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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
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ノラの初仕事

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 夕暮れになり、仕事がはじまる時間が近付くと、それどころではなくなった。ピアノ弾きのベイジル・オルドリッジが出勤してきて、階下から練習の音が響いてくると、ノラの緊張は頂点に達した。

「ノラ。店のみんなに紹介するから、一緒においで」

「は、はあい……!」

 部屋の中が真っ暗になる頃、ノラはジョルジーナに連れられて回り階段を下りた。

 1階の接客スペースには制服やドレスを纏った従業員達がいて、仕事がはじまるまでの時間を思い思いに過ごしていた。

 給仕係のホセバ・ドミンゲスとポール・ドミンゲス、ドアマンのブラウン・クルサードはソファ席でカードゲームをしていた。広い両開きの玄関を背にして右手にあるその席は、通路よりも3段ほど床が高く、上ると広い店内を見渡せた。

 一方左手のソファ席は通路よりも床が低く作られていて、そちらではドレスを着た女達が―――ヴェラ・アンゾレッティ、アンヌ・オードラン、コゼット・シャバネル―――クラレンス・ファウラー(彼はお客様の馬車を預かる係だ)とっておきの冗談に、お腹を抱えて笑い転げていた。

 残りの女達……パルミラ・ジアネッラはピアノに寄りかかってパイプを吹かし、スザンナ・ロ・ビアンコは料理人見習いのロランド・ブラッサンスとカウンターの中でお喋り。最年少のミレーナ・デヴェヌートは、ピアノの奥の席で1人、化粧を直していた。

「みんな注目。新しい子を紹介するよ」

 ノラとジョルジーナが下りて行くと、キッチンや外にいた従業員も―――料理人のミッシェル・アルドンス、料理人見習いのサムソン・ドモンジョ、ゴンサロ・デスカルガ、クラレンスの手下で、馬車を預かる係のガスパール・エモン―――集まってきた。みんなの視線が集まると、ノラは緊張した。

「今日から店に立ってもらうノラだ。ほら、自己紹介して」

「ノラ・リッピーです……」

 ノラがおずおずと自己紹介すると、ドアマンのブラウン・クルサードが手を挙げた。

「歳は?」

「今年で16歳だ。ぴちぴちだろ?手出すんじゃないよ」

 ジョルジーナはしれっと嘘をついて、従業員達を困惑させた。

『16歳?嘘よ……』

『どう見たって12、3歳でしょ……?』

 スザンナ・ロ・ビアンコが呟き、アンヌ・オードランがヴェラ・アンゾレッティに囁いた。

「ノラの担当は当分、1階だけだからね。……ミレーナ。面倒見ておやり」

 ジョルジーナな従業員達の疑いの目を無視した。指導係を任命されたミレーナ・デヴェヌートは、ちっと舌打ちした。その様子を見たパルミラ・ジアネッラがけらけらと笑った。

「頑張るんだよ。辛いこともあるだろうが、それがお仕事ってもんだからね」

 ジョルジーナはノラの肩に手を置いて激励した。

「はい、マダム・ジョルジーナ」

「私は奥の部屋にいるから、なにか困ったことがあったらおいで」

 ジョルジーナはノラをミレーナに預けて、カウンターの奥の部屋に引っ込んだ。

「よろしくお願いします。ミレーナさん」

 ノラはむっつりと口を引き結んでいるミレーナに、お行儀よく挨拶した。

「……あんた、ここがどういう店だかわかってんの?」

「マダムは、お酒を出すお店だって」

「間違っちゃいないけどさ……」

 意気込むノラを見て、ミレーナは深いため息をついた。

「あたし等の仕事は、お客さんに甘えて、ねだって、気分良くお金を使ってもらうことだ。間違っても悲鳴を上げたり、怒ったり、泣いたりしちゃいけないよ。どんな時でも笑顔で、お客さんのお酒の相手をするんだ。良いね?」

 ミレーナはノラに店内を案内しながら、仕事の説明をした。

「はい、ミレーナさん」

「それから、あんたの担当は1階だから、2階や3階には行っちゃいけない。男達に様子を見て来いと言われても、断るんだ。しつこいようなら私やマダムに相談しな。くれぐれも、先輩達の部屋を覗いたりしないように」

「はい、ミレーナさん」

「本当にわかってんのかね?」

 説明があらかた終わると、お店の開店時間になった。

 女達はドアの脇に整列し、最初のお客を出迎えた。ノラもミレーナの隣に立った。

「ヴェラ、今日もきたよ」

 ドアマンのブラウン・クルサードがドアを開くと、身なりの良い男性が入ってきた。男性はヴェラ・アンゾレッティの腰を抱いて、左手のソファ席へ案内されていった。

 ホテル・クリンゲルは評判の店で、お客は次々にきた。ノラは指導係のミレーナと一緒に、立派な口髭の紳士のテーブルに着いた。

「ノラです。よろしくお願いします」

 ノラが丁寧に自己紹介すると、髭の紳士は気を良くしたようだった。

「可愛いねぇ。お嬢ちゃん、歳いくつ?」

「16歳です」

「16歳?うそだろ?」

「……マダムがそう言えって。本当は10歳なの」

 ノラがあっさりと、正直に告白すると、髭の紳士はいっそう気を良くして、高いお酒や料理を頼んで、ノラに食べさせてくれた。すっかり自信を付けたノラは、故郷の町でやらかした失敗や悪戯の話をして、髭の紳士を笑わせた。

 しばらくすると、髭の紳士はミレーナと2人で階段を上って行った。

 一仕事終わってやれやれと思っていると、給仕係のポール・ドミンゲスが呼びに来て、ノラを別の席に引っ張っていった。ノラは店内をくるくると回って、ぜんぶのお客に挨拶させられた。中には不快そうに眉をひそめるお客もいたが、ノラは笑顔で頑張った。

 夜が更けてくると、女性とお客は、あらかた階上へ消えてしまった。疲れ切ったノラがソファでうとうとしていると、給仕係のホセバ・ドミンゲスがノラの肩を揺すり起こした。

「奥でマダムが呼んでるよ」

 仕事をはじめて、4時間ほどが経っていた。言われたとおり部屋に入ったノラを、ジョルジーナは上機嫌で出迎えた。

「お疲れ様。初仕事はどうだったね?」

「とっても楽しかったわ」

 ジョルジーナにたずねられたノラは、正直に答えた。だいたいのお客は優しかったし、美味しい料理も食べさせてもらえた。まずまずの出だしだ。

「そうかい、そうかい。そりゃあ良かった。私が思ったとおり、ノラは見込みがあるね。中には1日で音を上げる子もいるんだよ。もちろん、そんなことは私が許さないけどね」

 ジョルジーナはにこにこして言うと、ノラにエクウス銅貨1枚を手渡した。

「わ!1000ピチも!?」

「今日の分のお給金だよ。仕事を覚えれば、もっと稼げるようになるからね」

 ノラはお金を受け取ると、ジョルジーナにお礼を言って、嬉々として2階の部屋へ引き上げた。部屋ではサリエリが寝ないで待っていた。

「先に寝てて良かったのに」

 ノラが入って行くと、サリエリは心配そうに瞳を揺らした。ノラは苦笑した。

「お客さんとお喋りするだけの、簡単な仕事だったわ。緊張して損しちゃった」

「…………」

「お給金もこんなに貰ったのよ」

 ノラはサリエリにエクウス銅貨を手渡した。はじめてもらったお給金は、ノラを誇らしい気持ちにさせた。

「マダムが、私には見込みがあるって。他の仕事も覚えれば、もっと稼げるようになるって」

ノラがはりきって告げると、サリエリは表情を曇らせた。

「どうしたの?」

「…………」

「……怒ってる?相談しなかったから?勝手に決めたの、嫌だった?」

 ノラが不安そうにたずねると、サリエリは首を左右に振って、にこっとほほ笑んだ。

「私、がんばるからね」


 その日から、ノラは毎日店に出るようになった。

 ノラがホテル・クリンゲルで働きはじめて、数日が経ったある日のことだ。

「なあ。君、ここで働いてる子だろ?」

 部屋でごろごろするのに飽いたノラが、店の前でサリエリの帰りを待っていると、同い年くらいの少年が、気安い調子で声をかけてきた。

「そうだけど、なにか用?」

「俺、ロバートって言うんだ。これからデートしない?金はないけど、君を楽しませる自信はあるよ」

 ロバートは流し眼でノラを見て、男の子にしては長い髪を片手でかき上げた。気取った仕草に、ノラは眉を寄せた。

「悪いけど私、忙しいの」

 ノラはつんけんして言って、そっぽを向いた。

「そうは見えないけど?」

「連れが帰ってくるのを、ここで待ってるの」

「連れって、最近よく見かけるちびのこと?どうせお守をしてるだけなんだろ」

 ロバートが嘲るように言うと、ノラは今度こそ本当に腹を立てた。ノラが道を歩き出すと、ロバートはしつこく後を追い掛けてきた。

「じゃあ、名前。名前を教えてよ」

「…………」

「教えてくれたって良いだろ。それとも、言いたくないほど変な名前なの?」

 ノラが無視していると、ずんずん先を歩く彼女の前に、ロバートがぴょんっと飛び出してきた。ロバートはノラの肩に腕を回し、顔を近付けてきた。

「きゃっ……!なにするの!?」

 ノラはとっさに、ロバートの鼻を親指と人差し指で摘んだ。

「キスしようとしただけだよ。宿なんかで働いてるから、どんな女の子かと思ったら……君って結構お堅いんだな」

 ノラはロバートの鼻を摘む指にぎりぎりと力を込めた。

「痛たたた!……俺、気の強い子大好きなんだ」

 ロバートは赤くなった鼻頭を押えてえへへと笑った。

「私は軽薄な人は嫌いよ」

「また来るよ。じゃあね」

 ロバートはひらひらと手を振って去っていった。

 小さな失敗はままあったが、仕事は楽しく、いたって好調といえた。

 父親程の年齢のお客はみな、子供のノラのことをとてもかわいがった。ミレーナをはじめとした女性従業員達は親切で、暇を見てはノラに、女らしく見える仕草や、お化粧の仕方などを教えた。そのうち給仕係のポール・ドミンゲスや料理人見習いのゴンサロ・デスカルガとも仲良くなって、料理や酒を運ぶのを手伝うようになった。

「ノラが店に出るようになってから、客足が良いんだよ。あと1か月もすれば、ここはミミエスで1番の店になるよ!」

 実際、ノラが店に出るようになってからというもの、店は繁盛していた。お客はいつもより高いものを注文して、ノラに食べさせるのが楽しいようだった。

 働く時間は次第に延び、初日は11時に上がれたのが、0時になり、1時になった。

 事件が起きたその日、ノラがふと時計を見上げると、深夜2時をとうに過ぎていた。

「ノラ、これをお客様のテーブルに置いたらあがってくれ」

「はあい」

 給仕係のホセバ・ドミンゲスから、酒が注がれたグラスが乗った盆を受け取ったノラは、お客が待つソファ席へ向かった。眠くてたまらないノラが、ふらふらした足取りで、席へと続く階段を上ろうとした、その時。

「あっ!」

 ノラは段差に足を取られてつんのめった。盆はノラの手を離れて宙を舞い、運悪く反対側から歩いてきたお客に、グラスの中身がかかってしまった。

 ノラが酒をかけてしまったのは、最年長のコゼット・シャバネルのお客で、カルヴィン・ロリマーという男だった。しらふでも酒を飲んでも不機嫌で、別のお客や従業員が傍を通るたび、ちっと舌打ちする。ノラも好い顔をされた例がない、気難しい客だ。

 ノラはカルヴィンの全身がぶるぶる震えているのを見て、青ざめた。

「なんてことをするんだ!」



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