マルキオーレの復活
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翌日の学校。
「フォスターおじさんの体も良くなってきてるし、クリフもそろそろ学校に出てくるよ」
しょんぼりするノラを、アベルはそう言って励ました。
図らずも、母とオリオに告げ口してしまったショーンは、ノラにきちんと謝罪した。ノラはショーンを許したが、わだかまりはとけなかった。指輪事件の時、彼に信じてもらえなかったことが、いつまでも尾を引いていた。2人の間には深い溝ができてしまい、埋めることは困難に思われた。
授業が終わって、待ちに待った放課後。ガブリエラは我先に教室を飛び出して行こうとする生徒達を引き止め、もう一度席につかせた。
「みなさんに大事なお知らせがあります」
早く遊びに行きたいベン・ウォルソンは、机の下の足をいらいらと揺さぶり、その他の生徒達は顔を見合わせた。
「明日、この町にとても大切なお客様がいらっしゃいます。3時間目の授業を中断して、町の入口でお出迎えをしましょう」
これには、勉強嫌いな生徒達全員が喜んだ。とつぜん授業がなくなるなんて、これほど嬉しいことはない。
「お客様って?」
年長のジャック・フォローズが、みんなを代表してたずねた。
「マントウィック男爵夫人、エリザベータ・ドミニナ様と、お嬢様のレーチェ・ドミニナ様です」
ガブリエラはおほん!と咳払いをし、もったいぶって言った。
「マントウィック男爵様はすばらしい慈善家で、オシュレントン孤児院の運営委員を務めていらっしゃいます。今回はその奥様であるエリザベータ様が、ご滞在先であるヴォロニエから、はるばる視察にいらっしゃるのです。絶対に失礼があってはいけません」
ガブリエラは鼻息荒く説明して、子供達をびびらせた。
「孤児院なんて、私達には関係ないじゃない。ねえ?」
エレオノーレ・アレシが、斜め前の席のデイビッド・ホールドに小声で囁いた。
「マントウィック男爵夫人は、それは高貴なお方なのよ。お目にかかれることを、光栄に思わなければ」
ベンとジャン・ピッコリは、おえーっと吐く真似をした。
「誰か代表して、男爵夫人にお花を渡して欲しいのだけれど……」
ガブリエラはベンやジャンを無視して、室内を見渡した。
「シルビア、あなたが良いわ」
ガブリエラから大役を申しつけられたシルビアは、誇らしげに、ぴっと背筋を伸ばした。カレンは恨めしそうにした。
「明日はお休みしないで、ちゃんと学校に来るのよ。それから、綺麗な服を着てくること。途中で泥んこになったりしないでね。……ノラ?」
ガブリエラは、どういうわけだか、ノラに念を押した。シルビアとカレンはぷーっ!と噴き出し、ベンやデイビッドはお腹を抱えて大笑いした。んもう、失礼しちゃう。
午後になると、ノラとアベルはマルキオーレに会いに、お屋敷へ向かった。
お屋敷には町役場の職員や、お手伝いのコーデリア・オコネルがいて、掃除をしたり、食器を磨いたりと、忙しなく動き回っていた。姿は見えないが、ノラの父もどこかにいるはずだ。
ノラとアベルが敷地に入って行くと、庭木の剪定をしていたデムターさんが気付いて、歩み寄ってきた。
「やあ、二人とも。……せがれに会いにきてくれたのかい?」
「はい。マルクいますか?」
「うむ。……いや、ううむ……いるにはいるよ」
デムターさんは、歯切れ悪く答えた。どうも様子がおかしいので、ノラとアベルは顔を見合わせた。
「すまんが、私は失礼するよ。明日大切なお客様が来るので、準備に忙しくてね。……スチュアート!この子等を頼む!」
デムターさんは、お手伝いのスチュアート・オコネルを呼び付けて2人を預けると、そそくさとどこかへ行ってしまった。
親切者のスチュアートは、ノラとアベルを裏の井戸に連れて行き、靴の泥を落とさせた。
「昨日、坊ちゃんと旦那様が大喧嘩しなすったんだ」
スチュアートは訝るノラとアベルに、デムターさんの様子がおかしい理由を話した。
「旦那様が、孤児院の坊やの後見人になったろ?なにを勘違いしたのか、旦那様の言い方がまずかったのか、坊ちゃんはそれが絶対に嫌だと仰ってね」
スチュアートは嘆息した。
「旦那様も最初は根気強く説得していたんだが、坊ちゃんがあんまり駄々をこねるんで、とうとう堪忍袋の緒が切れちまってね。雷を落としたんだ。俺は坊ちゃんが赤んぼの頃からお屋敷に勤めているけど、あんな様子ははじめてさ。……まあ、気持ちは分からないでもないがね。ミゲイラ様が亡くなってから、ずっと親1人、子1人で上手くやってきたんだからね。坊ちゃんにしてみれば、なんでいまさらって気持ちなんだろうよ」
ノラとアベルは、スチュアートに案内されて2階のマルキオーレの部屋へ向かった。
「マルク、いるんでしょ?ここを開けて」
ノラがドアの外から呼びかけると、中から、がたがた!という音が聞こえてきた。
「あれ以来、引きこもって外に出てこないんだ」
スチュアートは呆れ半分、同情半分で言った。
「お願いマルク、出てきてちょうだい。お話しましょう」
「いつまでそうしている気だよ。いい加減にしなよ」
ノラとアベルが廊下から何度も声をかけたが、ドアが開く様子はなかった。
このままではらちが明かないので、ノラとアベルはスチュアートに鍵を借り、部屋に押し入ることにした。
ノラとアベルは、そろそろと扉を開けて部屋に入った。部屋の入口には食事を運ぶためのワゴンが置かれ、朝食の皿が乗っていた。舐めたように綺麗に平らげられていた。
マルキオーレは部屋の真ん中で、お気に入りのおもちゃに囲まれていた。ストレスが溜まるとやけ食いする性質の彼は、最後に会った時より、一回り大きくなったようだった。
ノラとアベルは、そーっと背後に忍び寄った。
「マルク」
ノラが背中から声をかけると、マルキオーレは飛び上って驚いた。
「お願いマルク。こっちを向いて、話を聞いて」
ノラはできる限り優しく声をかけたが、マルキオーレは心の耳をふさぎ、すっくと立ち上がった。
「マルク……?」
なにをするのかと思いきや、マルキオーレは1、2の、3で、窓に向かって猛然と駆け出した。
窓から身を乗り出そうとするマルキオーレを見て、ノラとアベルと、入口のところから成り行きを見守っていたスチュアートはぎょっとした。
「どこに逃げる気!?ここは2階よ!」
マルキオーレは3人がかりで窓から引きずり下ろされた。
「は、放せー!俺のことは放っておいてくれ!」
スチュアートに羽交い絞めにされてもなお、じたばたと暴れるマルキオーレを見て、ノラは『大きな赤ちゃんみたい』などと思った。
「痛っ!……そういうわけにはいきませんよ。俺が旦那様に怒られちまう」
スチュアートはマルキオーレにぽかぽか殴られながら、冷静に言った。
「2階から飛び降りたりしたら、きっとすごく痛いですよ。足の骨を折って、歩けなくなるかも……」
「…………」
スチュアートの脅しが効いたのか、たんに疲れたのか、マルキオーレは暴れるのを止めて大人しくなった。
ノラとアベルは頷き合うと、マルキオーレの傍らに膝をついた。マルキオーレはかわいそうなほど緊張し、青ざめた。
「ごめんねマルク……私が気付けば良かったよね」
「…………」
「あなたに指輪をもらった時、うれしくて、つい舞い上がっちゃったのよ……」
ノラが宥めすかすと、マルキオーレはようやく顔を上げてノラを見た。
「お……怒ってないの?」
「怒ってないわ。……怒れるわけないわよ。だってマルクは、私を喜ばそうとしてくれたんだもの」
ノラは慈愛に満ちた顔で言った。マルキオーレの顔面が、ふるりと震えた。
「でも俺、ひどいことしたのに……謝りもしないで……」
マルキオーレのまぶたから、後悔が大粒の涙となってこぼれ落ちた。ノラはマルキオーレの頬を、両手で拭ってやった。
「わかってる。怖かったんでしょ?……マルクの考えてることなんてお見通しよ。私たち、生まれてからほとんど毎日一緒にいるのよ」
ノラはにっこりとほほ笑んだ。
「ごめんっ……ごめんよおっ……」
ノラに許されたマルキオーレは、いよいよ本格的に泣き出した。滝のような涙をこぼすマルキオーレに、ノラとアベルは顔を見合せて苦笑した。
「俺も、ごめん……」
アベルが、泣きじゃくるマルキオーレに謝罪した。
「俺、ノラにマルクは卑怯だなんて言っちゃったけど、……本当に許せなかったのは、抜け駆けの方さ。マルクがノラに指輪をあげたって聞いて、嫉妬したんだ」
アベルの告白に、ノラとマルキオーレは目を丸くした。
「かっとなって友達をあんな風に言うなんて、卑怯なのは俺の方だ。友達だったら、気付いてあげるべきだったのに……」
「アベル……」
「本当にごめんよ」
アベルとマルキオーレは、仲直りのしるしにしっかりと抱き合った。友情を取り戻した2人を見て、ノラは嬉しくなった。
「さあさあ、お3人さん。仲直りが済んだら出てって下さいよ。明日は大事なお客様が来るから、ここも掃除しなきゃ」
スチュアートはにこにこして3人を追い出した。
お屋敷を出た3人は、明るい道を歩きながら、お互いの近況を報告し合った。
指輪事件からずっと家に引きこもっていたマルキオーレは、クリフォードの母親が町を出て行ったことを知ると驚愕した。
「俺が教会に泊まりに行くよ。ちゃんと親父に話して、許可をもらう」
マルキオーレは頼もしげに胸を叩いた。
「その意気よマルク!クリフもきっと喜ぶわ!」
ノラがおだてると、マルキオーレは満更でもなさそうに鼻の下をこすった。
「それでね、マルキオーレ……その……」
ノラはマルキオーレの顔色をうかがいながら、おずおずと切り出した。
「サリエリのことなんだけど……」
言いあぐねている様子のノラを見て、マルキオーレははあ。とため息をついた。
「違うんだ……」
「え?」
「あいつのことは、もういいんだ。親父があいつの後見人になるのは、気に入らないけど仕方ない。今さら俺が騒いだって、どうにもならないもん。……そうだろ?」
マルキオーレは2人に同意を求めた。
「俺が腹を立てているのは、親父のことさ。……親父のやつ、来年から俺を帝都の騎士学校に通わせるなんて言うんだ」
「?……騎士学校?」
「笑っちゃうだろ?……俺を鍛え直すためだとか言っているけど、本当は俺のことが邪魔になったのさ」
マルキオーレは忌々しげに、ふん!と鼻を鳴らした。
「親父は今、ヴォロニエ侯爵様と一緒に大がかりな事業を起こそうとしていて、その準備で忙しいんだ。出張が増えると家を空けることが多くなるから、俺を寄宿舎に入れてしまおうと考えたんだ。俺は町を出たくなんかないのに……いやになっちゃうよ」
ノラとアベルとマルキオーレの3人は、クリフォードに会いに、診療所までやってきた。
「マルクもきたのか!」
クリフォードは、マルキオーレの来訪を特に喜んだ。いろいろあって、2人が顔を合わせるのは久しぶりだ。マルキオーレも、クリフォードに会えて嬉しそうだった。
「おじさんの具合はどう?」
「あと2、3日様子を見たら家に帰って良いって。それより聞いてくれよ。俺、一昨日親父に殴られたんだぜ!」
クリフォードはいきいきと報告した。ノラとアベルとマルキオーレは、顔を見合わせて微笑んだ。フォスターが元気を取り戻して、本当に良かった!
「お前等には、先に話しておこうと思うだけどさ……」
クリフォードは、勿体ぶって切り出した。
「俺、学校をやめようと思うんだ」
「ええ……!?」
突然の重大発表に、ノラとアベルとマルキオーレは仰天して、目を白黒させた。
「な、なんで……!?」
「これからは、出来るだけ親父のそばに付いていてやりたいんだ。俺が見てないと直ぐ酒を飲むからさ」
クリフォードはさらっと言って、3人を大いに困惑させた。
「学校をやめてどうするの……?」
ノラはみんなを代表して、恐る恐るたずねた。
「働く。親父の仕事を手伝うか、どこかに雇ってもらうか、まだ決めてないけど……早く一人前になりたいんだ。どうせ卒業したら働きに出るんだから、回り道することはないと思って」
「…………」
「そんな顔するなよ。お前等だって知ってるだろ?俺は勉強するより、体を動かしている方が好きなんだ」
「……フォスターおじさんには、もう相談したの?」
「しないよ。絶対だめだって言うに決まってるもの。……なんだよみんな、応援してくれないのか?」
ノラとアベルとマルキオーレの3人は顔を見合わせた。
「俺は応援するよ。クリフが決めたことだもん」
真っ先に決断したのは、アベルだった。ノラはぎくりとした。
「寂しいけど会えなくなるわけじゃないし……クリフなら学校を辞めたって立派にやって行けるよ」
アベルは太鼓判を捺した。オシュレントンには学校に通っていない子供なんてたくさんいるので、反対する理由が見つからなかったのだ。
「仕事先が決まったら教えろよ。俺達、冷やかしに行くからさ」
マルキオーレも続いて、ノラはおろおろした。
(私……私は……)
ノラは、応援するとは言えなかった。ノラは混乱していた。フォスターが心配なのはわかる。でもどうして急に退学なんて……
ノラの疑問は、直ぐに解決した。
ノラがあれこれ考えながら自宅に戻ってみると、家の前には人だかりができていた。
例によって噂話に興じていたのは、最近母と和解したメリダ・ランベル夫人と、仕事から帰ってきたばかりのカシマ・カルカーニ、ライラ・ポワソンと、ノラの母だ。
好奇心から、ノラは盗み聞きすることにして、そーっと彼等に近付いて行った。
「今朝、市場でマルタに聞いたんだけどね。フォスター、銀行に借金があるみたいなの。家賃もずいぶん滞納しているんですって」
ランベル夫人がどこかうきうきした口調で言った。ノラはみんなの話をもっとよく聞こうと、意識を集中した。
「私も聞いたわ。追い出すわけにもいかないから困ってるって。腹が立つのはわかるけど、こんな時期に言わなくても良いじゃんねぇ?」
マルタというのは、パーラーを経営しているマルタ・ブレトンのことで、クリフォードの家の大家だ。
「あの人にそんな道徳を求めたって無駄さ。どんな秘密も、あの人に知られたが最後さ。お喋りはグッドマンだけで十分だってんだ」
カシマは吐き捨てるように言った。
「ねぇ、確かフォスターって、デムターさんと同い年よね?」
「あら、違うわよ。デムターさんと同い年なのは、フォスターのお兄さんよ」
ライラが確認して、ランベル夫人が訂正した。
「そうそう、グラディス!……懐かしいわねえ。利発で明るくて、とても良い子だったわ。いつも炭焼きや粉挽きを手伝ってくれて……今頃どうしているかしら?」
「グラディスは確か、クアングルで大学の教師をしているのよ」
その後、話題は最近パーラーで目撃された御者のダニエル・モリンズと、ウィナー農場の長女、キャスリーン・ウィナーの恋の行方に移り、興味を失くしたノラは、たった今帰ってきたようなふりをして家に入った。
「はあ……」
2階の自室でお小づかいの残りを確認したノラは、深いため息をついた。
(幾らくらいなんだろう……?)
机の引き出しには、1ピチ札が13枚に、10ピチ札が四枚。ベッドの下に落っこちていた1ピチ札を合わせて、54ピチ。ゆで卵を一個買ったら終わりという額だ。ジョイマン家の借金がいくらでも、とても足りそうにない。
「オリオ、今いくら持ってる?」
夕食後、ノラはオリオにたずねた。
「なんだ、もしかしておねだりか?……そうだなあ。2000ピチくらいかな」
オリオは得意げに鼻をふくらませて言った。ノラはがっかりと肩を落とした。
「なにが欲しいか言ってごらん。お兄ちゃん買ってやるから」
「……いい」
「???」