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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
新しい友達
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旅の終わり

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 疲れ果てていた二人はいつの間にか眠り込んでしまい、翌朝、見回りに来たベクレル院長先生にこっぴどく叱られた。

「お喋りしてただけです……怒られることなんてしてません……」

 ノラが不貞腐れて言い訳すると、ベクレル院長先生は鼻の穴を膨らませた。

「当たり前です!怒られるようなことがあってたまるもんですか!」

「…………」

「女の子が男の子の部屋に忍び込むなんて……前代未聞よ!」

 ベクレル院長先生は、ノラが言い訳すればするほど激高した。ノラはうんざりした。

「……どうしても駄目だって言うなら、私達、ここを出て行きます」

 ノラが視線で「良いよね?」とたずねて、サリエリは、うん。と頷いた。

「出て行く……?出て行って、どこへ行くと言うの?」

「二人でいられるところ」

 平然と答えて、ノラとサリエリは手を握り合った。反省する様子のない二人を見て、ベクレル院長先生は頭を抱えた。

「……フィリポ、お願い」

 ベクレル院長先生は、部屋の中にいた、フィリポ・ベルタジアに言った。フィリポは老人にしてはたくましいその腕で、サリエリの肩を掴んだ。

「脱走しないように、部屋に鍵をかけて閉じ込めておいてちょうだい」

 ベクレル院長先生が指示して、ノラとサリエリはぎょっとした。

「いやっ……!」

 ベクレル院長先生がノラの腕を掴もうとした。ノラはとっさにベクレル院長先生の手を振り払った。

 サリエリはフィリポの腹を肘で殴ると、ノラの手を取って院長室を飛び出した。

「お待ちなさい!」

 ノラとサリエリはベクレル院長先生の制止を振り切って走った。フィリポや他の職員達が追い掛けてきたが、サリエリは機転を利かせて、あっという間に撒いてしまった。

 ノラとサリエリは、大通りに出たところで立ち止まって、息を整えた。

「これからどうしよう……」

 道端に座って人心地つくと、ノラは呟いた。つい勢いで飛び出してしまったが、荷物もお金も持っていない。

 孤児院に戻って、ベクレル院長先生に謝るべきだ。そうは思うものの、待っているお小言のことを考えると、直ぐに戻る気にはなれなかった。

 ノラとサリエリはしばらくの間、路地に座って、大通りを行き交う人々をぼんやりと眺めていた。

 余所行きのドレスを着て髪をレースやリボンで飾った少女達が、黄色い声でおしゃべりしながら前を通り過ぎ、反対側からは足の悪い老人が、ステッキを片手にえっちらおっちら歩いてくる。書物をぶら下げた学生がひらりと辻馬車に乗り込むと、入れ替わりに空っぽのミルク缶を乗せた荷馬車が走ってくる。チキンの良い香りが漂う食堂の店先では首輪をした犬がパンをかじり、反対側の屋根の上から、小鳥達がおこぼれを狙っている。

「遊びに行こう!」

 ノラがそう言い出したのは、足の悪い老人がこの先の理髪店で用事を済ませ、戻ってきた頃だった。

「孤児院には夕方帰れば良いわよ。どうせ怒られるなら、うんと楽しまなきゃ!」

 思いもよらない提案に、サリエリは目をぱちくりさせた。

「考えてみればこの町に着いてから、まだ一度も二人で見て回ってないでしょ?」

「……!……」

「だから、ね!行こう!」

 ノラはサリエリの手を引いて、狭い路地を飛び出した。

 書店で店主の目を盗んで絵本を立ち読みし、帽子店で目を付けていたつば広の帽子を試着した。サリエリの希望でガラス工房や窯場を見学した後、広場まで辻馬車にただ乗りして人形劇を観た。猫を追いかけてどこかのお屋敷の庭を迷い込み、生垣の間をうろうろしていると、使用人につまみ出された。肉の焼ける良い香りに釣られてレストランの厨房を覗いていたら、コックがお客に出す魚フライのしっぽを切り取って、口に放り込んでくれた。子供たちに混ぜてもらって縄跳びしたり、水切りしたり。駆けっこはやっぱりサリエリが一番で、ノラは鼻高々だった。

 ホテル・クリンゲルにも行ってみた。お店はひっそりとしていて、入口には憲兵が立っていた。辺りには従業員の姿も、ロバートの姿もなかった。ノラはお店で体験したさまざまな出来事を―――覚えかけた仕事や、優しいお客さんや、先輩の女性達などを―――思い出し、ちょっぴり寂しい気持ちになった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。

 夕方、足が棒になるほど歩き回ってくたくたになったノラとサリエリは、小高い丘の上にある木に登り、一休みした。

「人形劇、面白かったね。今度は水飴を買おうね」

 ノラが同意を求めると、サリエリははりきって頷いた。興奮冷めやらぬサリエリの頬は紅潮し、瞳はきらきらと輝いていた。

 ノラはそんなサリエリを見て一度ほほ笑むと、町並みに視線を戻した。ちらほらと灯りはじめる家の灯や、煙突から立ち上る煙、手をつないで家路を急ぐ子供達などを、ぼんやりと眺めた。

「…………」

 ノラはふと、隣に座るサリエリの方を見やった。彼もまた、ノラと同じように目を細めて町並みを眺めていた。ノラはサリエリの手に、そっと自分の手を重ねた。

「綺麗だね」

 うん。

「お腹すいたね」

 そうだね。

「……帰りたいね」

 ノラは沈み行く夕陽を見つめて、ぽつりと呟いた。口にした途端、胸の奥底から望郷の思いが溢れてきて、堪らない気持ちになった。今すぐ飛んで行って、大好きな母の胸に飛び込みたい。優しい声で、『もう大丈夫だ』と言ってほしい。大きな手の平で頭を撫でてほしい。

 サリエリは瞳を揺らすノラの横顔をじっと見つめた後、視線を空に戻して、うん。と一つ頷いた。

 ノラとサリエリは、ゆっくりと時間をかけて孤児院まで戻った。

 孤児院の前では、ベクレル院長先生と憲兵のチェスターが、靴底で地面を叩いていた。仲良く手を繋いで戻ってきた2人を見ると、眉を吊り上げた。

 説教のために連れて行かれた院長室で、ノラは本当のことを、オシュレントンから家出してきたことを告白した。2人きりで旅をしてきたことを知ると、大人たちは驚き呆れた。

 オシュレントンにはチェスターが連絡してくれることになり、迎えが来るまでの間、ノラとサリエリの身柄は、引き続き孤児院に預けられることになった。

 安全が保障された孤児院で過ごす日々は、穏やかで満ち足りたものだった。

 孤児ではないとわかると、ベクレル院長先生は2人を叱らなくなった。規則を破ろうとなにをしようと、もはや関係ないとでも言うように放っておいた。

 ノラとサリエリは自由時間のほとんどを2人きりで過ごし、礼拝堂の片隅にはいつも、仲睦まじく肩を並べる2人の姿があった。友達は出来なかったが、寂しくはなかった。ノラもサリエリも、お互いがいれば満足だった。

 1人寝が寂しくなると、ノラはしばしばサリエリの部屋を訪ねた。早ければ明日には迎えが来るだろうというその夜も、ノラはサリエリの部屋の窓から、夜空を見上げていた。

「終わっちゃったね……」

 気が付けばオシュレントンを出てから、ひと月半も経っていた。いつの間にか期末試験は終わり、夏休みも終盤に差し掛かっていた。町に帰ればまたいつも通りの日常が待っている。帰りたいのに、旅が終わってしまうのが寂しい気もする。

 ノラは数々の出来事を思い出し、ほう。とため息をついた。

「怖いこともたくさんあったけど……私、楽しかった」

 ノラは隣に並んだサリエリに、努めて明るい声色で伝えた。経験して、わかったことがある。すっかり大人になったつもりでいたけれど、まだまだ未熟だということ。いつも誰かに守られていたのだということ。そして……

「……あんたはやっぱり、国立魔学校に行かなきゃ」

「…………」

「私も負けないように頑張るよ。勉強だけじゃなくて、いろんなこと……」

 ノラはサリエリに約束した。旅の間、ノラはサリエリに守ってもらってばかりだった。頑張ろうと思った。たくさん勉強して、いろんなことを経験して、もっともっと知恵を付けて、今度は自分が彼を助けられたら良い。そしていつか、彼のように大きな、強い人間になれたら良い。

 ノラの決意を聞いたサリエリは、にこりとほほ笑んだ後、切なそうにまぶたを伏せた。

「……寂しい?」

 ノラがたずねると、サリエリは少し考えた後、小さく頷いた。

 オシュレントンから国立魔学校がある帝都までは、ひと月以上かかる。一度行ったらそう簡単には帰ってこられないし、サリエリは奨学生だ。住み慣れた土地を離れ、遠く、寄る辺のない大都会へ独り旅立つのは、どんなに不安なことだろう。

「……私、待ってる。あんたが帰ってくるの」

 サリエリは目玉がこぼれ落ちそうなほど瞼を見開き、ノラを見た。

「だから、だからさ……」

「…………」

「いつかまた、二人で旅に出よう」

 身も心もたくましくなって、立派な大人になったら。ここよりも遠く、地の果てまで、冒険の旅に。

 月明かりが差し込む窓辺で、2人は固く誓い合った。その静かな夜、ノラとサリエリの長い旅は終わりを告げた。


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