一緒に帰ろう
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次の日、ノラが登校してみると、教室でサインツが待っていた。
「いつの間に帰ったんだ?気が付いたらいなくなっていて、驚いた」
「すみませんでした……」
サインツはすっかりいつもの様子に戻っていて、ノラはほっとした。
「まあ良いさ。手伝いはまた今度お願いするとしよう。あの部屋のことは、くれぐれも秘密だぞ」
サインツは人差し指を口元に持っていった。ノラは神妙な顔でうなずいた。
「おはよう……」
ノラは席についていたサリエリに、恐る恐る挨拶をした。サリエリはズボンをきゅっと握っただけで、目を合わせてくれなかった。ノラはひどく落胆して、内心で嘆息した。
授業中、どうやってサリエリと仲直りしようかと考えていたノラは、名案を思い付いた。
ノラは手元の黒板にチョークで『怒ってる?』と書くと、ガブリエラの目を盗んでそっとサリエリの膝の上に置いた。しばらくして戻ってきた黒板には綺麗な文字で、『怒ってない』と書かれていた。
「…………」
ノラは少し迷って、今度は『一緒に帰ろう』と書いて、サリエリに手渡した。黒板は長いこと返ってこなかった。五分程もかかってやっと戻ってきた 黒板には『校舎の外で待ってる』と書かれていた。ノラは机の下で、小さくガッツポーズした。
放課後、ガブリエラがついに女の子限定のクラブを発足することを発表した。お屋敷の盗難事件の際、ノラのためにレクリエーションの時間を作ると言ったあの言葉は、冗談ではなかったようだ。
「礼儀作法やお家の仕事を勉強して、素敵なお嬢さんになりましょう」
ガブリエラはノラの目をばっちり見つめてほほ笑んだ。
「火曜日と木曜日の放課後よ。参加する人はお弁当を持ってきてね。……ノラ、忘れずにね」
ガブリエラがノラに念押しして、シルビアとカレンがくすくす笑った。
「ノラがお嬢さんだなんて、ガブリエラ先生ったら、なんの冗談かしら?」
「男の子のクラブに入った方が良いんじゃない?魚釣りクラブとか、木登りクラブとか」
カレンが嘲って、ノラはむっつりした。ノラだって、できることならそうしたい。魚釣りや木登りの方が、どんなに気が楽か!
ガブリエラの話が終わると、クリフォードが真っ先に席を立ち上がった。教室を出て行く彼の背中を切なげな瞳で見ていると、シルビアが近寄ってきた。
「クリフォードもようやく気がついたのね。友達は選ぶべきだって。その調子でどんどん嫌われてちょうだい」
目敏くて地獄耳のシルビアは、ノラとクリフォードの様子がおかしいことに、いち早く気が付いたのだった。
「彼のことは私に任せて、あなたはじゃがいもみたいな男の子達と仲良くやると良いわ。がり勉の根暗どうし、サリエリなんてお似合いなんじゃない?」
シルビアが嫌味ったらしく言うと、ノラは『はあー』と大きなため息をついた。
「……シルビア。そう悪ぶるもんじゃないわ。意地悪ばかり言っていると、意地悪な顔になっちゃうのよ。あなたって高慢ちきで鼻持ちならないやつだけど、顔だけはそこそこなんだから、もっと大事にしなきゃ!」
じゃがいも呼ばわりされた少年達は、鼻を膨らませるシルビアを見て噴き出した。
ノラは荷物をまとめると、サリエリを追いかけて、いそいそと教室を出た。
サリエリは学校から少し離れたところで、牧場の木柵にもたれてノラを待っていた。指先で前髪を整える仕草に、ノラは胸をときめかせた。
「ま、待った……?」
ノラがどきどきしながら近づいて行くと、サリエリはぱっと木柵から身を離した。
「じゃあ、帰ろうか……」
目に沁みるような青空の下、並んで歩く2人の首筋を、七月の太陽がじりじりと照らした。額からは汗が吹き出し、頬は真っ赤に染まった。
「……この間は、来てくれて、ありがと……」
草の海の上を、熱い風が吹き抜けていった。ノラがぽつりと切り出すと、サリエリの表情が曇った。
「みんなが来るなんて、知らなかったの。本当よ」
「…………」
「あんたが来てくれて、嬉しかった……」
サリエリはいっそう悲しげに目を伏せた。サリエリは、1人だけお見舞いを持って来られなかったことを、ずっと気にしているのだ。
どうしたものかと考えあぐねるノラの目に、体の横で揺れているサリエリの手が映った。ノラはそろそろと手を伸ばし、指先でサリエリの掌を引っ掻いた。サリエリはかわいそうなくらい驚いて、ノラの赤い顔をまじまじと見た。
「…………」
ノラは勇気を出して、サリエリの手を握った。サリエリがノラの手を握り返すのを待って、2人は茹だるような暑さの中を、ゆっくりと歩き出した。
40分ほど歩いて、2人は教会の前の分かれ道に立った。お互い離れ難くて、少しの間セコイヤの大木の前で、ぐずぐずしていた。
「隣の家の納屋にね、うさぎが住み着いてるの……」
「…………」
「今度、見せてあげる……」
ノラはそれだけ告げると、赤い顔を隠すようにして逃げ出した。
走って家に帰ったノラは、2階の自室に駆け込むと、どさっとベッドに身を投げ出した。
「はあ……」
ノラは枕に顔を埋めて、悩ましげなため息をついた。なんだろう?指先を甘く痺れさせる、この温かな気持ちは……
夕食の席でのことだった。ノラの顔を一瞥したオリオが、おほん!と咳払いした。
「ノラ、今日は誰と帰ってきたんだ?」
オリオがさりげなくたずねて、ノラは首を傾げた。
「その……ライラおばさんに聞いたんだ。お前が男の子と2人で歩いていたって……」
母と父が顔を見合わせた。
「サリエリよ。一緒に帰ってきたの」
ノラはなんでもない風に答えた。
「そうか。サリエリって、この間の子だよな?……どんな子なんだ?」
「どんな子って?」
「趣味とか、特技とか……なにかあるだろ?」
ノラは頭を捻った。
「趣味は……わかんないけど、勉強が得意よ。学校で隣の席なの。……物静かな子よ」
ノラの説明に、オリオは納得したような、していないような顔をした。
翌日。サリエリはいつもの通りノラより先にきて、席に着いていた。
「おはよう」
ノラが挨拶をすると、サリエリはノラを振り仰いで、はにかんだ。照れたように微笑み合う2人を、教室の入り口のところから、クリフォードが燃えるような瞳でにらんでいた。
午前の授業が終わると、ノラはガブリエラ先生が発足した放課後クラブ……『ちっちゃなガチョウ共の会』に参加するため、教室に残った。
ガブリエラの熱心な説得により、結局女の子全員が参加することになった。
「意欲的な子達で、先生とってもうれしいわ。9人だから、3人で1組になりましょう」
ノラはジノ・シャルディニとヨハンナ・カレーラスのグループに入れてもらった。
記念すべき第1回目の活動は、古着で雑巾を縫うというものだった。あんまり地味な活動内容なので少女達は文句を言ったが、ガブリエラは基礎が大事だと言い張って譲らなかった。
ノラとジノとヨハンナの3人は、雑巾をちくちく縫いながら、おしゃべりに興じた。
「私は16歳で婚約して、18歳で結婚、20歳で1人目を産むの。男の子、男の子、女の子の順番で、6人まで増やすつもり。ベビー服のデザインも考えてあるのよ」
ヨハンナは確かな人生設計を披露し、ノラとジノを驚かせた。
「ずいぶん具体的ねぇ……付いていけないわよ」
「ちょっと気が早いんじゃない?私、先のことなんかぜんぜん考えてないわ」
困惑するノラとジノに、ヨハンナはちっちっちっと舌打ちした。
「2人とも甘いわ。だめよ、今のうちから考えなくちゃ。女が綺麗でいられる時間は短いんだから、うかうかしてるとあっという間に行き遅れよ」
ヨハンナは得意げに、彼女の祖母のジャンナ・カレーラスの説を受売りした。
「でも、私達まだ10歳よ」
「まだ10歳じゃなくて、もう10歳よ。16歳まで、あと6年しかないのよ。今のうちに、女を磨かなくちゃ」
「ヨハンナ、たっくましいー」
ノラとジノがしきりに感心していると、雑巾を縫い終えたシルビアとカレンが、話に割って入ってきた。
「ヨハンナ、あなたわかってるの?いくら女を磨いたって、結婚は1人じゃ出来ないのよ」
シルビアが嘲って、ヨハンナはむっと気色ばんだ。
「どういう意味よ、シルビア」
「計画だけ完璧でも駄目だということよ。あなたにプロポーズしてくれる男の子がいなくちゃ。それに、そういうことはあんまり大きな声で言わない方が良いわ。お相手が誰もいなかった時、恥ずかしい思いをするわよ」
シルビアが的を射た嫌味を言って、ヨハンナは羞恥で顔を真っ赤にした。ノラもこれにはカチンときた。
「あんたはヨハンナのことより、自分の心配をした方が良いわよ、シルビア」
したり顔をするシルビアに、ノラが忠告した。
「いつまでも夢ばっかり見ていると、売れ残るわよ。少なくともこのクラスの男の子は、あんたにだけはプロポーズしないでしょうからね」
「な、なんですって!?」
「ぜんぜん相手にされてないくせに、クリフォードにお熱のあんたは馬鹿みたいってこと」
ノラが大きな声で言うと、エレオノーレがぷっと噴き出した。カレンもシルビアの隣で笑いをかみ殺した。シルビアは怒り狂って席を離れて行き、ノラとヨハンナは勝利の笑みを浮かべた。
「あと4年で素敵なボーイフレンドを見つけてみせるわ」
帰り道、ヨハンナは決意を新たにした。
「その意気よヨハンナ。私達も頑張らなくちゃ。ね、ノラ」
「うん」
ノラはとりあえず頷いた。
「実はもう、ちょっと良いなって思っている子がいるんだ」
ヨハンナはにんまりして告白した。
「え!誰!?クラスの子!?」
「そんなの、秘密よ」
ヨハンナはもったいぶった。
「ねぇ、そういえば、ノラはいないの?好きな人」
ジノの追及から逃れようと、ヨハンナはノラにたずねた。ノラはぎくりとした。
「あなたって男の子とばかり一緒にいるから、いまいちわかんないのよね」
ノラはまっ先に頭に浮かんできた人物の顔を、首を振って打ち消した。
「い、いないよ……!」
「赤くなった。怪しいー」
「もう!ヨハンナ!」
翌日から、ノラはジノやヨハンナと行動を共にするようになった。
「ミニー・マージョラムが、肌の保湿には牛のおしっこを塗ると良いなんて言うの」
「嫌だあ、ばっちい!あんたそれ、試したの?」
「まさか!とてもそんな勇気ないわよ」
「今度シルビアにでも送ってあげよう」
3人は休み時間のたびに集まって、他愛ないことを喋りまくった。今までアベルやマルキオーレとばかり遊んでいたので、女の子とのおしゃべりは、新鮮で楽しかった。突如として出来上がったグループを、少年達は珍しそうに盗み見ていた。
木曜日の、放課後のことだった。
「聞いて!聞いて!大変よ!」
ノラとヨハンナが教室でクラブのはじまりを待っていると、トイレに出かけていたジノが、興奮した様子で戻ってきた。ノラとヨハンナは取り乱すジノを、一先ず椅子に座らせた。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「……さっき偶然……いいえ、あれは私を待っている風だったわ。クリフォードに会ってね。彼、私を呼び止めたの!少し話さないか?って!」
ジノは走って上がった息を整えると、もったいぶって打ち明けた。ノラはぎくりとして、知らず拳を握りしめた。
「それで私、断れなくて『良いわよ』って言ったの。私達、ずいぶん長いこと話したのよ。もう下校時刻をとっくに過ぎていたから、辺りには誰もいなくて、本当に静かだったわ」
ジノはその時の状況を思い出して、うっとりと眼を細めた。
「クリフォードね、フォスターおじさんと良く話し合って、休日だけ働かせてもらえることになったんですって!お金を貯めて、可能なら進学もしたいって言ってたわ!」
「…………」
「本当に立派よね。なかなか出来る決断じゃないわ。それで、彼は今仕事を探しているんだけど、うちで雇えないかお父さんに聞いてみようと思うの。……シルビアや他の子達みたいに、ミーハーな気持ちじゃないのよ。私はただ、クリフォードの勇気ある選択を、応援してあげたいだけ……」
頬をピンク色に染めてもじもじするジノを、教室の端の方から、少女達が刺々しい目付きで睨んだ。浮かれるジノは、盗み聞きされていることにも気が付かないようだった。
「……ノラはどう思う?」
「えっ……」
「こんな考えを、クリフォードは迷惑に思うかしら?」
直ぐには答えられず、ノラはゆらゆらと瞳を揺らした。平静を取り戻すのに、少しの時間を要した。
「……そんなことないわ。とっても良い考えよ……」
ノラはついに、ため息交じりに言った。
「本当にそう思う?」
「ええ。クリフもきっと喜ぶわ」