騎士団が来る
著作権は放棄しておりません
無断転載禁止・二次創作禁止
ノラの考え通り、しばらくはさしたる事件も起こらず、長閑な毎日がつづいた。マリは相変わらず、午前中は母の手伝いに勤しみ、午後はオリオやノラ、新しくできた友人達―――ジャック・フォローズや、グラエム・オギルビー、ティボー・リヴィエールなど―――と沢や森へ遊びに出かけた。女の子からデートに誘われることもあった。
夢の世界の住人のようだったマリは、いつの間にか町に馴染み、町の男になりつつあった。肌は健康的に日焼けし、笑顔ははつらつとして、そばによると太陽と風の匂いがした。
それは、代わり映えのしない日が何日か続いたある日のことだった。
「昨日、ヴォロニエからジミーとベンジーが帰ってきたんだけど、宿屋で騎士と一緒になったんだって。行き先をたずねたら、南下してムタガンダに向う途中だそうよ」
休み時間の教室。カレンが興奮気味に言い、黄色いざわめきが起こった。
「ベンジーから直接聞いたんだから、間違いないわよ。ねぇ、ショーン。あなたも聞いたでしょ?」
噂の出所であるジミーとベンジーの従弟、ショーン・カートライトは、さあ?と首をすくめて、カレンの不興を買った。
「行き先がムタガンダだとすると、この町に立ち寄る可能性は高いわね。到着はいつ頃かしら?」
「またジミーとベンジーの悪戯なんじゃないの?」
「あら、じゃああなたはぼろを着てくると良いわヨハンナ。私はカレンの話を信じる」
シルビアとカレンはにっこりと不敵にほほ笑み合った。
「私、ママに頼んで新しいドレスを縫ってもらおう」
「ねぇシルビア、この間してた藤色のリボン、貸してくれる?」
「もちろん、いいわよ。あんたがブローチ貸してくれればね」
「独身の素敵な人がたくさんいますように!」
ノラはアベルやマルキオーレと一緒に、色めき立つ少女たちを教室の隅からぼんやりと眺めていた。
「きっとおじさんばっかりよ。それに騎士って貴族でしょ。相手にされるわけないわ」
話に混ざれないノラは憎まれ口を叩き、アベルとマルキオーレを喜ばせた。
「帝都の騎士様が、ムタガンダになんの用だろう?」
アベルの疑問に答えたのはショーンだった。
「人を捜しているらしいよ。でも、ただの人捜しに騎士団が出動するなんて変だろ?親父は、犯罪者を追っているんじゃないかって」
それを聞いた瞬間、脳裏にふとマリの顔が浮かび、ノラは漠然とした不安に駆られた。嫌な予感は、話を聞いたマリの表情が曇ったことで確信に変わった。
騎士団が町に到着する前日、先触れがあった。騎士団が滞在している隣町のグズから、使者が寄越されたのだ。使者はリッピー家にもやってきた。
「我々はある重大な任務のために、帝国内の町や村を訪ね歩いています。つきましては明日の正午、子供たちを広場へやって下さい」
上等な旅装束に身を包んだ若い使者は、突然のことに驚きを隠せない父と、ちょっぴりうきうきしている母に向かって簡潔に告げ、慌ただしく次の家へと出発した。
「そういう理由だから、あなたたち、明日のお昼に広場へ行きなさい」
夕食の席で、母はノラとオリオとマリに向かって命じた。マリの表情が凍りつき、ノラははっとした。
「それにしても、重大な任務ってなにかしら?」
「わ、私、知ってる!……この町で生まれた子供の数を調べてるって言ってたわ!」
ノラがはりきって母の疑問に答え、マリは怪訝そうな顔をした。
「あら、そうなの?それならマリは関係ないわね。まだこの町にきたばかりだものね」
母は特に疑う様子もなく、食事を再開した。
「近々雨が降りそうだから、屋根の修理をお願いしようと思っていたのよ。悪いけど明日は一日家にいて、私を手伝ってちょうだい」
「はい、母上」
マリとノラはほっと胸を撫で下ろした。
翌日。
「今日は広場の方へは行かないでね。絶対よ」
決められた時間に間に合うように、ノラとオリオは荷馬車に乗り込んだ。ノラは玄関へ見送りに出てきたマリに懇願した。
「心配してくれてるんだな……」
マリは苦笑して、この頃いつもそうするように、ノラの髪をそっと撫でた。
「母上の手伝いが終わったら、部屋で大人しくしているよ。買い物にも行かない」
マリはしっかりと約束して、ノラとオリオを送り出した。
2人が到着する頃には、広場には既に10数名もの騎士達が到着していて、大方の子供たちが集まっていた。学校に通っている子も、そうでない子もいた。皆一様に、揃いの制服を着込み、腰に剣を差した騎士達を、興味津々といった様子で見つめていた。
ノラは荷馬車を降りて、ひとまず、仲間達の姿を捜した。アベルとマルキオーレとクリフォードの3人は、他の男の子たちに交じって、木柵に繋がれた軍馬をしげしげと観察していた。ノラは用心のため合流せず、目立たないように人垣の後ろの方に埋もれた。
解散の合図を待つ間、ノラは広場の様子を観察していた。
騎士団のリーダーと思われる人物が、町長のデムター・オシュレントン氏と会話していて、傍らには口をへの字に引き結んだ少年が―――従者かなにかなのだろう。他の騎士達とは、衣装の色や形が違う―――直立不動で立ちんぼしている。シルビアとカレンがその前を行ったり来たりして彼の気を引こうとし、他の少女等から顰蹙を買っている。
ノラはふと視線を感じて、後ろを振り返った。直ぐそばに停まった幌馬車の、荷台の上から一人の老女がノラをじーっと見下ろしていた。恐ろしげな感じの老女だった。艶のない白髪は獣の毛のようで、骨と皮だけの足は川縁に打ち上げられた流木のように、ぐにゃりと歪んでいた。ひび割れた顔面は質の悪い蝋燭みたいで、顎の先は地面に文字が書けそうなほど鋭く尖っていた。
老女はノラを見てにっこりほほ笑んだが、ノラは恐ろしくなって、慌てて目をそらした。
「これで全員ですか?」
ノラが広場に到着して三十分が経った頃。騎士団のリーダーが広場を見渡して、デムターさんにたずねた。
「ええ。これで全員です」
「そうですか……どうも、お手数をおかけしました」
子供達はようやく解散することとなり、ノラがほっと息を吐いたその時。
「ノラん家の居候はいいのか?」
軍馬の脚に見惚れていたベン・ウォルソンが発言し、ノラは肝をつぶした。アベルとマルキオーレとクリフォードの3人は、顔を見合わせた。
「まだ子供がいるのですか?」
「はあ……いえ、この町の子供ではないんですがね。北の森で行き倒れていたところを、ノラ……ああ、ほら、あの子ですよ。あの子が助けたんです」
デムターさんは回れ右して逃げ出そうとしているノラを指差した。ノラは飛び上がった。
「念のため、その子供にも会わせてください」
「わかりました。ノラ、私と一緒にこの方々を家まで案内してくれ」
「…………」
「どうした?こっちへおいで」
デムターさんはノラを手招きした。ノラはためらったが、騎士達は彼女の都合などおかまいなしに、次々に馬や馬車に乗り込みはじめた。
「あ、あの……案内したいんだけど、私、これから用事が……」
「おい、子供。早く乗れ」
ノラがまごまごしていると、頭上から鋭い声がした。振り返ってみるとそこには荷馬車が停まっていて、先ほどシルビア達が気を引こうと躍起になっていた少年従者が、御者台からノラを睨み付けていた。
「お前だって子供だろう、ダンテ」
ダンテと呼ばれた少年を、後ろの荷台に座っていた騎士の1人が野次った。騎士達の間に笑いが起こり、ダンテは羞恥にほほを染めた。
「子供じゃありません!俺は今年でもう14ですよ!それに、こうして仕事もしています」
ダンテはひどく気分を害した様子で、しかし胸を張って堂々と主張した。
「からかわれてかっとなるようじゃ、まだまだ子供だよ」
「ハンス様!」
彼の主人である騎士隊のリーダー、ハンスが図星を指し、またどっと笑いが起きた。
ハンスは腰をかがめて、ノラと視線を合わせた。
「悪かったねお嬢さん。こいつは君があんまりかわいいので、格好をつけたかっただけなんだ」
「そんなんじゃありません!違うったら!」
「さ、お手をどうぞ」
ハンスはダンテの抗議を無視して、ノラを馬車の座席に誘った。ハンスの手を借りて馬車に乗り込むノラを、ダンテは忌々し気に睨んだ。
座席には、デムターさん、ノラ、ハンスの順番に座った。
「ダンテ。お前も騎士になるつもりなら、淑女にはもっと優しくしないといけない」
「こんなちび、淑女なもんか」
ダンテはノラを憤慨させ、ハンスにげんこつをもらった。
ノラ達を乗せた荷馬車は、途中好奇心旺盛な人々―――ライラ・ポワソンや、母のライバルのメリダ・ランベル夫人など―――に行く手を阻まれたが、おおむね快調に進んだ。逃げ出そうにもノラの肩にはハンスの大きな手が乗っていて、おまけに馬車の後ろから、軍馬に乗った騎士達がぞろぞろ付いてくる。
「顔色が悪いよ。具合でも悪いのかい?」
「い、いいえ……」
道中、ノラは激しく後悔していた。こんなことになるのなら、家にいろなんて言わなければ良かった。
玄関で出迎えた母は、大勢の騎士達を引き連れて帰ってきた娘を見て、目を丸くした。
「少し前にクリフォード達がきて、連れて行ったわよ」
母からマリの不在を聞いたノラは、心の中で頼もしい仲間たちに拍手を送った。ノラが騎士達に連行された後、3人は直ぐに広場を出て、家まで先回りしたのだ。
「遊びに出たのなら、そのうち帰ってくるでしょう」
4人の行き先をたずねようとしたハンスに、デムターさんがのんびりと言った。
「皆様、長旅でさぞお疲れでしょう。歓迎の支度をしてありますので、我が屋敷へお越し下さい」
デムターさんは、いつになく上機嫌で申し出た。すると騎士達の表情が和ぎ、誰ともなく安堵の息を吐いた。こうなると、子供達を追いかけようとは言えないハンスだ。
「これはありがたい。各地を旅している我々ですが、恥ずかしい話、野営に不慣れな者ばかりでしてね」
「そうでしょうとも。帝国騎士と言えば、高貴な身分の方ばかりだ。捜しておられるのはよほどの大人物なのでしょうな」
ノラは2人が立ち話をしている隙に逃げ出そうとしたが、ハンスが気付いてを呼び止めた。
「君も一緒においで。この町のことを色々教えて欲しいんだ」
ハンスはにこやかだったが、ノラの背筋には冷たいものが駆け抜けた。
「で、でも私、お手伝いもしないといけないし……」
「まあ、なあに?この子ったら、いつもは真っ暗になるまで外で遊んでいるくせに」
母が余計なことを言って、ノラを窮地に追い込んだ。
「お嬢さん。君ともっと仲良くなりたいんだよ」
逃げるに逃げられず、ノラはハンスの強い勧めで、騎士達と共にお屋敷へ向かうことになった。
お屋敷に到着すると、一同は広い食堂に通された。食堂には町の婦人会の女性達が用意した料理や酒が並べられていて、騎士達は思い思いにくつろいだ。
ノラは隙を見て逃げ出そうとしたが、ハンスは決してノラから目を離そうとしなかった。
「なにをそんなにびくびくしているんだい?まるで後ろめたいことでもあるようだよ」
挙動不審なノラを見て、ハンスは見透かしたように囁くのだった。
屋敷に到着して2時間ほどが経ち、日が傾き始めた頃、ようやくチャンスがやってきた。
「ノラ。家事室へ行って、コーデリアに料理の追加を頼んできてくれ」
デムターさんに頼まれたノラは、ハンスの制止を振り切って直ちに食堂を出た。
そのまま外へ出ようとしたが、玄関に数人の騎士がたむろしていたため、ノラは尻込みした。捕まれば、2度とチャンスはめぐって来ないだろう。ノラはマリを捕獲するための人質なのだ。
ちらりと食堂の方を振り向けば、ハンスが追いかけてくるのが見えた。ハンスは厳しい顔でノラを見据えて、真っ直ぐに歩いてくる。
(どうしよう)
ノラは慌てて階段を駆け上り、2階の客室に飛び込んだ。ひとまずどこかに隠れてやり過ごそうと考えたのだが、客室には先客がいた。
「おや、見られてしまったね」
薄暗い部屋に浮かび上がるシルエット。ノラはしわがれた声で、昼間の老婆だと気が付いた。ハンスが階段を上ってくる音が聞こえ、出るに出られず、ノラはドアを背にしたまま窓際に腰かける老婆を凝視した。
だんだんと暗闇に目が慣れてきて、その輪郭がはっきりしてくると、ノラは息を呑んだ。
そこにいたのは、昼間広場で見た老婆ではなかった。人でさえなかった。丸太に穴を開けただけの、やけに小さな顔。酒樽や木箱を繋げて作られた胴体。ノラには老婆が、洋服を着せられた木偶人形のように見えたし、実際その通りだった。
ノラがあんぐりと間抜けな大口を開けて絶句していると、ふいに老婆の小指が、間接からぽろりと落っこちた。小指はころころと床を転がり、ノラのつま先に当たって止まった。
ノラはおそるおそる、枝と胡桃の殻を組み合わせて作られた小指を拾い上げ、老婆に渡した。
「ありがと」
老婆はそれを、器用に元の位置にくっ付けた。小指が元通りになると、今度は左の耳が落っこちて、ノラは唇をわなわなさせた。
「この姿は恐ろしいかい?」
「…………」
ノラは無言でうなずいた。
「……私は悪魔学者でね。みんな食べられてしまったのさ。契約の対価として」
老婆はノラの疑問を見透かして言った。
「悪魔に……?」
「そうさ。はじめは爪や髪。次に骨や血の管。あちこちとられて、残っているのはもう、この中身だけだ」
老婆はそう言って、かさかさの灰色の頭を、ごんごんと叩いた。
老婆はおもむろに立ち上がり、ゆっくりとした動作でノラに近付いてきた。ひじや膝の間接に使われた金属の部品が、ぎし、ぎし、と嫌な音を立てた。
「お嬢さん、悪魔と契約をしたね?」
老婆はノラの顔を覗き込んでたずねた。ノラはドアに貼り付けになったまま、首を左右に振った。
「し、知らない……」
「うそを吐いてはいけないよ。誰の目は誤魔化せても、私の眼だけは誤魔化せない。私の本当の姿を見ることが出来るのは、悪魔学者である証だ」
老婆の手が伸びてきて、ノラの肩に触れた。老婆の顔に空いた二つの穴ぼ この中を覗くと、ノラの恐怖は頂点に達した。
「い、いやっ……!」
ノラはたまらず、老婆の手を振り払った。すると、老婆のひじから先がばらばらと床に散らばった。
ノラは追われていることも忘れて、老婆が体の部品を拾っている隙に廊下に飛び出した。するとちょうど奥の部屋を捜して戻ってきたハンスとかち合い、ノラは声にならない悲鳴を上げた。
「どこへ行ってしまったのかと、心配したよ。食堂に戻ろう。まだ君に聞きたいことがたくさんあるんだ」
ハンスは有無を言わせない笑顔で、そらぞらしく言った。腕を掴まれそうになったノラが後退ると、ハンスはむきになって追いかけてきた。
無我夢中で廊下の端まで逃げて、壁際に追い詰められた、その時だった。階下が騒がしくなりはじめ、ハンスの顔つきが変わった。
「一緒に来るんだ」
ハンスは素早い動きでノラを捕まえると、半ば抱きかかえるようにして、足早に階段を下りた。