全て終わって
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翌日の朝、憲兵詰所の牢屋に一晩泊まったノラは、迎えにきた母とともに学校へ向かった。学校の職員室には、デムターさん、ガブリエラ、サインツ、オーボー校長先生がいて、ノラを待っていた。
「さあ、みなさんに言うことがあるでしょう?」
母はノラを、みんなの前に押し出した。
「もうしわけありませんでした。たいへんご迷惑をおかけしました」
滅多に見られないノラの殊勝な態度に、大人達は顔を見合わせて笑った。全てを水に流したようなみんなの顔を見て、ようやく終わったのだという気がした。
(良かった……)
悪夢のような二日間。自分にもみんなにも少しだけがっかりして、悪くない気分だった。失くしたのは、冒険に満ちた放課後と、仔猫みたいにかわいい牙と、仮初の友情。
「デムターさんがね、サリエリの後見人になって下さるんですって」
ガブリエラが弾んだ声で言って、ノラは目を瞬いた。後見人?
「こんなことで罪滅ぼしが出来るとは思っていないがね」
極り悪そうに呟くデムターさんの顔は、憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。
「十分ですわ。後見があるのとないのでは、今後の彼の人生が大きく違ってきます。サリエリは喜びますわ」
「だと良いんだが……彼はきっと恨んでいるだろう。私と、ばか息子のことを……」
デムターさんは、はあ。と深いため息を吐いた。
「そう思うのなら、しっかりと親代わりを務めることだ」
サインツが厳しく言って、デムターさんを恐縮させた。
「ノラ。君にもなにかお詫びをしなくちゃならないな。なにが良い?」
「なんにもいりません……でも、あの……マルクをあんまり怒らないであげて欲しいの」
ノラのお願いを聞いたデムターさんやみんなは、にっこりとほほ笑んだ。
「わかった。約束するよ。情けないやつだけど、これからもよろしくね」
それからしばらくして、職員室にタリスン院長先生とサリエリが入ってきた。サリエリは室内をぐるりと見渡して身構えた。ノラはそっと母のお尻の後ろに隠れた。
「本当にすまなかった」
デムターさんはサリエリの前に跪き、項垂れた。びっくりしたサリエリは、目をぱちくりさせて、どうなってるの?と、近くにいたサインツの顔を仰いだ。
「ノラが全てを話してくれた。あまり褒められたことじゃないが……女の子を庇ってやってもいない罪を被るなんて、男だな君も」
サインツは呆れたような、感心したような口調で言った。
「サリエリ、君には本当にすまないことをした。私は亡き妻を思うあまりに、息子をかばおうとしてくれたノラや、身を挺して友達を守ろうとした君のことを、疑ってしまった」
「…………」
「許してくれとは言わない。しかし、もしも機会をくれるなら、どうか私に君の後見人を務めさせてほしい。役不足かもしれないが、精一杯やらせてもらうよ」
デムターさんが申し出ると、サリエリは仰天して、目をまん丸にした。
「了承してくれるかい……?」
サリエリの黒い瞳がきらきらと輝き、頬がばら色に紅潮するのを、ノラは母の尻の陰からこっそりと見守った。
サリエリはデムターさんの提案に飛び付いた。うん、うん、と何度も頷き、デムターさんやみんなを安堵させた。
(本当に良かった……)
サリエリは痛い思いをしたけれど、町を出て行かずに済んだし、デムターさんという頼もしい後ろ盾を得た。デムターさんはお金持ちなので、子供が一人増えたって平気だ。
みんながにこにこしていて、ノラは嬉しい気持ちになった。ノラが言い知れぬ満足感に浸っていると、ノラを隠していた母が動いた。
母はサリエリの前に進み出ると、デムターさんと同じように、跪いた。
「娘を守ってくれて本当にありがとう。勇敢な坊や……」
その忌まわしい出来事は、ノラの見ている目の前で起きた。感激した母が、突然サリエリの頬に唇を寄せたのだ。
「!?」
「今度うちに遊びにいらっしゃい。娘と一緒に歓迎するわ」
喜びが吹き飛ぶほどの衝撃だった。例えば父に浮気相手がいたとして、その娘がシルビアだと聞かされたってこんなに驚かないというくらい驚いた。
もっと最悪なのは、サリエリの耳がみるみるピンク色に染まったことだ。
(なんてこと!)
よりにもよって、母にキッスされて赤くなるなんて!
ノラは鬼の形相でサリエリをにらんだ。ようやくノラの存在に気が付いたサリエリは、ひゃっ!と飛び上がった。
「ふんっ!」
ノラはぷりぷり怒って職員室を出た。サリエリは慌てて後を追いかけてきた。
二人が職員室を出て行くと、ドアの外で様子をうかがっていたクラスメート達が、わっ!と駆け寄ってきた。
「なあ、牢屋ってどんな感じだった?やっぱり寒かった?」
「一人で怖くなかった?食べ物はどんなのが出たの?」
ベン・ウォルソンがたずねたのを皮切りに、あっちからもこっちからも質問が飛んできた。
ノラとサリエリは思わず顔を見合わせた。みんな、もう知ってるの?
「昨日の夜、お屋敷から帰ってくる途中のスチュアートに聞いたんだ。俺達、家が近所だからさ」
ジャン・ピッコリは早耳を自慢した。ノラはほっとした。この分なら、明日の朝には町中の人の誤解が解けているだろう。
クラスメート達はノラに同情し、サリエリの勇気を称えた。マルキオーレに対する意見は……さまざまだった。
「奥手だと思っていたのに……やるなあ、あいつ」
などと感心したのは、マルキオーレと仲良しのデイビッド・ホールドだ。
「詰めが甘いんだよな。俺ならもっと上手くやる!」
同じ『立たされ組』で悪戯仲間のベン・ウォルソンは張り合い……
「人騒がせなやつだよ。2度はごめんだね」
年長のジャック・フォローズは呆れた。
「ノラが疑われているのに、知らん顔するなんてひどいわ」
ジノ・シャルディニが非難して……
「言い出せなかったんだろ。デムターさん、怒るとおっかなそうだもん」
エドワード・マージョラムが弁護した。
「お母さんの形見の指輪をプレゼントするなんて、思い切ったわよねぇ」
「それって愛の告白でしょ?勇気あるわあ。私、見直しちゃった」
「もらった時、どんな気持ちだった?うれしかった?」
「良いなあ。私も早く彼が欲しい」
ヨハンナ・カレーラスと、トリシア・フォローズ、カレン・ウォルソン、エレオノーレ・アレシの4人は、女の子らしい視点で評価した。
「マルクのやつ、ノラに罪を着せようとするなんて、見損なったよ!」
中でも、最も厳しい意見を述べたのは、アベルだった。アベルは怒って、温厚な彼らしくない口調でマルキオーレを罵った。
「私が悪かったんだわ」
ノラは項垂れた。
「私が最初からちゃんと本当のことを話していれば、こんなことにはならなかったの」
ノラは後悔していた。ノラがもっと早く決断して、デムターさんに打ち明けていれば。マルキオーレは怒られたかもしれないが、あんなに傷つかなかっただろう。
「……でも、やっぱり卑怯だよ!俺は許せない!だってマルクは……男なんだから!」
その日の授業は、久しぶりにガブリエラが教壇に立った。
生徒達は―――特にベン・ウォルソンとデイビッド・ホールドは―――ガブリエラが学校に戻ってきたことを、心から喜んだ。これでようやく窮屈な日々から解放される!
「来年から学校に通う子供が増えるため、サインツ先生にはこのまま残っていただくことになりました」
と思ったのもつかの間。オーボー校長先生から、サインツが正式にこの学校の先生になることが発表された。生徒達は大いに落胆した。
1時間目の休み時間、ノラは職員室のサインツのもとへ向かった。
「あのお話はまだ有効ですか?」
ノラが出し抜けにたずねると、サインツは首をかしげた。
「あの話とは?」
「無断欠席の、ペナルティの件です……」
ノラはもじもじして言った。
「もちろん。優秀な助手はいつでも歓迎だ。君なら申し分ない」
ノラは元の席に……サリエリの隣の席に戻ることを許可された。
ノラとサリエリの机の周りには、休み時間の度に人だかりができた。話の輪に加わらなかったのは、シルビアと、ショーン・カートライトだけだった。シルビアは想像していた結末と違ってつまらなそうだった。ショーンは休み時間中ずっと下を向いていて、ノラと目を合わせようとしなかった。ノラもショーンに声をかけようとは思わなかった。
「そういえば、クリフは今日もお休み?」
ノラは教室を見回して首を傾げた。いつも元気なクリフォードが、こんなに学校を休むなんて珍しい。ピクニックに行って、風邪でもひいたんだろうか?
「そうみたいだね。……どうしたんだろう?」
アベルもクリフォードの欠席の理由を知らないようだった。
「放課後に様子を見に行ってみよう」
ノラが提案すると、アベルはすまなそうな顔をした。
「昨日みんなして仕事をさぼっちゃったろ?今日は牧場を手伝わないといけないんだ」
「そっかあ……」
「本当にごめんね。クリフによろしく言っておいて」