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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
旅立ちの季節
81/91

母の一大事

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

「知られたくなかったんだろ。後で誤解を解いてやるんだな」

 肩を落として院長室に戻ってきたノラに、ダミアンが助言した。憲兵達は、ノラに秘密を守ることを約束させ、詰所に帰って行った。

 ノラは夜が更けるまで、サリエリと、彼の後を追って行ったクリフォードの帰りを待ち続けた。子供達の夕食の時間になるとタリスン院長先生が嫌な顔をしたので、表の玄関ステップに座り込んで待った。冴えた空に浮かぶほっそりとした月を眺めていると、唇は青紫色に色を変え、指先の感覚がなくなった。

 孤児院の子供達の夕食が終わり、就寝する頃になって、心配したオリオが馬車で迎えにきた。ノラは後ろ髪を引かれる思いで帰宅した。

 自宅の玄関前に到着すると、オリオは骨までかちかちに固まったノラを抱き上げて馬車を降りた。

 玄関前では、たいまつを掲げた父が待っていた。彼はオリオの腕の中で青ざめているノラを見て驚き、慌てて毛布を取りに走った。

 しばらく暖炉の火にあたっていると、ようやく人心地がついて、話せるようになった。

「お母さんは?」

 ノラはリビングを見回して、あるはずの姿がないことに気が付いた。

「お母さん、ちょっと具合が悪くて、横になってるんだ」

「大丈夫なの……?」

 いつも元気な母が病気と知り、ノラはちょっぴり不安になった。父はしっかりと頷いた。

「少しふらつくだけだと言っていたから。一晩ぐっすり眠れば、元気になるよ」

 父が言うとおり、母は翌日の朝には回復して、忙しく家の中を歩き回っていた。ベッドから起き出す頃には、みんな母の体調のことなどすっかり忘れてしまっていた。

 出かける支度を済ませたノラはふと、机の上に置かれた、編みかけの手袋を見た。

「…………」

 昨晩さぼってしまったので、その分今夜がんばらないと。そんなことを考えながら、何気なく手に取ってみて、ノラははっと気が付いた。

「それ、ひと目ずれていたので、直しておいたわよ」

 背中から声がして振り返ると、ドアの前に母が立っていた。彼女のどこか満足げな笑顔を見て、ノラは唇をわなわなさせた。

「な、なんでそんなことしたの……?」

「なんでって、間違っていたから……」

 ノラの責めるような口調に、母は困惑して答えた。

「余計なことしないで……!どうして勝手に直したりしたの!?」

 ノラはヒステリーを起して、どんっ!と机を叩いた。

「そんなに怒らないでよ……ちょっとよ、ちょっと直しただけよ」

 すると母はまるで子供のようになって、口を尖らせた。

「お願いだから、機嫌を直して。気に入らないなら、お母さんが直したところまで解いて、やり直せばいいじゃない」

「…………」

「ほら、確かここだったわ。この目まで解いて……」

「触らないで!」

 ノラは母の手から編みかけの手袋と毛糸玉を引っ手繰ると、乱暴にかばんに突っ込んで部屋を飛び出した。その勢いのまま家を出て学校へと走った。母は途中まで追いかけてきたが、追い付けないとわかると諦めて引き返して行った。

 道の途中で、ノラはかばんを開いて、完成間近の手袋を見た。

「…………」

 夜なべしてやっとここまで仕上げた努力の結晶は、網目が緩かったりきつかったりして見られたものじゃなかった。母が手直しした部分はとても綺麗だったが、ノラは悲しい気持ちになった。

(ひどい……こんなの……)

 つい一昨日までよれよれの手袋は、実に不思議な話だが、深窓の佳人が身に付けるシルクの手袋と比べても遜色がないほどだった。そのように、ノラの目には映っていた。それがどうだ。今はただのみすぼらしい、お古のセーターのなれの果てに見える。他人の手に触れて、魔法が消えてしまったからだ。

 こんなことになるのなら、机の引き出しの奥深くに隠しておけば良かった。

 ノラは学校に到着するまでの間に三度、めちゃくちゃにしてしまいたいような気持になり、三度思い止まった。はじめからやり直す時間なんてないし、頑張った分だけ、投げ出してしまうのは惜しい気がした。

 のろのろと歩いて学校に到着したノラは、教室にサリエリとクリフォードの姿がないとわかると落胆した。

(さぼっちゃえば良かった……)

 昨日のサリエリの様子を思うと、のんびり授業なんか受けている場合じゃないという気がしてきた。時間が経てば経つほど、その思いは強くなった。

「…………」

 出発まであと数日。残り少ない時間を、喧嘩になんか費やしたくない。すれ違ったままお別れなんて……

(いや……絶対……)

 ノラは机の下でこぶしを握り、固く決意した。

 まだ時間はある。彼に会って、打ち明けよう。重い罪を独りで背負ってくれていたことも、彼の真心も……

(ずっと前から、気付いてた……)

 そして伝えるのだ。もう隠さなくても良い、あなたがどんな人間だって構わない、私達は友達だ!と……

「シルビア、素敵な帽子ねぇ。お店で売ってるのみたい」

 一時間目の休憩時間のことだった。ノラの耳に、カレンとシルビアの会話が飛び込んできた。

「そう?……ママに教えてもらって、自分で編んだのよ。次はセーターかチョッキに挑戦しようと思ってるの」

 シルビアは得意げに言って、帽子が良く映えるように、小首を傾げて見せた。紅茶色の帽子は、彼女にとても良く似合っていた。

 放課後。孤児院へと急ぐノラが、教会の前を通り過ぎようとした時だった。カートライト牧場の方から、猛スピードで荷馬車が走ってくるのが見えた。

 見覚えのある馬だったので、ノラは足を止めた。荷馬車は息をつく間もなく迫ってきて、ノラの目の前で急停止した。

「ノラ!良いところにいた!」

 暴走荷馬車の御者はオリオだった。オリオは御者台の上から大声で叫んだ。

「どうしたの?そんなに慌てて……」

 ノラはオリオの険しい表情を見て、首を傾げた。彼の顔面は興奮しているせいか、ただ単に寒さのせいか、紅潮していた。

「お母さんが倒れたんだ!」

 オリオが悲痛な声で喚いて、ノラの心臓がほんの一瞬鼓動を止めた。

「えっ……」

「今、アルバート医師に預けてきたところだ。俺はお父さんを呼んでくるから、お前は先に診療所に行っていてくれ」

「うんっ……」

「できるだけ急ぐけど、役場まではかなりあるから……俺が戻ってくるまで、お母さんを頼んだぞ」

「わ、わかった……」

「……はあっ!はあっ!」

 オリオがぴしゃりと手綱をしならせると、利口な馬達は乗り手の意思をくみ取って、猛スピードで走り出した。ノラは荷馬車が行ってしまうのを待たずに、診療所を目指して一目散に駆け出した。

(お母さんっ……)

 残雪に縁取られた田舎道を猛然と駆けながら、ノラは今朝のやり取りを思い出していた。怒りにまかせて吐いてしまった暴言や、とってしまったひどい態度は、刃となってノラを苛んだ。

(お母さんっ……!)

 母はただ、善かれと思って手直ししてくれただけなのに。よれよれの手袋くらい、どうなったって構わなかったのに。

(悪い病気だったらどうしよう……!)

昨夜、母の具合が悪いと聞いた時に、どうして気付かなかったんだろう?なぜもっと労わってあげなかったんだろう?

「お母さん!」

 息急き切って到着した診療所。ぐったりと病室のベッドに横たわる母を見て、ノラの頭は真っ白になった。

 不意に頭によぎった恐ろしい想像に反して、母は直ぐに目を開けた。

「ノラ……大丈夫よ、心配いらないわ。……ああっ……」

「お母さん!」

 母は上体を起こそうとしたが、めまいがするのか頭を押さえて倒れ込んでしまい、ノラは血相を変えてベッドに駆け寄った。

「少し目がまわって、転んだだけなのよ」

 不安そうに瞳を揺らすノラを安心させるように、母はにっこり微笑んで言った。その声は、元気なふりをしながらもどこか弱弱しく、ノラは下腹がきゅっと締め付けられるような気がした。

「ごめんなさいね。あなたにまで心配をかけて」

 母はベッドに横たわったまま、体を捩って、膝立ちになったノラの頭を優しく撫でた。しばらく柔らかな掌に撫でられていると、少し心に余裕が出てきた。ノラは脚の長さが揃わない、不安定な椅子を引き寄せて腰かけた。

「学校は終わったの?お友達と仲良くできた?」

「うん」

 母の質問に、ノラは簡潔に答えた。

 思えば、母とちゃんと言葉を交わすのは久しぶりだった。家にいる時もノラはサリエリのことで頭がいっぱいで、母や家族の問いかけには、生返事ばかりしていた気がする。会話だけじゃない。母の顔をしっかりと見るのも、しばらくぶりだった。

「お母さんはもう大丈夫だから、遊びに行ってきて良いのよ」

 ノラは静かに首を横に振った。こんなに弱っている母の傍を離れることなんてできない。

「でも、孤児院へ行くつもりだったんでしょう?」

「……いいの。サリエリには、明日も会えるもん」

 ノラはにっこり微笑んで答えた。

 夕方になり母が眠ってしまうと、時々暖炉に薪をくべたり、窓を開けて空気を入れ替えたりする以外にやることはなく、ノラは母の枕元に腰かけて手袋の続きを編んだ。

 無心で手を動かし、疲れたら一休みして、赤々と燃える炎を見つめる。静か過ぎる部屋で考えるのはもっぱら、サリエリのことだ。そう例えば、彼は今なにをしているんだろうとか、夕食はなにを食べるんだろうとか、そんなことを。

「…………」

 今日は会えなかった。でも、明日こそは必ず……

(そう、また明日……)


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