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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
新しい友達
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危険な取引

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

(無事でいて!サリエリ!)

 ノラは心の底から後悔していた。こんなことになるのなら、サリエリを連れてさっさと逃げ出せばよかった。いくら考えたって、200万ピチもの借金を返す上手い方法なんて思い付かないくせに。

 もしもサリエリが、憲兵に捕まってしまったら。独りぼっちになってしまったら。考えるとノラの心臓は恐怖に凍りつき、絶望した。

 オレンジ色の光の中にサリエリの姿を見付けた時の喜びは、言い知れないものがあった。

 ノラは駆けて行って、サリエリの首にぴょーんと飛び付いた。

「遅かったじゃない!なにしてたのよ!心配したのよ!」

 ノラの身体を抱きとめたサリエリは、目を白黒させた。ノラは母親にすがる迷子のように泣きじゃくり、サリエリを困らせた。ノラはいつまでも泣き止もうとせず、サリエリに手を引かれて店に戻った。

 店に戻ると、サリエリは1人、ジョルジーナが待つ事務所に向かった。

「なんだい。生きてたのかい」

 サリエリが部屋に入って行くと、ジョルジーナはつまらなそうに鼻を鳴らした。

 サリエリはポケットから、大きな青い石が付いたネックレスと銀の指輪を取り出して、デスクの上に置いた。

「……合わせて150万ピチってとこだね」

 ジョルジーナはネックレスと指輪をろうそくの光に当てて、じっくりと品定めした。

「不満そうな顔だね?……宝石は足が付きやすいから買い叩かれるんだよ。わかってるだろ?」

 ジョルジーナはネックレスと指輪を、大事そうにデスクの引き出しにしまった。

「さて……残り50万ピチ。どうやって支払うつもりだい?」

 ジョルジーナは面白そうにたずねた。

「今日中に全額返済できなければ、約束通りあの子には……」

 意味深長に囁くジョルジーナを、サリエリは悔しさと憎しみのこもる瞳で睨み付けた。ジョルジーナは射殺さんばかりの視線を平然と受け流し、優越感に満ちた笑顔を浮かべた。

「べつに、あんただけ逃げても構わないんだよ。私は金さえ返してもらえりゃあ、文句はないんだ。あの娘なら質草として申し分ない」

 サリエリがいっそう視線を険しくすると、ジョルジーナは少しつまらなそうな顔をした。

「仕方がないねぇ。最後にもう1度チャンスをやろうじゃないか。……今から2人である場所へ行って、ある人を手伝ってきな。無事にやり通せたら、そのままどこへなり行くが良い」

「…………」

「疑ってるのかい?いやだねぇ、誰も騙そうなんて思っちゃいないよ。私はこれでもあんたを買ってるんだよ。卑しくも立派に生きてる、孤児の鑑みたいなあんたをね」

 選択肢などあってないようなもので、サリエリは一抹の不安を感じながらも、ジョルジーナの提案を受け入れた。

 ノラとサリエリは荷物をまとめて、夜の帳が下りる頃、ジョルジーナと共に店を出た。ノラとサリエリが連れて行かれたのは、大通りから少し外れたところにある、古い印刷所の址だった。

「入りな」

 建物内には、埃とインクの臭いが漂っていた。真っ暗闇の中を手探りで奥へ奥へと進んで行くと、廊下の突き当たりに扉があり、扉の先には地下へと続く階段があった。地下室には誰かがいるようで、ろうそくの火に照らされた壁に、人影が浮かび上がっていた。

 3人は狭くて急な階段を、ジョルジーナを先頭に下りて行った。

 地下室にいたのは、赤禿の男だった。赤禿の男は階段を背にして食卓に着き、せっせとディナーを食べていた。にんにくの良い香りに、ノラとサリエリのお腹がぐーっと鳴った。

「遅かったな……」

 3人が下りて行くと、赤禿の男は食事の手を止めて言った。男の低い声は、静寂にじーんと響いた。

「ご、ごめんよ。ちょうど良い子を調達するのに手間取っちゃって。……でもこの通り、条件に合う子供を連れてきたよ」

 ジョルジーナは慌てた様子で、ノラとサリエリを男の面前まで引っ張っていった。

「こっちの黒髪は男の子。この子は女の子だけど、なかなか利口だよ。2人とも孤児だ」

 赤禿の男は目を細めて2人を品定めした。頭の先から爪の先まで舐めるように見つめられると、ノラは背筋がぴりぴりした。

「小さい子の方が順応が早いって言うだろ?それにこれからどんどん大きくなるよ!育ち盛りだから」

「…………」

「頼むから、前回の子等よりはもたせておくれよ。適当な子供を探してくるのも簡単じゃないんだ」

 口を尖らせるジョルジーナを、赤禿の男が陰気な目でじろりと睨んだ。するとジョルジーナはたちまち青くなり、出かかった文句を、唾と一緒にごくりと飲み込んだ。

「そ、それじゃあ私は帰るから!仲良くおやり!」

 ジョルジーナはノラとサリエリを置いて、そそくさと逃げ帰って行った。

 ジョルジーナがいなくなると、ノラとサリエリは地下室を見回した。広い地下室は、快適な生活が出来るように作られていた。4人掛けの食卓に、大人2人がゆったりと座れるソファ。書棚には退屈を紛らわすための本が―――お芝居の本ばかりだ―――納まっていた。奥には2つ扉があり、そのどちらかは寝室だろうと思われた。

「来い。仕事を教えてやる……」

 赤禿の男はぼそぼそと言って、ノラとサリエリを奥の……向かって右側の部屋に案内した。2人はしっかりと手を繋いで、男の後を付いていった。

 小さな部屋だった。真ん中に置かれた台は大人ひとりが寝転がれるほどの大きさだったが、寝室と呼ぶにはおかしな点が幾つかあった。硬い石の台の上には寝具が見当たらず、壁にはのこぎりや、なたや、斧が吊下げられていて、室内には酸っぱいような、塩辛いような臭いが充満していた。

「お前達の仕事は、俺がここまで運んできた死体を、小さく切り刻んで森の中に埋めることだ。道具はいろいろある。後で使い方を教えてやる」

 赤禿の男は壁に掛けられた斧を手にとって、刃にこびり付いた汚れを、指先で擦った。

「死体……?なんの?」

「……いろいろだ。男だったり女だったり、餓鬼だったり……」

 ノラが恐る恐るたずねて、赤禿の男は首をすくめた。

「医者に憲兵に、教師、神父、人妻や間男……金さえ貰えば、どんな人間でも始末する」

 男の回答に、ノラとサリエリは背筋を凍らせた。

「あっ……」

 男の顔は、少し前にジョルジーナの部屋で見た新聞の挿絵にそっくりだ。室内を満たしている鼻を突くような異臭の正体に気付き、ノラはがたがたと震えだした。

「なんだ、知らずに連れてこられたのか……不運だったな。ジョルジーナ……俺はあの女に頼まれて、店を開くのに邪魔だった亭主と、2人の娘を殺してやったんだ。以来あの女は俺の奴隷だ」

 ノラとサリエリは部屋を飛び出すと、地上に繋がる階段に向かって一目散に駆け出した。2人は階段の一番上まで辿り着くことが出来たが、その先の扉には鍵がかかっていてびくともしなかった。

「あまり俺を怒らせるなよ。お前等の前に連れてこられた餓鬼は、3日ともたなかった」

 赤禿の男はのんびりと後を追いかけてきて、階段の下から、ドアノブをがちゃがちゃしている2人に声をかけた。

「子供をボイルする気なんかなかったんだ。あいつ等がうるさく泣くから……」

 赤禿の男はぼそぼそと言い訳して、ノラとサリエリを震え上がらせた。

「俺の名はシュテファン・ババコワ。……安心しろ。仕事は俺が丁寧に教えてやる。すぐに慣れる。なにも感じなくなる」

 その日から、ノラとサリエリは地下室に閉じ込められた。日の光の入らない地下は常に薄暗く、昼なのか夜なのかもわからなかった。外が覗けるのは、夕方、シュテファンが出かけて行く僅かの間だけだった。

 シュテファンは一見温厚で、物静かな男だった。暴力をふるうことも、声を荒げることもなかった。そしてとても、まめだった。

 シュテファンは暇さえあれば掃除や洗濯や、道具の手入れをし、どこかから仕入れてきた材料で料理をした。殺人鬼が作った料理なんて食べたくなかったが、あまりにお腹が空いていたので食べたら、美味しかった。残さず食べると、シュテファンは喜んで、2人の頭をぐりぐりと撫でた。

 ノラとサリエリはシュテファンの機嫌を損ねないよう、神経をすり減らして生活した。壁際でぴったりと身を寄せ合う2人を、シュテファンは時々、羨ましそうに見た。

「仲良くしろよ。俺は兄弟喧嘩を見るのがこの世で一番嫌いなんだ」

 奇妙な共同生活をはじめて、3日目のことだった。ジョルジーナの恋人のクライド・リンフットがシュテファンを訪ねてきた。

 はじめノラを我が娘のようにかわいがっていたクライドは、ジョルジーナの態度が急変してからというもの、ノラに構わなくなっていた。なのでその日も無視されるかと思ったら、クライドは暗闇に蹲るノラに近寄ってきた。

「ノラ、元気にしていたかい……?」

 クライドは弱々しい声でたずねた。ノラは答えずに、荒んだ目でじっとクライドの顔を睨んだ。

「ごめん……ごめんよ……助けてあげられなくて……俺はジョルジーナには逆らえない。あの女は悪魔だ。邪魔な者は肉親だろうが友人だろうが、ためらいなく殺す。俺もそのうち殺される」

 クライドは項垂れて、恐怖におののく心中を吐露した。

「……おい。仕事の話をしに来たんじゃなかったか」

「あ、ああ……そうだった……」

 クライドはシュテファンに連れられて、奥の寝室に入って行った。

 ノラとサリエリは、寝室の扉がしっかりと閉じたことを確認してから、お互いの顔を見合わせた。2人はしっかりと見ていた。クライドが地下室に入ってくるとき、ドアのかぎを閉め忘れたことを。

 逃げるなら今しかない!

 ノラはこっそりと荷物を抱え、サリエリはシュテファンが今しがた手入れしていた、刃渡り15センチほどのナイフを手に取った。

 2人ははやる気持ちを抑え、物音を立てないようそろそろと階段を上がった。扉は難なく開き、1階の廊下に出ることができた。

 外は年に1度あるかないかの土砂降りで、近くの窓硝子をつぶてのような雨が勢い良く叩いていた。まだ昼間だというのに、印刷所の中は夕暮れ時のようにほの暗かった。

 向こう脛をぶつけ、蜘蛛の巣に引っ掛かり、苦労して出口まで辿り着いたその時だ。

 だんだんだんだん!という、音が聞こえてきて、ノラとサリエリは震え上がった。2人の脱走に気付いたシュテファンが、階段を駆け上ってくる音だ。

 ノラとサリエリは嵐の中に飛び出すと、無我夢中で走り出した。途中で背後を振り返ると、シュテファンを足止めようとしたクライドが、斧で切り付けられているところだった。

「クライド……!」

 クライドが崩れ落ちるように倒れ、ノラは思わず立ち止まった。地面にみるみる赤いものが広がっていった。ノラは竦み上がった。

「あっ……」

 土砂降りの雨の向こう側から、シュテファンの血走った眼がノラを射抜いた。彼は大きな斧を振り上げ、ノラ目掛けて猛然と駆けてきた。

「い、いやっ……」

 逃げなければと思うのに、足が震えて言うこときかない。シュテファンがすぐ目の前に迫り、ノラは尻餅をついた。

 シュテファンが斧を振り上げ、もう駄目だ!と死を覚悟したその時、ノラの横を一陣の風が駆け抜けた。

(え……!?)

 前を走っていたサリエリがノラとシュテファンの間に飛び込んで、シュテファンの巨大な斧を、地下室から持ち出した小さなナイフで受け止めたのだった。

(無理よ!敵うわけない!)

 シュテファンはナイフごとサリエリを切り殺そうと言うように、斧を握る手に力を込めた。頭の上からのし掛かられたサリエリは、べしゃりと地面に片膝をついた。

 押し負けるのも時間の問題だ。このままではサリエリが殺されてしまう!

「止めてー!」



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