戦車レース!
著作権は放棄しておりません。
無断転載禁止・二次創作禁止
「戦車レースに参加する選手は、スタート地点に集合してくださーい!」
町役場の最年少職員、ビンセンテ・アレシが、ステージ上から大声で叫んだ。
スタート地点である公会堂前には戦車と、それを引く馬が横一列に並び、道の両側にはすでに多くの人々が集まっていた。
「あの真ん中のが俺の戦車だ。去年ダニエルに惨敗してから、改良に改良を重ねたんだ」
クリフォードは誇らしげに胸を張った。4人は駆けて行って、戦車のまわりをぐるぐる回って観察した。
「ここまで仕上げるのに苦労したんだぜ。憲兵に見付からないように、真夜中にテストしたりしてさ」
「それでみんなに秘密にしてたのかぁ」
3人は得心した。ノラが住まうアヴロナリア帝国では研究や発明が禁じられていて、破ると憲兵に捕まってしまうのだ。
「とうとうこの日がきたな!準備は良いか?クリフォード」
クリフォードが熱心に戦車の説明をしていると、鍛冶屋のヨーハン・ギルデンがやってきた。
「ばっちりさ!いつでもいけるよ!」
「良いぞ、その意気だ。今年こそ優勝は俺達がいただくぞ!」
ヨーハンは大きな手で、クリフォードの背中をばんばん叩いた。
「俺達?」
「ヨーハンさんはプロジェクト・リーダーで、スポンサーなんだ。俺の戦車が速くなったのは、全部ヨーハンさんのおかげさ」
首をかしげるノラ達に説明しながら、クリフォードが戦車をこつんと叩いた。車体の側面にはでかでかと『ヨーハン・ギルデンの鍛冶屋をよろしく!』と書かれていた。良く見れば、戦車につながれた馬も、同じ文句が刺しゅうされたマントを着ていた。
「速さだけじゃないぞ。強度も、機動力も、昨年までとはけた違いだ。これで勝てなきゃ俺は鍛冶屋を廃業して杣になる」
「もう。これからレースに臨もうって言うのに、プレッシャーをかけないでくれよ」
「わはは。責任重大だぞクリフォード。俺と俺の家族の未来はお前の肩にかかってるんだ。絶対勝てよ」
ノラとアベルとマルキオーレは、選手の友人という理由で、見物客の最前列に割り込ませてもらった。
「ヨーハンさんが改良した戦車なら、本当に勝てるかもしれないね!」
「うん!」
選手がそれぞれの戦車に乗り込み、スタートの準備が整うと、町役場職員のビンセンテ・アレシが道の真ん中に進み出た。
「皆さんお待ちかねの戦車レースがはじまります!コースは昨年と同じ、ダニエル・モリンズの牧場をぐるっと周回し、一番速く戻ってきた選手が勝者です!それではこれより選手を紹介します!まずは昨年の優勝者、ダニエル・モリンズ!」
ダニエルが片手をあげると、観客の間から、わー!と大きな拍手が上がった。
「続いて、さんさん牧場から参戦、アギー・ワイアット!はじめての女性選手です!」
紹介されたアギーは、首に巻いていたスカーフを頭上で振り回した。
「がんばれ、アギー!」
彼女の兄で今年62歳になるハービー・ワイアットが、舌足らずに叫んだ。
「カートライト牧場の頼れる長男、ジミー・カートライト!ポワソン牧場からは2人の娘の声援を受けて、ジャメル・ポワソン!そして今年もやってまいりました、最年少のクリフォード・ジョイマン!」
クリフォードの名前が呼ばれると、女の子達の間から、耳が遠いハービー・ワイアットが飛び上がるほどの喚声があがった。続いて町の人々から、少女達の黄色い声に負けないくらいの大きな拍手が送られ、クリフォードは快活な笑顔で応えた。
選手の紹介が終わると、ビンセンテ・アレシは道の端に寄って、片手を高々と上げた。いよいよレースがはじまる。選手たちは手綱を握り締めて、道の先をにらんだ。
「よーい!」
辺りは水を打ったような静けさに包まれ、ノラはごくりと唾を飲んだ。
「……スタート!」
ビンセンテが手を振り下ろした瞬間、戦車はいっせいに走り出した。土ぼこりがもうもうと舞いあがり、黒い巨体が目の前を猛然と駆け抜けて行った。
戦車が見えなくなると、観客は一時解散した。なにしろ先頭が戻ってくるまで、約2時間半もかかるのだ。頑固にその場を動かなかったのは、ノラ達と、クリフォードの雄姿を見逃すまいとする、彼目当ての少女達だけだった。
「クリフォードが優勝できるように、みんなで祈りましょう」
レース開始から半時ほど経った頃。シルビアの号令で、女の子達が祈りはじめた。両手を胸の前で組んで目をつむり、空に向ってなにかをぶつぶつ呟くのを見て、しりとりに興じていたノラとマルクとアベルは噴き出した。
選手たちが出発して2時間も経った頃にはみんな戻ってきて、道の両側は再び人でいっぱいになった。
人々はビール片手に雑談しながら、先頭の戦車が戻ってくるのを待った。その間に太陽はゆっくりと地平線に近づき、空は透き通ったピンクから、やがて燃えるような紅に染まった。
「……きたっ!」
観客の中の誰かが、道の先を指して叫んだ。
ざわざわと騒がしかった辺りがしんと静まり返り、ノラの耳にもはっきりとその音が聞こえてきた。だだだっ、だだだっ、と馬の蹄が地面を蹴る音だ。じっと目を凝らすと、赤い光の中に黒い影が2つ、揺れていた。
「先頭は誰だ!?」
人々は身を乗り出して、徐々に近付いてくる2つの黒い影を凝視した。
「……ダニエルだ!……いや待て……クリフォードだ!先頭はクリフォード!」
わああ!と、人々の間から歓声が沸き起こった。
「ダニエル、負けるなー!」
ノラ達のすぐそばで、ダニエルの恋人のキャスリーン・ウィナーが叫んだ。ノラとアベルとマルキオーレの3人は顔を見合わせ、頷き合った。
「がんばれ!クリフ―――っ!」
3人はキャスリーンに負けないよう、夢中で応援した。クリフォードのファンの女の子達はシルビアの音頭で、「クリフォード!クリフォード!クリフォード!」と声を揃えて声援を送った。
ダニエルとクリフォードの戦車は、ゴールまでのほんの200メートルの間に追い越し、追い越され、ほとんど同時にゴールラインを越えた。
「どっちだ……!?」
「どっちが勝ったんだ!?」
人々が固唾を呑んで見つめる中、かがんで、じーっとゴールラインをにらんでいた進行係りのビンセンテ・アレシが、もったい付けて口を開いた。
「優勝は……クリフォード・ジョイマン!最年少王者の誕生だー!」
一瞬の静寂の後、わああー!と、人々の間から再びの大歓声が上がった。ノラとアベルとマルキオーレは飛び上がって喜び、シルビアはきゃあー!とお化けに出会ったような悲鳴をあげ、カレンは舞台女優みたいに、大げさに泣き崩れた。
「行こう!クリフにお祝いを言わなくちゃ!」
観客はいっせいにクリフォードとダニエルの方へ向かって歩き出した。ノラとアベルとマルクも流れに乗って後を追いかけた。
「おいおい!まだ他の選手がゴールしてないんだから!」
ぞろぞろ移動して行く観客を、ビンセンテ・アレシがたしなめた。3位はジャメル・ポワソン、4位はジミー・カートライト、アギー・ワイアットが最後にゴールした。
「クリフォード!こっちを向いてー!」
「キッスを投げてー!」
女の子達の黄色い声に応えて、クリフォードは戦車の上からキスを投げた。女の子達はますます色めき立った。
「だめだ。人が多くて、とても近づけないよ」
ノラとアベルとマルキオーレは、栄冠を手にした友人にお祝いの言葉を贈ろうと努力をしてみたが、もみくちゃにされて放り出された。3人はヨーハンに肩車をされて広場に向かうクリフォードを、人波の向こうから見ていた。
広場のステージの上には、母の宿敵であるランベル夫人の姪っ子のマルグリッドがいた。ランベル夫人が2カ月近くもかけて仕上げた力作を身にまとったマルグリッドは、妖精のように可憐だった。容姿が整ったクリフォードと並ぶと、まるで物語の中の王子様とお姫様みたい。
ノラ達は、マルグリッドがひざまずくクリフォードの頭に冠を乗せるところを、広場の隅っこから見守った。優勝賞品は、牛革で作られた乗馬用の鞍だった。賞品を受け取ったクリフォードは、町中の人に祝福されて、満面の笑みを浮かべていた。
表彰式が終わった約一時間後、祭はお開きになり、みんなようやく帰り支度をはじめた。
男の子達が祭の余韻に酔いしれる中、少女達の話題はもっぱら、今夜のパーティのことだ。
「私、クリフォードと踊れるなら明日死んでも良い!」
「昨日、教会に行って神様にお願いしてきたのよ!どうか10秒でもクリフォードと踊れますように!って」
エレオノーレ・アレシとトリシア・フォローズが興奮した様子で話し合っているのを耳にしたノラは、人知れずため息をついた。
「はあ……」
女の子達が夢中になるはずだ。クリフォードは確かに格好良い。特に、今日の彼は……
「ノラ、どうしたの?」
「……なんでもない。行こう」
3人は解散し、ノラは手伝いを終えたオリオと父とともに帰宅した。
「ノラ、支度なさい。6時半には出発するわよ」
ノラが家に帰ると、先に戻っていた母が命じた。
「?……パーティ、行っても良いの?」
「ヘルガ先生が一緒にきてほしいと仰るのよ。あなた一人残して行くのは心配でしょう?……オリオ、頼んだわよ」
「はい、お母さん。ノラは俺が責任持って面倒見ます」
オリオは胸を叩いて保証した。
「お母さんはこういうことにはあまり関心がないからなあ」
ノラはオリオに頼んで、髪にリボンを結んでもらった。うんと小さい頃に使っていたやつで、引き出しの奥でしわくちゃになっていたのを、お鍋の底に敷いて伸ばしたものだ。
ノラは鏡に映った自分の姿を見て、『よし、よし』と満足げにほほ笑んだ。ぼろのリボンでも、ないよりはましだ。
(私だって……)
着飾れば、少しは……
身支度を終えると、朝食の残りの硬いパンを、水と一緒にお腹に流し込んだ。昼間のご馳走の味を思い出し『毎日お祭りなら良いのに』などと思った。
出かける間際、ノラは2階の自室へ向かった。ノラの期待に反して、ミライは戻っていなかった。
「ねぇミライ……一緒に行こうよ……きっと楽しいよ」
窓際に置かれた腕輪に向かって、ノラはそっと語りかけた。腕輪は一度きらりと輝いたが、返事はなかった。
「まだ怒ってるの……?」
何度話しかけてみても、反応はなかった。そうこうしているうちに下から『おーい!そろそろ行くぞー!』という声が響いてきた。ノラは少し迷って腕輪をはめると、部屋を出た。
「俺は鍛冶屋を廃業して杣になる!」
杣――― きこり