ノラの奮闘
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親切なライラは、ノラを学校まで送って行った。
ノラが学校に戻ってみると、サリエリは教室にはおらず、生徒達がこぞって職員室の扉の前に集まっていた。
「ねぇ、サリエリは……?」
「職員室に呼ばれてる。デムターさんがきて、サリエリを退学させろって騒いでるんだ」
「た、退学……!?」
ノラは息を呑んだ。大変だ!泣いている場合じゃない!
ノラは人だかりを掻き分けて職員室の前までやってくると、ベンやデイビッドと一緒になって、ドアにぴったりと耳をくっ付けた。
『そんな!あんまりです!いくらなんでも、やり過ぎだ!』
扉の向こうから、非難の声が聞こえてきた。くぐもっていて聞き取り辛かったが、オーボー校長先生の声だとわかった。
『なにがやり過ぎなものか。この子は明日にでもよその町の孤児院に移す。ブルミンドか、バハニンか……とにかく、私の土地からは出て行ってもらう』
ベンとデイビッドは、驚き顔を見合わせた。ノラは肝をつぶした。サリエリが町を追い出される!?
『デムターさん、どうか考えなおして下さい!サリエリは確かに罪を犯しました。しかしまだ子供です!』
『なんと言われても、私は気を変えるつもりはない。本当ならサルタゴビア送りにしてやりたいところだ。邪魔立てするなら、あんたでも容赦はせん!』
デムターさんは言い捨てて、職員室の裏口から出て行った。
「……なあ。サルタゴビアって?」
「シェタミノエ領にある大きな街の名前さ。少年刑務所があるんだ」
ベンとデイビッドが話すのを、ノラはがたがたぶるぶる震えながら聞いていた。
(どうしようっ……どうすれば良いの……?)
そんなの決まってる。どうにかして、サリエリの無実を証明するしかない。
ノラは再び学校を飛び出すと、裏に停めてあった誰かの馬車を拝借し、一目散に憲兵詰所へ向かった。
憲兵詰所には、巨漢のダミアン・マスグレイブをはじめ、のっぽでマッチョなロドリーグ・バタイユ、リオナルド・ビュシェール、色黒でちびのアブー、立派な口ひげを生やしたレイモン・アンスランなどがいた。
ノラが入って行くと、ダミアンはあからさまに眉を寄せた。
「おいちびっ子。入る家を間違えてるぜ。アルバート医師の家ならこの先だ」
ノラはダミアンのだらしない格好や―――椅子の前脚を浮かせてバランスを取り、書机に足を投げ出して、手にはカードとビールが入ったカップを持っている―――散らかり放題散らかった部屋を見て、顔をしかめた。
「間違ってないわ。ここに用があるの」
「なにい?」
「お屋敷の指輪事件を、もう一度捜査してほしいの。サリエリは犯人じゃないわ」
憲兵達は顔を見合わせた。
「本人が犯行を自供したんだぞ。それに、指輪を持っていたのがなによりの証拠だろ」
「理由があるのよ。サリエリは私をかばってるの」
「じゃあ、犯人はお前か?」
「違うわ。私じゃないわ」
ノラが首を左右に振ると、ダミアンはため息をついて、眉間を揉んだ。
「……仕事が立て込んでいて、手が放せねぇんだ。遊びたいなら他を当たってくんな」
「仕事なんてしてないじゃない」
「これからするんだよ。……ほら、帰った、帰った」
ダミアンはしっしっとやって、ノラを追っ払おうとした。
「本当にサリエリは犯人じゃないの。私をかばっているだけなの」
「だとしたって、そりゃあサリー坊やの男気ってもんだ。それに今更真犯人が出て来たって困る」
「ええ……?」
「いただいた謝礼金の半分はたった今こいつで摩っちまった」
ダミアンは手にもったカードをひらひらして見せた。
(なんてこと!)
ノラは頼む相手を間違えたことを悟った。このずくなしどもは、謝礼金欲しさに自供だけでサリエリを犯人と決め付け、ろくすっぽ捜査をしなかったのだ!
「そういうわけだ。さっさとお家に……や、やめろ!おおっ!」
ノラはダミアンが後ろ脚だけで器用にバランスを取っていた椅子の背に、両手で力を加えた。がったーん!と、ダミアンは背中から床に倒れ、じたばたともがいた。ロドリーグとアブーはその姿を見て大笑いした。
「この餓鬼!なにしやがる!」
「うるさい!……ぼんくら!でぶ!」
ノラは口汚くののしって、憲兵詰所を出た。
頼みの綱を失ったノラが憂鬱な気持ちで馬車を走らせていると、道の途中で、孤児院のギネヴィア・タリスン院長先生とすれ違った。タリスン院長先生は、馬車でどこかへ出かける途中のようだった。
「あ、あの……!」
ノラはわらにも縋る思いで声をかけた。
「学校で、オーボー校長先生とデムターさんが話しているのを聞いたんです。サリエリが、よその町の孤児院に移されるって……」
ノラはしどろもどろに言った。サリエリの保護者であるタリスン院長先生ならば、デムターさんの暴挙を止めてくれるに違いない。
「そう。サリエリはオシュレントン氏に感謝すべきね。そのくらいで済んで良かったわ」
そう思ったのに。ノラの話を黙って聞いていたタリスン院長先生は、事もなげに言った。ノラは耳を疑った。
「そのくらい?町を追い出されるのが……?」
ノラが思わず呟くと、タリスン院長先生はきっとノラをにらんだ。
「……サリエリは、大変なことを仕出かしてくれました。孤児院は、オシュレントン氏や支援者の方々の寄付で成り立っているのです。他人様のお金で生活している身分で、親切な方々の厚意を踏みにじるような真似をして、ただで済むはずがないでしょう」
タリスン院長先生は取りつく島もなく言った。その横顔の、なんと冷たいこと!
「院長先生は、サリエリが町を出て行っちゃっても良いんですか……?」
「……なにを勘違いしているのか知りませんが、私はあの子の親でも友達でもありません。私の仕事は親のいない子供達の世話をし、時がきたら社会に送り出すことです」
タリスン院長先生はいらいらと言うと、学校の方へ走り去ってしまった。
ノラが家に帰ってくると、玄関の前で待ち構えていた母が、いそいそと駆け寄ってきた。
「んもう、今までなにやってたの?先生がいらしているのよ!」
はて?と、ノラは首を傾げかけて、はっとした。そういえば、学校の裏手に停めてあった馬車を、勝手に拝借したのだ。
リビングでは、サインツがゆったりとソファに腰掛けてお茶を飲んでいた。ノラはがっくりと項垂れた。オーボー校長先生の馬車だったら良かったのに……
「どうもすみませんでした……」
ノラが殊勝な態度で謝ると、サインツはうふふとほほ笑んだ。はじめて見る老教師の笑顔に、ノラはぎょっとした。
「君のおかげで美味い食事にあり付けた。母上の料理に免じて、今回限りは許そう」
「はあ……」
「それで?私から馬車を奪っただけの成果はあったか?」
サインツがたずねると、ノラはたちまちしゅんとした。
「……シルビア・グッドマンが、君の秘密を暴こうと躍起になっているぞ」
サインツはノラの顔を見て成果が芳しくないことを悟り、話題を変えた。
「先ほど学校で、デムター氏に指輪を見せてくれと頼み込んでいた。……懲りない子だな。それに、よほど君が嫌いなようだ。……いったいあの子になにをしたんだ?」
サインツはノラを面白そうな目で見た。
「……なにも。シルビアはクリフが好きなんです。だから、仲良しの私が邪魔なんです」
サインツは明快な答えに『なるほど』と納得した。
「クリフォード……あれはいい男だ」
そう呟いたきり、会話はぱったりと途切れた。長い沈黙が流れた。
「あの、先生……」
ノラが口を開いたのは、サインツがもう直ぐお茶を飲み終えようという頃だった。
「私、先生にお話ししたいことが……」
ノラは悩みに悩んだ末、サインツに真実を告白することに決めた。死にたくなるほど怒られるかもしれないが、サリエリが町を追い出されるよりはましだ。
「……残念だが、私は君の相談には乗ってやれないよ」
「え?」
「君が話をしなければならない相手は、別にいるようだからね」
サインツは意味深に言った。
「私が、話さなきゃならない人?」
「そう。心当たりはないかね?……私はそろそろお暇するよ。問題生徒を叱り飛ばしに行かなきゃならんのだ」
サインツは上着を持って立ち上がった。
「?……今からですか?」
「そうとも。本当に困ったやつでね。友達のピンチだというのに、臆病風に吹かれて真実を打ち明けられずにいるんだ」
「それって……」
サインツはしわの目立つ黄色い顔を、にっこりさせた。
「ガブリエラ先生は、悪い人ではないよ。ただ少し言葉が足りないんだ」
帰り際、サインツはノラに言った。
「お母さん!馬車を貸して!」
サインツが残したヒントで『話さなきゃならない人』の正体に気付いたノラは、馬車に飛び乗った。
「先生!ガブリエラ先生!」
ノラはサインツの助言に従い、ガブリエラの自宅までやってきた。辺りはもう真っ暗で、空には星が瞬いていた。
「先生!お願いここを開けて!お留守なんですか!?」
どんどんどん!と、ノラはガブリエラの家の玄関の戸を激しく叩いた。
いつまで待っても返事がないので、ノラは家の裏手にまわって、カーテンの隙間から中を覗いた。灯りはついていたし、人の気配もした。
再び玄関に戻って何度か戸を叩いたが、ガブリエラは出てきてはくれなかった。
「お……怒ってるんですか……?」
ノラは開かない扉に向かって、恐る恐るたずねた。
「謝ります!私、先生が仰っていたことの意味が、ようやくわかったんです!どんな罰でも受けます!毎日先生の家のトイレを、ぴかぴかに磨きます!教会にも通います!」
叫んでいる内に、だんだん涙が込み上げてきた。
「お願い先生!ここを開けて!早くしないと、サリエリが……!」
「ノラ……?なにしてるの?」
開かない扉にすがりついて泣いていると、背中から聞き慣れた声がして、ノラは振り返った。そこにはガブリエラが立っていた。
「ここのご主人はお耳が遠いのよ。『ご用の方はハービーのさんさん牧場まで』って書いてあるでしょう?先にそっちへ行って、妹さんに用を言わなきゃ」
ガブリエラはノラの腕を引っ張って立たせた。
「先生……ここ、先生の家じゃ……?」
「?私の家はこの2軒先よ。あら、もしかして私にご用かしら?」
「…………」
ノラは2軒先の、ガブリエラの家に上がり込んだ。飾り気がなく適度に散らかった部屋は、ガブリエラそのものといった感じだった。
「どこかへ行くんですか?」
ノラは床に放り出された大きな旅行鞄を見てたずねた。ガブリエラは首を左右に振った。
「帰ってきたところよ。ケスパに住んでいる弟が結婚したの。どうしても式に出席したくてお休みをもらったんだけど……サインツ先生から聞かなかった?」
ノラはガブリエラが入れてくれたお茶を飲みながら、ここ数日にあった出来事を、事細かに話した。お屋敷のダンスパーティでマルキオーレに指輪をもらったことや、そのせいでノラが泥棒の疑いをかけられたこと。サリエリがノラを庇って、憲兵に捕まったこと。
「そう……私がいない間にそんなことが……」
ガブリエラはノラの話を真剣に聞いてくれた。全てを話し終えると、ノラの心は羽根のように軽くなった。
「……私が間違っていたんです。魔学校にはサリエリが行くべきなんです」
ノラは目の端から滲みだしてきた涙を、手の甲でごしごしとこすった。
「私、今度こそちゃんとサリエリを応援します。もう他人を妬んだり、羨んだりしません」
ガブリエラはノラの告白を聞き、ほうとため息をついた。
「ノラ……やっとわかってくれたのね。先生嬉しいわ」
「…………」
「あなたに必要なのは、女の子の友達よ。放課後、あなたのためにレクリエーションの時間を作るわ。きっと楽しい会になるわ。参加してくれるでしょう?」
「……はい……はい、先生……」
うなずく声には、許されたことに対する安堵と、ほんの少しの諦めが滲んだ。
「とにかく、一緒にデムターさんのお屋敷へ行きましょう。それから、あなたのお母様ともお話しなくちゃね」