サインツ教授の秘密
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ノラは少し迷ったが、サインツについて行くことにした。
2人が向かったのは、町の南西の森にある、サインツの自宅だった。小さな平屋建ての、煉瓦造りの家屋で、屋根は深緑色。風変わりな形で、正方形の壁の一部が丸く飛び出していた。
「さあ、どうぞ」
サインツは玄関の鍵を開けて、ノラを自宅に招き入れた。廊下が裏口まで真っ直ぐに伸びており、左右に寝室やリビングのドアがあった。窓のない廊下は薄暗く、ひんやりとしていた。
「まずは腹ごしらえだ、昼食にしよう。と言ってもろくなものはないが……」
サインツはノラをリビングに案内した。2人はパンと魚の燻製で簡単な食事をとった。
「こっちだ」
食後のお茶を飲み終えると、サインツはノラを書斎に案内した。
そこそこ整頓された室内には、奥に立派な文机が置かれていた。入口から向かって左側の扉は隣の寝室に繋がっていて、右手の壁には……
「わあ!ピアノ!……先生、見せたいものってこれですか?」
ノラは嬉々として駆け寄り、白い鍵盤を叩いた。
「残念ながら音は出ないよ。それに、それはピアノじゃなくてオルガンというんだ」
しつこく鍵盤をカタカタさせているノラを見て、サインツは苦笑した。
サインツは徐にしゃがみ込むと、鍵盤の下の前板をこつこつと叩いた。前板がガタン!と音を立てて外れると、ノラは驚きに目を見開いた。
「ようこそ。私の研究所へ」
壁にぽっかりと明いた大きな穴。空っぽのオルガンは、隣の隠し部屋へ続く入口を隠していたのだ。ノラはサインツに続いて、オルガンの鍵盤の下を通り、壁の穴を通り抜けた。
「…………」
部屋は細長くて、狭くて、薄暗かった。それに、とても散らかっていた。壁は落書きだらけで、床の上にはお屋敷の図書室から借りてきた本が、乱雑に積み上げられていた。
「ああ、その資料踏まないでくれ。そこ、気を付けて」
狭い部屋をより狭く見せる作り付けの棚には、用途不明の器具が所狭しと並べられ、天井からは奇妙な形のおもちゃがいくつもぶら下がっていた。
物珍しい品の数々に、ノラの心は高揚した。ノラは瞳を輝かせて、きょろきょろと室内を見回した。
サインツはノラを、奥の小さな机のところまで連れて行き、棚の上から瓶を出してきて、どんと目の前に置いた。
「さあ、これだ」
「?……なんですか?これ」
「電球ってやつさ。ヨーハンに協力してもらって作ったんだ」
サインツは得意げに自慢した。がらくたにしか見えないノラは、怪訝顔をした。この部屋には、もっと面白そうなものがたくさんあるのに……
サインツは壁に取り付けられた鉄の梯子を上り、天窓を閉めた。室内が真っ暗になり、ノラは戸惑った。
「良く見ておいで」
ノラが闇の中で目を凝らしていると、机の上の瓶が、ぼうっと光り出した。
「わあー……」
ろうそくの炎ではない光源に、ノラは感嘆した。なんて不思議……それに、なんて明るいんだろう!
しばらくして光が消えると、サインツが再び梯子を上って行って、天窓を開いた。
「どうだい。面白いだろう?」
「……先生は、魔学者だったのですか?」
「うん?」
「だって今のは、悪魔の力でしょう?」
ノラが興奮してたずねると、サインツは額に手を当てて苦笑した。
「悪魔の力か……使い方によっては、そうなるのかも知れんが……」
サインツは魔法の瓶を棚に戻しながら、意味深長に言った。
「ここにあるものは全て、古代文明の利器なのだよ。忘れられた学問の結晶……その名も、科学と言う」
「科学?」
「君は知っているか?このアヴロナリア帝国では、発明や研究が禁じられていることを」
ノラはこくりと頷いた。
「前にデムターさんが鶏の餌やり機を発明した時は、憲兵が出動して大騒ぎになりました」
ノラの回答を受け、サインツはにんまりと口角を持ち上げた。ノラはぎくりとした。
「まさか、ここにあるものって……」
「お察しの通り。この部屋の存在を帝国に知られれば、私は憲兵に捕まり、監獄送りになるだろう。だがこれ等の品々がなんのために使われるものなのか、わかる人間はほとんどいない」
ノラは改めて、散らかり放題散らかった室内を見まわした。
「……これぜんぶ先生が作ったんですか?」
「だいたいはね。だが発明したのは私ではないよ。これ等を最初に生み出したのは、古代の偉人達だ。帝国神話は知っているかね?」
ノラが首を縦に振ると、サインツは満足そうに、『よろしい』と頷いた。
「その昔、世界には6つの大陸があり、人々はそれぞれの大陸で高度な文明を築いていた。ここにあるものは全て、古代の文明で日常的に使われていたものなのだよ……上を見てごらん」
ノラは言われるまま天井を見上げた。
「そちらの設計図は潜水艦……海底を走る船だ。あの奥にあるのが、電気ケトルとトースターの試作品。あれが修理中の半自動洗濯機で、こっちの模型は飛行船と言って、水素やヘリウムで空を飛ぶ乗り物だ」
サインツはぽかんとするノラに、天井からぶら下がった模型を、1つ外して手渡した。木でできた模型は恐ろしく精巧な作りで、ノラの胸はときめいた。
「……そんなの嘘です。からかおうとしたって駄目です」
模型に心奪われていたノラは、我に返って口を尖らせた。
「からかう?なぜ私が君をからかうんだね」
「だって……人が空を飛ぶなんて、私じゃなくても、誰も信じません」
ノラの言い分に、サインツは肩を震わせて笑った。
「信じられないのも無理はないが……確かに実在したのだよ。不可能を可能にしようと、神秘の壁に挑戦した者達がね。少ないが資料も残っていて、一部の人間はそれを知っている」
「…………」
「おかしいと思ったことはないか?このアヴロナリア帝国は、文学や演劇のみならず、絵画、造形芸術、子供の工作に至るまで、科学やその賜物である発明品が登場する作品を、厳しく規制している。科学の発展は間違いなく、人々の生活を豊かにするだろう。にも関わらず、国民に原始的な生活を強いているのは何故か」
サインツは何気なく机の上にあった模型を手に取ると、きりきりとぜんまいを回して、元の場所に戻した。
「……神につかわされた試練によって滅ぼされた五つの大陸。帝国神話の悲劇を繰り返してはならない。多くの人々はそう信じているね」
模型は机の上を滑らかに走り出し、床に落ちて止まった。
「研究や発明を禁ずるのも、悪魔を集めるのも、すべては権力を王室に集中させるためなのさ。帝国は恐れているのだ。知恵をつけ、反旗を翻す者達の出現を」
実しやかに語るサインツを、ノラは怪訝そうに見た。
「腑に落ちないという顔だな?」
サインツは上機嫌で、ノラの頭に骨ばってごつごつした手を乗せた。
「世界は広く、君はまだ幼い。見聞を広め、いずれ自分の目で見定めなさい。そのためにはまず、勉強することだ」
「はあ……」
「興味があるなら教えてあげよう。といっても、授けられる知識はほとんどないが……」
サインツは眩しそうに目を細めて、天井からつり下げられた模型や、設計図の数々を眺めた。
「私は教師とは名ばかりの、古いものを拾ってきて修理するのが好きな、ただの変わり者のじじいだ。いつか自分の力で、大きなものを作りたくてね。……どうだい?一緒に勉強してみる気はないかい?」
ノラが返事を迷っていると、不意に玄関のドアが叩かれた。ノックの音は次第に大きくなり、どんどんどん!と、ドアを打ち壊しそうな勢いになった。
「……やれやれ、またか……」
サインツはうんざりとしたため息をついた。サインツはノラに音を立てないように注意して、隠し部屋を出て行った。
しばらくすると、隠し部屋に続く書斎にサインツが戻ってきた。サインツはお客さんを連れていた。オルガンの鍵盤の下から、サインツの細い足と、巨大な足が見えた。
「まだ続ける気ですか……いい加減、ここも閉めたらどうです?」
巨大な足の持ち主は、憲兵のダミアン・マスグレイブだった。
「これ以上目立ったことをすると、俺も庇いきれませんぜ、先生」
ノラは息を殺し、2人の会話をもっと良く聞きとろうと、耳をそばだてた。
「お前にかばってもらおうなんて思っちゃいないさ。自分の後始末は自分で付けるよ」
「なら良いんですがね。忘れないでくださいよ。俺達はあんたを見張るために、この町にいるんだ。面倒事になるようなら、俺はあんたを売って帝都に帰る。
わかってんでしょうね?そうなれば、あんたをかくまっているヴォロニエ侯爵やオシュレントン町長にも迷惑がかかるってこと。俺達は無実の人間まで豚箱に入れたいわけじゃないんだ」
ダミアンはいらいらと言った。
「……忠告はこれっきりですよ。先生」
サインツが答えないでいると、ダミアンは吐き捨てるように言って帰って行った。ノラは玄関の扉が閉まった音を確認してから、そろそろとオルガンの下から這い出した。
「先生……今のは……」
サインツの背中に向かって、ノラはおろおろとたずねた。
「…………」
「先生……?」
ノラが声をかけても、サインツは答えなかった。怪訝に思ったノラは正面に回り込んで、サインツの顔を覗き込んだ。
「取り戻すのだ……誇りを……王国を……早く……」
サインツはぼんやりした瞳で床を見つめ、ぶつぶつと呟いていた。怖くなったノラは、そっと部屋を抜け出して、走って家へ逃げ帰った。
その夜、ノラは奇妙な夢を見た。夢の中で、ノラは空飛ぶ乗り物に乗って、オシュレントンの町の上をいきいきと飛び回っていた。自宅の屋根を見つけたノラが、降りようとしたその時だ。
『ようこそ。私の研究所へ』
突然目の前に大きなサインツが現れて、ノラを乗り物ごと檻の中に閉じ込めてしまった。驚いてあたりを見回せば、そこはあの細長く薄暗い隠し部屋だった。本物だと思っていた空飛ぶ乗り物や町は精巧な模型で、ノラは天井から吊り下げられた檻の中から、部屋の様子を見渡していた。
『科学を勉強してみる気はないかい?』
サインツが檻の中のノラにむかってたずねて、そこで目が覚めた。