フォスターとカティナ
著作権は放棄しておりません。
無断転載禁止・二次創作禁止
「それにしてもクリフはどこにいるんだろう?」
アベルは辺りをきょろきょろと見回して首をかしげた。そう言えば、今朝から1度も姿を見かけていない。
「どこかで女の子達に囲まれてるんじゃない?」
「なら良いんだけど……もしかして、まだ家にいるのかなあ?ちょっと様子を見に行ってみようか?」
アベルの提案で、2人はクリフォードの家に向かった。
クリフォードの家は、お祭が開催されている広場のすぐ近くにあった。ヨーハン・ギルデンの鍛冶屋の角を左に曲がり、マルタ・ブレトンとガルシア・ブレトンが経営するパーラーを通り過ぎて少し行くと、見えてくる平屋がそうだ。
10分ほどかけてクリフォードの家にたどり着いたノラとアベルが、玄関の扉を叩こうとした時だ。
『私はお金を借りてきてって言ったのよ!それがどうしてこうなるのよ!』
突如二人の耳に飛び込んできたのは、クリフォードの母、カティナ・ジョイマンの金きり声だった。ノラとアベルはぎくりとして、身をすくませた。
『仕方ないだろ!兄貴のところからはもうずいぶん借りてるんだから!』
怒鳴り返しているのは、クリフォードの父の、フォスター・ジョイマン。
2人は夫婦喧嘩の真っ最中だった。まずい時に訪ねてきてしまったのだと気付いたノラとアベルは、困り顔を見合わせた。
『だからって、渡したお金をぜんぶ使ってくるなんて!』
『ひさしぶりに会ったんだぞ!一杯くらい付き合うのが礼儀ってもんだ!』
激しい口論は、玄関の扉のすぐ横の窓から響いてくるようだった。悪いことだと思いつつ、ノラとアベルはそーっと室内を覗いた。
『あれはクリフォードの今月の授業料なのよ!お酒の一杯くらいで、なくなるはずないでしょう!』
玄関を入ってすぐのキッチンには、カティナとフォスター、それにクリフォードがいた。
『わかんない女だなあ、お前も!呼び出しておいて払わせるわけには行かないだろう!』
退屈そうに2人の喧嘩を見つめていたクリフォードは、言い争う2人を避けて、玄関の扉に向って歩き出した。外へ出てくるつもりのようだ。ノラとアベルは、慌てて建物の陰に隠れた。
『クリフォード!どこへ行く気!?遊びに行っている暇なんてないでしょう!戻ってきなさい!クリフォード!』
玄関の扉がばたんっ!と開き、中からクリフォードが出てくると、10件先まで聞こえそうなカティナの声が響いた。
「待て!クリフォード!待て!お前に言いたいことがある!」
クリフォードは無視して家を離れようとしたが、フォスターが後を追いかけてきて、彼の腕を捕まえた。ずいぶん飲んでいるようで、フォスターは真っ赤な顔をしていた。
「クリフォードお前、俺の目を盗んでまた他所んちで小づかい稼ぎをしているそうだな!」
フォスターはクリフォードそっくりの形の良い眉を、鬼のようにつり上げてわめいた。物影で様子をうかがっていたノラは思わず、ひゃっ!と肩をすくませた。
「……そんなこと、なにも今話さなくたって良いだろ。今日は年に1度のお祭だよ……」
「うるさい!祭がなんだ!……みっともない真似しやがって!この俺の顔に泥を塗る気か!?」
「誤解だよ親父。ただの手伝いだよ。俺は断ってるのに、どうしてもお礼がしたいって言うから、仕方なくもらってるんだ。たいした額じゃあ……」
クリフォードは困ったように微笑んで弁解した。すると、フォスターが大きな右手を振り上げて、クリフォードの頬をぴしゃりと打った。
「なんだって同じだ!他人の施しなんかあてにしやがって……俺は昔から、そういうのが大嫌いなんだ!いくらもらったんだ!?直ぐに返してこい!今直ぐにだ!」
「……でも親父、それじゃあ今晩の夕食がないよ……さっき、親父が飲んじゃっただろ?」
力なく項垂れるクリフォードを見て、ノラは恐怖のあまり、わなわなと唇を震わせた。
「なけりゃあ食うな!一晩くらい我慢しろ!」
「でも……でもさ……」
「俺に口答えする気か!?さっさと行け!」
フォスターはクリフォードの言葉に耳を傾けようとはせず、有無を言わせぬ口調で厳命した。フォスターが踵を返し、これで終わりかとほっと息を吐いた、その直後のことだ。
「……家賃も払えないくせに……」
家に入って行こうとするフォスターの背中に向かって、クリフォードがぼそりと呟いた。ノラもアベルも、言われた本人であるフォスターも耳を疑い、クリフォードを凝視した。
「……なんだと?」
「……あんたの稼ぎじゃ、この家の家賃も払えないくせにって言ったんだ!」
激高したクリフォードは、フォスターの赤ら顔に向かって力の限り叫んだ。
「何回だって言ってやる!もううんざりだ!今月分はまだかって、いつになったらまともに払えるようになるんだって、店の前を通る度に聞かれるこっちの身にもなれよ!俺だって必要なければこんなことしないさ!町中走り回ったって、1日分の食費も稼げないんだぞ!それもこれも、あんたがつまんないこと気にするからじゃないか!」
見上げるほど高いフォスターの顔に向かって、クリフォードは捲くし立てた。彼の目には怒りと悔しさで、涙が滲んでいた。
フォスターは、今度は羞恥で顔を真っ赤にし、かたく握った拳を振り上げた。
「殴りたかったら殴れ!俺は間違ったことは言ってない!」
クリフォードが負けじとにらみ返した。フォスターはその顔面に向って、怒りに任せて拳を振り下ろそうとした。あと少しというところでフォスターは衝動を堪え、ぶるぶる震える拳を、もう片方の手の中におさめた。
苛立たしげな息を吐いたフォスターは、家に入ろうとはせず、道の向こうに消えていった。
「くそっ……!」
クリフォードは地面にうずくまって、ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟った。
物影から飛び出そうとしたノラを、アベルがその肩に手を置いて制止した。アベルの判断は正しかった。出て行ったって、かける言葉なんか見つからない。
ノラとアベルがしばらく物影で息をひそめていると、クリフォードは立ち上がって、祭の会場である広場へ向かってとぼとぼと歩き出した。ノラとアベルは先回りして広場に入り、まるで最初からそこにいたかのようなふりをした。
「ノラ!おばさんに許してもらえたのか!」
クリフォードは広場の隅にノラ達の姿を見つけると、嬉々として駆け寄ってきた。
「う、うん」
ノラはおろおろした。
「良かった。どうやって連れ出そうかと思ってたんだ」
クリフォードは先刻の親子喧嘩のことなどおくびにも出さなかったが、その頬は少しだけ赤くなっていた。一部始終を目撃した2人でなければ、気付けなかったに違いない。
(知らなかった……)
もしかしたら今までにもこういうことがあったのかもしれない。そう思うと、ノラの胸はちくりと痛んだ。
「ああ、腹減ったあ。料理、まだ残ってるかなあ?」
クリフォードは料理が用意されていたテーブルの方へ寄って行った。
「骨しか残ってねえや。ちぇっ、しけてんなあ」
残念がるクリフォードを見て、ノラとアベルは、自分たちだけご馳走を堪能したことを後ろめたく思った。
「私、公会堂に行ってなにか残ってないか聞いてくる!」
「え?いいよ、わざわざ」
クリフォードは断ったが、ノラはいそいそと公会堂に向った。クリフォードの前で、何食わぬ顔をしていられる自信がなかった。なんだか泣きたいような気持だった。
広場近くの公会堂では、役場勤めの人々―――ノラの父のエドモン・リッピーをはじめ、母の宿敵であるランベル夫人の旦那のロベルト・ランベル、クラスメートのエレオノーレ・アレシの父のビンセンテ・アレシ。デューク・ストレイス、泥だらけのジョナサン・ブロシャール、シルビアの父のアヒム・グッドマン―――が遅い休憩をとっていた。
頼みの父は、ロベルトやアヒムと歓談中だった。ノラが声をかけるのをためらっていると、外からオリオがやってきた。
「ノラ。今迎えに行こうと思っていたんだ。お母さんに許してもらえたんだね」
「ヘルガ先生が説得してくれたの。ねぇオリオ、なにか残ってるものない?」
ノラがたずねると、オリオは苦笑した。
「食べ足りないのかい?食いしん坊だなあ」
「私んじゃないよ。クリフの分」
「クリフォードの?頼まれたの?」
「そうじゃないけど……」
ノラがもじもじしていると、オリオは小麦のパンとチーズ、はちみつがかかったワッフルを渡してくれた。
「本当は自分で取りに来いって、言ってやりたいところだけどな」
ノラはオリオにお礼を言うと、急いで引き返して、クリフォードにに昼食を手渡した。
「腹ぺこじゃレースに勝てないでしょ!」
「わ!ありがとう!」
クリフォードが食事を終えた頃。ようやくデムターさんから解放されたマルキオーレが合流した。
「いやぁ、まいった……」
マルキオーレは胸元のタイを引きちぎって呻いた。へとへとに疲れているのは、窮屈な余所行きの上下のせいと、デムターさんにあちこち連れ回されたせいだ。
マルキオーレが加わると、ようやくいつもの調子に戻って、4人はゆっくりとお祭を観て回った。
「クリフォード、レース頑張ってね!」
「ゴールで待ってるからね!」
人気者のクリフォードは、行く先々で声をかけられた。ファンの女の子はもちろん、エドガー・ピッコリや、ジャメル・ポワソン、気難しいエイハブ・オギルビーまでもが、わざわざ近づいてきて彼を激励した。
「ノラあなた、こんな日にひいひいおばあちゃんのドレスなんか着てきて、どういうつもり?」
4人が露店をひやかしていると、シルビアが食ってかかってきた。
「そうよ。クリフォードが恥ずかしい思いをするじゃない、どこかへ行きなさいよ」
「孤児院の子達に混ぜてもらったら?」
取り巻きのカレン・ウォルソンとアガタ・デビも、一緒になってノラを非難した。
腹を立てたノラが言い返そうとすると、ノラが嫌味を発するより早く、クリフォードが進み出た。
「こら、あんまりいじめるなよ。意地悪な口だなあ」
クリフォードはシルビア達を軽くたしなめた。
「だってクリフォード、今日はあなたにとって大事な日でしょう?この子ぜんぜんわかっていないんだもの」
クリフォードに叱られたシルビアは羞恥に頬を染めて、非難がましい目でノラをにらんだ。クリフォードはノラの格好を上から下まで見やった。
「……確かに変な格好だけど……ノラが悪いんじゃないだろ。ノラのおばさんは、子供に綺麗な服なんてぜいたくだという考えなんだ」
クリフォードは悪気なく言った。ノラはちんちくりんのドレスを見下ろし、内心で嘆息した。
「んもう……優しいのね、クリフォードは。そこが良いんだけど」
「戦車レース、がんばってね!私達、一番前で応援してるから」
「ゴールする時、キッスを投げてね!」
きゃあきゃあと黄色い声を上げながら駆けて行くシルビア達を、クリフォードは手を振って見送った。
「……悪かったわね、変な格好で」
シルビア達が行ってしまうと、ノラは口を尖らせた。かばってくれたのは嬉しいけど、そんなにはっきり言わなくても良いのに……
「ありゃ、怒った?」
「べっつにー」
ノラがずんずん先を歩きはじめると、その後をアベルが追いかけてきた。
「どんな服を着ていたって、ノラはノラだよ。格好を気にするなんてらしくないよ」
すっかりへそを曲げてしまったノラを、アベルははりきって励ました。
「そうだぞノラ。どうせ似合わないんだから、悩むだけ無駄さ」
「着飾らなくても、ノラが一等かわいいよ。ドレスなんてノラには必要ないよ」
「無理したって直ぐぼろが出るに決まってるよ。自然体が一番」
「もう!クリフ!ちょっと黙っててくれよ」
アベルはぷりぷり怒って、クリフォードはからからと笑い、ノラはいっそう頬をふくらませた。