名乗り出た真犯人
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ノラがめそめそしながら歩いていると、東の道から歩いてきたサリエリと、ばったり出くわした。サリエリは立ち止まると、揺れる瞳で、ノラの泣き顔を見つめた。
「……なによ……なんか用?」
ノラは涙に濡れた目元をごしごしとこすって、ふて腐れてたずねた。サリエリが口を開かないので、ノラは無視して歩き出した。
ノラが教会にたどり着くと、裏口のところでロドルフォ神父が待っていた。
ロドルフォ神父はノラをキッチンに招き入れて、食事を勧めた。食欲がないノラは、手をつけなかった。
「私は2階の部屋にいるから。なにかあったら遠慮なく呼びなさい」
ノラの気持ちを察したロドルフォ神父は、ノラを礼拝堂の椅子に座らせて、部屋を出て行った。
ノラはずいぶん長い間、ぼんやりと目前に広がる闇を見つめていた。室内を照らすのは、ロドルフォ神父が残して行ったろうそく立ての、頼りない灯り1つきりだった。
考える力が戻ってくると、ノラは少し退屈になって、礼拝堂の中を歩き出した。壁に描き出された神話の世界を―――その歴史や、戦いや、愛を―――ゆっくりと見て回った。ノラは西側の壁の真ん中辺りで足を止めた。
「気になるのか?」
ノラがじっくりと壁画を観賞していると、背後から声がして、驚いて振り返った。2階の自室に引き上げたはずのロドルフォ神父が、ノラを見下ろしていた。
ロドルフォ神父はノラの手から灯りを受け取ると、壁画が良く見えるように、高々とかかげた。
「この壁画は神と人間の戦いを描いたものだ。……お前の目の前の大男は、魔王の12の僕の1、牝牛の産道の悪魔だ。そちらの女は、顧みるあの人と泉の下の悪魔。そして左側の醜い男が……」
「すずろく黄昏月の悪魔……」
「……そういえば、お前は魔学者志望だったな」
ロドルフォ神父は、ふっと目元を緩めた。
「冥き者、試練を与えに来たる者。……悪魔というのは、古ければ古いほど、その力が強いと言われている。人が悪魔を学ぼうとするように、悪魔も人間を観察する。時にはその生活を真似て、人の社会や、本能や、情を理解しようとする」
「悪魔も?……どうして?」
「簡単なことだ。酒を知らぬ者に酒を願っても、湧いて出るのは水ばかり。生まれたての悪魔にとって、金は石ころと同じだ。飢えに苦しむことも、寒さに凍えることもない悪魔に、人の欲望を真に理解することは難しい。古くからある悪魔ほど、人間を良く理解し、その願いを確かに叶えることができる」
ロドルフォ神父の声を聞いていると、ノラの背筋がわけもなく、ぞぞぞと震えた。
「この私のようにな」
ノラがはっとして顔を上げた途端、礼拝堂に備え付けられたろうそく立に、いっせいに火が灯った。ぼんっ!という音とともにロドルフォ神父が消え、とっさに差し出したノラの手のひらの上に、ねずみのミライが落っこちてきた。
「ミライ!……んもう!今までどこに行ってたのよ!」
ノラは口を尖らせて言って、ミライに頬ずりした。ああ、良かった!これで助かった!
「ねぇ、それより大変なの!私……!」
ノラが現状を説明しようとしたが、ミライは『必要ない』と首を横に振った。
『もうすべて知っている。まさか指輪泥棒の犯人がお前だったとは……』
ミライは呆れたため息をついた。
『私にまで隠すことはなかろう。指輪くらい、願えばいくらでも出してやるものを……』
「?ええ……?」
『金が良いか?銀が良いか?お前は赤が似合うから、宝石はルビーかガーネットが良いな』
ミライははりきって言って、ノラを閉口させた。
『しかし、ダイヤモンドや真珠も似合うだろうし、アメジストも捨て難い……どうせならたくさんこしらえれば良い。揃いの首飾りや、王冠も作らせよう。安心しろ。部屋に入りきらなくなったら、家の隣に宝物庫を建ててやる』
「ち、違うの!私、指輪なんか欲しくない……!」
『そうなのか?……わかったぞ。復讐だな。お前があのデムターとかいう大男に恨みを抱いていたとは知らなんだ。よし任せろ、私があっと驚く気の利いた返報を……』
「だから、違うんだってば!私じゃないの!私は指輪を盗んでなんかいないの!」
ノラは今度こそちゃんと事情を説明した。
『なんだ、そんなことか……』
説明を聞き終えると、ミライはつまらなそういぼやいた。
「そう言わずに、助けてよ……なんとかできる?」
『できるとも。私は器用なパン焼き窯の悪魔。指輪をもとあった場所に返して、人々の記憶を消してしまえば良い』
頼もしいミライを、ノラは尊敬のまなざしで見つめた。ミライは誇らしげに、ひげをぴくぴくさせた。
『さっさと片付けてしまおうじゃないか』
ミライがノラの願いを叶えようと、両腕を高く振り上げたその時だった。
礼拝堂の扉がバタンッ!と開いて、頭の先からつま先まで泥だらけになった アベルが駆け込んできた。ミライは慌ててノラの服の中に隠れた。
「ノラ!良かった、ここにいたんだね!」
アベルはノラの無事を確かめると、ほうっと息をついた。
「遅くなってごめんよ、1人で心細かったろ?……でも、もう心配いらないよ。真犯人が名乗り出たんだ!」
それを聞いたノラは歓喜した。マルキオーレが自らの罪を認めて、デムターさんに真実を打ち明けたのだ!
「サリエリだよ!タリスン院長先生と一緒に、デムターさんに指輪を返しにきたんだ!」
「ええ!?サ、サリエリ!?」
アベルの口から飛び出した名前に、ノラはびっくり仰天した。
(嘘でしょう……!?)
サリエリが指輪を持っていたということは、やはりあの時、ノラのポケットから抜き取ったのだ。ノラの考えは間違っていなかった。
「そ、それで、サリエリは……?」
「さっき憲兵詰所に連れて行かれた。これから取り調べだって」
きゃ―――っ!
「ごめんアベル!馬車を貸して!」
「ノラ!?どこ行くの!?」
ノラは大慌てで教会を飛び出した。ノラがアベルの馬車を拝借して向かった先は、お屋敷だ。
お屋敷にはデムターさんも、お手伝いのスチュアート・オコネルもいなかったが、2階の1番東の部屋……マルキオーレの部屋には灯りがついていた。
ノラは無断でお屋敷に上がり込み、2階へ駆け上がった。
「マルク!お願い、ここを開けて!」
部屋のドアには鍵がかかっていたため、ノラは扉をどんどん叩いて、中にいるであろう、マルキオーレに懇願した。
「いるんでしょう!?出てきてマルク!マルキオーレ!」
ノラが夢中で喚いていると、部屋のドアがゆっくりと開いて、中から真っ青になったマルキオーレが出てきた。
「良かった!マルク、大変よ!サリエリが……っ!」
ノラの身代わりになって、憲兵詰所へ連れて行かれてしまった。このままでは本当に犯人にされてしまう。早く助けに行かないと!
思いがけぬことが立て続けに起こり、すっかり取乱していたノラは、しどろもどろに説明した。
「な、なあ……ノラ……」
ノラがマルキオーレを引っ張って行こうとすると、彼の口から、思いも寄らない提案が飛び出した。
「……このまま、放っておかないか……?」
聞き間違いではないとわかると、ノラはぎくりとした。
「な……なに言ってるのよ。そんなの……」
「べつに、良いだろ?ノラだって、あいつが嫌いだと言っていたじゃないか」
「それはそうだけど、でも……!」
今回のことはいつもの悪戯とはわけが違う。ノラはごくりと唾を飲み込んだ。
「そんなの、だめよ……本当のことを言わなきゃ」
「どうして!?ノラはあいつが嫌いじゃないのか!?」
マルキオーレはとつぜん声を荒げた。ノラは思わず、ひゃっ!と肩をすくませた。
「ひょっとして、あいつがみんなにばらすって思ってるのか?……それなら大丈夫。あいつは絶対誰にも言わないよ。それに、もしも本当のことを言ったとしても、みんな信じやしないよ」
「?……どうして?」
「孤児だからさ!」
マルキオーレが自信たっぷりに言い切ると、ノラの背筋に冷たいものが駆け抜けた。ノラは唇をわなわなさせた。
「……だめだって言ってるじゃない!ねぇ、お願いだから本当のことを言ってよ……!」
「だから、どうしてさ!かまわないだろ!?あんなやつ1人いなくなったって、悲しむ人なんかいないよ!」
「あなたにうそを吐いて欲しくないのよ!」
ノラが力の限り叫ぶと、マルキオーレはうっ!と押し黙った。
「ねえマルク、あなたのために言ってるのよ。わかるでしょ?見ていられないの……」
「…………」
「あんな子のために、マルクが卑怯者になることないわ……」
ノラがマルキオーレの手に自分の手を添えて言うと、彼の青い瞳が、ゆらゆらと揺れた。
「……それに、どうしてマルクがデムターさんを怖がるのか、わからないわ。デムターさんはおっかないけど、わからず屋じゃないわ。ちゃんと事情を話せば大丈夫よ」
「……ノラは知らないから言えるんだ……怒った親父がどんなに恐ろしいか……」
マルキオーレは拗ねたように言った。
「黙っていたノラだって罰を食らうかもしれないんだぜ。それでも良いって言うの……?」
「……一緒に罰を受けるわ。だって私達、友達でしょ?」
ノラがしっかりと頷くと、マルキオーレは今にも泣き出しそうな目でノラを見て、情けなく項垂れた。
「頼むよノラ……そんなこと言わないで……俺、殺されちゃう……」
「勇気を出してマルク……行きましょう。サリエリを助けなくちゃ……」
ノラはマルキオーレを引っぱって行こうとしたが、マルキオーレはノラの手を振り払って部屋に引っ込み、ドアに鍵をかけてしまった。
「マ、マルクっ……」
『あんなやつ、どうなったって良いじゃないか!お願い!お願いだよお……!』
その後、ドアの向こうのマルキオーレは、うんともすんとも言わなくなってしまった。
ノラは諦めてお屋敷を出ると、服の中からねずみのミライを引っ張り出した。マルキオーレに真実を話すつもりがない以上、頼れるのは彼しかいない。
「お願いミライ、サリエリを助けて」
『いやだ』
ミライはきっぱりと拒否した。
「どうして?さっきは助けてくれるって言ったじゃない」
『あいつを助けてやるとは言ってない』
「意地悪言わないで、お願いよ。このままじゃ本当にサリエリが犯人にされちゃう」
『…………』
「私を助けると思って……ね?」
ミライは、はあー!といらだたしげなため息をついた。
『……どうしてそう他人事に首を突っ込もうとするんだ。まったく不愉快だ』
ミライはノラの顔をいまいましそうににらんで、ちっと舌打ちした。
『あの太っちょが言うように、放っておけば良いんだ。罰を受けるのも、痛い目を見るのもお前じゃない。あいつがどうなろうが、お前にはなんの関係もない。お前は助かった』
「そ……そんなのってないわ!サリエリは、私をかばってるのよ!」
『わからんやつだな……私は嫌だと言っているんだ』
ミライはうんざりと言った。
『それに、そう心配することもあるまいよ。泥棒などと言っても、子供の悪戯だ。罰だって高が知れている』
「…………」
『さあ、もう帰るぞ。私は疲れているんだ』
ミライはぴょーんとノラの手のひらから飛び降りた。
『……お前が真実を告白したとしても、状況は変わらないぞ。指輪を持っていたのはやつなんだ。お前があいつをかばっていると思われるだろう。あのデムターとかいう大男も、真犯人が血を分けた息子だなどとは、信じたくないだろうからな』
地面をにらんで動こうとしないノラに、ミライが言った。ノラははっとした。
『……マルキオーレが罪を告白する気にならない限り、お前にできることはなにもない。後は憲兵に任せるんだ。よほどのぼんくらでない限り、あいつの無実は証明されるはずだ』
「でも……」
『お前は少し休まねばならん。腐ったじゃがいもみたいな顔色だ』
「…………」
ミライに言われて、ノラはくたくたに疲れていることに気がついた。
『ほら、迎えの到着だぞ』
ミライは戻ってきて、再びノラの服の中に飛び込んだ。見れば道の向こうから、オリオとアベルを乗せた馬車が走ってきた。
『あっと驚く気の利いた返報を……』
返報……仕返しのこと