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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
物語のはじまり
28/91

フォスターとカティナ

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

「それにしてもクリフはどこにいるんだろう?」

 アベルは辺りをきょろきょろと見回して首をかしげた。そう言えば、今朝から1度も姿を見かけていない。

「どこかで女の子達に囲まれてるんじゃない?」

「なら良いんだけど……もしかして、まだ家にいるのかなあ?ちょっと様子を見に行ってみようか?」

 アベルの提案で、2人はクリフォードの家に向かった。

 クリフォードの家は、お祭が開催されている広場のすぐ近くにあった。ヨーハン・ギルデンの鍛冶屋の角を左に曲がり、マルタ・ブレトンとガルシア・ブレトンが経営するパーラーを通り過ぎて少し行くと、見えてくる平屋がそうだ。

 10分ほどかけてクリフォードの家にたどり着いたノラとアベルが、玄関の扉を叩こうとした時だ。

『私はお金を借りてきてって言ったのよ!それがどうしてこうなるのよ!』

 突如二人の耳に飛び込んできたのは、クリフォードの母、カティナ・ジョイマンの金きり声だった。ノラとアベルはぎくりとして、身をすくませた。

『仕方ないだろ!兄貴のところからはもうずいぶん借りてるんだから!』

 怒鳴り返しているのは、クリフォードの父の、フォスター・ジョイマン。

2人は夫婦喧嘩の真っ最中だった。まずい時に訪ねてきてしまったのだと気付いたノラとアベルは、困り顔を見合わせた。

『だからって、渡したお金をぜんぶ使ってくるなんて!』

『ひさしぶりに会ったんだぞ!一杯くらい付き合うのが礼儀ってもんだ!』

 激しい口論は、玄関の扉のすぐ横の窓から響いてくるようだった。悪いことだと思いつつ、ノラとアベルはそーっと室内を覗いた。

『あれはクリフォードの今月の授業料なのよ!お酒の一杯くらいで、なくなるはずないでしょう!』

 玄関を入ってすぐのキッチンには、カティナとフォスター、それにクリフォードがいた。

『わかんない女だなあ、お前も!呼び出しておいて払わせるわけには行かないだろう!』

 退屈そうに2人の喧嘩を見つめていたクリフォードは、言い争う2人を避けて、玄関の扉に向って歩き出した。外へ出てくるつもりのようだ。ノラとアベルは、慌てて建物の陰に隠れた。

『クリフォード!どこへ行く気!?遊びに行っている暇なんてないでしょう!戻ってきなさい!クリフォード!』

 玄関の扉がばたんっ!と開き、中からクリフォードが出てくると、10件先まで聞こえそうなカティナの声が響いた。

「待て!クリフォード!待て!お前に言いたいことがある!」

 クリフォードは無視して家を離れようとしたが、フォスターが後を追いかけてきて、彼の腕を捕まえた。ずいぶん飲んでいるようで、フォスターは真っ赤な顔をしていた。

「クリフォードお前、俺の目を盗んでまた他所んちで小づかい稼ぎをしているそうだな!」

 フォスターはクリフォードそっくりの形の良い眉を、鬼のようにつり上げてわめいた。物影で様子をうかがっていたノラは思わず、ひゃっ!と肩をすくませた。

「……そんなこと、なにも今話さなくたって良いだろ。今日は年に1度のお祭だよ……」

「うるさい!祭がなんだ!……みっともない真似しやがって!この俺の顔に泥を塗る気か!?」

「誤解だよ親父。ただの手伝いだよ。俺は断ってるのに、どうしてもお礼がしたいって言うから、仕方なくもらってるんだ。たいした額じゃあ……」

 クリフォードは困ったように微笑んで弁解した。すると、フォスターが大きな右手を振り上げて、クリフォードの頬をぴしゃりと打った。

「なんだって同じだ!他人の施しなんかあてにしやがって……俺は昔から、そういうのが大嫌いなんだ!いくらもらったんだ!?直ぐに返してこい!今直ぐにだ!」

「……でも親父、それじゃあ今晩の夕食がないよ……さっき、親父が飲んじゃっただろ?」

 力なく項垂れるクリフォードを見て、ノラは恐怖のあまり、わなわなと唇を震わせた。

「なけりゃあ食うな!一晩くらい我慢しろ!」

「でも……でもさ……」

「俺に口答えする気か!?さっさと行け!」

 フォスターはクリフォードの言葉に耳を傾けようとはせず、有無を言わせぬ口調で厳命した。フォスターが踵を返し、これで終わりかとほっと息を吐いた、その直後のことだ。

「……家賃も払えないくせに……」

 家に入って行こうとするフォスターの背中に向かって、クリフォードがぼそりと呟いた。ノラもアベルも、言われた本人であるフォスターも耳を疑い、クリフォードを凝視した。

「……なんだと?」

「……あんたの稼ぎじゃ、この家の家賃も払えないくせにって言ったんだ!」

 激高したクリフォードは、フォスターの赤ら顔に向かって力の限り叫んだ。

「何回だって言ってやる!もううんざりだ!今月分はまだかって、いつになったらまともに払えるようになるんだって、店の前を通る度に聞かれるこっちの身にもなれよ!俺だって必要なければこんなことしないさ!町中走り回ったって、1日分の食費も稼げないんだぞ!それもこれも、あんたがつまんないこと気にするからじゃないか!」

 見上げるほど高いフォスターの顔に向かって、クリフォードは捲くし立てた。彼の目には怒りと悔しさで、涙が滲んでいた。

 フォスターは、今度は羞恥で顔を真っ赤にし、かたく握った拳を振り上げた。

「殴りたかったら殴れ!俺は間違ったことは言ってない!」

 クリフォードが負けじとにらみ返した。フォスターはその顔面に向って、怒りに任せて拳を振り下ろそうとした。あと少しというところでフォスターは衝動を堪え、ぶるぶる震える拳を、もう片方の手の中におさめた。

 苛立たしげな息を吐いたフォスターは、家に入ろうとはせず、道の向こうに消えていった。

「くそっ……!」

 クリフォードは地面にうずくまって、ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟った。

 物影から飛び出そうとしたノラを、アベルがその肩に手を置いて制止した。アベルの判断は正しかった。出て行ったって、かける言葉なんか見つからない。

 ノラとアベルがしばらく物影で息をひそめていると、クリフォードは立ち上がって、祭の会場である広場へ向かってとぼとぼと歩き出した。ノラとアベルは先回りして広場に入り、まるで最初からそこにいたかのようなふりをした。

「ノラ!おばさんに許してもらえたのか!」

 クリフォードは広場の隅にノラ達の姿を見つけると、嬉々として駆け寄ってきた。

「う、うん」

 ノラはおろおろした。

「良かった。どうやって連れ出そうかと思ってたんだ」

 クリフォードは先刻の親子喧嘩のことなどおくびにも出さなかったが、その頬は少しだけ赤くなっていた。一部始終を目撃した2人でなければ、気付けなかったに違いない。

(知らなかった……)

 もしかしたら今までにもこういうことがあったのかもしれない。そう思うと、ノラの胸はちくりと痛んだ。

「ああ、腹減ったあ。料理、まだ残ってるかなあ?」

 クリフォードは料理が用意されていたテーブルの方へ寄って行った。

「骨しか残ってねえや。ちぇっ、しけてんなあ」

 残念がるクリフォードを見て、ノラとアベルは、自分たちだけご馳走を堪能したことを後ろめたく思った。

「私、公会堂に行ってなにか残ってないか聞いてくる!」

「え?いいよ、わざわざ」

 クリフォードは断ったが、ノラはいそいそと公会堂に向った。クリフォードの前で、何食わぬ顔をしていられる自信がなかった。なんだか泣きたいような気持だった。

 広場近くの公会堂では、役場勤めの人々―――ノラの父のエドモン・リッピーをはじめ、母の宿敵であるランベル夫人の旦那のロベルト・ランベル、クラスメートのエレオノーレ・アレシの父のビンセンテ・アレシ。デューク・ストレイス、泥だらけのジョナサン・ブロシャール、シルビアの父のアヒム・グッドマン―――が遅い休憩をとっていた。

 頼みの父は、ロベルトやアヒムと歓談中だった。ノラが声をかけるのをためらっていると、外からオリオがやってきた。

「ノラ。今迎えに行こうと思っていたんだ。お母さんに許してもらえたんだね」

「ヘルガ先生が説得してくれたの。ねぇオリオ、なにか残ってるものない?」

 ノラがたずねると、オリオは苦笑した。

「食べ足りないのかい?食いしん坊だなあ」

「私んじゃないよ。クリフの分」

「クリフォードの?頼まれたの?」

「そうじゃないけど……」

 ノラがもじもじしていると、オリオは小麦のパンとチーズ、はちみつがかかったワッフルを渡してくれた。

「本当は自分で取りに来いって、言ってやりたいところだけどな」

 ノラはオリオにお礼を言うと、急いで引き返して、クリフォードにに昼食を手渡した。

「腹ぺこじゃレースに勝てないでしょ!」

「わ!ありがとう!」

 クリフォードが食事を終えた頃。ようやくデムターさんから解放されたマルキオーレが合流した。

「いやぁ、まいった……」

 マルキオーレは胸元のタイを引きちぎって呻いた。へとへとに疲れているのは、窮屈な余所行きの上下のせいと、デムターさんにあちこち連れ回されたせいだ。

 マルキオーレが加わると、ようやくいつもの調子に戻って、4人はゆっくりとお祭を観て回った。

「クリフォード、レース頑張ってね!」

「ゴールで待ってるからね!」

 人気者のクリフォードは、行く先々で声をかけられた。ファンの女の子はもちろん、エドガー・ピッコリや、ジャメル・ポワソン、気難しいエイハブ・オギルビーまでもが、わざわざ近づいてきて彼を激励した。

「ノラあなた、こんな日にひいひいおばあちゃんのドレスなんか着てきて、どういうつもり?」

 4人が露店をひやかしていると、シルビアが食ってかかってきた。

「そうよ。クリフォードが恥ずかしい思いをするじゃない、どこかへ行きなさいよ」

「孤児院の子達に混ぜてもらったら?」

 取り巻きのカレン・ウォルソンとアガタ・デビも、一緒になってノラを非難した。

 腹を立てたノラが言い返そうとすると、ノラが嫌味を発するより早く、クリフォードが進み出た。

「こら、あんまりいじめるなよ。意地悪な口だなあ」

 クリフォードはシルビア達を軽くたしなめた。

「だってクリフォード、今日はあなたにとって大事な日でしょう?この子ぜんぜんわかっていないんだもの」

 クリフォードに叱られたシルビアは羞恥に頬を染めて、非難がましい目でノラをにらんだ。クリフォードはノラの格好を上から下まで見やった。

「……確かに変な格好だけど……ノラが悪いんじゃないだろ。ノラのおばさんは、子供に綺麗な服なんてぜいたくだという考えなんだ」

 クリフォードは悪気なく言った。ノラはちんちくりんのドレスを見下ろし、内心で嘆息した。

「んもう……優しいのね、クリフォードは。そこが良いんだけど」

「戦車レース、がんばってね!私達、一番前で応援してるから」

「ゴールする時、キッスを投げてね!」

 きゃあきゃあと黄色い声を上げながら駆けて行くシルビア達を、クリフォードは手を振って見送った。

「……悪かったわね、変な格好で」

 シルビア達が行ってしまうと、ノラは口を尖らせた。かばってくれたのは嬉しいけど、そんなにはっきり言わなくても良いのに……

「ありゃ、怒った?」

「べっつにー」

 ノラがずんずん先を歩きはじめると、その後をアベルが追いかけてきた。

「どんな服を着ていたって、ノラはノラだよ。格好を気にするなんてらしくないよ」

 すっかりへそを曲げてしまったノラを、アベルははりきって励ました。

「そうだぞノラ。どうせ似合わないんだから、悩むだけ無駄さ」

「着飾らなくても、ノラが一等かわいいよ。ドレスなんてノラには必要ないよ」

「無理したって直ぐぼろが出るに決まってるよ。自然体が一番」

「もう!クリフ!ちょっと黙っててくれよ」

 アベルはぷりぷり怒って、クリフォードはからからと笑い、ノラはいっそう頬をふくらませた。


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