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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
新しい友達
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ホテル・クリンゲル

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 ノラが目を覚ましたのは、次の日の昼だった。ノラがきょろきょろと室内を見回していると、ドアを開けてジョルジーナがシーツを持って入ってきた。

「起きたのかい?良かった、なかなか目を覚まさないから、心配したんだよ」

 ジョルジーナはにっこりと、人の良さそうな顔でほほ笑んだ。

「私はこの店のオーナーで、ジョルジーナ・クレメルと言うんだ。従業員からは、マダム・ジョルジーナと呼ばれてる。……あんた、昨日熱を出して倒れたんだよ。覚えてないかい?」

「あ……」

「医者が言うには、疲れてたんだろうってさ。しばらくゆっくり休むと良いよ。この部屋は自由に使って良いから」

 ノラはジョルジーナの親切に、心から感謝した。

「助けてくれてありがとう、マダム。……なんてお礼を言ったらいいか……」

「気にしなくて良いんだよ。うちも人手がなくて困っていたんだ」

「人手……?」

「実はね、あんたの身体が良くなるまで、サリー坊やにうちで働いてもらうことになったんだ。部屋代と食事代は給料代わりさ。……なに、心配いらないよ。子供でも出来る簡単な雑用だから」

 ジョルジーナからこの部屋に運び込まれた詳しい経緯を聞いたノラは、またサリエリに迷惑をかけてしまったと、にわかに表情を曇らせた。

「あの、サリエリは……」

「坊やは今、ちょっとお使いに出てるんだ。もうじき帰ってくるだろうから、それまで寝ておいで」

 ジョルジーナはベッドのシーツを取りかえて、部屋を出て行った。

 1人になると、ノラはもう1度室内を見回した。ノラが横たわっていた反対側の壁際にもう一つベッドがあり、間には小さな丸テーブルと、椅子が2脚。ベッドとベッドの間の壁には窓があり、藤色のカーテンの隙間から光が漏れていた。

 ノラはベッドを下りて、窓辺に寄ってカーテン開いた。明るい日差しとともに爽やかな風が流れ込んできて、ノラはすがすがしい気持ちになった。

 ノラがしばらく窓辺に佇んでごちゃごちゃした町並を見下ろしていると、どたどた!と階段を駆け上がる音がして、サリエリが部屋に飛び込んできた。

 サリエリはノラの顔を見ると、安堵の表情を浮かべた。

「ごめんね。心配掛けて……」

 サリエリの慌てようを見て、ノラはすまなそうに謝罪した。サリエリは、『気にするなよ』と首を左右に振ると、ノラの背中をそっと押して、ベッドまでエスコートした。

「もう平気よ。熱も下がったし」

 ノラは強がったが、サリエリは『だめだめ』と首を横に振った。サリエリはノラを布団の中に戻すと、その額に手を当てて熱を測った。

「まだ眠くないわ」

 ノラは気恥かしさに頬を染め、子供のように口を尖らせた。サリエリは苦笑して、首を振るばかりだった。ノラは諦めて、大人しくベッドの上にいることにした。

「これからのこと、マダム・ジョルジーナに聞いたわ」

「…………」

「あの人、良い人ね。きっと子供が好きなのね」

 ノラが感謝と尊敬の念を込めて言うと、サリエリの瞳が僅かに陰った。しかしほんの一瞬の出来事だったので、ノラは彼の憂えに気付かなかった。

 それから1週間ほど、ノラはベッドの上で過ごすことになった。

 ジョルジーナはサリエリとの約束通り、ノラのために医者を呼び、高い薬を買い与え、滋養のある食べ物をたくさん食べさせた。

 ジョルジーナの店で仕事をはじめたサリエリは、毎晩くたくたになって帰ってきた。部屋に入るなりベッドに倒れこみ、ぴくりとも動けない日もあった。

 サリエリは病気のノラのために、稼いだお金でちょっとしたお土産を買ってきた。水飴や、卵、時に花だった。ささやかな、しかし一日も欠かすことないプレゼントは、ノラを驚かせ、励まし、喜ばせた。

 ノラはサリエリやジョルジーナに甘やかされて、みるみる元気を取り戻していった。

 平和な日が何日か続き、7月もあと数日で終わりというその日。いつものように仕事に出かけていたサリエリが、頬を真っ赤に腫らして帰ってきた。

「どうしたの?なにがあったの?」

 ノラがたずねても、サリエリは頑として理由を話そうとしなかった。

 心配になったノラはサリエリが小用に行っている間に、ジョルジーナの元へ彼の怪我の原因を聞きに行った。

「サリー坊やは本当に良くやってくれてるよ。真面目だし、手際も良いし、大人顔負けの仕事ぶりさ。今じゃうちで1番の稼ぎ頭なんだよ」

 ジョルジーナはサリエリを褒め称え、ノラを驚かせた。

「あの怪我は給仕のホセバ・ドミンゲスの仕業さ。見た目がまあまあ綺麗なんで雇ったんだが、どうしようもない乱暴者でね。格下と見ると直ぐに暴力をふるうんだ。私から良く言っておくから、堪忍しておくれ」

 ジョルジーナの回答に満足したノラは、いそいそとサリエリが待つ部屋に戻った。

「マダムがあんたのこと凄く褒めてたわよ。仕事が確かで、役に立ってるって!この店になくてはならない存在だって!」

 ノラはきょとんとするサリエリを捕まえて、興奮気味に伝えた。ノラはサリエリが褒められたことを、自分のことのように喜んだ。

「仕事で大人の人に信頼されるなんて、すごいわぁ!」

 ノラはサリエリを尊敬の眼差しで見つめた。ノラに褒められたサリエリは、満更でもなさそうにもじもじした。

「おやおや、あんた達そうしているとまるで夫婦者みたいだね」

 しばらくするとジョルジーナが様子を見に上がってきて、向かい合う2人をからかった。2人は頭の先から爪の先まで真っ赤になった。

「な、なに言ってるのマダム!」

「冗談だよぉ。でもその様子じゃあ、いつか本当になるかもしれないね」

 慌てふためく2人を見て、ジョルジーナはけたけたと笑った。

 その夜。ベッドに入ったノラは、サリエリの穏やかな寝息を聞きながら考えた。もしもサリエリがこのままジョルジーナの店で働き続けたら、どんな未来が待っているだろう?

「…………」

 お金を貯めて、外に部屋を借りて、2人で暮らしはじめて……サリエリが仕事に行っている間、ノラは部屋を掃除して、洗濯をして、美味しい料理を作って、彼の帰りを待つ。冒険は魅力的だけれど、平凡な毎日も、それはそれで楽しそうだ。

 ノラは激しく首を左右に振った。

(だめよ……だってサリエリは……)

 サリエリは夢を叶えるために、国立魔学校に行くのだから。

 サリエリが頬を腫らして帰ってきた次の日。

「働きたいって?」

 ようやくベッドを出ることを許されたノラは、ジョルジーナに仕事を貰えるよう、お願いに行った。

「はい。だめですか?」

 仕事に出かけ行くサリエリを見送ると、ノラは暇を持て余した。茹だるように暑い部屋、涼を求めて窓辺でだらだらと過ごす毎日。サリエリ1人に働かせて、自分は遊んでいるなんて申し訳ない。

「じゃあ、下の店に出てみるかい?ちょうど女の子が足りなくて困ってたところなんだ」

「良いんですか?」

「もちろんだよ。そうと決まれば、早速準備をしなくちゃね」

 ジョルジーナは出勤してきた店の男達に―――料理人見習いのロランド・ブラッサンス、サムソン・ドモンジョ、給仕係のドミンゲス兄弟―――湯を運ばせ、ノラを風呂に入れた。

「ちょっと日に焼けてるけど、綺麗な肌だねぇ」

 ジョルジーナはノラの身体を隅々まで泡で洗ってやりながら、うっとりと呟いた。

「大事にするんだよ。肌が綺麗な女ってのは、それだけで得するもんだ」

 風呂からあがると、ジョルジーナはノラに、ホセバが用意した真っ赤なドレスを着せ、薄く化粧を施した。

「わあ、綺麗!良く似合うよぉ!」

 ジョルジーナは感激して、ぱんっ!と両手を打ち合わせた。鏡の前に立たされたノラは驚いた。そこには、自分のようで自分ではない、大人びた少女が映っていた。

 ジョルジーナはノラの肩に手を乗せ、頬を寄せて、一緒に鏡を覗き込んだ。

「その髪。あんまり短いのもどうかと思ったけど、こうして見るとノラの雰囲気にぴったりだね」

 ジョルジーナはノラの髪を撫でながら言った。

「そうかな?」

「ああ。個性的で溌剌としていて、とっても良いよ。ノラが店に出るようになれば、短い髪が流行り出すかもしれないよ」

 満更でもないノラは、鏡の前で右を向いたり、左を向いたりして仕上がりを確認した。そこへ、仕事から帰ってきたサリエリがやってきた。

「お、お帰りなさい。早かったね」

 ノラはお嬢さんらしく両手を揃えて、サリエリを出迎えた。

 サリエリはノラの格好を見ると、ドアノブを握った格好のまま固まった。

「どうだい?まるでお姫様みたいだろう?」

 ジョルジーナは慌ててサリエリに歩み寄った。サリエリは近付いてきたジョルジーナを、ぎろりと、憤怒の形相で睨み上げた。

「……そんなに睨まなくても、たいした仕事はさせやしないよ」

 ジョルジーナはサリエリを睨み返し、ふんっと鼻を鳴らした。

「働きたいって言い出したのは、あの子の方さ。あんた一人に辛い思いをさせるのが忍びないんだろ。……健気な良い子じゃないか」

「…………」

「なにか言っておやりよ。さっきからあんたの言葉を待ってる」

 ジョルジーナは足早に、ノラのもとへ戻って行った。

「あんまり綺麗になっていたから、驚いたんだよ。なぁ?サリー坊」

 ジョルジーナはそう言ったが、ノラは不安そうな目でサリエリを見た。

「あの……変かな?」

 ノラは恐る恐るたずねた。サリエリは改めてノラの格好を―――少し開いたドレスの胸元や、白粉を叩いた肌や、赤く色付く唇などを―――見て赤面した。

「おやまあ、この子ってば、のぼせちゃってるよ!」

 耳まで赤くなったサリエリをジョルジーナがからかい、ノラは照れ笑いした。

 和やかな雰囲気のところへ、ジョルジーナの恋人、クライド・リンフットが現れた。

「やあ!これは見違えたなあ!」

 クライドは大股で近寄ってきて、ノラをよいしょと抱き上げた。子供が好きなクライドは、突然店に転がり込んだ2人にとても親切で、特に女の子のノラをかわいがった。

「およしよクライド。ノラがびっくりしてるじゃないか」

「良いじゃないかお前。……かわいいノラ、俺の娘、まるで天使のようだよ!」

 クライドはノラに頬擦りして、無精ひげを擦り付けた。

「それよりあんた、なにか用事があったんじゃないのかい?」

「おお、そうだった。……シュテファンから連絡があったんだ。また二人ほどよこして欲しいって……」

「また!?先月新しい子を送ったばかりじゃないか……!」

 ジョルジーナとクライドは、声をひそめて話しながら、慌ただしく部屋を出て行った。

 2人きりになると、サリエリは目に見えて落ち着きがなくなった。

「座れば?」

 ベッドに腰かけていたノラが隣を勧めると、サリエリはぎくしゃくした動きで腰かけた。

「今日はお仕事どうだった?」

 ノラがたずねると、サリエリは1つ頷いた。どうやら順調に行ったようで、ノラは安心した。

「ボタン、掛け違えているわよ」

 ノラはサリエリの胸元に手を伸ばして、シャツのボタンをかけ直してやった。ノラが近付くと、サリエリは漂ってくる白粉の甘い香りにくらくらした。

「さあ、これで良いわ」

 サリエリはノラのにっこりと引き延ばされた赤い唇を、食い入るように見つめた。心臓の鼓動は速まり、からからに乾いた喉が潤いを求めて、ごくりと鳴った。

「…………」

「大丈夫?顔が真っ赤よ。熱でもあるんじゃない?」


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