いざ、冒険の旅
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礼拝堂に戻る気になれなかったノラは、母の荷馬車を失敬して、オリオの友人のティボー・リヴィエールの自宅へ向かった。
ティボーの家は町の西側の、民家が点在する地区にあった。近くにはシルビアや、デイビッド・ホールドの家がある。到着すると、ノラは少し迷って、玄関の戸を叩いた。
「ノラか……なに?オリオに用事?」
扉を開けて出てきたのは、ティボーだった。
ティボーは赤ら顔をしていて、酒臭かった。友人が集まっているようで、リビングの方から楽しそうな声が聞こえてきた。
「おーい!オリオ!妹がきたぜ!」
ティボーはノラが頷くのを待たずに、大声でオリオを呼んだ。すると、オリオがリビングから飛び出してきた。
「ノラ!……心配してたんだよ。悪かったな、様子を見に行けなくて」
オリオはティボーと同じく、真っ赤な顔をして言った。酒臭い息を吹きかけられると、ノラは少しいやな気持になった。
『オリオー!早く戻ってこないと、ゲームはじめちゃうぞー!』
オリオはリビングから響いてきたグレン・カートライトの声に、『先にはじめてて!』と返答した。
「カシマおじさんに聞いてきたの。銀行でのこと……」
「なんだ、カルカーニさん、喋っちゃったのか」
オリオは参ったなあと苦笑して、後頭部をかいた。
「やっぱり、ジュリアンのことが原因?」
「あんなやつ、関係ないよ!……俺は一日も早く、一人前の料理人になりたいんだ。それだけさ」
オリオはむっと気色ばんで言った。
「とにかく、俺は帝都行きを許してもらえるまで、家に帰るつもりはないから。父さんと母さんにもそう伝えておいて」
オリオがきっぱりと宣言して、ノラはしょんぼりと肩を落とした。
「お前には悪いと思ってるよ。でも、これは俺の問題だ」
ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられると、ノラはだんだんむかむかしてきた。
ノラがむっつりしていると、リビングの方から、『オリオー!早くー!』と催促する声が聞こえてきた。
「今行くよー!……そうだ。ノラもあんな家を出て、こっちにきちゃえよ」
「…………」
「口うるさく言う人はいないし、なにをするにも自由だし、楽しいぞぉ!」
ノラはオリオの赤ら顔をきっとにらんで、踵を返した。ぷりぷりと怒るノラを見て、オリオは怪訝そうな顔をしたが、追いかけては来なかった。
荷馬車を走らせて家に帰ると、父がリビングのソファでぼんやりしていた。
「お父さん。お腹空いた」
ノラが訴えると、父はうっとうしそうな顔をした。
「もう大きいんだから、昼食くらい自分で用意しなさい……」
「…………」
「まったく、甘やかすばかりで、なにも教えていないんだから……」
この何日かで蓄積した怒りは、静かに頂点に達した。
ノラは黙って2階に上がると、ベッドの下から大きな荷物を引っ張り出した。お屋敷の指輪泥棒騒ぎの時、母がノラのために用意した荷物だった。ノラはそれを、よっこらせと肩に担いだ。
部屋を出る際、ノラは窓際に置かれた腕輪にちらりと目をやった。
「…………」
サリエリがお見舞いに来てからというもの、ミライは1度も姿を現さない。
(なによ……うそつき)
少し迷ったが、ノラは腕輪を置いて行くことに決めた。
ノラが荷物を持って家の外へ出ると、道の向こうからサリエリがやってきた。サリエリはノラの肩に担がれた大きな荷物を見て、不思議そうな顔をした。
なにか言おうと口を開いては、閉じる。サリエリが何度か繰り返していると、ノラはため息をついた。
「……前から思ってたんだけど、あんたってどうしてそう、気弱なの?そんなんじゃ帝都に行ってもいじめられるわよ」
臆病な目をするサリエリに、ノラは忠告した。
「優しいのは良いけど、弱いのはだめよ。それにいじめられたら、ちゃんと怒らなきゃ」
これで最後だと思うと、お小言にも力が入った。ノラは篤と言い聞かせた。
「あんたが馬鹿にされるってことは、あんたに負けた私や、あんたを心配してるガブリエラ先生や、あんたを好きな孤児院の子供達みんなが馬鹿にされるってことなんだからね。あんたは私やみんなのために、喧嘩相手がどんなに偉くても、お金持ちでも、足長でも、戦う義務があるのよ。……私が言ってること、わかる?」
サリエリは目をぱちくりとさせた。ノラはいらいらと頭をかいた。
「べつに必ず勝てって言ってるわけじゃないのよ。やばくなったら逃げちゃえば良いんだから、売られた喧嘩はとりあえず買ってみるのよ。なにもはじめる前から諦めなくても良いじゃないって言ってるの」
ノラは力説したが、サリエリはきょとんとするばかりだった。わかっていない様子のサリエリに、ノラはため息をついた。
「あんたにはまだ難しかったかもね。まあ、いいわよ。……それじゃ私、急いでいるから」
ノラは何食わぬ顔で、物言いたげなサリエリの前を通り過ぎようとした。ところがサリエリは、行き過ぎようとするノラの腕を、ぱっと掴んだ。
サリエリの予期せぬ行動に、ノラは飛び上がった。
「な、なによ……?」
ノラはどきどきしてたずねた。サリエリはノラの腕をしっかりと掴んだまま、首を激しく左右に振った。ノラははっとした。
「…………」
サリエリはノラがしようとしていることに気付いて、引き止めようとしているのだ。
「放してよ……」
そうとわかると、ノラは急に不機嫌になった。サリエリは怯むどころか、ノラの腕を掴む手に、いっそう力を込めた。
ノラはいやいやと首を振り続けるサリエリを、きっとにらんだ。
「放してったら……!」
ノラは乱暴にサリエリの手を振り払い、荷馬車に乗り込んだ。ノラが荷馬車を発進させると、サリエリは走って後を追いかけてきた。
「付いてこないで!」
ノラは御者台の上から、ぴしゃりとサリエリに怒鳴った。速度を上げると、サリエリは全力疾走の甲斐なく引き離された。
ガタゴト、ガタゴト、ノラが手綱を握る荷馬車は、すみやかに町の出口を目指した。途中いくつもの畑や人家のそばを通り過ぎたが、みんな教会に行っていて、ノラは誰に見咎められることもなく、すんなりと、あっという間に町を出た。
ノラは町の入口のところで、ちらっと後ろを振り返り、サリエリが付いてきていないことを確認した。
ノラが異変に気付いたのは、走りはじめて2時間も経った頃だった。
地図を確認しようと思い、荷馬車を停めたノラは、荷台の上で膝を抱えるサリエリに気付き、悲鳴を上げた。いつの間に!?
「な、なんで付いてきちゃったのよ……!?」
ノラが思わず声を荒げると、サリエリはしゅんとした。
「仕方ないわねぇ……途中まで引き返してあげるわよ。今から戻れば、夜までには帰り付けるから……」
ノラは責任を感じて提案したが、サリエリは首を左右に振った。
「え?いやだって?帰らない?……なによ、一緒に行くって言うの?」
サリエリはこっくりとうなずいた。ノラはとんでもない!と反対した。
「だめよ、帰りなさい。私はもう町に戻るつもりはないんだから」
ノラは眉を吊り上げて、怖い顔をした。するとサリエリは、力尽くで馬車から引きずり降ろされることを懸念して、荷台にしっかりとしがみ付いた。
「あのねぇ……どういうつもりか知らないけど、あんたまで私に付き合う必要はないのよ。あんたがいなくなったら孤児院の子供達が心配するし、院長先生が大騒ぎするわよ」
「…………」
「それに付いて来られても困るわ。1人分の準備しかしてこなかったのよ。あんたの面倒まで見きれないわよ」
ノラは口を尖らせたが、サリエリは説得に応じなかった。是が非でも考えを変える気はないようだった。ノラは困り果てた。
(どうしよう……置いて行くわけにもいかないし……)
ノラは考えた。サリエリはノラの覚悟を甘く見ているに違いない。すぐ諦めると思っているから、簡単に付いてくるなどと言えるのだ。
「……良いわ。そこまで言うなら連れて行ってあげる。長旅には話し相手が必要だもんね」
ノラが本気だと分かれば、怖くなって引き返したくなるはずだ。
「……そうよ、それが良いわ!ぜひ一緒に行きましょう。私と2人、どこか遠くの町で暮らすの。景色が綺麗で、大きな町が良いわ」
ノラはわざとらしく弾んだ声で言った。ところが、反撃を食らってぎくりとしたのはノラの方だった。びびるかと思われたサリエリは、うん、うん、と頷いた。
「わ……私はお別れを済ませてきたけど、町には戻れないから、あんたは諦めてね」
こくり。
「落ち着いたら手紙でも出せば良いわ。孤児院のみんなにも学校のみんなにも、もう会えないけど、仕方ないわよね」
こくり。こくり。
「…………」
作戦が逆効果だったことがわかると、ノラは慌てた。
「で、でも!……やっぱり無理ね。だってあんたは、国立魔学校に行くんだから。あんたは戻らなくちゃいけないわよ!」
こりゃまずい!ノラはあたふたして言った。サリエリは目をぱちくりさせた。
「わからないの?町を出るってことは、進学も諦めるってことなのよ!」
サリエリは一片の迷いもなく頷いて、ノラをぎょっとさせた。
「……そ……そうね!国立魔学校なんて、やめちゃえ!あんなお坊ちゃん学校、全然楽しくないわよ!それより私と世界を旅して、世の中のことを勉強した方がよっぽど……」
ノラがやけくそに言うと、サリエリはにこにこと微笑んだ。ノラはいよいよ困惑した。
「……ねぇ……私の話、ちゃんと聞いてた?」
こくり。
「本気なの?本気で付いてくる気なの?」
こくり。
「足手まといになるようだったら、途中で置いて行くわよ。ちゃんと付いてこられる?弱音を吐かないって誓える?」
こくり。こくり。
「はーっ!」
ノラはサリエリの熱意に感服した。将来を左右するかもしれない進路をこうもあっさり決めてしまうなんて、いやはや、いかれたやつだ!
「……わかったわよ、私の負けよ。一緒に行きましょ……」
「!」
「帝都まで送ったげる。まあ、来年までには着くでしょ」
ノラはサリエリを御者台に引っ張り上げると、隣町のグズを目指して再び荷馬車を走らせはじめた。
隣町とはいえ、グズまでは馬車で丸1日かかる道のりだ。行けども行けども、町の影さえ見えてこなかった。ノラは両親や憲兵が捜しに来ることを見越して、真夜中まで馬車を走らせ続けた。欠伸を噛み殺すノラの隣で、頼もしいお供が松明を掲げた。
最初の事件が起こったのは、深夜0時を過ぎた頃のことだった。
「きゃっ!……な、なに!?」
ガタンッ!という大きな衝撃を尻の下に感じて、ノラは悲鳴を上げた。荷馬車を下りて確認すると、地面が陥没していて、後輪がはまり込んでいた。
「仕方ないわね……明日なんとかするとして、今日はここで野宿しましょう。ああ、お尻が痛い」
サリエリが用意した焚火に当たって、2人は今後の計画を話し合った。
「ココロ、クアングル、ヴォロニエを経由して、ザブタンで船に乗ってシェタミノエ領へ行くの。グズに着いたら、食料を調達して、装備を整えましょう。先は長いんだから、無駄づかいしないようにしなくちゃね」
ノラは指先を北に向かって滑らせながら、張り切って言った。
「私、グズ以外の町に行くのはじめてなの。あんたは?」
サリエリはちょんと首を竦めた。
「そう言えば、あんたはこの町の生まれじゃなかったね。オシュレントンに来る前は、どこの町にいたの?ヴォロニエ領のどこか?」
サリエリは少し迷って、ヴォロニエ領よりずっと北……最終目的地である帝都アヴロナリアを指差した。
「へぇー!じゃあ、都会っ子だ!……帝都ってどんな町?大きい?どのくらい大きい?」
ノラが興味津々にたずねると、サリエリは空に向かって両腕をいっぱい伸ばした。ノラは瞳をきらきらさせた。
「帝都に着いたら案内してね!」
サリエリは頼もしげに胸を叩き、2人は微笑み合った。
これからはじまる冒険への期待に、ノラは胸をふくらませた。満天の星は、2人の前途を祝福してくれているようだった。勇気凛凛、恐れるものなどなにもないと思った。硬い荷台の上で眠りに付いた僅か半時後、第2の事件が2人を襲うまでは……