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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
小さな町の大事件
42/91

新たな事件

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 放課後になると、ノラは1人でクリフォードの家へ向かった。

 学校から西に向かっててくてく歩き、2時間近くかけて、ノラはクリフォードの家の前までやってきた。小さな平屋の家は、光の加減か、いつもよりひっそりして見えた。

 ノラが何気なく玄関の前に立つと、ドアの向こう側から、どたどたどた!という音がして、クリフォードが血相を変えて飛び出してきた。

 ノラは飛び上がって驚いた。

「あ、あの、私……」

 クリフォードは訪問者がノラだとわかると、がっかりした。彼の肩越しに、入口を入って直ぐのキッチンが見えた。どことなく雑然としていて、ノラは不思議に思った。

「……奥で親父が寝てるんだ。静かにな」

 クリフォードは身体を半分ずらして、ノラを部屋の中に招き入れた。

 クリフォードはテーブルに散らかったパンくずをかき集め、零れたミルクを布巾で拭いてから、ノラに椅子を勧めた。

 ノラはこっそりと室内の様子を見まわした。

「…………」

 いつもと違うのはせいぜい、テーブルに花が飾られていないとか、朝食の食器が出しっぱなしになっているとか、そのくらいだったが、室内には不穏な空気が漂っていた。奥の部屋からはフォスターの高いびきと一緒に、きついお酒の臭いがただよってくる。

「もしかして、寝てないの?」

 ノラはクリフォードの瞼の下にくっきりと浮き出した、濃いくまを指してたずねた。クリフォードは疲れ果てた様子で、「ああ……いや、うん……」と言葉を濁した。

「……4日も学校をお休みするなんて、なにかあった……?」

 ただごとではないと覚ったノラは、恐る恐るたずねた。

 クリフォードは長い時間、ノラの質問に答えようとしなかった。彼は陰気な瞳でテーブルの木目を見つめ、ふと思い出したように顔を上げ、口を開きかけては、静かに首を左右に振り、両手で顔面を覆った。

 フォスターのいびき以外室内に音はなく、とても静かだった。時折クリフォードの唇から零れるため息が、やけに大きく響いた。

 ノラははやる気持ちを抑えて、クリフォードが口を開くのを根気強く待った。5分が経ち、10分が経ち、半時も経ったころ。

「……あの人が、帰ってこないんだ……」

 長い葛藤の末、クリフォードは消え入りそうな声で呟いた。あまりに小さな声だったので、危うく聞き逃すところだった。

「……昨日の朝起きたら、もういなくてさ……おかしいと思ってタンスの中を見たら、あの人の服が全部なくなってて……」

 クリフォードが落ち着き払った口調で打ち明けた。ノラはしばらく、『あの人』が誰なのかわからず、考え込んだ。やがて思い至ると、ノラは青くなった。

「そ、それって、カティナ……?」

 クリフォードが力なく頷き、ノラは息を呑んだ。

 カティナ・ジョイマンは、クリフォードの母親だ。まだ30歳と若く、少女のような風情の、美しい女性。

「親父は知ってたみたいなんだよな……変だと思ったんだ。突然出かけようなんて……」

 クリフォードは嘆息して頭を抱えた。項垂れる彼を、ノラは言葉もなく見つめた。

「前の晩に、大喧嘩してさ。だから罪滅ぼしのつもりなのかなって……仲直りして、また3人で1からやり直すんだって……」

「…………」

「でも、違った……」

 事情を話すうちに、クリフォードの声はだんだんと涙声に変わった。彼の瞳からぽろりと一粒涙がこぼれると、ノラは狼狽した。

「思い出作りだったんだ。一昨日、親父は1滴も酒を飲まなかったし、あの人はにこにこしてた。ちょっと考えればわかるよな。どうして気付かなかったんだろうな?」

 自嘲気味に言うと、クリフォードはとうとうテーブルに突っ伏して泣き出した。

「浮かれてたんだ。家族で出かけることなんて、なかったから……」

「…………」

「連れてって、もらえなかった……!」

 声を殺して涙するクリフォードを、ノラはただただ見つめていた。なにか言わなければと思うのに、戸惑うばかりで、慰めの言葉一つ思い付かなかった。

「しばらく学校は休む。親父が心配だから」

 半時ほどして泣きやんだクリフォードは、玄関先でノラを見送って言った。

「クリフ……」

「ん?」

「大丈夫……?」

 ノラがたずねると、クリフォードは甘く微笑んだ。

「お前がきてくれて助かった。……ごめんな、変なとこ見せて」

 ノラは首を横に振った。

「そう言えば、なにか用事があったんじゃないのか?」

「いいの。……その、また遊びに来ても良い?」

「もちろん。いつでも来いよ」

 クリフォードの家に行った帰り道、ノラはお屋敷に立ち寄った。

 お屋敷の庭にはデムターさんがいて、馬車回しの縁に腰かけて、しょんぼりと肩を落としていた。

「やあ、ノラ……せがれに会いにきてくれたのかい?」

 ノラはこっくりと頷いた。

「あの、マルクは……?」

「それが……部屋にこもって、一歩も外に出てこないんだ。まるで人が変わったようだよ」

 デムターさんは胸に溜まった空気を、長い時間をかけて吐き切った。

「どうして気が付かなかったんだろうなあ……2人きりの親子なのに……他にも、私に言えずにいることが、たくさんあるのかもしれない……」

 その日は結局、マルキオーレには会えなかった。

 夕方。ノラは家に帰宅すると、ねずみのミライにカティナの件を相談した。

『やれやれ、また人助けか。お前はもしかして、あれか?英雄にでもなるつもりか?』

 ミライは呆れたため息をつくと、胡散顔でノラをにらんだ。

『てっとり早く怪物でも出してやろう。人喰い虎の鋭い爪をひらりひらりとかわし、見事その首を打ち取る様を皆に見せ付ければ良い。人々は伏してお前に感謝し、教会の壁画には新たにお前の肖像画が加えられ、広場に銅像が立つ』

「んもう。冗談ばっかり言ってないで、話を聞いてよ」

 ノラが口を尖らせると、ミライは鬱陶しそうに眉を寄せた。

『ふん。その女は自分の意思で出て行ったんだろう?私の力で呼び戻しても、また直ぐに出て行くさ。記憶を残らず消し去ってしまえと言うなら、話は別だが?』

 ミライは図星をついた。嫌味な言い方!と、ノラはむっとした。

『何度も言うが、他人のために悪魔と取引するべきではない。そのカティナとかいう女は、お前の友人ですらないではないか。お前はこの町の人間の願いを全て叶えるつもりか?』

「そういうわけじゃないけど……」

 カティナはクリフォードのお母さんだ。さよならも言えずにお別れなんて、悲しすぎる。

 ミライは今にも泣き出しそうなノラを見て、はーっとため息をついた。

『……叶えてやっても良い』

「本当?」

『ああ。だがその代わりに、お前の母親を差し出せ』

「えっ……」

 ノラはぎくりとした。

『出来ないなら、この話はなしだ』

 ミライは動揺するノラを目を細めて見て、煙となって消えてしまった。

 カティナが町を出て行ったという噂は、翌日の土曜日には、町中に知れ渡っていた。

 午前中、ノラが両親と共に買い物に行くと、農民市場はジョイマン家の醜聞でもちきりで、お屋敷の泥棒事件が遠い昔の出来事のように思えた。

「パーラーのご主人が、朝早くこそこそ家を出て行くのを見たんですって。大きな荷物を持ってたって」

 女たらしのヒューゴ・キャンピオンの母親の、エロイーズ・キャンピオンが囁くのを、ノラは母のお尻の陰から聞いていた。

「昨日の朝でしょう?そういえば町の入口に、ずいぶん立派な馬車がとまってたわ」

「言わないでおこうと思ったんだけど、隣町で何度か見たのよ。カティナが男の人と一緒にいるところ。このあたりでは見かけない男だったわ」

 さんさん牧場のアギー・ワイアットとアガタの母親のベリル・デビが口々に言った。

「クリフォードはかわいそうにねぇ。あんな良い子を置いて行くなんて……」

「ねぇノラ、あんたクリフォードとは仲良しだろ?なにか知らないかい?」

 ライラ・ポワソンが、母の背中にノラを見つけてたずねた。ノラはとっさに、『知らない』とうそをついた。

 奥さんたちのうわさ話を聞いているうちに、ノラはだんだん心配になってきた。

 今頃、クリフォードはどうしているだろう?望みを捨てられずに、あの雑然とした部屋で1人、カティナの帰りを待ち続けているんだろうか?

「ノラ、今日はお掃除を手伝ってちょうだい」

 午後になり、アベルと一緒にクリフォードの家へ向かおうとしていたノラは、出かける寸前になって母に手伝いを申し付けられた。

「えーっ」

「あら、なあにその顔は。もとはと言えばあなたのせいなのよ」

 仕方なく、ノラはクリフォードのお見舞いをアベルに任せ、母と一緒に壁やドアの泥をこすり落とした。

何10回も井戸と家の前の道を往復し、へとへとになった頃。クリフォードの家からアベルが戻ってきた。

「案外元気そうだったよ。ベンやデイビッドも来ていてさ。戦車を見せてもらったんだ」

「そう……」

「ノラが来られないって知ったら、がっかりしてたよ」

 翌日の日曜日、ノラは家族とともに教会へ向かった。

 神父様の説教がはじまる時間になっても、クリフォードは礼拝堂に現れなかった。シルビアやカレン達も心配しているようで、何度もドアの方を振り返っていた。

 マルキオーレも来なかったので、ノラの隣には2人の代わりに、ヘルガが座った。

 優しいヘルガは、ノラが大変な時にそばにいられなかったことを悔いていた。

「サリエリは本当にあなたのことが好きなのね」

「え……?」

「友達のために我が身を差し出すなんて、なかなか出来ることじゃないわ」

 ヘルガは言いながら、前の席を指差した。ヘルガの指の先にはサリエリがいて、身体ごと振り返ってノラを見ていた。ヘルガが手を振ると、サリエリは慌てて前に向き直った。

 それは説教の間の、休憩時間のことだった。

 ノラが裏の手洗いから戻ってくると、教会の前のメタセコイヤの陰で、孤児院のソニア・アンダートンが待ち伏せしていた。 

「なんてことしてくれたのよ!」

 ソニアはノラを捕まえて、出し抜けに喚いた。

「サリーが帝都に行っちゃったら、あんたのせいよ!」

 なんのことかと思えば……ノラは呆れた。サリエリが大好きなソニアは、デムターさんの援助おかげで、彼が国立魔学校に入学できることになったのを怒っているのだ。

「今からそんなに大騒ぎしなくても……行くのは来年よ。それに、一生会えなくなるわけじゃないわ。ちょっとの間よ」

 ノラが慰めると、ソニアはいっそう視線を険しくした。

「わかってないわね。この町を出て帝都で暮らせるのよ。一度出て行ったらこんな町、誰が帰ってくるもんですか」

 ソニアが断言して、ノラは首をかしげた。

「どうしてそんなこと思うのよ?」

「私だったら2度と帰ってこないからよ!」

 ソニアはひどい剣幕で怒鳴った。ノラは面食らった。

「私だけじゃないわ。運よくどこかに貰われていった子は、みんなひた隠しにするのよ。孤児だったことなんか忘れたいし、最初から良い家の子供だったんだって思いたいもの。……サリーだって同じよ。やっと出て行けるんだから……」

 ソニアは打って変わってしょんぼりした。

「私達はこの町の生まれじゃないの。みんなあぶれたり、元の場所を追い出されたりして、どこかから連れてこられたの。帰ってきたって、タリスン院長に厄介者扱いされるのが関の山よ」

「…………」

「……この町には、嫌な思い出ばっかり。少なくとも私はそう」

 ソニアは吐き捨てるように言った。

『哀れなやつだ』

 ノラはミライの言葉を思い出した。

「とにかく、私はあんたを許さないわよ。復讐してやるからね」




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