泥棒騒ぎ
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ノラが帰宅すると、家の前に、まだ仕事中のはずの父と、メリダ夫妻。ライラ・ポワソンが、輪になって顔を寄せ合っていた。なにか悪い事件が起こったのだろうと、ノラは予想した。
「お屋敷に泥棒が入ったんだ」
ノラがそばに寄って行くと、父が難しい顔で言った。
「どろぼう?」
そんな馬鹿な!とノラは思った。
都会ではありふれているという盗難事件も、田舎町では大事件だ。ノラが知る限り、オシュレントンでは起きた試しがない。ごくたまに憲兵をわずらわせている事件と言えば、どこどこの牛がだれだれの牧場に紛れ込んでいて知らずに餌をやっていたとか、自分ちの敷地に植わっている果物がお隣に落ちたが、意地悪で拾わせてもらえないとか、その程度。
今回も、誰かが大げさに騒ぎたてているに違いない。
「泥棒が入ったのは創立者祭の夜じゃないかしら。町から行商人や大道芸人が来ていたでしょう?」
「犯人、見つかると良いけどなあ。この町の憲兵は余所者ばかりだから……」
その夜。夕食が終わって家族がリビングでくつろいでいると、玄関の戸が叩かれた。
「夜分遅くにすみません」
訪ねてきたのは、憲兵のシンド・デ・ルシアだった。物腰が柔らかで、きゅっと締まったお尻がかわいいと評判の憲兵だ。
「お屋敷で起きた盗難事件について、2、3質問させていただきたいのですが……」
シンドは出迎えた母に、丁寧に願った。
「わ、私にですか?」
「はい。……いえ、できればお宅にいらっしゃるみなさんに、話をうかがいたいのです」
母はリビングから家族を追い出すと、玄関先で良いと言うシンドを引っ張り込んで、お茶を出した。母はシンドの向かい側に座って、居住まいを正した。
「それではまず、最近町の中で、怪しい人物を見かけませんでしたか?」
「……怪しいと言われれば、誰でも怪しいという気が致します」
事情聴取なんて生まれてはじめての母は、意気込んで答えた。シンドは苦笑した。
「では、不審な行動をしていた人はいませんでしたか?どんな些細なことでも結構です」
「不審な行動って?」
「そうですね……変にそわそわしていたり、なにかを悩んでいる風だったり……」
シンドが例をあげると、しばらく考え込んだ母は『そう言えば……』と口元に手を持って行った。
「先週農民市場でヘンリエッテとすれ違ったんですけれど、あの人、私と目が合ったのに、挨拶もしないですうっと脇を通り過ぎたんです。まるで人目を避けているようだったわ」
「はあ……あの、失礼ですがヘンリエッテと言うのは……」
「ヘンリエッテ・グッドマンですわ。アヒム・グッドマンの妻の。アヒム・グッドマンと言えばうちの人の同僚なんですけど、ここだけの話ひどい自慢家でね。それが先週の木曜日のお昼には、スキー板や釣り道具の自慢話を一切しなかったんですって」
「…………」
「自慢話と言えば、ランベル婦人ですよ。ここから少し下がったところに住んでいるんですが、彼女の姪っ子自慢がもうすごくて……」
母はこんな調子で1時間近くもしゃべり続け、町の住人のほぼ全員を犯人に仕立て上げた。ようやく話が終わる頃には、シンドは疲れきっていた。
帰り際、シンドは階段の陰から様子をうかがうノラに気付いて、手招きした。
「先のお宅で君の名前が上がったんだ。ダンスがとっても上手なんだってね」
シンドはみえみえのお世辞を言い、ノラをもじもじさせた。
「それで、パーティで君のお相手を務めた大道芸人のことなんだけど……なにか変わったところはなかったかい?例えば、やけにきょろきょろしていたとか、誰かに合図を送っていたとか……」
シンドの質問に、ノラはぎくりとした。ミライのことだ!
「そ、そんなの覚えてない」
「そうか……ならいいんだ。どうもありがとう」
シンドが帰って行くと、ノラは2階の自室に駆け上がった。ああ、びっくりした。
『なにを慌てているんだ?』
「下に憲兵がきていたのよ。お屋敷に泥棒が入ったんだって」
ノラはミライに説明した。
「まさかあんたじゃないわよねぇ……?」
ノラがついついたずねると、ミライは憤慨した。
『失礼な……!この私を疑うのか!?』
「そういうわけじゃないけど……」
ノラがはっきり否定しないので、ミライは怒りで全身の毛を逆立て、ぶるぶると小さな身体を震わせた。
『私は高貴なパン焼き窯の悪魔!いかに粗末な身なりであろうとも、他人の手垢が付いたものなど欲しがりはせん!』
ミライは怒って、ボンッ!という音とともに、煙となって消えてしまった。
「ごめんミライ。疑ってなんかいないわよ」
ノラは窓辺に置かれた腕輪に向かって謝ったが、何度謝っても、磨いても、撫でても、くすぐっても、ミライは戻ってこなかった。
次の日。ノラが学校に登校してみると、教室はお屋敷の泥棒騒ぎの話題でもちきりだった。仲の良い子同士で集まって、犯人は誰だ、手口はどうだと話し合っている。
そんな中、当事者とも言うべきマルキオーレは、借りてきた猫のように大人しく、席についていた。ノラは首をかしげた。いつもの彼なら、先頭を切って犯人捜しに乗り出しそうなものだ。
「おはようマルク。今日はずいぶん早いじゃない。罰掃除が嫌だからなんて言わないでよ」
ノラが後ろから声をかけると、自分の影に向かってぶつぶつ言っていたマルキオーレは、ぎくっ!と過剰に肩を震わせた。
「ノ、ノラ……」
恐る恐る振り返ったマルキオーレの顔を見て、ノラはぎょっとした。マルキオーレの顔色は、思わず『誰が死んだの?』と聞きたくなるほど酷かった。
「ど、どうしたの?具合でも悪いの?」
肌は青白い上に乾いてがさがさ、目は充血して真っ赤だし、まぶたの下は薄らと黒ずんでいた。
「……わかった。またデムターさんが害虫駆除したのね」
ノラはずばり言って、仕方ないなあと、小さく息を吐いた。
デムターさんは大の花好きで、大事なバラを美しく保つため、こまめに害虫を駆除して回る。生き物を飼ったり世話をするのが好きなマルキオーレは、それが他殺であれ寿命であれ、酷く落ち込むのだ。
「もう、気が小さいんだから。しゃんとしてよね」
ノラは口を尖らせながらも、心の中でうふふと笑った。
「……ノ、ノラ……俺……」
マルキオーレはなにかを言い掛けたが、その後アベルがやってくると、ふらりと席を立った。
「泥棒に入られたのが、よほどショックだったんだね」
教室を出て行くマルキオーレの背中を見つめて、アベルは気の毒そうに言った。
「怖いよね。泥棒なんて……犯人は誰なんだろう?」
「ライラおばさんは、町にきた行商人か、大道芸人の仕業じゃないかって」
いずれにしても、この町の人間ではないことは確かだ。こんな狭い町で泥棒なんてしたら、あっという間に噂が広まって、町にいられなくなってしまう。
「ねぇ。そういえば、今日はクリフはお休み?」
ノラは教室内を見回してたずねた。学校から家が遠いクリフォードは、デイビッドやシルビアとともに、ガブリエラ先生の馬車(今はサインツの馬車だ)で登校してくる。みんなはいるのに、クリフォードの姿は見えない。
「そうみたいだね?どうしたんだろ?」
授業がはじまっても、クリフォードの席は空いたままだった。その日、クリフォードは学校を休んだ。
「みんな、デムター・オシュレントン氏の屋敷で盗難があったことは知っているな。告白がある者は、夜でもかまわないから職員室にきなさい」
放課後、サインツは教室を見渡して言った。まるで犯人が教室にいるような口ぶりだった。
「……マルキオーレ・オシュレントン。聞いているのか?」
サインツがたずねると、マルキオーレはぎくりと背筋を震わせ、青い顔をいっそう青くした。サインツの話が終わると、マルキオーレは逃げるように教室を飛び出した。
「また明日、学校でね」
ノラは買い物帰りに迎えにきた母とともに帰路についた。
家に帰る途中、曲がり角のところで、女性達が―――ライラ・ポワソンと、お嫁さんのダリヤ・ポワソン。べシー・カートライト、アリサ・カートライト、ボニー・カートライト、ジノの母親のサラ・シャルディニ。(ちなみにダリヤはサラ・シャルディニの娘で、ジノの一番上の姉だ)―――立ち話をしていた。話題はもちろん、お屋敷の泥棒事件だ。
「ああ、ベスタ。ちょうど良いところに来たわ」
ノラ達が馬車で近付いて行くと、ライラが言った。
「こんにちはライラ。こんにちはみなさん。……なにか進展があったの?」
母とノラは、馬車を降りてそばに寄って行った。
「それがねぇ。デムターさん、ナックルさんに北の土地を売って、謝礼金と懸賞金を用意するんですって。それでもだめなら、ヴォロニエかミミエスから探偵を呼ぶそうよ」
「お金持ちは違うわねぇ。私達だったら泣き寝入りよ」
べシー・カートライトが感心して言った。
「でも、デムターさんも苦労してるわ。奥様を早くに亡くして……あんなに大きなお屋敷に住んでいても、子供と2人暮らしじゃあね……」
サラ・シャルディニがため息交じりに言うと、皆なんとなく黙り込んだ。
少しの間沈黙が流れて、アリサ・カートライトが口を開いた。
「……あんた、オシュレントン夫人に立候補すれば?歳のわりには若く見えるんだからさ」
「じゃあ、まずは息子を手懐けなくっちゃね。デムターさん色黒は平気かしらね?」
指名されたボニー・カートライトが冗談めかして言うと、笑いが沸き起こった。
「いくら寂しくっても、こんなおばちゃん相手にしないわよ!」
「そうそう。あんたみたいな大飯喰らいがお嫁にきたら、ひと月でお屋敷が潰れちゃう!」
「あらあ、大丈夫よぉ!牛が1頭増えたと思えば!」
そう言ってげらげらと笑い合う女性たちを、ノラは白い目でにらんだ。丸々太った人妻とデムターさんが乳くり合っているところなんて、想像したくもない。
「ねえ、そういえば、なにが盗まれたの??」
ノラは1人だけ話の輪から外れているダリヤ・ポワソンにたずねた。
「指輪だそうよ。なんでも、奥様の形見の品なんですって」
「ふーん……」
……うん?指輪?
「ミゲイラが亡くなってもう10年も経つのに……未だに忘れられないのね」
「愛した男にこれほど思われるなんて、奥様冥利に尽きるってもんだよ。ミゲイラは本当に幸せ者だよ……」
女性達は口々に言った。
8人が道の脇に佇んでいると、教会の方から馬車が走ってきた。御者台には今年40歳を迎えるロナルド・キャンピオンと、6歳のオリヴァー・キャンピオンが乗っていた。
「これはみなさんお揃いで。……美女ばかりが集まって、なんの相談ですかな?」
ロナルドがみえみえのお世辞を言うと、一同はくすくすと笑った。
「こんにちはロナルド、今日はお仕事はお休み?」
ライラが代表してたずねた。
「いやあ、この子が風邪を引いたんで、アルバート医師に診せに行ったついでに、教会に寄ってきたんです。早く病気が良くなるように、お願いしてきたんだよな?オリヴァー?」
照れ屋のオリヴァーは、うん。とうなずくと、ロナルドの背中に隠れてしまった。
「そういえばロナルド。お祭りでは息子さん、大活躍だったわね。あのオバダイア・アダムを投げ飛ばすなんて、凄いわあ!」
「綱引き相撲で十代が優勝するなんて、創立者祭はじまって以来じゃないかしら?将来が楽しみね!」
ボニー・カートライトとべシー・カートライトが褒め称えた。
みんなの話を何気なく聞いていたノラは、『え?』と首をかしげた。綱引き相撲で優勝?ロナルドの息子が?
「あんまり褒めんでやってください。馬鹿息子はあれ以来調子に乗って、私や弟達を隙あらば投げ飛ばそうとするんです。困ったもんです」
ロナルドは満更でもなさそうに、頭をかきかき笑った。
ロナルドが行ってしまうと、母とノラも奥さん達に暇を告げて、帰路についた。
「ねぇ、お母さん。お母さんはお祭で、綱引き相撲を観た……?」
帰りの馬車で、不安に駆られたノラは母にたずねた。嫌な予感がする……
「観たわよ。すごい熱戦だったわ。決勝戦は特にね」
「その、優勝したのって……」