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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
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ミミエスの町で

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 翌朝。ノラとサリエリは、凍えるような寒さで目を覚ました。あたりには霧が立ち込めていて、草の地面に直接寝ころんでいた2人の背中は、夜露に濡れてびしょびしょだった。

「ふぇっくしょん!」

 激しいくしゃみをするノラの顔を、サリエリは心配そうに覗き込んだ。

「平気よ。ちょっと冷えただけ」

 頬はぽっぽと熱く、頭は少しくらくらしたが、ノラは強がった。

 昨夜の残りで朝食を済ませたノラとサリエリは、近くの民家で、町までの道を教えてもらった。2人が野宿をしたのは、オシュレントンの南東にあるオコラという名の平原で、半日ほど馬車を走らせると、ミミエスに辿り着くことができた。

「わあー……」

 ミミエスは、ノラ達が住むオシュレントンとは比較にならないくらい、大きな町だった。2階建ての背の高い建物が、ぴったりとくっ付いて道の向こうまで建ち並んでいて、平日だというのに、たくさんの人が仕事もせずに路地を行き交っていた。

「どうして同じ店が2つあるの?」

 靴屋のはす向かいにもう1軒靴屋があるのを見つけて、ノラは不思議そうに首を傾げた。

 はじめて見るものばかりで、すべてが物珍しかった。ノラとサリエリは幌馬車を町の入口に停めて、大通りを行ったり来たりした。ノラは帽子店のショーウィンドウに小1時間も張り付いてサリエリに待ち惚けを食わせた。

華やかな町並みは二人の心を虜にしたが、直ぐに考えを改めなければならなかった。

「…………」

 病気を患っている物乞いの老人や、薄汚れて痩せた浮浪者達。数人の男達に路地裏に連れ込まれる女性。赤ん坊を抱いた母親は、飢えた犬が足に噛み付いているというのに、ぴくりとも動かない。

 残酷な光景よりもっと恐ろしいのは、通りを行き交う人々だった。彼等は道端に人が倒れていても、まるで丸太ん坊かなにかが転がっているというように、平然と歩いて行く。

 ノラは老人に駆け寄ろうとしたが、サリエリ腕を掴まれた。サリエリはノラを諭すように、静かに首を振った。

 夕暮れが近づくと、2人は宿を探しはじめた。

『お父さんとお母さんは?……え?いない?』

『浮浪児なんかお断りだよ』

『すぐに出て行かないと、憲兵を呼ぶぞ』

 足を棒にして歩き回ったが、子供2人を泊めてくれる宿屋は見付からなかった。

「どうして?お金は持ってるのに……」

 ノラはクマちゃんのお腹から取り出したへそくりを握り締めてしょんぼりした。今日こそ清潔な布団で眠れると期待した分、落胆も大きかった。

 諦めきれないノラとサリエリが、また別の宿屋を探しに行こう足を踏み出した、その時。

「そこの二人、止まりなさい」

 2人を呼び止めたのは、かっちりと制服を着込んだ、憲兵だった。そうとわかるとノラは首を傾げ、サリエリは緊張した。

「名前は?住所は?……言えないのか?」

 憲兵は2人に、矢継ぎ早に詰問した。豊かな口髭が動くのを呆気にとられて見上げていると、サリエリの手がそろそろと伸びてきて、ノラの手を握った。

「やれやれ、今日はこれで3人目だ。見ない顔だが……お前達、脱走か?」

 ノラとサリエリが答えないでいると、憲兵はふーっと大きなため息を吐いた。

「まあ、いい。調べれば直ぐにわかることだ。一緒に来なさい」

「?どこへ?」

「詰め所に決まっているだろう」

「どうして?」

「お前達の身元を調べるためだ。……言っておくが、名前と住所を言うまで絶対に逃がさんからな。嘘をついても無駄だぞ。明日の朝までに保護者が迎えに来なければ、孤児院へ連れて行く」

 憲兵が指先を突き付けて言って、ノラを恐怖させた。ノラがおろおろしていると、サリエリがノラの手を握る手に、ぎゅっと力を込めた。ノラはサリエリの意図に気付いて、小さく頷いた。

「あ!こら!どこへ行く!」

ノラとサリエリは、1、2の、3で、大通りを脱兎のごとく駆け出した。

「待てー!」

 憲兵は西へ東へ逃げ惑う2人を、しつこく追い回した。サリエリの足は速くて、ノラは転ばないように付いて行くのがやっとだった。走っているうちに入り組んだ路地に迷い込み、角を曲がろうとしたその時。

 急な方向転換に付いて行けず、ノラはついに転倒した。

「!?」

 サリエリはノラを助け起こそうとして、どきりとした。転んだ拍子に頭を打ったようで、ノラは意識を失っていた。

 身体を揺すっても、頬を叩いても、ノラは目を覚まさなかった。サリエリは慌てふためいた。

 2人が飛び込んだ路地の直ぐ反対側の通りで、憲兵が忙しなくあたりを見回していた。あんまり上手く逃げたので、向こうも意地になっていて、どうあっても捕まえようと躍起になっていた。サリエリは一先ず、ノラを放られた小車の陰まで引っ張って行った。

 角の店で通行人に話を聞いた憲兵は、サリエリが息をひそめる路地に入ってきた。見付かるのは時間の問題だ。1歩、また1歩と憲兵が近付いてきて、サリエリは小車の陰で身を固くした。

「おやあ?あんた……」

 サリエリが肩を叩かれるのを待っていると、頭上から成熟した女の声が降ってきた。憲兵ではないとわかると、サリエリは恐る恐る背後を振り返った。

 声の印象と違わぬ容姿の女が、サリエリを不思議そうに覗き込んでいた。彼女を見て、サリエリは顔色を変えた。

「やっぱりそうだ。あんた、マダム・リュシエンヌの店に出入りしていたサリー坊やだろ?」

 サリエリの青い顔をまじまじと確認すると、女は今度こそ確信した。

「私のこと覚えてないかい?ジョルジーナだよ。マダムの店で、良く面倒見てやってたろ」

 ジョルジーナは自己紹介して、親しげな笑みを浮かべた。そしてサリエリの腕に抱かれたノラを見て、首を傾げた。

「どうしてこんなところにいるんだい?あんたはてっきり、帝都の孤児院にいるとばかり思っていたけど……その女の子は?」

 サリエリは、ジョルジーナから隠すように、ノラを抱き締める腕に力を込めた。

「誰もとって喰いやしないよ。……ほら、貸してごらん」

 ジョルジーナはサリエリの肩を押しのけて、ノラの額に手を伸ばした。朝から体調不良を我慢していたノラの額は、湯を沸かせそうなほど熱かった。

「……すごい熱じゃないか。この先に私の店があるから、そこで休ませよう」

「…………」

「追われてるんだろ?意地を張ってる場合じゃないと思うけど、どうする?」

 警戒をあらわにするサリエリに、ジョルジーナは道の先をちらりと振り返ってたずねた。見れば憲兵が直ぐそこまで迫ってきていた。

 サリエリは迷ったが、ジョルジーナの提案に乗ることにした。ジョルジーナは誰のものとも知れない小車にノラとサリエリを乗せ、素知らぬ顔で憲兵の脇を通り過ぎた。

 ジョルジーナの店は、複雑に入り組んだ路地の、ひと際ごちゃごちゃした地域に、城のように聳え立っていた。店の名前は、ホテル・クリンゲル。16人もの従業員からなる、3階建ての大きな店だった。

「お帰りなさいマダム。その子等は?」

「ただいまクラレンス。お前、ちょっと行って医者を呼んできておくれ」

 ジョルジーナは迎えに出てきた老人に指示すると、店の中から若い男達を呼んできて、ノラを2階の小部屋に運び込ませた。

「疲れが溜まっていたようだな。滋養のあるものを食べさせて、寝かせておきなさい」

 ほどなくしてやってきた医者は、ノラの病状を過労と診断し、熱冷ましの薬を飲ませた。たいした病でないことがわかると、サリエリはほっと胸を撫で下ろした。

「この子、あんたの恋人かい?……可愛い子じゃないか」

 医者が帰っても枕もとを離れようとしないサリエリに、ジョルジーナがからかうように言った。サリエリは俯いて、そっと頬を赤らめた。

「後で食事を持ってくるから。あんたも少し休んだ方が良いよ」

 ジョルジーナは親切に告げて部屋を出て行き、3時間ほどすると、灯りと食事を持って戻ってきた。

「まだ目が覚めないのか……こりゃあ、しばらく動かせそうにないね」

 ジョルジーナは食事をテーブルの上に置くと、昏々と眠り続けるノラの様子を確認した。

「ジョルジーナ特製、カブのスープだよ。懐かしいだろ?帝都にいた頃は良く作ってやったっけね」

 ジョルジーナはサリエリを席に座らせ、食事を勧めた。サリエリはジョルジーナが用意した食事に、なかなか手を付けようとしなかった。

「ちゃんと食べておかないと、いざという時に動けないよ」

 ジョルジーナが忠告すると、サリエリはためらいながら、スプーンを盆から拾い上げた。サリエリが塩辛いカブのスープを、1口、2口、啜った時だ。

「……提案があるんだけどねぇ。あんた、ここで働いてみる気はないかい?」

 向かいの椅子に座ったジョルジーナが、おもむろに切り出した。サリエリはぎくりとして、スプーンをカブのスープの中に落とした。

「この時世だろ?うちも苦しいんだよぉ。あんた達を助けてやりたい気持ちはやまやまだけど、従業員の手前ただであんた達を置いとくわけにはいかないんだ。ね、だからさ」

「…………」

「……あんたが昔のように仕事をしてくれるって言うなら、この子はうちで引き受けよう。栄養があるものをたくさん食べさせて、元気になるまで責任持って面倒を見る。少ないけど、お給料も払うよ」

「…………」

「どうだい?悪い話じゃないと思うんだけど」

 ジョルジーナは葛藤するサリエリを、目を細めて見やった。迷い悩んだ末にサリエリが頷くと、彼女はぱあっと顔を輝かせた。

「良かった!あんたならそう言ってくれると思ってたよ!それでこそ男だよ!」

 ジョルジーナは腕を伸ばして、サリエリの肩をぱんぱんと叩いた。

「あんたがへまをして憲兵に捕まった時は、マダム・リュシエンヌはそりゃあ残念がったんだよ。惜しい人材を失くしたって。あれからもう5年も経つのか……」

「…………」

「腕は鈍っちゃいないだろうね?練習するなら、うちの男どもを使っとくれよ」

 ジョルジーナは上機嫌で言って、もう用はないとばかりに席を立った。

「この子には黙っといた方が良いよね?彼氏が札付きの悪だなんて知ったら、百年の恋も冷めちゃうもんねぇ」

 部屋を出る直前、ジョルジーナは思い出したように振り返って言った。サリエリがじろりと睨むと、彼女は口元に人差し指を当て、そっと扉を閉めて出て行った。


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