ひきょう者!
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ノラはクリフォードに腕を引かれて荷馬車に乗り込んだ。アベルとマルキオーレも続いて、後にはショーン一人が残された。
ヘルガの滞在先を知らない4人は、ひと先ず学校へ向かった。
馬車に揺られている間中、ノラは口を開かなかった。緊張で下腹がちくちくと痛んだ。
学校にはヘルガのものと思われる馬車が停めてあった。4人は荷馬車を降りて、職員室へと急いだ。
「わ、私、やっぱり……」
クリフォードが職員室のドアをノックしようとすると、ノラは怖じ気づいた。
「ここまできて、なに言ってるんだよ!」
「でも……」
ノラがぐずぐずしていると、クリフォードが勝手にドアをノックした。中からヘルガの声が聞こえてきて、ノラはごくりと唾を飲み込んだ。
「1人で大丈夫?ついて行こうか?」
職員室に入る際、心配したアベルが申し出た。ノラは首を左右に振って断った。
「ノラ!心配していたのよ。風邪はもう良いの?」
ノラが職員室に入って行くと、ヘルガは席を立ちあがって、いそいそと駆け寄ってきた。
「いま丁度あなたにお手紙を書いていたところなのよ」
「私に……?」
「そうよ。『早く元気になって、学校にきてね』って……訪ねて行っても、ちっとも会ってくれないんですもの」
家にひきこもっていたこの1週間、ノラはすべての面会を断っていた。ノラは気まずそうに視線をそらした。
「あの、ヘルガ先生……私……」
聞きたいことがあって。ノラは本題を切り出そうと口を開きかけた。しかし、どうしても続きの言葉が出てこない。
「……わかってる。試験のことでしょう……?」
ノラが口をぱくぱくさせていると、ヘルガが助け船を出した。ヘルガはノラの考えなど、お見通しのようだった。
ヘルガの優し気なほほ笑みを見ていると、ノラはたまらなくなった。
「……私はてっきり……」
ノラは震える声で呟いた。
(好かれているとばかり……)
続きの言葉は、かすれて声にならなかった。
テストで一番だったのに不合格ということは、つまりは、そういうことだ。
「わ……私のことが嫌いなら、最初からそう言ってくれれば良かったのに……」
他でもないヘルガに、ノラは名門校に相応しくないと判断されたのだった。
「どうしてですか?はじめて会った日、私が悪口を言ったからですか?先生はあの時のことを、本当はずっと怒っていて……!」
これ以上惨めになりたくないと思うのに、ノラは感情のおもむくまま、めったやたらにまくし立てた。
「違うわノラ……!あなたのことを嫌いだなんて思ったことないわ!」
「うそです。先生はやっぱり私が嫌いなんです。そうでなかったら、あの子が選ばれるはずない!だってあの子は……!」
口が利けないんだから!
「……サリエリは、とても立派だったわ。一番遅れてやってきたというのに、誰よりも堂々としていたわ」
「……信じられません……そんな……」
「私も驚いたのよ。普段は無口で大人しい彼が、あんなにしっかりした考えを持っているなんて……」
ヘルガはノラの頭をそっと撫でた。彼女のやわらかな手のひらさえ、今のノラには子供を黙らせるための方便に思えた。
2人の間に気まずい沈黙が流れた。ノラは頭上にヘルガの体温を感じながら、長いことつま先を見つめていた。先に口を開いたのは、ヘルガだった。
「……推薦があったのよ……」
ヘルガは熟考した末に打ち明けた。
「推薦……?」
「そう……あなたの担任の、ガブリエラ先生から……」
ヘルガの口から真実を聞いたノラは、辺りに立ち込めていた深い霧が晴れたような気持ちになった。
(そういうことだったのね……)
担任のガブリエラは以前から、すなおで口答えをしないサリエリがお気に入りだ。一方のノラは、悪友達と共謀して悪さばかりするので、毛虫のように嫌われている。
(ひどい……!)
日頃の恨みを晴らすにしたって、あんまりだ。真剣勝負で決まった結果を、裏技でくつがえすなんて!
まんじりともせず一夜を明かしたノラは、勇気を出して学校に向った。
「ショックで寝込むなんて、まさか本当に合格できると思っていたのかしら?……だとしたらなんてあつかましいの」
「同情されるのが病みつきになったのよ。あの子には前からそういうところがあったわ」
「なんだかこっちまで恥ずかしくなるわね」
約1週間ぶりに登校してきたノラを、シルビア達はここぞとばかりに攻撃した。わかっていたことだが、ノラはうんざりした。
ノラは1時間目の授業をなんとかやり過ごすと、ガブリエラと話をするために、職員室を訪ねた。
職員室にはガブリエラの他に、もう1人男性がいた。良くお屋敷の図書室で見かける老人だった。お月さまみたいに黄色い肌に、白髪混じりの灰色の髪。痩せぎすで、上着を着ているにも関わらず、その腕は枯れ枝みたい。1番印象的なのは、つんと鼻を突くような、独特の香り……
ノラは老人を横目に見ながら、ガブリエラの席に近付いた。
「あらノラ、なにかご用?」
ガブリエラは珍客の訪れに、目を瞬いた。
「国立魔学校の入学試験のことです……どうしてサリエリを推薦したりしたんですか?」
ノラはガブリエラのきょとん顔に向って、思いきってたずねた。ガブリエラは首をかしげた。
「どうしてって……あなたは賛成してくれないの?」
「ええ?」
反対にたずね返されて、ノラは困惑した。
「……ねぇノラ、サリエリはかわいそうな子なの。家も家族もなくて、働きながら学校に通っているのよ。そういう子を応援したいって気持ち、あなたにもわかるでしょう?」
ガブリエラの言い分を聞いて、ノラはますます困惑した。
「かわいそう?かわいそうだから、あの子が選ばれたって言うの?実力じゃなくて?」
「もちろん、それだけではないわ。彼はとてもがんばっているし……」
「私だってがんばってます……」
ノラが弱々しく訴えると、ガブリエラは、はあ、と大きなため息をついた。
「ノラ……お願い困らせないで。これはもう決まったことなのよ。あなたがここで騒いでも、どうにもならないないわ」
「でも……でも先生、納得できません。試験は私の方が良かったのに……学校の成績だって、私の方がずっと……」
ノラが言いかけると、ガブリエラは急に不機嫌になった。
「……ねえ、あなた恥ずかしくはないの?お友達が難しい試験に合格したっていうのに、赤ちゃんみたいにわがままを言って……どうして素直に喜んであげられないのかしら?」
「…………」
「先生ね、あなたはもう少し、ゆずり合いの気持ちを持たなきゃいけないと思うの」
ノラは耳を疑った。少し遅れて、額や脇から汗が噴き出してきた。
「さあさあ、もう教室にお戻りなさい。先生は忙しいんだから、あなたにばかりかまっているわけにはいかないのよ」
わなわなと唇をふるわせているノラにすげなく言うと、ガブリエラはノラを職員室から追い出そうとした。ここにいてはいけない!と感じたノラは、あわてて踵を返した。
ノラが早足に職員室を出ると、入れ替わりに中に入ろうとした生徒とぶつかった。
「…………」
サリエリだ。サリエリは羞恥で真っ赤になっているノラの顔を、悪気なく見つめた。ノラはサリエリの、動物みたいに意思のない、真っ黒な瞳を見つめ返した。
「……どんな手を使ったのよ」
気が付けば、ノラの唇からはそんな呟きが漏れていた。
「教えなさいよ!ひきょう者!」
1度口にすると、もう止まらない。ノラは教室中に聞こえるような大声で叫んだ。
「…………」
「あんたなんか大っきらい!」
ノラは面食らっているサリエリの胸を、どんっ!と突き飛ばした。油断していたサリエリは尻もちをつき、その様子を目撃した子供達が、わっと駆け寄ってきた。その時、職員室のドアが開いてガブリエラ先生が顔を出した。
「ノラ!なにやってるの!?」
ガブリエラは一目で状況を理解した。
「喧嘩だ!喧嘩だ!ノラがサリエリをぶった!」
ベン・ウォルソンが叫び、ガブリエラはきっと眉を吊り上げて、ノラをにらみ付けた。
「ノラ!私が良いと言うまで、そこでかかしになっていなさい!」
ガブリエラは教室の角を指し、びしっと命令した。
ガブリエラからのお許しは出ず、ノラは放課後まで立たされ続けた。背中にクラスメート達の視線を感じながら、荒海に沈む大岩のような気持だった。大岩のようなとはつまり、黒くて重たく、芯まで冷え切っていて、どんな波が来ようとも転がりも揺れもしない、不動で、無感動な心の例えだ。まあ、ノラは海なんて見たこともないが……
「サリエリは、あなたを許してくれるそうよ」
ガブリエラの罰は、それだけにとどまらなかった。ガブリエラはノラに説教する代わりに、買い物帰りに迎えにきた母を捕まえて、職員室に連れて行った。
「ノラ!帰るわよ!」
しばらくして職員室から出てきた母は、怒りで顔を真っ赤にしていた。その形相を見たノラは、どうにでもなれ!なんて考えていた少し前の自分を恨んだ。
母は家に帰るまでの間、ノラが口を開くことを許さなかった。
「……ノラが学校に行きたがらない理由がわかったわ。ガブリエラ先生なんでしょう?あなたをいじめているのは」
玄関を入ると、母はノラの肩に手を置いて言った。ノラは目をぱちくりさせた。
「明日から、学校には行かなくて良いわ。校長先生には私から、退学届を出しておきます」
「え!」
「あなたの話を聞こうともしないで、悪いお母さんね。でも相談しないあなたも悪いのよ。もうなにも心配することないわ。お母さんはあなたの味方ですからね」
「…………」
「明日からは、お母さんと一緒にお家の仕事を勉強しましょう。ノラは飲み込みが早いから、直ぐに覚えるわよ」