3人の男
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「起きろ!」
まどろんで幾らも経たない内に、頭上から野太い声がふってきて、ノラとサリエリは飛び起きた。
辺りを見回すと、見知らぬ男が2人、荷台の脇に立っていた。1人は気が弱そうな、小太りの老人だった。深い笑い皺が刻まれた目元に、怒り鼻。髪の毛は真っ白な巻き毛で、商人風の格好をしていた。
「こんな真夜中に餓鬼が二人で野宿とは……お前達、どこから来た?」
もう1人はがっしりとした体格の、壮年の男だった。一文字の眉は太く、眼差しは鋭く、立派な鬚が良く日に焼けた顔の周りを、ぐるりと囲んでいた。
「オシュレントンから……」
ノラはしょんぼりして答えた。町を出てから半日足らず。まさか隣町にも辿り着けずに連れ戻されるなんて……
「オシュレントン?するとお前達は家出か。こりゃあ良い」
鬚の男は腰に佩いた剣を抜き、刃の切っ先をノラの首元に突き付けた。サリエリがとっさにノラを背中に隠し、鬚の男はちっ!と舌打ちした。
「お、おじさん達、だあれ?」
ノラは目を白黒させてたずねた。
「人攫いだよ、お嬢ちゃん」
鬚の男がにこりともせずに告げると、ノラは恐怖に縮こまった。サリエリはぎろりと男を睨み上げた。
鬚の男は剣の先で、サリエリの顎を持ち上げた。
「威勢が良いな。病気もなさそうだ。……特にそっちの女の子は高く売れるぜ」
「売る?……売るって、どこへ?」
鬚の男と小太りの老人は顔を見合わせた。2人は荷台に上ってきた。
「お嬢ちゃんはとってもお利口なんだねぇ」
小太りの老人は、猫なで声で言った。
「一先ずアイウセス領へ連れて行く。ムタガンダに着いたら、そこで人買いに引き渡す」
アイウセス領は、ノラ達が住まうヴォロニエ領の、すぐ南にある領だ。ムタガンダはアイウセス領にある大きな町で、2人が目指している帝都アヴロナリアとは、まったくの逆方向だ。ノラは青ざめた。
「大人しくしていれば手荒な真似はしない。優しくしてやるし、食事もちゃんと食べさせてやろう。ただし、逆らったり逃げようとしたりすれば……」
鬚の男は素早くサリエリの首根っこを捕まえて、その腹を剣の柄で殴った。
「サリエリ!」
3発も殴られると、サリエリは意識を失い、荷台の床に崩れ落ちた。ノラは狼狽して、唇をわなわなさせた。
「なにも殴ることないだろう。かわいそうに……」
小太りの老人が、鬚の男を非難した。
「なにがかわいそうなもんか。この餓鬼、俺の鉄拳を2発も堪えやがった。よっぽど親父が酷かったんだろ」
鬚の男がサリエリに手を伸ばし、阻止しようとしたノラを、小太りの老人が制した。鬚の男はサリエリを肩に担ぎ上げた。
「労せずしてこんな生きの良い商品が手に入るとは、やっと運が向いてきた」
男達はノラとサリエリを、大きな幌馬車に連れて行った。幌馬車は2台あり、1台にはノラと同じように、どこかから攫われてきた子供達と、見張りが1人乗っていた。子供はぜんぶで六人いて、男の子が5人、女の子が1人だった。
「…………」
見張りは小柄で痩せていて、鬚の男や小太りの老人に比べると、頼り無そうな男だった。男はノラを、陰気な目でじろりと睨んだ。
「じゃあ、ゲロルド。あとは頼んだよ」
鬚の男と小太りの老人は、ノラとサリエリの手首に太い縄をかけると、見張りの男……ゲロルド・ブルーデスに2人を預け、離れて行った。
「サリエリ……!サリエリ……!」
ノラは放り込まれた荷台の上で、サリエリの体を揺すった。お腹を3発も殴られたサリエリは、死んだようにぐったりとしていた。青い顔でぴくりとも動かないので、ノラは恐怖に震え、目に涙を浮かべた。
「お願い、目を覚まして!」
ノラが何度か声をかけていると、ゲロルドがすっくと立ち上がった。ゲロルドは片手を振り上げて、ノラの頬をぴしゃりと打った。
「うるさい!静かにしろ!」
ちらちらと様子をうかがっていた子供達が、ひっ!と身を竦ませた。ノラは打たれた頬を押さえて、ゲロルドをきっと睨み上げた。
「なんだ?その目は!」
「うっ……!」
するともう1発、この細い腕のどこにこんな力があるのだろう?と不思議に思う程の強さで、ノラの頬を引っ叩いた。あまりの衝撃に、耳がきーんと鳴り、目がちかちかした。
「生意気な餓鬼め。次に反抗的な態度をとったら、罪もない子供が痛い思いをすることになるぞ」
ゲロルドは徐に、ノラの隣に座っていた少年の腕をとった。
「かわいそうに、フローレンはお前のせいで、指を失うことになるんだ」
ゲロルドは少年の……フローレン・シャロピンの人差し指を掴んで、ぐいと力を込めた。フローレンは、唇をわなわなさせた。
「や、止めてー!」
ノラは絶叫した。
「止めて!静かにするから!」
ノラが懇願すると、ゲロルドはあっさりとフローレンの指を離した。
「わかれば良いんだ。俺は理性的な男だ。お前達を無闇に傷つけたりしない。だが良く覚えておけ。お前達の内の1人でも逆らったり、逃げ出そうとしたりすれば、お前たち全員の首に縄をかけて、ムタガンダまで歩かせてやる」
指を折られそうになったフローレンは、憎しみに燃える瞳でノラを睨んだ。その他の子供達は、面倒はごめんだとばかりに、顔を伏せてじっとしていた。ノラは、うん、うん、と何度も頷いた。
サリエリは朝方に目を覚ました。幌馬車は短い休憩をはさみながら、夜通し広野を走り続けていた。
「良かった……気がついたのね……」
ノラは目を瞬くサリエリに、小さな声で話しかけた。サリエリは腹部を庇うように、そろそろと身を起こした。
「ごめん……ごめんね……私のせいで……」
ノラの両目からは、大粒の涙が溢れ出した。サリエリが目を覚ました安堵と、未来への不安が、ない交ぜになってノラの心をかき乱した。
ノラがしゃくり上げていると、ノラの隣で眠っていたフローレンが、むくりと身を起こした。
「静かにしろよ……眠れないだろ……」
フローレンは不愉快そうに注意した。ノラは唇を噛んで嗚咽を堪えようとしたが、涙は後から後からあふれ出した。
ノラが懸命に声を押し殺そうとしていると、不意にサリエリの手が伸びてきて、ノラの頭をそっと撫でた。サリエリの不器用な指先が何度か髪の上を滑ると、ノラの心は不思議と落ち着いた。ノラはサリエリの肩に頭を預け、一時の安息を得た。
ノラが次に目を覚ましたのは、お昼頃だった。馬車の中はひどい暑さだった。サリエリに揺り起こされたノラは、一瞬どこにいるのかわからずに視線を彷徨わせ、絶望した。
「食事だ。さっさと食え」
ゲロルドがノラとサリエリの前に、スープの皿をどん!と置いた。昨日の朝から食べていなかったノラは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
直ぐにでも腹に入れたかったが、スプーンがないことに気付いて、ノラは戸惑った。
「これじゃあ食べられない……」
なにより、ノラの両手首は太い縄でしっかりと縛られていた。ノラが訴えると、ゲロルドはせせら笑った。
「皿に口を付けて食べるんだよ。あんな風に」
見れば周りの子供達は、自由にならない両手で皿を持ち上げて、スープを器用に口に流し込んでいた。ノラが真似をすると、スープは口の端からぽたぽたこぼれて、床に染みを作った。
「おい!お前、いちいち突っかかるなよ……!」
ゲロルドが馬車を出て行くと、フローレンがいら立たしげに文句を言った。子供達みんな、ノラを恨めしそうに睨んでいた。
「わかってんのか!お前等がおかしな真似をすると、俺達までひどい目に合うんだ!」
フローレンが声を荒げると、外にいたゲロルドが、馬車の側面をがんっ!と蹴った。子供達はびくりと肩を震わせた。
「今度あんな真似してみろ……あいつ等より先に、俺がお前等を叩きのめしてやる……!」
フローレンはノラを鋭い目で睨み、小声で威嚇した。
「大人しくしておいた方が良いよ。言うことを聞いていれば、乱暴はされないから」
ノラががたがた震えていると、荷台の奥の方に座っていた少年が、親切に忠告した。
「俺はアンディ・マシューズ。17歳だ。シャノーキア領からこの馬車に乗ってる」
少年アンディは、縄で縛られた両手をあげて自己紹介した。アンディはノラとサリエリに、色々なことを教えてくれた。
「あの鬚の男はインゴ・クライビッヒと言って、ゲロルドに用心棒として雇われたんだ。ジャコモはゲロルドに弱味を握られて、いやいや協力させられているようだよ」
最年長のアンディは子供達のリーダーのような存在で、彼と喋っている時は、フローレンも文句を言わなかった。
「とにかく、ゲロルドにだけは逆らわないことだ。あの男は本物の悪党さ。その気になったら、平気で人を殺すよ」
ノラとサリエリが、人攫いの馬車の中で出発を待っていたその頃。
オシュレントンの町は未曽有の大混乱に陥っていた。
「いたか!?」
「学校の方にはいない!今ハービーさん家の牧場を手分けして捜してもらってる!」
いなくなってしまったノラを、町の人々が総出で捜索にあたっていた。リッピー家の前には人だかりができ、その中心では青い顔をした母とオリオが身を寄せ合っていた。
「どこ行っちまったんだろうなあ……昨日の夜は本当に帰ってないのか?」
お隣のカシマ・カルカーニがいらいらとたずねた。カシマの隣には御者のダニエル・モリンズがいて、カシマの奥さん、アンジェラ・カルカーニの肩を抱いていた。
「それが、わからないんです……朝、気が付いたらノラがベッドにいなくて、荷物がなくなっていて……」
母は震える声で答え、親指の爪を噛んだ。
「馬車がなくなっていたんだろ?夜のうちに出て行ったとしたら、もうこの辺りにはいないんじゃないか?」
クラリッサ・アダムの父親の、マイケル・アダムが推測した。
「だがノラが町を出て行くところを誰も見ていないんだ。馬車を使ったなら、この狭い町だ、気付かないのはおかしいだろう。まだどこかにいるはずだ」
「いいや、あの子は利口者だから、あたし等が思いもよらない方法で抜け出したんだよ。今頃はグズに着いているんじゃないかい」
ロナルド・キャンピオンとコーデリア・オコネルが口々に言った。ノラの居所に関して、各自がああでもない、こうでもないと意見をぶつけ合った。
「まったく人騒がせな子だよ。今日は風呂にでも入ろうかと思っていたのに。のんびりするどころじゃなくなっちゃった」
そのうち不平をこぼす者があらわれ―――パーラーの経営者で、クリフォードの家の大家のマルタ・ブレトンだ―――みんなの顰蹙を買った。
「なあ。思ったんだけど……放っておいてもそのうち帰ってくるんじゃないか?」
不毛な話し合いにうんざりしたヨーハンが、控え目な口調で言った。
「無責任なこと言わないでくれよ!妹になにかあったらどうするんだ!」
「そうだよ。牛や馬がいなくなったのとは、わけが違うんだから」
オリオが血相を変えて非難し、ブライアン・フォローズが加勢した。
「でもなあ。お金を持ってないんだろ?だったらそう遠くまでは行けるはず……」
「……持ってるわ……」
「ええ?」
「……あの子……お金……」
魂の抜けがらのようだった母が、ぽろりと呟いた。母は思い出していた。ノラが持ち出した荷物の中に、クマちゃんが入れっ放しになっていることを!
母は顔面を覆って、わっ!と泣き出した。
「私のせいよ!娘がいなくなったことにも気付かないなんて……母親失格だわ!」
「お母さん、落ち着いて!」
「わーん!」
「きっと直ぐに見つかるよ。ノラはしっかりしているから、大丈夫だよ」
オリオは取り乱す母を励ました。人目を憚らずおいおいと泣き入る母を、見兼ねたランベル夫人とライラ・ポワソンが、家の中へ連れて行った。
「道をあけて!クリフォードがきた!」
ロイ・アリンガムが叫ぶと、玄関を取り囲んでいた人だかりが2つに割れ、真ん中をクリフォードと、クラスメートのベン・ウォルソンが走ってきた。
「いいところにきた。クリフォードお前、なにか知らないか?」
ヨーハンがたずねて、クリフォードが口を開きかけたその時だ。もと軍人のジョナサン・ブロシャールをリーダーとするチームが、捜索から戻ってきた。
ナックル・ウィナー副隊長が残念そうに首を振るのを見て、一同は落胆した。
「今孤児院へ行ってきたんだが、サリエリも昨夜から帰っていないそうだ。もしかして、2人一緒なんじゃないか?」
ナックルの口からサリエリの名前が出ると、クリフォードは凍り付いた。その時の彼の驚き様は、口では言い表せないものがあった。
「……たぶん、一緒だと思う」
クリフォードは、重い口を開いて発言した。オリオは血の気が引いた彼の顔を、じろりと睨んだ。
「なにか知っているのか?」
クリフォードは長い時間答えられなかった。口を開いては閉じ、喉元まで出かかった言葉を飲み込んでは唇を噛む。そんな動作を3回ほども繰り返した後……
「ノラは……あいつのことが好きなんだ……」
クリフォードは枯葉が地面を舞うような声で呟いた。オリオは馬鹿馬鹿しいと首を振り、大人達は首を捻った。
「本当さ!……あの2人は思い合っているんだ……」
クリフォードは実しやかに言って、項垂れた。困惑した大人達は、友人のベン・ウォルソンに視線を向けた。
「逆はないと思うけど、サリエリはノラにめろめろだよ。みんな知ってるよ」
ベン・ウォルソンははりきって答えた。
「めろめろだって?」
「いかれてるってこと」
大人達は怪訝な顔を見合わせたのだった。