憂愁のクリフォード
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ノラが席に戻り、説教が再開されようとした頃だった。
入口の方が騒がしくなったかと思うと、クリフォードが礼拝堂に駆け込んできた。
「アルバート医師!アルバート医師はいませんか!?」
クリフォードは、近くに座るノラとアベルには目もくれず、大声で叫んだ。
「クリフォード、どうした!?」
前の方の席に座っていたアルバート医師は、隣に座るアーサー・ブリングリーの足をまたいで駆け付けた。
「お、親父が……!揺すっても起きないんだ!馬車に乗せようとしたんだけど、重くて、動かせなくて……!」
顔面蒼白になったクリフォードは、アルバート医師の胸倉を掴んで、震える唇で訴えた。
「みんな教会に行ってていないし、俺、怖くて……!」
「良く知らせに来てくれたな、クリフォード。もう大丈夫だ。あとは私達に任せて、先に診療所に行っていなさい」
アルバート医師は力持ちのヨーハン・ギルデンとオバダイア・アダムを連れて、すぐさま教会を飛び出して行った。
ノラとアベルは、呆然とするすクリフォードの傍らに寄り添った。クリフォードはノラの首筋に顔をうずめた。不謹慎にも、ノラの胸は高鳴った。
「もし親父が死んだら、俺……俺……っ!」
肩に涙が滲み込むのを感じて、ノラは狼狽した。クリフォードの身体は子うさぎみたいに震え、唇からは絶え間なく嗚咽が漏れた。
「三人とも馬車に乗るんだ。先に診療所に行くように、アルバート医師に言われたろ」
クリフォードとノラとアベルの3人を、オリオが診療所まで連れて行った。シルビア達もついて来ようとしたが、邪魔になるからと、周りの大人たちに止められた。
診療所に到着すると、三人は待合席にぴったりとくっ付いて座り、アルバート医師達の到着を待った。その間、クリフォードは両手をしっかりと握り合わせ、不安と恐怖にぶるぶると震えていた。ノラとアベルはかける言葉が見つからなかった。
フォスターが診療所に担ぎ込まれたのは、ノラ達が到着してから、約5時間後のことだった。時計の針は、15時45分を指していた。
「無茶な飲み方をして、引き付けを起こしたんだ」
フォスターは一命を取り留めたが、入院を余儀なくされた。お酒を飲みすぎないよう、大人の監視が必要とのことだった。
その日、クリフォードは診療所に泊まることになった。
「みんな、今日は本当にありがとう……取乱してごめん……格好悪いよな」
クリフォードは泣き腫らした目で、気恥ずかしそうに言った。
「そんなことないわ。アルバート医師が言ってたじゃない。処置が早かったから助かったんだって」
「そうだよ。クリフ、お手柄だよ」
ノラとアベルが励ますと、クリフォードはようやく安堵し、ほほ笑んだ。
ノラ達3人と、フォスターを運んできたヨーハンとオバダイア・アダムは、馬車で教会に戻った。
教会の前では、町のみんなが帰らずに、知らせを待っていた。みんなはフォスターが助かったことを知ると、ほっと胸を撫で下ろし、彼の無事を喜んだ。
「カティナのことで、気が滅入ってたんだろうね。かわいそうに……」
「クリフォードは辛いよなぁ。フォスターが戻ってくるまで、家に1人だろう?」
「近所の我々が、ちょくちょく様子を見に行ってやるんだな」
人々はクリフォードに同情し、口々に言い合った。
それから小1時間ほどして、一同はようやく解散した。ノラも家族とともに帰宅した。
家に帰り着いてすぐ、お隣のカシマ・カルカーニが訪ねてきた。
「さっきメリダとも話したんだが、大勢で押し掛けたら、アルバート医師だって迷惑だろ?だから、地域ごとにお見舞いの順番を決めたらどうだろうって」
「名案だと思うわ。それで、いつが良いかしら?」
「早い方が良いよ。まだ若いとはいっても、いつぽっくり逝くかわからないから。会えるうちに会っといた方が良い。明日お屋敷に行って、デムターさんと話してみるよ」
カシマは縁起でもないことを言って、ノラの顔を青くさせた。
カシマが帰って行くと、入れ替わりにサリエリが訪ねてきた。
『ノラ!サリエリが来たわよ!』
2階にいたノラは、階段の下から響いてきた母の声に、飛び上って驚いた。
な、なんでサリエリが……?
「ありがと……」
なんの用かと思えば、サリエリはノラがうっかり教会に置き忘れた鞄を、わざわざ届けに来たのだった。ノラはサリエリの手から鞄を受け取った。その際、サリエリの手の甲に残った傷痕を見て、ソニアの言葉を思い出した。
『この町には、嫌な思い出ばっかり』
「…………」
ノラはサリエリの顔をじーっとにらんだ。
『サリエリは本当にあなたのことが好きなのね』
すると今度はヘルガの言葉が鼓膜によみがえり、頬がかっと熱くなった。
サリエリは、上がって行けという母の誘いを、仕事があるからと断って帰って行った。
「今度サリエリを夕食に招待しましょう」
サリエリを見送った玄関先で、母は上機嫌で提案した。
「ねぇ、お母さん」
「なあに?」
「帝都に行ったら、帰ってこられる?」
ノラはキッチンに戻る母のお尻を追いかけて行ってたずねた。
「……そうねぇ。お金もかかることだし、ひんぱんには無理でしょうね」
母は頬に手を当てて、しんみりと言った。
(やっぱり……)
ノラはしょんぼりと肩を落とした。
母が言うように、帰省にはかなりのお金がかかる。ましてやサリエリは奨学金で国立魔学校に行くのだから、冬休みも向こう居続けになる可能性が高い。余分なお金があったら、つまらない田舎に帰るのではなく、もっと有意義に使うだろう。
「…………」
そして国立魔学校を卒業したら、向こうで仕事を見つけるはずだ。
「ノラ、そんなに悲しまないで。寂しい気持ちはみんな一緒よ。あなただけじゃないわ」
ソニアの言う通り、サリエリは出て行ったが最後、2度とこの町には……
「男の子は旅に出るものなのよ。でもいつか必ず帰ってくるわ。夢を叶えて、強く逞しくなって、帰ってくるわよ」
「…………」
「彼が自分で選んだ道だもの。応援してあげましょう」
項垂れるノラを、母は優しく諭した。
「私は少し心配しているのよ……あなたは昔から、大変なお兄ちゃん子だもの」
母がしみじみと言って、ノラはあれ?と首を傾げた。
「小さい頃はどこへ行くにもオリオの後を付いて回って……私が抱いても泣き止まないくせに、オリオが抱っこすると直ぐに笑顔になったりしてね」
「お母さん」
「うん?」
「誰のこと言ってるの?」
ノラがたずねると、母はしまった!と額に手を当てた。ノラは目を丸くした。
「……オリオ、出てくの?」
「……オリオは来年、帝都に行くことになったの。職場の方に紹介してもらったレストランで働きながら、料理の勉強をするんですって。もう住むところも決まっていて、あとは行くだけだそうよ」
「…………」
「あの子、帝都に行くために、ずっと貯金していたみたい。ずいぶん準備が良いので、私達も驚いているのよ」
手当の甲斐あり、フォスターは翌日の夕方には目を覚ました。クリフォードはしばらくの間、教会で寝泊まりすることになった。教会は診療所から近いし、ロドルフォ神父がいるので安心だ。
クリフォードは、フォスターが倒れたその日から学校には行かず、1日の大半を診療所で過ごした。
荒くれ者だったフォスターは、酒が抜けると別人のように無口になり、老け込んだ。ノラも1度だけ母やカシマと共にフォスターを見舞ったが、彼の小さく丸まった背中は、見るに忍びなかった。
フォスターが倒れてから10日ほどが経ち、6月に入った。その日、ノラとアベルは教室で、座る者のない席を物憂げに見つめていた。
「大丈夫かなあ、クリフ……」
クリフォードの不在を悲しんでいるのは、2人だけではなかった。女の子達は落ち込んでいたし、ベン・ウォルソンやデイビッド・ホールドも覇気がなかった。クリフォードがいない教室は、正しく灯が消えたようだった。
「俺、一昨日お見舞いに行ってきたんだけど……」
アベルは深いため息とともに切り出した。
「クリフ、すごく疲れた顔してた。夜も眠れてないんじゃないかな……ちょくちょく様子を見に行ければ良いんだけど……」
学校の子供達は、アルバート医師やフォスターの邪魔になるので、あまり診療所に行ってはいけないと注意を受けていた。従って、ノラが最後にクリフォードの顔を見たのは、もう1週間も前のことだった。
1人きりで不安な夜を過ごしているクリフォードのことを思うと、ノラの胸は痛んだ。
「良いこと思い付いた!……アベル、耳を貸して」
ノラはふと妙案を思い付き、アベルの耳に唇を寄せた。
「ノラ!それすごく良いよ!」
「でしょ?……今晩からさっそく決行よ!」