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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
旅立ちの季節
86/91

ソニアの戦い2

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 それぞれが精いっぱいの努力をして迎えた、ヘルベヘヌ当日。学校で最後の練習をしている子供等より少し早く、ノラはラバンデラ一座の滞在先であるお屋敷へ向かった。

 お屋敷の広い庭にはステージが組まれ、一座の団員達によって、セットのチェックや立ち位置の確認が行われていた。ノラは気合を入れて、近くにいたパブロ・モナステリオという、年配の役者に声をかけた。

「団長なら、まだ部屋にいると思うよ」

 ノラはパブロにお礼を言って、二階の客間へと向かった。

『どうぞ』

 客間の扉をノックすると、太い男性の声が聞こえてきた。ノラはごくりと唾を飲み、そろそろと部屋に入った。

「おや?君は?」

 つり目で痩せぎすの、神経質そうな男が、ゴブレットを片手に本読みをしていた。劇中では意地わるそうな役ばかりやっている男で、名前をロサーノと言った。勝手にヒーロー役の男性が団長だと思い込んでいたノラは驚き、恐縮した。

「私、ノラって言います。今日は団長さんに、その……お願いがあってきました」

 ノラがしどろもどろに切り出すと、ロサーノ団長は相好を崩した。吊り上がった目が弧を描くと、彼は別人のように優しげな顔になった。

「なんだい?握手かな?それとも、サイン?」

「……実は、ラバンデラ一座に入りたいって言う子がいて……」

 ノラが打ち明けると、ロサーノ団長は少しがっかりして、眉尻を下げた。

「やれやれ……多いんだよなあ、そういう子」

 ロサーノ団長がうんざりしてぼやき、ノラは慌てた。

「ただ入れてくれなんて言いません。皆さんのお芝居の後に、子供だけで劇をやるんです。その子に素質があるかどうか、見てほしいんです」

「べつに劇を観るくらいかまわないけど……君はその子の友達なんだろ?なぜ本人が頼みに来ないんだい?」

「今、学校で最後の練習をしてるんです。歌もお芝居も上手で、すごい子なんです。どうか真剣に見てあげてください」

「すごい子ねぇ……?」

 ロサーノ団長は口の中で繰り返し、懇願するノラを疑いのこもる目で見据えた。

「君は本気のようだから正直に言わせてもらうけど……私達は、新しく人を雇う気はないんだ。今まで一座に入りたいという子はたくさんいたが、全て断ってきた。だからと言うわけじゃないが、君の友達には、万に一つの可能性もないよ」

 ロサーノ団長は素気なく断言し、ノラはしょんぼりと項垂れた。

「焦らなくても良いんだよ」

 すると、さすがにかわいそうだと思ったのか、ロサーノ団長は優しい口調で言った。

「君たちはまだ若い。チャンスなら、大人になればいくらでも……」

 彼の言わんとしていることがわかると、ノラはどきっとした。

「そんなの……わからないわ……」

「ええ……?」

「人生は、短いんだから!」

 気がつけば、ノラは怪訝な顔をするロサーノ団長に向かって叫んでいた。

「どうかお願いします!観てくれるだけで良いんです!」

 ノラは必死の形相でロサーノ団長に詰め寄った。ロサーノ団長はたじろぎ、手に持っていた空のゴブレットを取り落とした。

 少しの間呆気にとられていたロサーノ団長は、はっと我に返って咳払いをした。

「なにか、事情があるようだね」

「…………」

「……良いだろう。君の友達とやらをテストしよう。君の友達に、私も真剣に見るから、全身全霊で演技をしてくれと伝えてくれるかい?」

「あ、ありがとうございます!」

 ノラはロサーノ団長にお礼を言って部屋を出た。階段を降りると、クラスメート達が到着していた。ノラはきょろきょろとソニアを捜した。

 ソニアは食堂の片隅で準備をしていた。彼女の着付けを手伝っていたのは、ガブリエラでもラーラでもなく、母だった。

「お母さん、どうしたの?」

「ランベル夫人と一緒に、お手伝いにきたの。外にオリオとお父さんも来ているわよ」

 ノラは二人の傍らに佇んで、支度が終わるのを待った。

「さあソニア、両手を上げて」

「…………」

「いい子ね。そのままじっとしていてね」

 大人しく母の言いなりになるソニアは、赤い顔をしていた。

 胸元のリボンを結び終わると、母は他の子の着つけの手伝いをするために去って行った。ノラは周りに人がいないことを確認してから近付いた。

「ロサーノ団長に話してきたわ。新しい人を雇うつもりはないって……でも、真剣に見てくれるって」

「それで十分よ。ありがとう」

 ソニアは赤い唇を引き延ばし、にっこりとほほ笑んだ。艶やかな微笑みに、ノラはどきりとした。衣装のドレスをまとい、薄く化粧を施されたソニアは別人のように大人びていた。彼女の変身ぶりに、こんなに綺麗な子だったっけ?と、ノラは目を疑った。ジャック・フォローズが、少し離れたところからソニアを盗み見て、ぽうっとしていた。

 開演時間が近付くと、子供達は一座のお芝居を観に食堂を出て行き、ノラとソニアは二人きりになった。

 ノラは窓辺に佇んで、外から聞こえてくる歓声や音楽に耳を傾けていた。

 一年前のヘルベヘヌは確か、両親やオリオと一緒に芝居を見物したんだった。そんなことをぼんやりと考えていた時だ。

「あんたのお母さん、美人ね」

 椅子に座って瞑想をしていたソニアが、ふと顔を上げて言った。ノラは苦笑した。

「緊張してる?」

 ノラがたずねると、ソニアは首を左右に振った。

「この日が来ることを、ずっと前から知っていた気がするの……だから緊張はしない」

 ソニアは落ち着き払って言った。静かな目をしていた。

 ノラはかばんの中から取り出した金の腕輪を、ソニアの腕に付けてやった。

「これ、サリーの……」

 ノラは頷いた。返しそびれてしまい、お墓に入れる気にもなれなくて、ずっと持っていたものだ。

「お守りよ……頑張ってね……」

 ノラの励ましを受けて、ソニアはしっかりと頷いた。

 子供達は練習の成果をいかんなく発揮し、お芝居は大成功を収めた。ノラは奇跡的にとちらなかったし、マルキオーレは途中セリフを忘れたものの、サインツの機転でなんとか乗りきった。

 そしてソニアの人生をかけた歌と芝居は、タリスン院長先生を驚かせ、人々を感動の渦に巻き込んだ。はじめはどこか斜めに見ていたラバンデラ一座の人々も、最後には立ち上がって大きな拍手を送った。

(サリエリ、見てる……?)

 拍手喝采を浴びて満面の笑みを浮かべるソニアを、舞台の袖から眺めながら、ノラは空に向かって語りかけた。ちらちらと舞いはじめた雪が頬に落ち、涙のように伝った。

(ソニアはやったよ……!)

 この日、孤児院の問題児はさなぎから蝶へ見事な変身を遂げ、郵便もろくに届かない田舎町のスターになった。ソニア・アンダートンの名はしばらく食卓の話題を独占し、彼女に憧れた少女達の間では、演劇クラブが結成されたのだった。

 揉めに揉めたが、ソニアは見習いとして、ラバンデラ一座に入団することになった。

 ソニアの希望はもちろん、彼女の情熱に心動かされたロサーノ団長が、芸は若いうちから仕込んだ方が良いと、タリスン院長先生を熱心に説得したためだった。

 出発の前日。しんしんと降りしきる雪の中を、ソニアが訪ねてきた。ソニアは『上がって行けば?』というノラの誘いを断り、玄関先で話すことを望んだ。

「これから、どこへ行くの?」

 ノラがたずねた。

「タンジタで公演した後、エリスエリ領へ向かうんだって。それからカタシュタフへ行って、西の国境を超えるの」

「そんなに遠く……」

 ノラが思わず呟くと、ソニアは苦笑した。

「寂しがってる暇なんかないわ。人数が少ないから、なんでもやらなきゃいけないの。覚えることがいっぱいで頭が痛いわ」

 文句を言いながらも、ソニアの瞳は眩しいほどにきらきら輝き、その声には活力がみなぎっていた。ノラにも見えるような気がした。いつかソニアが大女優になって、世界で活躍する姿が、見える気がした。

「来年のヘルベヘヌに、また会いましょう」

 別れ際、ノラは片手を差し出して言った。

「聞いてなかったの?……私達、国境を超えるのよ。新しい試みだから、オシュレントンに戻ってくることは、もうないと思うわ」

「えっ……」

 ノラが寂しそうな顔をすると、ソニアの口元がぶるりと震えた。彼女はノラの手を力強く握った。

「惨めなソニア・アンダートンは、この町に置いて行くわ。今、とびきり格好良い芸名を考えているの。次に会う時は、はじめましてから、はじめましょう」

 翌日、ソニアはラバンデラ一座のみんなと共に、西のタンジタへ向けて旅立って行った。



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