露店と夜の砂漠のスカーフ
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「あっちへ行ってみよう。行商人がきてるんだ」
母とヘルガが行ってしまうと、ノラはアベルに誘われて、広場の奥の露店を見に行った。
毎年お祭りの日にしか店を出さないこともあり、露店は大盛況だった。この期を逃すまいと、目の肥えた奥様達が大きなお尻をくっつけ合って品定めをしていた。
「うわぁー」
隙間に割り込んだノラは、並べられた品々を見て感嘆のため息をこぼした。木彫りのブローチや、帽子につける羽飾り、真珠の粉が入ったおしろいなど、女性には興味深い品々が、敷物の上に大事そうに並べられていた。どの飾りも作りが細やかで趣向に富んでいた。
(すてき……)
中でもひときわノラの目を引いたのが、手を触れるのもためらわれるような上等の、夜の砂漠が描かれたスカーフだった。本当に夜の砂漠をモチーフにしたものかどうかはわからないが、スカーフの半分が深い藍、もう半分が鮮やかな山吹色に染められていた。
あまりに見事な染め物なので、ノラが思わず手に取ろうとすると、別の場所から伸びてきた誰かの手とぶつかった。見ればアヒルみたいに小さくてつぶらな瞳が、ノラを見返していた。
「私が先に目を付けたのよ」
ノラは胸をはって主張した。しかしソニアは、かまわずスカーフをノラの手元からさっと奪い取った。
「おじさん、これいくら?」
「12000ピチだよ」
「…………」
値段を聞いて、ソニアはそっとスカーフを元あった場所に戻した。
「……いちいち突っかかるのは止めてよ。私になんの恨みがあるのよ」
ノラがむっとして文句をつけると、ソニアはノラを胡散顔でにらんだ。思えばソニアは、初対面からこんな調子だ。もしかしたらクリフォードのファンなのかも……
「サリーにちょっかいを出すのは止めて」
などと考えていたノラは、ソニアの口から飛び出した名前に、目を瞬いた。
「……サリーって、サリエリのこと?」
「他に誰がいるのよ」
大真面目なソニアに、ノラはやれやれとため息をついた。
「なにを勘違いしてるのか知らないけど、私はあの子と喋ったこともないわよ」
ノラとサリエリはずいぶん長いこと隣同士の席に座っているが、ノラはただの1度もサリエリの声を聞いたことがない。世間話どころか、挨拶をかわしたことさえない。
見当違いにもほどがあると、ノラはあきれた。
「言っちゃなんだけど、あんたって相当変わった趣味してんのね」
シルビア達がクリフォードに夢中になるのはわかる。外見はさておき、クリフォードは明るい性格で、人を楽しませるのが上手だ。
「サリエリって無口だし、暗いし、一緒にいても退屈そうじゃない」
ノラは頭の中にぼんやりと、サリエリの顔を思い浮かべた。怒られてもいじめられても、微動だにしない眉。動物みたいに真っ黒で、意思のない瞳。冗談の1つも出てこない飾りものみたいな唇……
「あんなやつと友達だなんて、あんたの気が知れないわよ。私だったら絶対にお断りよ」
打っても蹴っても響かない。意志の疎通もままならないんじゃあ、友人として落第だ。
「……サリーに負けたくせに」
大好きなサリエリを貶されたことに腹を立てたソニアが言った。急所を突かれたノラは、うっと言葉を詰まらせた。
「確かにサリーは一緒にいてもこれっぽっちも面白くないけど、良いところはたくさんあるわ。頭は良いけど偉ぶらないところとか、いざって時に頼りになるところとかね。でも、一番好きなのは優しいところ」
ソニアはうっとりと惚気て、ノラを白けさせた。
「私、18歳になったらサリーと結婚するの。本当は16歳でも良いって思うんだけど、サリーがお金を貯めて家を買ってくれるって言うから」
ソニアは得意げに言って、大人びたほほ笑みを浮かべた。ソニアの爆弾発言に、ノラはぎょっとした。
「うそよ。そんなの」
「そう思うならサリーに聞いてみたら?とってもシャイだから、恥ずかしがるだろうけど。……そろそろ行かなきゃ。彼、私のために芋の皮むき競争に出てくれるんですって。きっと賞品のリボンをプレゼントしてくれる気よ」
「…………」
「あのスカーフはあなたに譲ってあげる。あなたにはプレゼントをくれる彼なんて、いないんでしょうからね」
ソニアは捨てゼリフを残し、しゃなりしゃなりと人ごみの中へ歩き去った。
「いやな子だなあ……ノラ、気にすることないよ」
あ然とするノラを、アベルが慰めた。
「う、うん……」
「俺達も行こう。ごちそうの準備ができたみたいだよ」
昼食には、町長であり創立者祭の主催者であるデムター・オシュレントン氏から、町の人々全員にウサギのハーブ焼きとワイン、精白小麦粉で作られたふわふわのパンと、はちみつがたっぷりかかったワッフルが振る舞われた。
「わーっ!おいしそう!」
ソニアの言葉を気にしていたノラだったが、肉が焼ける香ばしい匂いをお腹いっぱい吸い込むと、たちまち忘れてしまった。ノラとアベルは広場のすみの木陰に座って、祭を楽しむ人々の笑顔を観察しながら、おいしい料理に舌鼓を打った。
お皿の上の料理を残らず平らげ、指先までしゃぶると、2人は泥団子合戦の開始に備えてステージの上に避難した。
ベン・ウォルソンとデイビッド・ホールドが参加する泥団子合戦は、その名の通り、泥団子を投げ合う競技だ。元軍人でノラの父の同僚であるジョナサン・ブロシャール率いる熟年組と、ブルース・アリンガム率いる若人組に分かれて十分間力の限り泥団子を投げ合い、洋服に泥が付いている面積が少ない方が勝ち。
「そこだ!ロナルド!狙えー!」
「ジュゼッペ!危ない!」
結果は昨年と同じく、経験豊富な熟年組の圧勝だった。デイビッドは集中攻撃を受け、『一番泥んこになったで賞』を受賞し、ベンは母親のミレーヌ・ウォルソンに、一時帰宅を命じられた。ジョナサンはブルースの兄のヒース・アリンガムの顔に泥団子を当ててしまい、反則で途中退場になった。
泥団子による熾烈な戦いが繰り広げられていたその頃。広場のすみには料理の腕に覚えのある奥様達が集まって、いもの皮むきの速さを競い合っていた。
いもの皮むき競争は、同じくらいの大きさのいもを10個、一番速く剥き終えた人が勝ちという競技だ。ノラが意識を向けた時には、勝敗はもう決していて、サリエリが審判のバーバラ・ストレイスから、優勝賞品のリボンを受け取っているところだった。かたわらでは孤児院の子供達が拍手喝采を送っていて、恋人のソニアが、見事栄冠を獲得したサリエリを尊敬のまなざしで見つめていた。
「…………」
べつに羨ましくなんかない。ノラの髪は短いのでリボンなんて必要ない。少し意外だっただけだ。あの2人が、プレゼントを贈り合うような仲だったなんて……
「サリエリが優勝したみたいだね」
「うん」
「……大人になったら、俺がプレゼントするよ。お祭の賞品なんかより100倍綺麗で、ノラに似合う髪飾りをさ」
気もそぞろに相槌を打ったノラに、アベルが申し出た。
「アベル……」
アベルの笑顔を見ると、ノラの気のせいみたいな憂鬱は、綺麗さっぱり消え去った。ノラは期待を込めてうなずいて、にっこりと微笑み返した。アベルはほんのりと頬を染めた。