独りぼっちのダンスパーティ
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外では母とオリオが馬車の準備を整えて待っていた。
「お父さんがまだ中なのよ」
ノラが出て行くと、母はいらいらと言った。
ノラがふと視線をめぐらせると、隣の家の窓に、アンジェラがはりついていた。ノラが小さく手を振ると、アンジェラは窓辺から一度消えて、玄関から出てきた。
「はじめましておばさん。私ノラって言うの。お隣さんよ」
今日は忘れている日だと思ったノラは、お行儀よく挨拶をした。
「いやだノラったら、はじめましてなんて、変な子ね」
アンジェラはうふふと笑った。
「皆さんおそろいで、どこかへお出かけ?」
「今日は年に1度の創立者祭の日ですよ」
ノラが答えるより早く、隣で話を聞いていたオリオが口を開いた。
「創立者祭?それじゃあ、ダンスパーティに行くの?…………パーティ!?まあ!大変!私ったらなにをのんびりしているのかしら!」
アンジェラは電撃に打たれたように痙攣して、おろおろと慌てはじめた。そこへ、妻が家にいないことに気付いたカシマが、家から飛び出してきた。
「駄目じゃないか。勝手に外へ出たりしちゃあ」
カシマはアンジェラを、諦め半分にたしなめた。するとアンジェラは着替えていないカシマを見て、口を尖らせた。
「あなた、なにをしているの?早く支度しないと、パーティに遅れちゃうじゃない!」
「……お前、思い出したのかい?」
「思い出すもなにも……今日はあなたと私の大事な記念日じゃありませんか。たとえあなたが忘れていたって、私が忘れるはずありませんよ」
カシマは目をぱちくりさせた。
「よろしければ一緒に行きませんか?」
驚いている様子のカシマに、母が親切に提案した。
「あ、ありがとう……!」
「焦らないで。まだ時間はじゅうぶんあるわ」
2人の支度が整うと、馬車はパーティ会場であるデムター・オシュレントン氏のお屋敷へ向かった。
一行が到着した時、お屋敷の庭園には既にたくさんの馬車が停まっていた。松明の炎と天井からぶら下がった吊り燭台が、辺りを煌々と照らしていた。お屋敷のまわりだけ、真昼のようだった。
「わあー」
去年までは2階の部屋の窓から眺めているだけだった輝き。その中に自分が立っていると思うと興奮し、ノラの胸はときめいたが、楽しい気持ちは長くは続かなかった。
「かわいいコサージュね。自分で作ったの?」
「さっき露天で買ったのよ。あなたのチョーカーも素敵よ」
女の子達はみんなフリルがたくさん付いたドレスを着ていたし、普段は着の身着のままの大人達も、クローゼットの奥から引っ張り出した一張羅や古めかしいアクセサリーで、めいいっぱい着飾っていた。右を向いても左を向いても、いつもと同じ格好の子なんて、ノラしかいない。
気後れしてしまったノラは、人目を避けて、そっとオリオの陰に隠れた。
パーティの主催者であるデムターさんに挨拶を済ませると、ノラは先に来ていたアベルとマルキオーレに合流した。マルキオーレは前髪をバターで撫でつけ、アベルはいつものシャツの上に上着を着て、ネクタイを締めていた。
「2人とも素敵よ」
ノラがおだてると、2人は照れくさそうに、しかし満更でもなさそうに笑った。
クリフォードはダンスホールの中央で、女の子―――シルビアとカレン、エレオノーレ・アレシ、トリシア・フォローズ、アガタ・デビ、ジノ・シャルディニにマチュー・オッケル、アマリア・ノーサムとシンディ・ノーサム姉妹―――に囲まれていたが、入口に立つ3人を見つけると、いそいそと駆け寄ってきた。少女達は、忌々しそうに3人を(特にノラを)にらんだ。
「優勝おめでとう、クリフ」
「すごいよ。本当にダニエルに勝っちゃうんだもんな」
アベルとマルキオーレが祝辞を述べた。
「ほとんどヨーハンさんのおかげだけどな。明日にでも見に来いよ。乗せてやるから」
「やった!ノラ、行こうよ」
「う、うん……」
ノラは気もそぞろに相槌を打った。ノラの意識は、部屋の中央からこちらをにらんでいる、シルビア達に向けられていた。
『見て!孤児院の子が紛れ込んでる!』
『よくも場違いな格好で来られたわよね。恥ずかしい』
『あのリボン、もしかしてお洒落のつもり?』
聞こえるはずのない悪口が喧騒を超えて鼓膜に届き、ノラはさいなまれた。いつもならぜんぜん気にならないのに、羞恥で頬が真っ赤になった。ノラはオリオにせっかく結んでもらったリボンをこっそり解いて、袖の中に隠した。
「本日はお忙しい中お集りいただき、誠にありがとうございます。みなさん、心行くまで楽しんで行って下さい」
ノラが小さくなっていると、ワイングラスを手にしたデムターさんが、ステージの上で挨拶をはじめた。
「オシュレントンに栄光あれ!」
デムターさんはワイングラスを高々と掲げて、パーティのはじまりを宣言した。人々の間から盛大な拍手が沸き起こり、ステージ上で準備万端整えていた音楽隊が、演奏をはじめた。軽快な音楽に、みんなの心は浮き立った。
「ノラ、踊ろうぜ!」
クリフォードはノラの手をぱっと取って、ダンスホールの中央に駆け出そうとした。
「い、いいよ私は……それよりあの子達と踊ってあげなよ。あんたから誘われるのを待ってるわよ」
ノラはクリフォードの誘いを、遠慮がちに断った。ノラは怖気づいていた。こんな格好でダンスなんかしたら、また物笑いの種だ。とてもじゃないが、後ろ指をさされる勇気なんかない。
「シルビア達とは後で踊るよ。行こう!」
クリフォードは強引に引っ張って行こうとしたが、ノラは思わず彼の手を振り払った。
「……こんな格好だから、人前に出たくないのよ。恥ずかしいの。わかるでしょ?」
せっかくの特別な夜なのに、ダンスの相手がこんなじゃあ、クリフォードだってかわいそうだ。
「そんなの気にするなよ。俺だって普段着なんだから。見ろ、尻んとこ穴開いてる」
クリフォードはズボンのポケットの穴から、人差し指を出してみせた。
「気にするわよ。私じゃあなたのお相手には、相応しくないわ」
ノラがいつまでもぐずぐず渋っていると、ステージの方からデムターさんがやってきて、クリフォードの肩を掴んだ。
「今日の主役がこんなところにいた」
デムターさんはクリフォードを、ぐいぐい引っ張って行った。ダンスホールの中央で待っていたのは、ランベル夫人の姪っ子のマルグリッドだ。
「クリフォード……私と踊ってくれる?」
目を白黒させているクリフォードに、マルグリッドが片手を差し出した。
「……喜んで、マルグリッド……」
人々の暖かい視線が二人に注がれる中、クリフォードは快くその手を取った。お節介なデムターさんは満足し、シルビア達は地団太を踏んだ。
見目麗しい若いカップルが踊り出すと、ホール内の空気はいっそう華やいで、二人を見守る老人達の間からは笑顔がこぼれた。なんてお似合いの二人なんだろう!
ノラは壁際から、クリフォードと楽しそうに踊るマルグリッドを……飛んだり跳ねたりするたびにひるがえる、彼女のドレスのスカートを、物欲しそうに見つめていた。
(もしも……)
もしもあのドレスを着ているのが、自分だったら……
「踊ってあげれば良かったのに」
切なげに目を細めているノラに、アベルが言った。
「いいの。良く考えたら私、こういうのすごく苦手だったんだわ」
「そうだったっけね。じゃあ、端の方で俺と……」
気を使ったアベルが、ノラをダンスに誘おうとしたその時だ。
「私と踊りましょう」
友達から離れて近付いてきた、クラスメートのヨハンナ・カレーラスが、アベルをダンスに誘った。
「え?でも俺はノラと……」
アベルは困って、ノラとヨハンナを交互に見た。
「かまわないわよね?」
ヨハンナはノラに、一応確認を取った。
「もちろんよ。……アベル、行ってらっしゃいよ」
「悪いわね」
ヨハンナはアベルの腕に自分の腕を絡ませて、中央の方へずんずん歩いて行ってしまった。離れて行く2人の背中を、ノラはため息交じりに見送った。
「踊ろうか?」
こうなったら、残された者同士で仲良くやろう。そう思ったノラが、マルキオーレをダンスに誘った直後……
「せがれを借りても構わないかな?」
デムターさんがやってきて、マルキオーレを連れて行ってしまった。
独りぼっちになったノラが、壁を背にしてぼんやりしていると、オリオが飲み物を持ってやってきた。
「なんだあいつ等、ノラを1人にして。友達甲斐のないやつ等だなあ」
「いいの。私が1人になりたいって言ったの」
ノラは過保護な兄の批判から、友人達をかばった。
「……俺がもっと働いて、いつか素敵なドレスを買ってやるよ」
ノラの強がりを見抜いたオリオは、そう言って彼女を慰めた。
「オリオも踊りに行っていいよ。私、もうちょっとここで見てる」
ノラが勧めると、オリオは『ううん……』と歯切れの悪い返事をした。
「俺も相手がいればそうしたいんだけどな」
なんと、寂しい兄弟だこと。2人は顔を見合せて苦笑した。
ノラとオリオが壁にもたれていると、ショーン・カートライトが近付いてきた。ノラはショーンの顔を見て、彼とダンスの約束をしていたことを思い出した。
「準優勝おめでとう、ショーン。銀行員にカードで勝つなんて凄いよ」
オリオはショーンの健闘をたたえて、心からお祝いを述べた。
「どうも。本当は優勝したかったんだけど……」
「なに言ってるんだよ。勝てなくて当然さ。オーボー校長先生は、君より40年近くも長く生きてるんだから。……それより誇りに思えよ。証明されたんだぞ、この町で2番目に頭が良いって」
「そんなこと……」
ショーンは謙遜して、ちらりとノラの方を見やった。
「本当にすごいわショーン」
ノラが褒めそやすと、ショーンは嬉しそうに、唇をむにゅむにゅさせた。
「おやあ?そこにいるのはシスコンのオリオ・リッピーと我が弟のショーンじゃないか」
3人が仲良く雑談していると、背中から声をかけられた。振り返った先には、ショーンの兄のユアン・カートライトと、シリル・カートライト。それにいとこのラリー・カートライトがいて、顔面にいけすかない笑みを張り付けていた。
「黙れユアン。また殴られたいのか」
オリオは低い声で唸って、握りこぶしをちらつかせた。
「怒るなよ、本当のことだろ?妹を溺愛し過ぎて、恋人をふったオリオ・リッピー。知ってる?こいつ、君のためにジョゼット・フォルテュナの誘いを断ったんだぜ」
ユアンは、みんなに聞こえるような大きな声で、ノラに耳打ちした。そうなの?とノラがオリオを振り仰ぐと、彼は気まずそうに視線をそらした。
「ジョゼットは恋人じゃない」
「だとしたって、妹のためにデートの誘いを断るなんて気違い沙汰さ。俺だったら弟を人買いに売ってでも行くけどな」
ユアンが断言して、ショーンは飛び上った。
「寝小便ショーン、1人前に女の子をナンパか?」
「ノラ、こいつの恥ずかしい秘密を知りたくないか?」
シリルといとこのラリーは、嫌がるショーンの首に腕をかけて言った。ノラはうっとうしそうに2人をにらんだ。
「気が済んだのなら、もうどこかへ行けよ」
オリオがいら立たしげに言うと、ユアンとシリルとラリーの3人は、『おお怖い』などと言いながら背を向けた。かわいそうなショーンは、2番目の兄といとこに捕まったままだ。
「次から次へと湧いて出やがって、この町は今にカートライト一族に乗っ取られるぜ……」
オリオは3人の背中に向って、忌々しげに吐き捨てた。すると、ユアンが振り返って口を開いた。
「そうそう。ジョゼット・フォルテュナだけどな。ヒューゴにちょっかい掛けられてたぜ」
「ヒューゴに?」
「マルグリッドとアナ・シャルディニに振られたもんだから、グレードを下げたんだ。あの女たらし、早く行かないとどうなるかわからないぜ」
ユアンはそれだけ告げると、2人の兄弟といとこと共に、庭の方へ去って行った。
「ジョゼットのとこに行ってあげて。私は1人で大丈夫」
そわそわし出したオリオに、ノラは勧めた。
「今頃困ってるかも知れないわ」
「……ごめんなノラ。出来るだけ直ぐ戻ってくるから」
オリオは少し迷って、ジョゼットを探しに行った。
再び独りぼっちになったノラは、壁にもたれかかって、ぼんやりとホールの様子を眺めた。
クリフォードは1つ年上のフランチェスカ・アダムと踊っていて、アベルはヨハンナ・カレーラスとお喋りしていて、マルキオーレはオーボー校長先生と雑談するデムターさんの隣で、あくびをかみ殺していた。
「…………」
楽しそうな友人達を物憂げな瞳で見つめて、ノラはほう。とため息をついた。
こんなことなら、ダンスパーティなんか来るんじゃなかった。もしもミライの言うことを聞いて、家に残っていたら。今頃は2人でパーティの真っ最中だ。母が戸棚の奥に大事に隠しているはちみつと山桃酒を持ち出して、ミライの順番で止まっている、ゲームの決着を付ける。
(ミライ……どうしてるかな……)
家に独りぼっちで留守番させられて、寂しい思いをしているに違いない。帰ったらちゃんと謝ろう。放ったらかしにしてごめんねって言おう。
「ダンスパーティでダンスの相手がいないなんて、かわいそう」
追い打ちをかけるように、シルビアとカレンが近付いてきて、聞えよがしに言った。
そう言う自分たちだって、女の子同士で固まって、さっきから一曲も踊っていない。
言い返そうとしたノラだったが、はっと気付いて口を噤んだ。シルビアの首元に、昼間露店で見かけた夜の砂漠のスカーフが巻かれている。
「お父様に買っていただいたのよ。深い藍が私の清廉なイメージにぴったりだって」
ノラがじっと見つめていることに気付いて、シルビアは自慢たらしく言った。陰険の間違いだと思ったノラだったが、スカーフは確かに、シルビアの雰囲気に良く似合っていた。
ノラは本日何度目かのため息をつくと、外の空気でも吸いに行こうと、壁際を離れた。すごすごと退散するノラをシルビア達は声高に笑ったが、戦う気力は失せていた。
お喋りに興じるアネルマ・オッケルとエルシリア・ルポリーニを避け、ダンスホールの隅っこを横切ろうとしたその時だ。
ノラが向かおうとしている庭の方から、1人の少年が歩いてきた。温かな土色の肌をした、美しい少年だった。
少年がゆったりとした足取りでダンスホールに入ってくると、近くにいた人々はお喋りを止めて、彼を振り返った。フランチェスカとダンスをしていたクリフォードも、アベルも、マルキオーレも振り返った。
「あの綺麗な男の子はだれ……?」
「私知ってる。お祭にきていた大道芸人よ……」
背中でシルビアとカレンがひそひそ声で話し合った。
「私と踊っていただけますか?」
麗しい少年はノラの方へと真っ直ぐに歩いてくると、恭しくひざまずいた。