ジョルジーナの正体
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「あんたの連れの坊や……見たところ、かなりやばい仕事をさせられてるよ」
コゼットはカウンターの中から高い酒を持ち出してグラスに注ぎ、お気に入りのソファにどしん!と腰かけた。
「ジョルジーナはあんた達みたいな孤児を手下にして、町で稼がせるんだ。運び屋やすりや、かっぱらいなんかでね。こんな贅沢な店がいつまでも潰れないのは、そういう理由さ」
コゼットは上等の酒を口に含むと、胸元から陶器でできたパイプを取り出し、その火皿に葉を詰めて火をつけた。ノラはコゼットが煙を深く吸い込んでゆっくりと吐き出すのを、青い顔で見つめた。
「嘘だと思うのなら、店のみんなに聞いてみると良い。公然の秘密ってやつさ。マダムを怖がって口にしないだけで」
「…………」
「あんたの彼氏は相当荒稼ぎしているようだね。ここんとこ、あの女が上機嫌だから」
コゼットは肩を震わせて、くつくつと笑った。
「ジョルジーナは、行く行くはあんたにも客を取らせるつもりだよ。彼氏が駄目なら、あんた1人でも逃げるんだね。取り返しがつかなくなる前に」
コゼットはグラスを空にして立ち上がると、2度と戻らないつもりで、店を出て行った。
部屋に戻ったノラは苦悩した。
(どうして気が付かなかったんだろう……?)
おかしいと思うことなら、たくさんあった。店の雑用をしているはずなのに、1度もサリエリの姿を見かけていないし、彼が誰かと一緒に仕事をしているところを見たことがない。毎日くたくたに疲れ果てているし、顔や体に傷を作って帰ってくる日もあった。
(仕事って、どんな……)
ノラが恐ろしい想像に囚われ、悶々としていると、サリエリが帰ってきた。
お帰り。そう口にしようとした声は悲鳴に変わった。
「その怪我、どうしたの……!?」
サリエリの膝は大きく擦り剥けて、血が滲んでいた。ノラがたずねると、サリエリは苦笑した。ノラは顔色をなくした。
「あ、あのね。コゼットから聞いたんだけど、あんた……」
危険な仕事をさせられているんじゃない?
ノラは喉元まで出かかった追及の言葉を、ごくりと飲み込んだ。
(聞けない……!)
サリエリが悪事に手を染めたのは、他ならぬノラのためだ。高熱を出したノラに、高い薬を飲ませるため。清潔なベッドと、温かな食事を与えるため。そして打ち明けなかったのは、ノラを心配させないためだ。
「…………」
病気が早く良くなりますようにと、毎日欠かさず買ってきてくれた贈り物。思いやりに溢れた1つ1つを思い出すと、ノラは胸が潰れそうになった。
「なんでもないの……」
話の途中で黙り込んでしまったノラを、サリエリは心配そうに覗き込んだ。ノラは溢れだしそうになる涙をぐっと堪えてほほ笑んだ。
「考えたんだけどさ……」
ノラはサリエリの傷を手当てしてやりながら切り出した。
「……そろそろまた、旅に出ようか?」
「?」
「私も元気になったし、ここの生活も飽きちゃったしさ……」
「…………」
「また、2人きりに戻ろう」
何食わぬ顔で店の仕事を終えた、その夜。
「仕事を辞めたい?」
ノラは給金をもらうために入った事務所で、ジョルジーナに切り出した。
「はい。どうもすみません……」
「すみませんって……どうしたんだい?急にそんなこと言い出すなんて……」
ジョルジーナは困惑する素振りを見せた。
「もしかして、一昨日私が怒ったのを気にしているのかい?」
「いいえ、マダム」
「なら、いったいどうして?お給金が不満かい?それとも、嫌な客がいた?……なにか重大な理由があるんだろ?」
ジョルジーナは矢継ぎ早にたずねた。困り顔のジョルジーナはとても悪人には見えず、ノラは罪悪感に苛まれた。口を開けばいらぬことまで喋ってしまいそうで、ノラはだんまりした。
「……わかった。コゼットだね?あいつが妙なことを吹き込んだんだろう?あいつは腹いせをしようとしただけさ。逆恨みだよ」
ジョルジーナはコゼットの顔を思い出し、ちっと舌打ちした。
「まだはじめたばかりじゃないか。せっかく仕事を覚えたのに……辞めてしまうのはもったいないよ。もう少し続けてごらんよ」
ノラが返答に困って靴の先を見つめていると、ジョルジーナはぱんっ!と両手を打ち合わせた。ノラはびっくりして顔を上げた。
「そうだ!お休みをあげるよ。そういえば働きはじめてから、1日もあげてないもんね。いいよいいよ、サリー坊やと一緒に羽根を伸ばしておいでよ」
「…………」
「おいしいものでも食べてのんびりすれば、気持ちも晴れるさ。だが、くれぐれも気を付けて行くんだよ。今町にはかの有名な、ロザリンダ・スカリが来ているという噂だ」
「?……ロザリンダ・スカリ?」
「国中を騒がせている神出鬼没の大悪党、悪魔の道具で盗みを働く窃盗団の親玉さ」
ジョルジーナはデスクの引き出しから新聞を取り出して、ノラの目前に置いた。新聞には今世間を騒がせている、シュテファン・ババコワという名の殺人鬼の記事が載っていた。
ノラは新聞を受け取ろうとして、その上に銀貨が1枚置いてあることに気付き、ぎくりとした。
「特別ボーナス。他の連中には内緒だよ」
ノラは迷い悩んだ末、銀貨を新聞と一緒に押し返した。
「……私達、また旅に出ることにしたんです」
ノラが申し訳なさそうに告げると、ジョルジーナの目付きが変わった。ジョルジーナはいらいらと足を揺すった。
「マダムには本当に感謝しています。見ず知らずの私たちに、親切にしていただいて……」
「…………」
「短い間でしたが、お世話になり……」
ジョルジーナはノラが言い切るのを待たずに、立ち上がってバーン!とデスクを叩いた。ノラはびくりと肩を震わせ、ジョルジーナを見た。ジョルジーナは怒りで顔を真っ赤にし、鷹のように鋭い目でノラを睨んでいた。
「なに勝手なことを言ってるんだい!任された仕事を自分達の都合だけで放り出すなんて、許されるはずないだろ!?」
ジョルジーナは大声で怒鳴り散らし、ノラは面食らった。
「どうしても出て行くって言うなら、借金を返済してから出て行きな!」
「借金……?借金って、なんのことですか……!?」
「あんたに飲ませてやった薬代、毎日の食事代、部屋代、あんたが今着ているドレスに、先日あんたが割ったグラスと酒、お客の上着の弁償金……合わせて200万ピチ。耳を揃えて返せるってんなら、直ぐにでも辞めさせてやるよ」
「そんな!話が違います!」
ノラはジョルジーナに食ってかかった。グラスや酒はさておき、サリエリが働く代わりに、部屋代や食事代はただで良いという約束だったはずだ。
「馬鹿だねぇ。うちはこの界隈でも1、2を争う高級宿なんだよ。坊や1人の稼ぎで、そう何泊も泊まれるはずないだろ」
ジョルジーナはノラの主張を一蹴して、けらけらと笑った。
「む、無理です。200万ピチなんて……」
そんな大金、とても払えない。ノラはがたがたと震えた。
「返済が終わるまではここで働いてもらうよ。なに、あんたは器量が良いから、半年も真面目に働けば返せるさ。……逃げようなんて思うんじゃないよ。サリー坊やが困ったことになるからね」
ジョルジーナはにやりと暗く笑った。
「あの子はこちら側の人間なのさ。足を洗おうと思ったら、それなりの覚悟が必要だ」
ジョルジーナの言葉の意味を理解すると、ノラは唇をわなわなさせた。色々あってノラの家出に付き合っているが、サリエリは来年には国立魔学校へ入学する予定だ。もしも憲兵に突き出されたりしたら……
(だめ!それだけは……!)
ノラは激しく頭を振って、恐ろしい想像を打ち消した。
「……さあ、もう部屋へ戻んな。子供は寝る時間だよ」
ジョルジーナに事務所を追い出されたノラは、すごすごとサリエリが待つ部屋に戻った。
ノラが部屋に入って行くと、サリエリは、どうだった?と瞳でたずねた。涙が溢れそうになったが、ノラはぐっと堪えた。
「あのね……旅に出るの、少し待ってくれる?」
これ以上余計な心配をかけるわけにはいかない。自分1人で解決しよう。そう心に決めて、ノラは切り出した。
「ほら、急に辞めたらお店も困っちゃうだろうし……お世話になった人達だから、最後はちゃんとしたいの」
疑う様子はなく、サリエリはうんと頷いた。ノラはほっと胸を撫で下ろした。
ジョルジーナに退職を願い出てからというもの、ノラはお店に出ても、叱られることが多くなった。
ジョルジーナはノラを、まるで毛虫でも見るみたいな目で見るようになり、影響された従業員達の態度も冷たくなった。特に給仕係のホセバ・ドミンゲスは、あからさまに意地悪な態度をとった。
やりがいを見い出せなくなったノラの表情は、日に日に暗くなっていった。愛想のない子供にお客が興味を抱くはずもなく、ノラはだんだん席に呼ばれなくなった。
ドアの脇に1人立ち尽くす日が続いた、ある日のこと。
サリエリが夕方になっても帰ってこず、心配になったノラは、腹をくくってジョルジーナに会いに行った。ジョルジーナはノラが事務所に入って行くと、顔をぐにゃりと歪めた。
「なにか用かい」
ジョルジーナは険悪な声でたずねた。気持ちで負けないように、ノラは背中でぎゅっと拳を握りしめた。
「サリエリが、まだ帰ってこないの」
ノラが挑戦的な口調で言うと、ジョルジーナは赤い唇をにっこりと引き伸ばした。妖艶な笑顔に、ノラは肝を冷やした。
「大きな仕事がしたいと言ってきたので、貴族の屋敷に盗みにでも入ったらどうかと勧めてやったよ。早く借金を返して、あんたと旅に出たいんだと」
な、なんだって……!?
「今頃は憲兵に捕まってるか、屋敷の地下室で拷問されてるか、ひょっとすると……」
ノラはジョルジーナの言葉を待たずに、店を飛び出した。
(どうしようっ……!)
ノラは泣きながら、夕暮れ時の路地を駆け回った。
(無事でいて!サリエリ!)