ソニアの戦い1
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翌日の午後には、珍客があった。
ソニアは孤児院を抜け出してきたようで、家の前をうろうろしていたところをオリオに捕まり、騒ぎを聞きつけたノラに助け出された。
ひとまず、ノラはソニアを自分の部屋に招き入れた。しばらくソニアは入口のところに突っ立ってもじもじしていたが、ノラに椅子をすすめられると、かしこまって腰かけた。
「あんたに頼みがあってきたの……」
長い沈黙の後、ソニアは重い口を開いた。珍しいこともあるもんだ、とノラは目を丸くした。
「私の歌を、どう思う?」
「ええ?」
「良いから……ねぇ、どう思う?」
とつぜんの質問に戸惑うノラに、ソニアはずいと詰め寄った。
「とっても上手だと思うわよ」
ノラが少々面食らいながら答えると、ソニアは『よし』とこぶしを握った。彼女の瞳は爛々と輝き、その頬は興奮で真っ赤だった。
「それで、頼みって?」
「……年末のヘルベヘヌ祭に来る一座のことは知ってる?」
「ラバンデラ一座のこと?」
ノラが聞き返すと、ソニアはしっかりと頷いた。
ラバンデラ一座というのは、毎年年末のヘルベヘヌ祭に、デムターさんがヴォロニエから呼び寄せる劇団のことだ。格好良いヒーローに可憐なヒロイン、趣向を凝らした演出、美しい音楽と、魅惑のダンス。
この時期、町の人々は彼等が興行に来るのを、指折り数えて待っているのだ。
「私ね、前に一座の団長に、歌を褒められたことがあるのよ」
ソニアは胸をそらして、ちょっぴり誇らしげに言った。
「それでその……私、ラバンデラ一座に入りたいの」
打って変わって、ソニアは自信がなさそうに打ち明けた。ノラは驚き、困惑した。
「あんた、お芝居なんて出来るの?ラバンデラ一座は、劇団なのよ!」
「やったことないわ」
「ええー」
ノラは思わず呆れた声を出した。
ラバンデラ一座は町の子供達の憧れだ。一座に入りたいというソニアの気持ちはわかるが、タリスン院長先生が許すはずがないとノラは思った。実際その通りだった。
「無茶な子ね。どうして急に思いついたのよ?」
「急じゃないわ。ずっと前から計画してたことよ」
それに……と、ソニアは続けた。
「私にはもう、この町にいる理由はないもの……」
ソニアの物悲しい声に、ノラははっとした。見れば彼女は瞳を潤ませ、床の木目を見つめていた。じっとなにかを考えているような、大人びたその横顔を見て、ノラは気付いた。
「…………」
ソニアも戦っているのだ。自分と同じように、サリエリがいなくなった悲しみや、寂しさと……
「サリーのお葬式の日に、思ったの。やりたいことを、一生懸命やらなきゃって。……サリーみたいに」
「ソニア……」
「いつか有名な女優になって、私を捨てた親を後悔させてやるわ。だからこれは、その計画の第一歩」
ソニアは決意の滲む声で、堂々と宣言した。悲しみを押し隠した彼女の瞳には、希望の光が輝いていた。その眼差しの強さに、ノラは胸を打たれた。
気が強くてわがままで、うんと子供だと思っていたのに……
「協力するわ。きっと上手く行くわ」
ノラが保証すると、ソニアは花が咲いたように笑った。その笑顔は、少しだけサリエリに似ている気がした。
「急がなくちゃ……ヘルベヘヌまで、あと十日しかないわ」
ノラとソニアは、計画を練りはじめた。
「まずは一座の人達に、あんたの実力を見てもらわなくちゃね。歌だけじゃなくて、お芝居も出来るというところをね」
ノラが言うと、ソニアはたちまち不安そうな顔をした。
「お芝居って……脚本はどうするのよ?私は書けないわよ」
「大丈夫よ。もう出来てるから」
「ええ?」
「衣装も小道具も揃ってるわよ」
ノラはうふふと笑い、ソニアはアヒルみたいに小さくて円らな目を、ぱちくりさせた。
「問題はキャストよね。少なくても二人か三人は相手役がいないと……」
「そのうち一人はあんたね」
「冗談でしょ!」
めっそうもない!とノラは叫んだ。ノラを相手役にするくらいなら、そこらの石を拾ってきて置いた方がまだましだ。
「引き受けてくれそうな子がいるから、当たってみましょう」
翌日、ノラとソニアは一日かけて町中の家をまわり、協力者を募った。アベルやマルキオーレ、クリフォードはノラの復活を喜び、快く協力を申し出た。
「まあ!それは素敵なアイデアだわ!」
最初にガブリエラの家を訪ねたのが良かったのか、結局クラス全員でお芝居をすることになった。面倒がると思われた子供達は、意外にも乗り気だった。大きな悲しみを乗り越えるために、みんな明るい話題を求めていた。保護者たちも、子供達が元気になるのならと、喜んで学校へ送り出した。
劇の稽古がはじまると、教室は荒れた。
オーディションの結果、新たに仲間に加わったソニアが、シルビアがやるはずだった王家の墓守の恋人役に抜擢されたのだ。つまりクリフォードの恋人役だが、シルビアはかんかんだった。総監督であるサインツに猛抗議して、芝居に出ないとまで言い出し、しまいには見かねたクリフォードに説き伏せられたのだった。
「今回は仕方がないから譲ってあげるけど、クリフォードに手を出さないでよ!」
練習がはじまる前、シルビアはしっかりとソニアに釘をさした。
「確かにいい男だけど、サリーには敵わないわよね」
ソニアはシルビアに聞こえないよう、こっそりとノラに耳打ちした。目頭が熱くなって、鼻がつんと痛んだ。
シルビアや一部の女の子達の不安は、まったく取り越し苦労だった。ソニアはクリフォードに必要以上の関心をよせなかったし、芝居に取り組む姿勢は真剣そのものだった。
『天在る国に旅立った恋人をお返しください。この身に流れる血の一滴まで差し上げます』
しかし少女達がソニアに不満を抱かなくなった一番の理由は、彼女のお芝居が見事だったからだ。
「素晴らしいわソニア!あなた、お芝居をしたことがないなんて嘘でしょう!?」
大人顔負けの演技はシルビアなどとは比べものにならず、ガブリエラは絶賛し、サインツは舌を巻き、相手役のクリフォードは次のセリフを忘れた。
「こんなに盛り上がるのはマルグリッドが卒業して以来よ!今年は最高のお芝居になるわね!」
ソニアのやる気は、負けん気の強いクリフォードを本気にさせ、みんなの心に火をつけた。さぼる子は一人もいなかった。村人役であるノラも、サインツ指導のもと、細かい動作と一言しかないセリフを一生懸命練習した。
練習の合間、ノラとヨハンナとジノの三人が、衣装や小道具のチェックを行っていた時のことだ。
「神父の衣裳って、他の衣装に比べてちょっと地味よね?胸元にアップリケを付けたらどうかと思うんだけど、どう?」
ヨハンナは本番でアベルが着る予定の黒いローブを広げ、真剣な顔で提案した。
「神父なんだから地味で良いのよ」
「そうよ。アップリケなんか付けたらドレスになっちゃう」
ノラとジノは口々に反対した。
「じゃあ、刺繍は?襟元と袖口にこう、ぐるっと……」
「ヨハンナ……もう、真面目にやってよ。他にもまだたくさんあるんだからね」
「わかってるけど……クリフォードの衣装はこんなに派手なのに」
ヨハンナはジノの手元にあるクリフォードの衣装を恨めしそうに見た。
クリフォードの衣装だって去年の使い回しだが、色も多いし形も凝っているので、ネグリジェを黒く染め変えただけのアベルの衣装に比べれば、幾分格好が良かった。
「やけにこだわるわねぇ。さてはあなた、アベルに気があるわね?」
ノラがからかうと、ヨハンナはぎくりと肩を震わせた。ヨハンナの頬がみるみる赤く染まり、ノラはおや?と首を傾げた。
「えっ……まさか本当に……?」
「い、言わないで!」
ヨハンナは慌ててノラの口を塞いだ。彼女はきょろきょろ辺りを見回して、みんなが劇の方に夢中だとわかると、ほっと胸をなで下ろした。
「いつからなの……?」
ノラとジノはぴったりとヨハンナに体を寄せ、小声でたずねた。
「……気になりだしたのは、お屋敷のパーティでダンスを踊った時から……好きだって気付いたのは、その少し後くらい……」
もじもじするヨハンナを見て、ノラとジノは顔を見合わせた。
「ヨハンナ、かわいい!」
「ひ、冷やかさないでよ!そう言うジノだって、最近ショーンといい感じじゃない」
ヨハンナが言って、ノラは首を傾げた。
「ショーンって、あのショーン・カートライト?」
「いやねぇ、この町にショーンは一人しかいないじゃない」
ヨハンナがからからと笑って答えた。ジノはヨハンナをじろりと睨んだ。
「彼はただのお友達よ。そんなんじゃないわ」
「知ってる?ショーンってば、冬休みの間に二回もジノをデートに誘ったのよ」
「へぇー!へぇー!」
ノラはしきりに感心した。
(そっかあ……)
ノラがふさぎ込んでいる間にも時間は少しずつ流れていて、そのことが嬉しくもあり、寂しくもあった。みんなが変わっていくように、ノラだって変わっていく。ゆっくりだけど、前に進んでいく。