を終えて、早々と天に召されたサリエリのために、ノラには戦う義務がある。彼がいかに聡明で、心優しく、勇敢だったか。証明できるのは、もはやノラしかいないのだから。

「よし!」

 一〇分ほどの短い休憩を終えると、ノラは気合を入れて、再び机に向った。その晩も、ノラの部屋の灯りは、明け方まで消えることはなかった。

 次の日は勉強をお休みして、ノラはこのところ顔を見せないアベルに会いに、ウィナー牧場を訪ねた。

 バスティード親子の住まいは、牛舎に併設された加工工場の先にあった。古い納屋を改装しただけの住居は粗末だったが、親子二人が暮らすには十分過ぎるほどの広さがあった。

 ノラがその、良く言えば趣のある家の玄関のドアをノックすると、アベルの母親のフランカが顔を出した。

「いらっしゃいノラ。どうぞ入って」

 フランカはアベルそっくりの笑顔で言って、ノラを家の中に招き入れた。

「ノラ!きてくれたんだ!」

 ノラが部屋に入って行くと、ベッドの上で本を読んでいたアベルは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「こんにちはアベル。最近どうしたの?風邪?」

「そうなんだ。もうほとんど治ってるんだけど、お母さんが心配しちゃってさ」

 アベルの言葉を証明するように、フランカが上着を持って入ってきた。

「温かい格好をしていなければだめよ。アルバート医師にも言われたでしょう?まだ熱があるんだから、用心しなきゃ」

「はあい」

 フランカが部屋を出て行くと、ノラはコートと襟巻を放って、近くにあった椅子を引き寄せて座った。

「クリフもマルクも、ぜんぜん顔を見せないんだもん。私だけ仲間外れかと思ったわ」

 ノラが不服そうにぼやくと、アベルは首を傾げた。

「クリフは仕事だろうけど……マルクも?」

「そうなのよ。一体なにやってるんだか……きっと新しくできた恋人に夢中なんだわ」

「え!?こ、恋人!?」

「モグラの赤ちゃんとか、怪我をしたうりぼうとかね」

 冗談だとわかると、アベルは『ああ、びっくりした』と胸をなで下ろした。

「そんなことより、ヨハンナはきた?」

 ノラは前のめりになってたずねた。

「ヨハンナ?……うん、一昨日、ジノと一緒にきたよ」

「そう……!」

「ヨハンナがどうかした?」

「なんでもないのよ。うふふ」

「?」

 冬の間は外に出られない日も多く、話し相手に飢えていた二人は夢中で喋りまくった。

「知ってる?ベンのやつ、くるみの殻を歯で割ろうとして、奥歯が欠けちゃったんだ」

 ウィナー農場の貯蔵庫が鹿に荒らされただとか、キャスリーンとダニエルが雪の中を睦まじそうに歩いていただとか、家の裏の森で冬眠中のリスを発見しただとか。話したいことは山ほどあって、ノラが帰宅する頃には喉がからからになった。

 その夜、家族全員で食事をとっていた時だった。

「あー……ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだがね」

 ノラが黙々と料理を口に運んでいると、父がわざとらしい咳払いをして静寂を破った。

「実は、その、なんだろうな……」

 口を開いたは良いものの、父はなかなか話を切り出そうとしなかった。

「あなた。ちゃんとして下さいな」

「いや、こういうことはやはり、女親の口からだね……」

 困った父が母に助けを求め、母は呆れたため息を吐いた。不可解なやり取りに、ノラは首を傾げた。

「どうしたの?」

「ノラはお姉さんになるのよ」

 母が出し抜けに告げて、ノラは言葉を呑んだ。まさか!

「赤ちゃんが出来たの」

「えー!」

 ノラは仰天して、母の腹を―――ドレスの上からでもわかる、ぽっこりと膨らんだお腹を―――まじまじと見つめた。そういえば、最近太ったなあと思っていた。

「オリオは知ってたの?」

「え?うーん……まあね」

 ノラの質問に、オリオは歯切れ悪く答えた。

「いつから?」

「五か月くらい前からかな」

「五か月!」

 五か月前といえば、サリエリが町を出て行った頃だ。

「気落ちしているあなたに言い出せなくて……ごめんなさいね」 

「男かなあ?女かなあ?俺も見たかったなあ」

 ノラの困惑を察して母が申し訳なさそうに言い、オリオが残念そうにぼやいた。

「赤ちゃんかあ……」

 気恥ずかしそうに微笑み合う父と母を、ノラは感慨深く見つめた。

「名前はノラが付けてあげてね」

「?いいの?」

「ええ。オリオも春にはいなくなってしまうし、新しい兄弟が仲良くなれるようにって、お父さんと話し合ったの。ねぇ、あなた?」

「ああ。……ノラ、引き受けてくれるね?」

 父にたずねられたノラは、気持ち背筋を正し、意気込んで頷いた。

「名付け親なんて責任重大だなあ。お兄ちゃんが手伝ってやろうか?」

 オリオの冗談めかした申し出を、ノラは首を振って断った。

「もう決まってるもん」

「ええ?どんな?」

「男の子だったらジャン。女の子だったらマリアよ」

 ノラはもったいぶって言った。父と母は破顔し、オリオはちょっぴり複雑そうな顔をした。

 翌日の朝、ノラは本を借りに行くという名目でお屋敷を訪ねた。本当の目的は言わずもがな、マルキオーレがノラに秘密でなにをしているのか探ることだ。

「うおおおおおおおっ!!」

 お屋敷の敷地に入って行くと、突然裏庭の方から雄叫びが響いてきて、ノラは驚いた。

(マルク……?)

 ノラが物陰から首を伸ばして裏庭を覗くと、そこにはマルキオーレと、憲兵のダミアン・マスグレイヴがいた。

「どうした!もう降参か!?」

「わああああああっ!!」

 雪まみれになったマルキオーレが、咆哮を上げながらダミアンに突進して行った。ダミアンになすすべもなく投げ飛ばされたマルキオーレが、どしんっ!と尻餅をつくと、ノラは思わず目を瞑った。

「口ほどにもない奴め!それでも男か!」

 ダミアンはひっくり返って目を回すマルキオーレに、容赦なく罵声を浴びせ、それを見たノラは立腹した。怠け者の上に、弱い者いじめをするなんて!

(なんてやつ!)

 ノラが早速助太刀に入ろうとすると、後ろから肩を叩かれた。振り返れば、雪かき用のシャベルを担いだスチュアート・オコネルがいて、彼は口元に人さし指をあてて、しーっとやった。

 スチュアートは怪訝そうなノラを、食堂まで引っぱって行った。

「マルクが修行ー?」

「そ。このところ、毎日ああして稽古を付けてもらっているんだ」

「ふぅーん……」

 事情を知っても、ノラの疑念は大きくなるばかりだった。マルキオーレは基本、辛いことや苦しいことは嫌いなはずなのに。どういう風の吹き回しだろう?と、ノラは首を捻らずにはいられないのだった。

「子供の相手をするなんて、憲兵って意外と暇なのね」

「この町は平和だからね。……夜遅くまで頑張ってるんだよ。内緒にしてるみたいだから、知らん振りしていてあげて」

 スチュアートがそう言うので、ノラは見なかったことにして、仕方なく家に帰ることにした。

 その日の午後、ノラは身重の母に代って、農民市場までお使いに行った。

「おや、君か」

 農民市場の一角では、サインツが牧場のアギー・ワイアットに、大きな牛肉の塊を包んでもらっているところだった。

「先生、牛肉なんて食べるんですか?」

 ノラは手際よく肉を捌くアギーの手元を覗き込んで、興味津々といった風にたずねた。

「ビールで煮込むんだ。結構うまいんだぞ。タンパク質と鉄分が豊富で、体にも良い」

「先生が言ってることは、時々分かりません」

 ノラは口を尖らせて言って、サインツを苦笑させた。

「こんな老いぼれ牛どうしようかと思ってたんだけど、買ってくれて助かったよ」

 アギーはサインツをフォローするように付け足した。

 買い物を済ませたノラとサインツは、一緒に店を出た。

「冬休みはどうだね?有意義に過ごしているか?」

「はい。……いえ、そのぅ……」

 ノラはサインツに、勉強に苦戦していることを話した。本を読んでもちんぷんかんぷんだし、家族は頼りにならないし、このままでは新学期までに成績を戻すという目標を達成することはできそうにない。

「そういうことなら、私が見てあげよう」

 ノラが打ち明けると、サインツが胸を叩いて言った。

「いいんですか?」

「ああ。吹雪いていない日は家に来なさい」

 ノラはありがたくサインツの申し出を受けることにして、代わりに彼の家の家事を買って出た。午前中に掃除や洗濯を済ませ、午後から勉強を教わる。時々、彼ご自慢の骨董品の修理を手伝うこともあった。

「どうだね?少しは興味が沸いたかね?」

 ノラが研究室のそこかしこに積まれたがらくたの山をしげしげと眺めていると、サインツがたずねた。

「あんまり」

 ノラが正直に答えて、サインツはくすくす笑った。

「君は魔学者志望だったな。卒業後はやはり、どこかの魔学校へ進学するのか?」

「そんなの……まだわかりません」

 ノラがどこかすてばちな物言いをして、視線を床に落とした。サインツは怪訝そうに目を瞬かせた。

「……先生は、悪魔と手を切る方法をご存知ですか?」

「悪魔と?……さあ、私はそっちの方面は詳しくないからなあ」

「そうですか……」

「悪魔がどうかしたのかい?」

「いえ、べつに……」

 サインツはノラの態度を奇妙に思ったが、深く追及しようとはしなかった。

「……悪魔に限らず、得体の知れないものには関わらないことだ。探究心旺盛なのは良いが、あまり危険なことに首を突っ込まないように」

 代わりに的を射た忠告をして、ノラを動揺させた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ