新しい絆
著作権は放棄しておりません
無断転載禁止・二次創作禁止
いつまで経ってもマリは戻って来ず、事態を重く見たノラとオリオは、手分けして辺りを捜しまわった。
「マリー!マリー!」
「マリー!どこだー!……参ったなあ。もうすぐ夜になるぞ」
付近にマリの姿はなく、2人は天を仰いでため息をついた。赤みがかった空には、ちらちらと星が瞬いていた。
「かわいそうに……なにか事情があったに違いないよ」
刻一刻と日暮れが近付く中、真っ先にマリを発見したのは、ノラに懇願されて捜索に参加していた、悪魔のミライだった。ミライはきこりに化けると、橋の袂に座り込むマリの背後に忍び寄った。
『金が欲しいなら、もっと上手くやるんだな』
「違う!俺はねこばばなんかしていない!」
マリは憎しみに燃える瞳でミライを睨み、悲痛な声で訴えた。
「売ってもらえなかったんだ……!余所者にやる商品はないと言われた!その上、盗んだ金だと疑われて……!」
『それならそうと、正直に打ち明ければ良かったんだ』
「俺がなにを言ったって、どうせ信じてもらえないよ!奥さんは俺のことを、家の金に手を付けるような、ずるい子供だと思っているんだ!」
捨て鉢になっているマリは、事態を悲観して言った。
「こんな町、出て行ってやる」
『いいのか?』
「いいさ。遅かれ早かれ追い出されるんだ。今までもずっとそうだった。また元の生活に戻るだけだ」
『だが、金はどうする?先立つものが必要だろう』
「どこかの家に盗みにでも入る。そう言えば、少し先にでかい屋敷があったな……」
マリはオシュレントン邸に狙いを定めたようだった。早速行動に移ろうと立ち上がったマリを、ミライは呆れ顔で見やった。
『ノラはどうする?お前が出て行ったと知れば悲しむぞ』
マリは荒んだ目で地面を睨んで、肩をすくめて見せた。
「どうかな。わからんさ」
『だが、あの子はお前に懐いている』
「余所者が珍しいだけさ。そのうち俺という人間の浅ましさに気付いて離れて行く。俺がいなくなって、本当の意味で悲しんでくれる人間などいやしないんだ。今までも、これからも……」
『…………』
「だが……そうだな。町を出る前に、挨拶くらいはして行こうか。一応命の恩人だし、また騒がれちゃ敵わないからな」
マリが皮肉っぽく言って、ミライは『やれやれ』と深いため息を吐いた。
『おめでたいお坊ちゃんだ。まだ気付いていないのか……』
「?……なに?」
『小さなことでへそを曲げて、挙句盗人になるなどと……なんて情けない。これでは高い犠牲を払ってまで助けた甲斐がない』
ミライが意味深長にぼやくと、マリは怪訝そうに眉を寄せた。
「どういう意味だ?……待て。お前は……誰だ?」
マリは目の前のきこりが見覚えのない人物であることに、ようやく気付いたようだった。
きこりの男は1度にたりと微笑むと、自分の鼻をくすぐって、大きなくしゃみをした。その拍子に、きこりの男の体は銀色の灰になり、風に乗ってどこかへ消えてしまった。後には狼狽するマリと、頭に角を生やした不格好なネズミが残された。
『私はパン焼き窯の悪魔。この世で最も偉大な悪魔学者、ノラ・リッピーに仕える者』
ミライは芝居がかった口調で、張り切って自己紹介をした。へんてこな悪魔の登場に、マリは目を白黒させた。
「あ、悪魔学者だって……?ノラが?」
そんなまさか……と、俄かには信じられない様子でマリは言った。
『疑いたくなる気持ちもわかるが、あの子は正真正銘の魔学者だ。お前たち人間が言うところのな』
ミライは自分のことのように得意げに保証した。
『証拠に、私と出会ってあの子はすでに2つの願いを叶えている。そのうちの1つは……』
「まさか……」
『そのまさかさ。生死の境をさまようほどの重傷が、ほんの2、3日で治るわけなかろう』
ミライが嘲るように種明かしをして、マリは言葉を失くした。マリが動揺するとミライは満足して、にたりと笑った。
『奇跡が起きたとでも思ったか?……間抜けめ』
「…………」
『細くて綺麗な髪だったのに。年頃になって後悔しなければ良いが……』
言いながら、ミライは眩しそうに目を細めて道の先を見つめた。釣られてそちらに視線を向けると、一心不乱に駆けてくるノラの姿が見えた。
『逃げ出そうと、盗賊に身を落とそうと、お前の勝手だがね』
「…………」
『このたびの1件で、お前とあの子の間には不思議な絆ができてしまった。正しく、切っても切れない縁というやつだ。良かったな、お前は1人じゃないぞ』
ミライはそれだけ言うと、ボンっ!と音を立てて銀色の煙になってしまった。
ミライが消えてしまうと、マリのもとへノラが駆けつけてきた。ノラはマリのそばまでやってくると、おろおろしている彼の手を、柔らかく引いた。
「帰ろう……お母さんが、すぐに帰ってきなさいって……」
マリはノラの後を、大人しく付いてきた。
家に帰りつくと、リビングから母が飛び出してきた。母はノラとマリが一緒にいるのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。
「私だって鬼じゃあないんです。お小づかいが欲しいならそう言ってくれれば……」
「違うんです。母上……違うんです」
マリは早速お説教をはじめようとする母に向かって、話を切り出した。商品を売ってもらえなかったことや、あらぬ疑いをかけられ財布を没収されたことなど、包み隠さず、すべてを打ち明けた。説明に困りそうになると、リビングのドアのところから心配そうにうかがっているノラの顔を見つめ、落ち着きを取り戻した。
「どうしてすぐに言わないんです!?」
事情が分かると、母はすぐさま問題の発言をした人物の家へ―――パーラーの経営者で、クリフォードの家の大家のマルタ・ブレトンだ―――出かけて行って、財布を取り返してきた。マリは財布と一緒に連れてこられたマルタに深々と謝罪され、呆気にとられていた。
「またこんなことがあったら、直ぐに言うんですよ」
「わ、わかりました」
「買い物は明日からお願いしますね」
その夜、母は今日のお詫びにと、子供たち三人に蜂蜜入りのミルクを振る舞った。
ノラとマリは二階の窓辺に並んで腰かけて、星空を眺めめながら、母特製の甘いミルクに舌鼓を打った。
「どうして直ぐに本当のことを言わなかったの?」
「さあ……どうしてだろうな。忘れちまったよ」
ノラがたずねると、マリはきまり悪そうにはぐらかした。
「お前……お前さ……」
「ん?」
「……俺が好きか?」
代わとばかりに、マリは聞き返した。
「うん。すきー」
ノラは間髪入れずに頷いた。そんなノラの頭を、マリは愛おしそうに何度も撫でた。
「この町を、嫌いにならないでね」
「ならないよ。お前が育った町だもの」
事件があった翌日から、マリはいっそう仕事に励むようになった。朝は早くから起きて家畜の世話をし、朝食を支度して、家族を起こす。もう廊下を水浸しにすることも、風に飛ばされた洗濯物を追いかけることもない。
マリのおかげで、リッピー家の……特に母ベスタの朝はずいぶん優雅になった。
「あまり無理はしないでね。こういうことは、できただけで良いのよ」
「いいえ母上。やらせてください。やりたいんです」
生き生きと働くマリを、母はだんだん我が子のように慈しむようになった。というのも、マリには良く働くという以上に、気難し屋の母を満足させる点があった。
「良くできた子だよ。あんな良い子は今時見かけないよ」
母に代わって買い物に出かけるようになると、美しく礼儀正しいマリは、あっという間に市場の人気者になった。
「綺麗な子だなぁ。クリフォードもなかなかの美少年だと思っていたけど、あの子はそれ以上だ。利口そうだし、気品があるよ」
「本当にね。こんなことなら、うちで預かるんだった」
町の人たちの賛辞は母の虚栄心をくすぐったが、思わぬ事件も引き起こした。注目を浴びる母を羨んだヘンリエッテ・グッドマン―――ノラの宿敵、シルビアの母だ―――が、マリを引き取りたいと言い出したのだ。
「この家には子供が二人もいるし、こう言ってはなんですけど、手狭でしょう?その点、我が家には部屋がたくさん余っているわ」
ある日突然訪ねてきたヘンリエッテは、挨拶もそこそこにリビングに上り込むと、家事に勤しむマリを捕まえて切り出した。
「私たちはあなたを、正式なお客様としてお迎えするわ」
「はあ……」
「どうかしら?あなたさえ良ければ、うちにこない?」
困惑したマリは、呆気にとられている母に、視線で助けを求めた。我に返った母は、気を引き締めて、無礼なヘンリエッテを睨んだ。
「勝手なことを言わないでちょうだいヘンリエッテ。マリはうちで預かっているのよ」
「私は良かれと思って申し出ているだけよ。この子だっていつまでも貧しいリッピー家に居候するのは、心苦しいんじゃないかしら?」
「なんですって!?」
「気に障ったのならごめんなさいね。でもあなた、下働きのような仕事をさせているんですもの。よっぽど苦しいんじゃないかと思って」
「引き受けた以上、私にはこの子をしつける責任があるんです。労働は教育の一環です」
「教育と言うなら、学校くらい通わせるべきだわ」
「その言葉あなたに言われるとは思っていなかったわ」
母とヘンリエッテは向かい合って火花を散らした。数秒の睨み合いの後、先に視線を逸らしたのはヘンリエッテだった。
にらめっこに勝利した母が喜ぶ間もなく、ヘンリエッテはマリに向き直った。
「ねぇ、うちにいらっしゃいよ。洋服も靴も新しいものを買ってあげるし、南側の一番広いお部屋を用意するわ」
「ヘンリエッテ!」
「怒鳴らないでよベスタ。決めるのはこの子よ」
母は続きの言葉を飲み込み、ヘンリエッテは期待のこもった瞳でマリを見つめた。2人の女性から異なった視線を注がれると、マリは俄かにたじろいだ。
「ありがたいお話ですが、お断りします」
少しして、マリはきっぱりと拒絶の言葉を口にした。
「どうして?遠慮することはないのよ」
断られるとは思いもしなかったようで、ヘンリエッテは不思議そうな顔をした。
「新しい洋服も広い部屋も、俺には必要ありません。俺は今、とても幸せなんです」
「まあ……」
「仕事だって、辛いことなんて1つもありません。母上は俺よりたくさんの量を、毎日1人でこなしているんだから」
マリは満点の回答をして、母をいたく感動させた。
「母上。そろそろ買い物に行く時間なので失礼します。帰りにノラを拾ってくるので、遅くなるかもしれません」
「ええ、ええ、お願いしますねマリ」
「では、行ってまいります」
その頃、自宅でひと騒動あったことなど知りもしないノラは、学校で友人たちに囲まれていた。話題はもっぱら、最近町中で目撃されている、リッピー家の居候のことだ。
「この間、お屋敷の前の道で見かけたの。隣に並んだティボーとグラエムがかぼちゃに見えたわ」
「うちのお父さんは、貴族か、裕福な家のお坊ちゃんなんじゃないかって。孤児にしてはすれてないし、所作が綺麗だからって」
友人たちが口々に言って、ノラはまるで自分が褒められたみたいに鼻を高くした。町1番の美少年の称号を奪われたクリフォードは、面白くなさそうだった。
「ねぇノラ、私たちにも紹介してよ。1度お話ししてみたいわ」
「どうしよっかなあ。彼、けっこうシャイなのよね」
ノラは懇願するトリシア・フォローズ、カレン・ウォルソン、エレオノーレ・アレシに、もったいぶってみせた。
「そんなこと言わないで。お願いよ」
「うーん、でもねぇ……」
カレン達とそんなやり取りをしていると、聞き耳を立てていたシルビアが近寄ってきた。シルビアは高慢ちきに、細い鼻を鳴らした。
「いい気になっていられるのも今のうちよ、ノラ」
「?どういう意味よ?」
「彼は今日から、うちで預かることになったの」
シルビアが勝ち誇った風に告げて、ノラは仰天した。
「今頃、うちのママが迎えに行ってるわ」
「うそよ、そんなの」
「うそじゃないわ。彼には私のお兄様になっていただくのよ。下男のような扱いしかしないリッピー家には、二度と戻らないと思うわ」
シルビアが余裕たっぷりに言い、ノラを怖がらせた。しかし『本当に出て行ってしまったらどうしよう?』などというノラの不安は、1時間後には解消された。
「ノラ」
町で買い物を済ませたマリが、ノラを迎えに来たのだった。マリが教室に入ってくると、ざわざわと騒がしかった教室の空気は一変した。
「マリ!」
「もう終わるんだろ?待っているから、一緒に帰ろう」
「ね、ねぇマリ。さっき聞いたんだけど……」
ノラが言いかけた言葉は、何者かの妨害により、あと少しのところで飲み込まれた。
「おい寝ぐせ。そこを退けよ。席に戻れないだろ」
近くの席でベン・ウォルソンとお喋りしていたクリフォードが、つかつかと歩み寄ってきて、ノラの髪の毛を引っ張ったのだった。
「痛いじゃないの。もう」
「髪の毛くらいとかしてこいよな」
「とかしたけど、直らなかったの」
ノラは口を尖らせて反論した。ノラが寝ぐせを抑えようとすると、代わりにマリの手が伸びてきて、ノラの髪にそっと触れた。
「お前は男だろう。女の子をそんな風にからかうんじゃない」
マリは厳しい口調でクリフォードをたしなめた。
「なんだよ。あんたには関係ないだろ」
「あるさ。俺は母上から、彼女の一切を任されているんだ。彼女を傷付けることは、俺が許さない」
「傷つける?俺がいつこいつを傷つけたって言うんだ?」
マリの言い分に、クリフォードは耳を疑った。クリフォードはやれやれと首を振った。
「おい兄ちゃん、こいつは授業中によだれ垂らして寝るような、図太いやつなんだぜ」
寝ぐせをからかわれたくらいじゃ掠り傷もつかないと、クリフォードが主張して、ノラは羞恥にほほを染めた。
「よ、よだれなんか垂らしてないよ!」
「垂らしてるよ」
「垂らしてないってば!」
「お前は寝てるから、気付かないんだよ」
聞き耳を立てていたシルビアとカレンがクリフォードに『そうだそうだ』と加勢し、教室中にくすくす笑いが起こった。ノラは歯噛みして悔しがり、クリフォードは勝ち誇った。
「もう止めるんだ。さもないと5年後、惨めな思いをすることになるぞ」
マリはクリフォードに、厳しく忠告した。
「どういう意味だよ?」
「美しく成長した彼女の隣に並ぶのが、お前ではないからだ。少なくとも今のままじゃな」
「はあーん?」
マリはクリフォードを威圧的に見下ろし、クリフォードはマリを負けじと睨み返した。
「ノラはとびきり美人になるよ。心が清く美しいもの」
マリが断言して、クリフォードは度肝を抜かれた。
「これで良いんだよ俺達は。だいたい、ノラが女の子ってがらかよ」
クリフォードは満更でもなさそうなノラを忌々し気に見て、吐き捨てるように言った。
「お前もちゃんと言え。いちいち迎えになんか来るなって。俺がいつでも送ってやるんだから」
クリフォードはノラをじろりと睨んだ後、ぷりぷり怒って、自分の席に戻ってしまった。いじめっこを撃退したマリは、ふぅ。と小さく息を吐いた。
「じゃあ、外にいるから。終わったら来いよ」
「う、うん……ねぇマリ。マリはどこへも行かないよね?ずっとうちにいるよね?」
ノラが恐る恐るたずねると、マリは虚を衝かれたように目をまん丸くした。
「……行かないよ。俺はずっとお前のそばにいて、お前を守るよ。そう決めたんだ」
マリが宣言すると、聞き耳を立てていた少女達が黄色い悲鳴を上げ、デイビッド・ホールドがぴゅーと口笛を吹いた。クリフォードは苛々と足を揺すり、シルビアは舌打ちした。
その夜。
「俺が、この家の子供に……?」
夕食が終わった後、父と母は部屋に戻ろうとする子供たちを、大事な話があると言って引き留めた。話の内容は、マリを正式にリッピー家の養子にするというものだった。
「ずいぶん前から考えてはいたんだ。世間からすると、君はもう大人の助けが必要な年齢ではないし、突然こんな話をして困らせるのはわかってる。しかしどうにも、我々は君のことがかわいくなってしまってね」
「…………」
「どうだろうか?君さえ良ければ、我々の家族になってはくれないだろうか?」
父がたずねると、みんなの期待に満ちた視線が、マリに集中した。あまりに急なことで、マリはまごついた。
「その……とてもありがたいお話で、俺、なんて言ったら良いか……」
マリの頬は火照ってバラ色になり、瞳は潤んで、夜空の星を閉じ込めたようにきらきらと輝いた。彼が喜んでいるのは明白で、父と母は顔を見合わせて微笑んだ。
「返事は急がなくて良いよ。ゆっくり考えてくれ」
部屋に戻った後、マリはノラに向かって、それとなくたずねた。
「お前、俺が兄貴になったらうれしいか?」
「うん。でも、マリ・リッピーって変な感じ」
「マリアン」
「え?」
「本当の名前は、マリアンって言うんだ」
マリが改めて自己紹介をすると、ノラの胸に一抹の不安がよぎった。ノラはもうずいぶん前から気付いていた。マリは記憶を失くしてなんかいない。
「マリアン……いい名前ね」
ノラは素知らぬ顔でお愛想を言った。知らんぷりしていれば、なにごともなく平和な日々が過ぎて行くことを、ノラは知っていた。