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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
ノラと不思議な少年
6/91

マリ

著作権は放棄しておりません

無断転載禁止・二次創作禁止


 少年が目を覚ましたのは翌日の、朝日が昇り半時ほども経った頃だった。

「ここは……」

 はじめぼんやりと天井を見上げていた少年は、視界の端にノラの姿を見つけると、かすれた声でたずねた。

「オシュレントンの診療所よ」

「オシュレントン……?」

「アヴロナリアの、ヴォロニエ領にある小さな町よ」

「ヴォロニエ……」

「待ってて。今お水を持ってきてあげる」

 ノラは慌ただしく病室を駆け出して、診療所の裏手の井戸に走った。やっとこ重い水をくみ上げ、バケツに移そうとした、その時だ。

『おーい!おーい!』

 どこからか、おなべの底を爪で引っ掻いたような、甲高い声が聞こえてきた。あたりを見回したがそれらしい人物の影はなく、ノラは首を傾げた。

『主よ!ここだ!下だ!』

 ノラは声がする方を、水がいっぱいに入った釣瓶の中を覗き込んだ。光が反射して煌く水面には自分の顔が映っていて、その向こう側にもう1つ、人影のようなものが見えた。

「ミライ?あなた、ミライなの?」

 ノラは水底の、ゆらゆらと揺らめく人影に向かってたずねた。

『他に誰がいる!こちらに手を伸ばせ!早く!』

 甲高い声にせかされるようにノラは水の中に手を突っ込んだ。すると掌の中に小さな、軟らかいものが滑り込んできたので、ノラはむんずと掴んで、勢い良く引っ張り上げた。

「きゃーっ!ね、ねずみ!」

 自分が掴んだものの正体がわかると、ノラは悲鳴をあげて、それを放り出した。哀れなねずみは深い井戸の底にぼちゃん!と落っこちた。

『誰がねずみだ!無礼者!それが一仕事終えて帰ってきた者に対する態度か!』

「だ、だあってぇ……」

『まったく!早く釣瓶を下ろせ!』

 ノラは言われたとおり釣瓶を落とし、キーキーと叫ぶねずみを引き上げた。

「どうしたの?その格好……」

 ノラは文字通り濡れねずみになっているミライを乾いた石の上に乗せてやり、改めてその姿を観察した。ミライの鼻は豚のように潰れていて、大きな尻尾はリスのようで、頭からはやぎの角が生えていた。どうやら、ただのねずみではないようだった。

『私のことは良い。それより、あの生き倒れは助かったんだろうな?』

「さっき目を覚ましたよ。ありがとう、ミライ。さすがミライ」

『ふんっ。どこの誰かもわからないので、苦労したぞ』

 ノラはぷりぷりと怒っている、しかしどこか誇らかなミライを肩に乗せて病室に戻った。

「お水、飲める?」

 ノラは横たわる少年に向かって、水の入ったカップを差し出した。少年はノラがたずねても微動だにせず、虚ろな瞳で、ただただ天井を睨んでいるのみだ。

 そんな少年の態度に腹を立てたのはミライだった。ミライはノラの肩から飛び降りると、キルトに染みを作りながらベッドの上を走って行き、少年の顎をえい!と蹴り上げた。

『この死にぞこないめ。行き倒れの分際で、命の恩人に礼の一言もないとはどういう料簡だ。私は短気なパン焼き窯の……』

 悪魔!と続くはずだった言葉は、声になる前にのみ込まれた。

「わあああああああっ!!」

 とつぜん飛び起きた少年が、ミライを両手でわしづかみにしたからだ。

「や、止めて!なにするの!?」

 ノラは慌てて少年の手を外しにかかった。ミライは少年の手でぎゅうぎゅうと締め上げられ、手足をばたばたさせた。

「どうした!?」

 少年の絶叫を聞き付けて、直ぐさまアルバート医師が駆け付けた。ミライは医師に見付かる寸前に少年の手から逃れ、ベッドの下に逃げ込んだ。

「放せ!放せー!」

 少年は10分ほど暴れ続けて、再び意識を失った。

「よほど怖い思いをしたんだろう……しかし驚いた。正に奇跡だ。あれほどの重傷で、こんなにも早く目を覚ますとは……」

 アルバート医師は感嘆し、ノラはベッドの下で震えているミライに、尊敬の念を送った。

「ここはもう大丈夫だから。そろそろ学校へ行く時間だろう?急がないと遅刻するよ」

 アルバート医師はそう言って、ノラを病室から追い出した。

どこか気だるい早朝の道を、ノラは小さなミライを肩に乗せて、ゆっくりと歩いた。

『こんな醜い姿では、外にも出られん……』

「なかなかかわいいと思うわよ」

『悲鳴を上げたくせに!』 

 ミライとおしゃべりしながら道を歩いていると、近くの牧場から逃げ出してきた牝牛が2人の目の前を横切った。牝牛は立ち止まったかと思うと、ノラを動物らしい真っ黒な瞳で見つめ……深々と頭を下げた。牝牛はのっそりと森の中へ入って行った。

『厄介なものを拾ったな。面倒なことにならなければ良いが……』

 ミライはやれやれと首を振って、ノラを不思議がらせた。

学校では話を聞きたい子供達が、ノラの到着を待ちかねていた。行き倒れの少年の噂は、一晩のうちに町中に広がったようだった。

「どんなやつだった?男?女?」

「もう目は覚めたの?名前は聞いた?」

 その日教室は、行き倒れの少年の話で持ちきりだった。どこからきたのか、なぜ森の中で倒れていたのか、両親や兄弟はいるのか……様々なおくそくが飛び交い、想像力豊かな男の子達の間では、少年は西国から派遣されたスパイだ!ということになった。冒険や、スリルや、秘密の予感に、みんなが胸をときめかせていた。

「髪、どうしたんだよ?」

 放課後のことだった。ノラがいそいそと帰り支度をしていると、クリフォードが近寄ってきた。彼はノラの髪をツンと引っ張ると、怪訝な顔でたずねた。

「毛先が絡まっちゃって、面倒だから切ったの」

 クリフォードは納得していないようだったが、それ以上追及しようとはしなかった。不揃いな髪を見られたくなくて、逃げるように席を立ったノラの耳に、シルビアとカレンの陰口が飛び込んでくる。

「あれじゃあまるっきり男の子ね」

「目立ちたがりなのよ」

 ノラは言い返したい気持ちをぐっと堪えて、足早に教室を出た。その後をアベルが追いかけてきた。

「髪、切ったんだね?」

 帰り道を並んで歩きながら、アベルは気になって仕方がないという風にたずねた。

「変……?」

「そんなことないよ。ちょっともったいないけど……とっても似合ってるよ。短い髪も、俺は好きだな」

 アベルは張り切ってお世辞を言い、ノラの気分を浮上させた。

 家に帰り着くと玄関の前には父と母がいて、ノラの帰りを今か今かと待っていた。

「え!いるの!?2階に!?」

「ああ。身元がわかるまで、あの子はうちで預かることになったんだ。それで、ノラの部屋をしばらく貸してほしいと思ってね。怪我人を物置で寝かせるわけいかないだろう?」

 町役場に勤める父は、驚きを隠せないノラに向かって言った。

「それはもちろん、いいけど……」

「どうしてうちなんです?」

 傍で黙って話を聞いていた母が、 ノラに代わって疑問を口にした。母は父の決定に、不服なようだった。

「お屋敷には女手がないしね。君には悪いと思ったが、断りきれなくて……」

「私は反対ですよ。あなただって、あの大怪我見たでしょう?少年刑務所から逃げてきたのかもしれないわ。家に火を付けられたり、お金を泥棒されでもしたら……」

「まさか。身なりも良いようだし、すぐに家から迎えが来るさ。万が一なにかあっても、詰所には届けてあるんだ。心配いらないよ」

「でも……」

「君のおかげで、オリオもノラも素晴らしい子に育った。子供の世話で君の右に出る者は、この町にはいないよ。デムターさんも、君が一番適任だと考えたから、我が家に白羽の矢を立てたんだよ」

 父は渋る母を力いっぱいよいしょした。満更でもない母は鼻の頭ををぴくぴくさせた。

「そういうことならお引き受けしましょう。そのかわり、居候の扱いに関して、あなたは一切の口出しをなさらないでくださいね」

「もちろんだとも。君に任せておけば、なにもかも間違いはない」

 こうして少年がリッピー家に居候することが決まり、ノラは母に代って食事を届けに、少年が眠る部屋の扉の前に立った。

「ミライ、お行儀よくするのよ。最初が肝心なんだからね」

『へんっ!』

 ノックをしても返事がなかったため、ノラはそっと扉を開けて室内を覗いた。

「あ、あれ……!?」

ベッドはもぬけの殻で、少年の姿はどこにも見当たらなかった。クローゼットの中や机の下を覗き、続いて開け放たれた窓から身を乗り出せば、家の前の道を歩く少年の姿が見えた。

「大変……!」

ノラは食事の盆を置き、慌てて少年を追いかけた。

「そんな体でどこへ行くの!?」

 階段を駆け下り、玄関を飛び出して、ノラは足を引きずりながら歩いている少年の元へ走り寄った。少年は差しのべられたノラの手を、乱暴に振り払った。

「触るな……あっちへ行け」

「まだ動いちゃだめ!部屋に戻って!」

「うるさい。付いてくるな……うっ!」

 少年は2、3歩進んだところで、地面に崩れ落ちるようにして倒れこんだ。ノラは少年を助け起こし、そこで少年ははじめてノラの顔をまじまじと見た。

「お前か。俺を助けた子供というのは……」

 少年はノラの顔を忌忌しそうに見て、唸るように言った。

「放っておけば良いものを、余計なことしやがって」

「え……」

ノラが目を丸くすると、彼は片方の口角を持ち上げて、冷たく笑った。

「感謝されると思ったか?頼みもしないのに命を救われて、俺が喜ぶとでも?」

「…………」

「身元の知れない浮浪児なんか、死んだところで誰も困りやしないのに。あのまま森に捨て置けば良かったんだ。恩を着せられるだけ迷惑だ」

 少年が吐き捨てるように言って、ノラは唇をわなわなさせた。

「それとも、謝礼でも期待していたか?見ての通り金なんかないぜ」

「…………」

「……わかったら、もう行けよ。目障りだ」

 少年は荒んだ瞳で、ぎろりとノラを睨み付けた。彼の辛辣な言葉と態度は刃となって、ノラの心を刺し貫いた。

 ノラの目尻にみるみる涙が溜まり、それを見た少年はぎょっとした。

「お、おい……」 

「……えええええんっ……!」

 ついにノラが大声で泣き出し、少年は狼狽した。

「な、なんだよ急に……泣くな、泣くなよ」

「えええええんっ!えええええんっ!」

「俺が悪かったから……ちょっと言い過ぎたよな。なにもあんなに言うことなかったよな」

「えええええええええんっ!」

「ああ、もう。なんなんだよお前」

 少年は言葉を尽くしてノラを宥めすかしたが、ノラは意地になって泣き続けた。そのうち、異変に気付いた父と母が駆け付けてきて、少年は無事部屋に連れ戻された。

 ノラのヒステリーの前に観念した少年は、怪我が治るまでの期間を、大人しくベッドの上で過ごした。少年は驚異的な回復を見せ、診察にきたアルバート医師を不思議がらせた。

「私、ノラっていうの。ノーラじゃないのよ。あなたは?」

「……マリ……」

 少年……マリは、自分の名前以外、なにも覚えていなかった。年齢も住んでいた場所も、両親の顔も、どこからやってきて、どこへ行こうとしていたのか、なにに襲われたのかも。体中の包帯が取れる頃になっても、それは変わらなかった。

 怪我が治り、マリが動けるようになると、子育てについて太鼓判を捺された母が、張り切って彼の教育を開始した。

「あなたに仕事を言いつけます」

 ある日、母は訝しむマリをリビングに呼びつけて、女主人然として命じた。

「朝一番に起きて、暖炉と窯に火を入れてちょうだい。それから家畜に餌をやって、ノラを起こして学校に行く支度をさせて。終わったら井戸から水を汲んできて掃除をするのよ」

「なんで俺が……」

「……居候なんだから、そのくらいは当たり前でしょう。いつまでもお客様気分でいてもらっては困るわ」

 マリが不服そうに口答えをすると、母はいらいらと体を揺らした。

「できないと言うのなら、食事はあげられません。怠けず、しっかりやって下さいね」

「…………」

「それからね、お父様のことは旦那さん、私のことは奥さんと呼んでちょうだい。オリオのことはお坊ちゃん、ノラはお嬢さんよ。自分の立場を弁えて、雇い主とその家族には敬意をもって接するのよ」

「…………」

「外でのふるまいにも、十分気を付けてちょうだい。嘆かわしいことに、この町には他人の粗を探すのが大好きな人がたくさんいるの。後ろ指を指されるようなふるまいは、決してしないように」

「…………」

「わかったわね?」

 その夜、マリにお坊ちゃんと呼ばれたオリオは、手に持っていた匙をスープの皿に水没させた。

 次の日。ノラが学校から戻ってみると、玄関の前で顔を真っ赤に火照らせた母が、いらいらと靴底で地面を叩きながら、ノラの帰りを待っていた。

「お母さん、どうしたの……?」

 ただ事ではない様子を察したノラは、恐る恐る、うかがうようにたずねた。

「どうしたもこうしたもありますか!」

 待ってましたと言わんばかりに、母は鼻の穴をふくらませて喚いた。彼女の怒りの原因は、言わずもがな、本日から正式にリッピー家の食客となった彼にあった。

「あのマリという子が、備蓄用にとっておいた食料を残らず家畜にやってしまったのよ!」

「ええ!?」

「卵は割ってしまうし、廊下は水浸しにするし、あんなに反抗的な子は、我が家には置いておけないわ!あの子は今日にでも、孤児院に移ってもらうわ!」

 母がきっぱりと宣言して、ノラは慌てた。

 ひとまず、ノラは母を放っておいて、マリの様子を見に行った。

 廊下の真ん中で、床にこぼれた水を雑きんで吸っては桶に絞るという作業を繰り返していたマリは、玄関から入ってきたノラを、陰気な目で一瞥した。

「どうしてあんなことしたの?」

 ノラは黙々と作業をするマリに向かってたずねた。マリはぎろりとノラを睨んだが、ノラは怯まなかった。

「いくら腹が立ったからって、食べ物に悪戯しちゃだめよ。私も時々やるけど、うんと怒られるのよ」

 ノラの忠告を聞いたマリは、観念したように、深く長いため息をついた。

「……知らなかったんだ」

「え?」

「……あれが人間用の食料だなんて、知らなかったんだ。袋の隙間からちょっと零れていたのを、鶏のやつ等うまそうに食べていたんで、てっきり……」

 マリはがっくりと項垂れて告白した。ノラは目をぱちくりさせた。

「卵は?どうして割っちゃったの?」

「それは……俺がいつも食べているやつとは様子が違ったんで、中を開けて確認したんだ。思った通り、ぜんぶ腐ってたよ」

「そんなはずないわ。産み立てだもの」

「俺を疑うのか?……俺は嘘なんか吐いてない。殻を割ったら、中からどろどろした液が、飛び出してきたんだから」

「…………」

「なんだよ、その眼は」

 あっ気にとられているノラを、マリはじろりと睨んだ。ノラは堪らず、うふふと笑った。

「とにかく、お母さんの機嫌を直さなきゃ。私が一緒に謝ってあげる」

 大失敗をしたその翌日から、マリには教師が付けられることとなった。

「下の輪っかを通して、上で結ぶんだ。そうそう、上手いぞ」

 母から大役を申しつけられたのは、ノラの兄のオリオだった。人当たりが柔らかく褒め上手なオリオはとても良い教師で、飲み込みの早いマリは良い生徒だった。

「マリのやつ、卵は樹になるなんて言うんだ。彼はいったいどこから来たんだろうな?」

 オリオが首を傾げるのも無理なかった。驚くほど物を知らないマリは、美しい容姿と相まっておとぎの国から来たようで、そのことを差し引いても不思議な少年だったのだ。共に暮らしはじめて1週間もすると、ノラは彼が持つ特異な能力に気付きはじめた。

 ノラとオリオとマリの3人が、午後の自由時間に川釣りに出かけた時のことだ。

 川へと続く教会の前の道を、カートライト牧場から逃げ出してきた牛の群れが横断していた。渡り切るには何分もかかりそうだったので、仕方なく迂回しようかと考えていた時。

「わあー」

 マリの姿を見た牛達がいっせいに道の脇に避け、うやうやしく頭を垂れた。そのようなことは、マリが道を歩くたびに起きた。動物たちはどんな時でもマリのために道を開け、マリは障害のなくなった道の真ん中を、王様のように堂々と歩いて行くのだった。

 不思議なことはそれだけには留まらず、マリが一言暑いといえば風が吹き、寒いと言えば雲が晴れた。オリオや母は信じなかったし、マリ自身も偶然だと笑ったが、ノラにはわかっていた。彼は特別な子供なのだ。

 そしてノラの空想めいた推測は、ある事件を切っ掛けに証明されることとなった。

 ある日、母が庭で洗濯物を干していると、裏手の林の中から大きな熊が現れた。

「きゃ―――っ!」

 庭に迷い込んできた熊は母の姿を目にするなり、機敏な動作で近付いてきた。腰が抜けてしまい逃げるに逃げられず、もはやこれまでと死を覚悟したその時。

「奥さんになにする!」

 裏口から慌てて飛び出してきたマリが、今にも襲いかからんとしている熊の前に立ちはだかった。

「あっちへ行け!」

 マリは手に持っていた箒を振り回して、熊を威嚇した。熊はぺこりとお辞儀をした後、そそくさと林の中へ帰って行った。『こりゃどうも、お騒がせしました』

 マリの勇敢な行いは、母の態度を軟化させた。

「これからは、お父様のことは父上、私のことは母上とお呼びなさい」

「はあ……わかりました」

「それから、明日からは私の代わりに、農民市場へ買い物に行ってちょうだい」

 母はマリに財布を渡して命じた。ノラは仕事を増やされてかわいそうだと思ったのだが、兄の意見は違うようだった。

「すごいじゃないか、マリ。財布を預けるというのは、信頼の証だよ。母さんもようやく君の働きを認めたんだよ」

 このことを、マリはたいそう喜んだ。少なくともノラの目には、新たに与えられた仕事を全うしようと、意気込んでいるように見えた。ところが……

「買えなかったですって?……お金は?お金はどうしたの?」

「…………」

「なんとか言いなさい!マリ!」

 夕方、農民市場から帰ってきたマリは手ぶらだった上に、大事な財布を失くしてきた。財布には大金が入っていたため、母は慌てた。

「あなたに任せた私が馬鹿だったわ!」 

 パニックに陥った母はヒステリックに喚き散らし、マリを責めた。ノラは戸口のところから、食卓で向かい合う二人をハラハラしながら見守った。マリが貝のように口を閉じて謝罪も言い訳もしようとしないので、母の怒りはだんだんとエスカレートしていき、とうとう爆発した。

「見つからなければ、弁償してもらいますからね!」

 ずいぶん長い間我慢していたマリだったが、夕方、ついには叱罵に耐えかねて家を飛び出した。



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