ノラの葛藤
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「ノラ!こんなところにいたのか……!」
オリオの顔を見てほっとしたノラは、へなへなと地面にへたり込んでしまった。オリオは慌てて駆け寄ってきて、ノラを抱き上げた。
「まさか、デムターさんに文句を言いにきたのかい?……お前も悪かったんだぞ。違うなら違うと、どうしてはっきり言わなかったんだ?」
「…………」
「……まあ良いや。帰ろう。お父さんとお母さんが待ってるよ」
ノラはアベルに馬車を返して、オリオと一緒に帰宅した。泥だらけになった玄関の前では、心配した母が、首を長くしてノラの帰りを待っていた。
「お帰りなさいノラ。無事で良かったわ」
「…………」
「かわいそうに……よほど怖い思いをしたのね。デムターには明日、私がきっちり話を付けてあげますからね」
母とオリオに連れられて家に入ると、キッチンから漂ってきた良い香りに、ノラのお腹がぐうー!っと鳴った。
(少しだけよ……)
食事を目の前にしたノラは、心の中で言い訳した。ほんのちょっと、食事を食べ終える間だけ……お腹がいっぱいになったら、サリエリを助けに、憲兵詰所へ向かおう。そうしよう。
「オリオ、お湯を運ぶのを手伝ってちょうだい。ノラはこっちへいらっしゃいね」
夕食が終わると、母はノラをお風呂場へ連れて行った。汚れた娘を洗ってやろうというのだった。
(まだ、良いよね……?)
ノラはぐずぐずと迷って、けっきょく入ることに決めた。急いで食べたので、まだ一時間も経っていない。もう少しくらい許されるはずだ。
ノラは、母とオリオがキッチンとお風呂場を何度も往復して溜めたお湯に浸かりながら、マルキオーレのことを考えていた。彼は今頃、ノラが告げ口するんじゃないかと怯えているに違いない。ノラのお腹はちくちくと痛んだ。
「頭を拭いてやるから、お兄ちゃんのお膝においで」
ノラがお風呂から上がると、タオルを持ったオリオが、リビングのソファでノラを待っていた。ノラは大人しくオリオに従った。
「今日は大変な一日だったなあ。ゆっくり休むと良いよ」
「…………」
背中に感じる温かさに身を任せていると、ノラの意識は次第にぼんやりとしてきた。家に戻ってきてから、一時間と少し。いつもならとっくに寝ている時間だ。
(……なんか……)
だからというわけではないが、重い腰が持ち上がらない。
(……疲れた……)
早くサリエリを助けに行かないといけないのに、優しい手つきで髪を梳かれると、なにもかもがどうでも良くなってしまう。
「…………」
今頃行ったって、もう遅いかもしれない。ミライの言う通りだ。サリエリが犯人ではないと訴えたところで、マルキオーレが罪を告白する気にならない限り、彼の容疑は晴れない。デムターさんに信じてもらえる自信もない。
「…………」
では、自分がサリエリの代わりに、犯してもいない罪をかぶるのか。
(……いや!出来ない!)
ノラはデムターさんの憎しみに燃える瞳や、怒鳴られた時の恐怖を思い出し、ぶるりと背筋をふるわせた。
「どうした?寒いのかい?」
「…………」
「ノラ……?」
ノラは唇を噛み締めた。どうして被害者であるはずの自分が、こんなに悩まなければならないのか。ノラはただ巻きこまれただけなのに、理不尽だ。
(……そうよ……私が悪いんじゃない)
恨むなら、マルキオーレを恨むべきだ。
(放っておいても平気よ……)
サリエリだって馬鹿じゃない。本当にひどい目に合わされたら、口を割るさ。
(良いのよ……これで……)
ミライだって言っていたじゃないか。たかが子供の悪戯。泥棒なんて大げさ。デムターさんは今頃、怒り過ぎたことを恥じているかもしれない。
「……よっぽど疲れたんだな。今日はお兄ちゃんと一緒に寝よう。絵本読んであげるよ」
「……良い。一人で寝る……」
ノラはいつ呼び出されても良いように、靴を履いてベッドに入った。目を瞑っても眠りはおとずれず、何十回も寝がえりを打ち、いら立たしさと不安を深いため息にして吐きだした。
けっきょく朝まで一睡もできず、ノラは休むべきだという母の反対を押し切って学校へ向かった。
母と口論していたせいで、学校に到着したのは、授業がはじまるぎりぎりだった。
「きっと復讐だ。サリエリのやつ、マルキオーレにいつも追いかけ回されてるから」
サリエリはおらず、彼が指輪事件の真犯人という話は、クラス中に知れ渡っていた。犯行の動機について様々な憶測が飛び交い、ノラは青ざめた。
「サリエリをはめるなんて、あなた最低ね」
シルビアは、入口付近で呆然と立ち尽くすノラを、軽蔑の眼差しでにらんだ。違う!と思ったノラだったが、口にはできなかった。
授業がはじまる時間になっても、サリエリは姿を見せなかった。ノラは空席を見つめて、不安を募らせた。
「先生、サリエリはどうなるんですか?」
教壇に立つサインツに、みんなを代表して、年長のジャック・フォローズがたずねた。
「べつに、どうにもならん。もう罰は受けた」
「罰って、どんな罰ですか?」
「……君も受けて見るか?」
サインツがじろりとにらむと、ジャックは口を噤んで小さくなった。なにごともなかったかのように授業がはじまった。
「ノラ、あれから大丈夫だった?」
休み時間になると、心配したアベルが話しかけてきた。
「サリエリのやつ、ひどいよね。昨日の持ち物検査の時に名乗り出ていれば、ノラが疑われることなんてなかったのに……」
「止めてっ……!」
ノラは思わず声を荒げた。アベルは面食らった。
「ごめんね、アベル……」
アベルの驚き顔を見て、ノラは罪悪感にさいなまれた。
「……良いよ。俺の方こそごめん。思い出したくないよね」
サリエリが登校してきたのは、3時間目の休み時間だった。
しびれを切らしたノラは、学校をさぼって様子を見に行くことにした。ノラが荷物を持って教室を出ようとすると、ちょうど入口のところでサリエリと鉢合わせた。
ノラはサリエリの顔を見て狼狽した。
サリエリの頬は赤く腫れ上がっていて、手の甲には鞭で打たれた跡があった。
「あっ……」
サインツが言ったとおり、サリエリはノラの身代わりとなって、恐ろしい罰を受けたのだ。
ノラはサリエリの脇をすり抜けて、教室を飛び出した。
(わ、私……どうしてっ……)
サリエリを助けに行かなかったんだろう?放っておいても平気だなんて思ったんだろう? 昨夜家に帰らず、直ぐにでも詰所に向かっていたら……
(……どうしよう……!)
我が身かわいさに、神様も許さないような過ちを犯してしまった。無実の罪を着せられたサリエリが、ノラの助けを期待しなかったはずはないのに!
「ぐすんっ……えーん」
ノラは長いこと、道の真ん中にうずくまっていた。自分がとても悪い者に変わってしまったのだと感じた。ついこの間まで、ノラはちょっぴりニヒルだけど勇敢な、正義の味方だったのに。
「…………」
罰を受けるべきだと思った。サリエリが受けたのより、もっとひどい罰を。でなければ、ノラはきっと地獄に落ちる。
「どうしたんだいノラ?具合が悪いのかい?」
めそめそと泣き続けて、涙がようやくおさまった頃、ライラ・ポワソンが通りかかった。
「かわいそうに、誰かにいじめられたんだね。あんたの身の潔白は証明されたんだから、どうどうとしていれば良いんだよ」
「…………」
「こんな小さな町に孤児院なんか作ったのが、そもそもの間違いなんだよね。20年前、私は反対したんだよ。みなし児がみんな悪いってんじゃないけど、実際難しいよ。親のない子っていうのは」
ライラが悪気なく言った。ノラの胸は張り裂けそうだった。違う!と叫びたかったが、声が出てこなかった。