創立者祭
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創立者祭当日は、雲ひとつないお祭日和だった。
おめかししたカシマとアンジェラが出かけて行くのを、ノラは2階の窓から恨めしそうに見つめていた。
(かわいそうなノラ……)
彼女は一生この小さな家の中で、人生の楽しみの大部分を知らずに生きて行くのだ。
限りある青春をカーペットの染み抜きや家畜の世話に費やし、今年の野菜はできが良いだの、刺繍の柄はなにが良いだのと話し合っているうちに歳をとり、顔中がしわしわのくちゃくちゃになった頃、両親が他界。長らく世間との関係を断ち切っていた老女に世間の風は冷たく、その頃にはかつての友人も亡くなっていて、寄る辺のない老女は雨の降りしきる芋畑の真ん中で、無残な死を遂げるのだ。
なんて不幸な人生。なんて不便なノラ。
「まあノラ、まだ支度できていないの?早くしないと遅刻してしまうでしょう」
ノラが惨めな空想にふけっていると、黒っぽい地味なドレスを着た母がやってきて、まだ寝巻のままのノラを非難した。
「だって……」
ノラはベッドの上に用意されたよそ行きのドレスを見て、口を尖らせた。 首が痒くなるとっくり、ずんどうのウェスト、中途半端なスカート丈。お祭の日にまで、こんなもの着たくない。
「教会に行くんですから、ふさわしい格好をしないとね。それに洋服は質素な方が、人間が美しく見えるわ」
「派手な服は馬鹿みたい?」
「そういうこと。ほら、早く着替えてちょうだい」
支度が終わって下りて行くと、オリオが出かけるところだった。オリオは町役場に勤める父に頼まれて、祭の手伝いに行くのだ。
「頃合いを見てむかえに行ってやるから」
オリオは祭に参加できないノラを気の毒そうに見やり、そう約束して出かけて行った。
ノラは母に連れられて教会へ向かった。途中、家族で広場へ向かうヨハンナ・カレーラスとすれ違った。髪に花を飾り笑顔を振りまく彼女を、ノラは羨望のまなざしで見つめた。
教会には、すでに婦人会の一部のメンバーが集まっていた。顔ぶれは、ショーンの祖母のエリス・カートライト、エステル・マージョラム、ミニー・マージョラム、気難しいコーデリア・オコネルなど、六〇歳を超える老人ばかりだ。それもそのはず、教会の昼食会は、お祭に参加できない人々のための(もしくは、参加したくない頑固な人々のための)集まりなのである。
ノラは人知れずため息をついて、首をぼりぼりとかいた。
ノラが母から離れて座っていると、背後から肩を叩かれた。
「おはようノラ!」
振り返るとそこには、赤い唇をにっこりと引き伸ばしたヘルガが立っていた。
「ヘルガ先生!……先生も婦人会のお手伝いですか?」
ノラは、そうであって欲しいと願いながらたずねた。ヘルガと一緒なら、この退屈極まりない集まりも少しはましになるだろう。
ヘルガはノラの期待に反して、首を左右に振った。
「アベルからあなたがここにいるって聞いて、連れてきてもらったの。あなたに謝らなければと思って……試験のこと、本当に残念だったわ」
「それはもう良いんです。悔しいけど、諦めます」
ヘルガはほっとした。ノラはお尻を1人分ずらして、ヘルガに席を空けた。
「……あのね。実は、サリエリが国立魔学校への入学を、辞退することになったの……」
ショーンに聞いて知っていたノラは、そ、と視線を伏せた。
(本当だったんだ……)
サリエリが入学辞退したのは、ノラがクラスのみんなの前で『ひきょう者!』なんて罵倒したせいかも知れない。ノラの胸は罪悪感にちくりと痛んだ。
「サリエリは、入学資格をあなたに譲りたいって」
苦虫を噛み潰したような顔をするノラに、ヘルガが告げた。
「私に……?あの子がそう言ったんですか?」
「ええ。あなたが一番相応しいだろうからって」
ヘルガはにっこりとほほ笑み、ノラは驚いた。
「この件は、ガブリエラ先生が休暇から戻っていらしたら、話し合いましょう。ゆっくり考えれば良いわ。時間はたっぷりあるのだから」
「…………」
「それよりも、今はこっちの問題を解決しないとね」
ヘルガは言いながら、ちらりと後ろを振り返った。入口近くの席には、ノラの母と、母の宿敵であるメリダ・ランベルが座っていた。
ノラはヘルガに倣って、耳をそばだてた。
「うちのマルグリッドは、戦車レースの優勝者の頭に、冠を乗せる役に選ばれたのよ」
ランベル夫人が自慢げに話すのを、母が黙って聞いているところだった。母が苛立っているのは明かだった。頬が真っ赤だし、唇をぎゅっとすぼめてお決まりの表情をしている。
「マルグリッドの雰囲気にぴったりのドレスを縫うのに、2カ月近くもかかったわ。あの子の肌の美しさを引き立てる生地に出会えなかったの」
マルグリッドというのは、ランベル夫人の自慢の姪っ子のことだ。美人で大人しやかで、シルビアに『戦車レースの優勝者の頭に冠を乗せる役』を譲らせるほどの人物。
「あなたにはもう話したかしら?あの子今、4人の男性からプロポーズされているのよ。口止めされているから、誰とは言わないけれどね」
「…………」
「あの子につりあう男性は、この町にはいないかもしれないわ。いえね、農民の妻が悪いと言ってるんじゃないのよ。あの子は私に似て、こだわりが強い性格なのよ」
ランベルの夫人の自慢話が途切れたところを見計らい、ヘルガはノラを連れて、2人のそばへ寄って行った。巻き込まれたくないと思ったノラだったが、ヘルガになにか考えがある様子だったので、黙って付いて行った。
2人が近付いて行くと、ランベル夫人が、ヘルガの背中に隠れるノラを目敏く発見した。
「こんにちはノラ。……またそんな格好をさせられているのね、かわいそうに……」
ランベル夫人が気の毒そうに言って、母の額に青筋が浮かんだ。
「ベスタ。いくら質素がモットーだからって、なにもお祭の日にまでこんな修道服を着せることはないじゃないの」
ランベル夫人はお節介をやいた。ノラは心の中で、ランベル夫人を応援した。
「お言葉ですけど、ランベル夫人。この子の服には、よろず屋で手に入る綿生地の中でも一番上等なのを使ってるんです」
「そんなの、見りゃあわかるわよ。私を誰だと思っているんです?……私は生地じゃなくて、形のことを言っているのよ」
「私は彼女に、他人と自分の外見を比べて鼻を高くするような、無恥な人間に育って欲しくないんです」
「でもねぇ……これじゃあ清楚って言うより、お粗末よ」
母の身体が、怒りでぶるぶると震え出した。
「それで良いんです!子供に贅沢をさせる必要はないでしょう!?」
母がむきになって言い返すと、ランベル夫人は仕方がないという風に、首を左右に振った。
「はあ……意地を張らずに、誰かに頼めば良いのよ。ノラの洋服くらい、私が縫ってあげますよ」
「結構です!」
「恥ずかしがらなくても、誰にだって、不得手なことくらいあるわよ」
「ふっ……不得手ですって!?」
母は立ち上がって臨戦態勢をとった。ノラはあちゃあ!と額に手のひらを当てた。家事の腕前に絶対の誇りと自信を持っている母に、その言葉は禁句だ。もともと冗談が通じない性格でもある。
こんな調子で、母とランベル夫人は寄ると触ると喧嘩ばかりしている。陰口は言ったもん勝ちだと思っているし、お互いの評判を下げることに遠慮がない。そんな2人を見る世間の目は、憎み合っているわけではないので構うこともない、と言う風にあっさりしたものだ。
みんなの注目が集まり、穴があったら入りたいような気持でいると、ヘルガは「ちょっとお外で待っていらっしゃい」と言って、ノラを教会の外へ追い出した。
ノラは教会の外の、巨大なセコイアの木にもたれかかって、ヘルガが出てくるのを待った。
ノラが広場の方を見つめてお祭に思いを馳せていると、東の道から、荷馬車が2台やってきた。孤児院の子供達の馬車だった。1台はギネヴィア・タリスン院長先生が手綱を握り、もう1台は世話係のラーラ・アクロイドが操縦していた。
ノラが無視していると、荷台の上にぎゅうぎゅうにつめ込まれた子供達が、セコイヤの木の陰にノラの姿を見つけて、くすくす笑った。ノラはむっとした。
(なによ、感じ悪い!)
不愉快なことは、それだけに止まらなかった。前の馬車に乗っていたソニアが、じろりとにらみ付けてきたのだ。ノラもにらみ返そうとしたが、隣に座る黒髪を見て、まぶたを見開いた。サリエリも、目をぱちくりさせてノラを見ていた。
『サリエリは、入学資格をあなたに譲りたいって』
動物みたいな瞳と目が合うと、ヘルガの声が鼓膜によみがえった。ノラはぎくりとして、サリエリから視線をそらした。
前を通り過ぎるかと思われた荷馬車は、教会の前で停止した。タリスン院長先生が御者台から降りて、忙しく教会の中へ入って行った。
入れ替わりにヘルガが出てきた。
「ノラ、行きましょう!」
ヘルガはいそいそと駆け寄ってくると、ノラの腕をとり、ぐいと引っぱった。
「い、行くってどこへ……!?」
「もちろん、お祭よ!お母様からお許しが出たわ!」
「えっ!?」
本当に!?と、ノラが確認するより早く、母が追いかけてきた。母は目を白黒させるノラに向って、にっこり微笑んだ。
「ノラ……どうして話してくれなかったの。難しいテストで一番だったんですって?」
先ほど怒り狂っていた人物とは思えないほど、穏やかな口調だった。
「楽しんでいらっしゃい。ヘルガ先生の言うことを、よく聞くのよ」
ノラは飛び上がって喜んだ。この頑固な母が気を変えるなんて、夢じゃないかしら!
「よければ一緒にどう?私達も広場へ向かうところなの」
ノラとヘルガが広場へ出発しようとすると、ラーラが誘ってくれた。一秒でも早く広場にたどり着きたいノラとヘルガは、ありがたく乗せてもらうことにした。
2人はラーラの荷馬車に―――ソニアとサリエリが乗っていない方の荷馬車に―――乗り込んだ。
ノラが荷台に上がると、小さな女の子……ロザンナ・ニコリッチが、『あなた知ってる』とくすくす笑った。
「ヘルガ先生、いったいどんな魔法を使ったんですか?」
代わりに、ノラはヘルガにたずねた。ヘルガは少し得意げになった。
「ぜひノラにお祭りの案内を頼みたいってお願いしたのよ。快く許して下さったわ」
「本当にありがとうございます……なんてお礼を言ったら良いか……」
「うふふっ、大げさね」
タリスン院長先生が戻ってきて、荷馬車は広場へ向けて出発した。がたごと、がたごと、30分ほど走り続けると、風に乗って、軽快な音楽が聞こえてきた。
「音楽隊だ!」
孤児院の男の子、ヤン・エロランタが大きな声で叫び、子供達の顔が輝いた。だんだんと近付いてくる音楽に、ノラも胸をときめかせた。
「もうはじまってるのね。急がないと、おはじきがはじまるわ」
ヘルガはそわそわして言った。
「エドワードが出場するのよ、私、見に行く約束をしているの。……他にもたくさん約束したのよ。ショーンとジャンの神経衰弱大会でしょ。デイビッドとベンの泥団子合戦に、カレンとエレオノーレの長縄飛びもあったわ。ヨハンナとシルビアは、あやとり王者決定戦に出るんですって。それから……」
「クリフの戦車レース!」
ノラが付け加えると「そう、それもあったわ!」と手を叩いた。
「サリーも芋の皮むき競争に参加するのよ」
2人の話を聞いていたロザンナが、えへんと胸を張った。
「……ふんだ。芋の皮むき競争なんて、参加するのは女の人ばかりじゃない」
ノラは笑われた恨みもあって、つんけんして言った。ロザンナは悲しそうな顔になり、ヘルガが慌ててフォローに回った。
「サリエリはたしか、とっても足が速いのよね。徒競争がないのが残念ね」
ロザンナが再び笑顔になると、ヘルガは胸を撫で下ろした。
「サリエリは、あなたのことをとても心配していたのよ」
ヘルガは鼻頭にしわを寄せるノラに向って、たしなめる代わりに言った。ノラはいっそう口を尖らせた。
「本当よ。このところ、毎日私のところに聞きにくるのよ、ノラは大丈夫なのかって」
「…………」
「彼、あなたとお友達になりたいんじゃないかしら?」
荷馬車が広場に到着すると、孤児院の子供達は我先にと荷台を飛び降りて、広場に設けられたステージに向かって一目散に駆けて行った。ステージ上では音楽隊が演奏をしていて、ステージの横では街から招いた大道芸人達が、肉体を使った様々な芸を披露していた。
「もう直ぐ出番ですよ。みなさん、しゃんとして」
タリスン院長先生が、曲芸に夢中になっている子供達を、ステージのそばに整列させた。
ノラとヘルガが荷馬車を降りて広場に入って行くと、ちょうど音楽隊の演奏が終わり、孤児院の子供達による合唱がはじまるところだった。教会で聞き飽きているノラは早くアベルを探しに行きたかったが、ヘルガが立ち止まったので、仕方なく一緒に鑑賞することにした。
「ほら、あそこにサリエリがいるわ」
ヘルガの視線の先……ステージ上の、向かって右から3番目にはサリエリがいて、曲に合わせて大きな口を開いたり閉じたりしていた。一生けん命歌うふりをしているサリエリを見て、ノラは呆れ返った。サリエリは授業でも年末の学芸大会でも、『口ぱく組』だ。ちなみにノラもメンバーの1人。
1曲目が終わり、2曲目に入ると、一番前の真ん中に立っていたソニアが、みんなよりも一歩前に進み出て、ソロで歌いはじめた。
「綺麗な声ねぇ」
ヘルガの感想に、ノラは思わずうなずいた。のびやかで、広がりがあって、聞き惚れるような美声だった。
(へぇー)
ノラは大きな声で歌いながら、挑むように指揮者を……タリスン院長先生をにらんでいるソニアを見て『意外な特技だ』と感心した。一見、人前で歌なんか歌うタイプじゃなさそうなのに……
孤児院の子供達による合唱が終わると、町の大人達によるのど自慢大会がはじまった。トップバッターは、鍛冶屋のヨーハン・ギルデン。ビールをしこたま飲んでいるようで、鼻頭は早くも赤かった。
「ノラ!こられたんだね!」
ノラとヘルガが、最初の競技を観るために移動しようとしていると、2人を見つけたアベルが駆け寄っていた。
「ヘルガ先生がお母さんを説得してくれたのよ。……ねぇ、マルクは?」
「デムターさんに捕まっちゃった。レースの頃には解放されるんじゃないかな?」
「ふぅん……地主の息子もたいへんねぇ」
ノラが気の毒そうに言うと、隣で聞いていたヘルガが肩をふるわせて笑った。
しばらくして、広場のあちこちで午前の競技がはじまった。ヘルガとノラとアベルの3人は、無料で配られた水飴の棒を片手に見て回った。
エドワードはおはじきで初戦敗退し、カレンとエレオノーレは、長縄飛びの準決勝で年上のジョゼット・フォルテュナとアナ・シャルディニのチームに惜しくも敗れた。あやとり王者決定戦に出場したヨハンナとシルビアは、それぞれ『3段梯子』と『白鳥』が作れなくて、2回戦で敗退した。午前中の競技ではただ1人、ショーン・カートライトが、神経衰弱で銀行支店長のイーノック・ゴドウィンを打ち負かして決勝に進出。優勝は逃したものの、素晴らしい健闘を見せた。
午前の競技のほとんどが終わり、さあ次はどこを見て回ろうかと、相談し合っている時だった。
「ノラ!ヘルガ先生!」
「お母さん!?」
教会の昼食会に行っているはずの母が、人ごみの中から大きく手をふっていた。
「お母さんもきたの?」
「どうしてもヘルガ先生とお話がしたくて、追いかけてきたのよ。さあ先生、あちらでお茶でも飲みましょう。子供たちなら放っておいても平気ですわ。そうよね?お2人さん」
母は上機嫌でたずねた。ノラとアベルは顔を見合せ、うん、うん、と頷いた。
「ヘルガ先生はご迷惑かしら?」
「迷惑だなんて、とんでもありませんわ奥様。ぜひご一緒させてくださいな」
「そう言っていただけると思いましたの。やっぱり大人は大人同士が良いわよね。ノラの学校での様子を教えてくださいな」
母は声を弾ませて言うと、女学生のようにヘルガの腕に自分の腕をからめた。仲の良い姉妹のように連れ立って歩いて行く2人を、ノラとアベルはぽかんとして見送った。