帝都からの使者
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マリがオシュレントンを去ってしばらく、ノラは元気がなかった。休み時間の教室で、窓外の空を見つめて物憂げなため息をつくノラを、仲間達は懸命にはげました。
「そんなに落ち込まないでノラ。俺達がいるじゃないか」
「待ってればそのうちひょっこり会いに来るって」
気が付けば、マリがいなくなってから10日近くが経過していた。ノラはその日12回目になるため息をついた。
「そうれもそうね。いつまでもくよくよしてても、仕方ないもんね」
「そ、そうだよ!その意気だよ!」
「みんながいるし……」
「うん!うん!」
「来月にはお祭りもあるし……」
創立者祭は、毎年5月にある、町長で大地主のデムター・オシュレントン氏主催のお祭だ。遠くの町から大道芸人や音楽隊を呼んだり、町の人々全員にごちそうが振る舞われたりするだけでなく、泥団子合戦や神経衰弱大会など、たくさんの競技が行われる。
「そういえば、クリフの戦車はどうなった?」
中でも、クリフォードが出場する予定の戦車レースと、町中の力自慢が競い合う綱引き相撲は、祭の花形だ。参加する男達は一年かけてトレーニングを積み、女達は自分の恋人や旦那の優勝を信じて、早くから応援グッズや祝賀会の準備をはじめる。
「それが、あいつぜんぜん見せてくれないんだ。創立者祭の日まで、なにがなんでも隠し通す気だぜ」
マルキオーレが不満そうにぼやいた。
「きっと秘密があるんだよ。俺達に見せてくれないのは、敵に情報が漏れるとまずいからさ」
アベルはクリフォードの勝利を信じて言った。
「だと良いけど……他はともかく、御者のダニエルは強敵よ。ランベル夫人も、優勝は今年も彼で間違いないだろうって言ってたわ。本当に勝てるのかしら?」
ダニエルは、乗合馬車や馬車の貸し出しで生計を立てている、プロの御者だ。去年の戦車レースでクリフォードは2位だったが、1位との差は歴然だった。
ノラが危ぶんでいると、地獄耳のシルビアが、友人のカレンを伴って近寄ってきた。
「そんなこと、あなたが心配する必要ないわ」
シルビアは鼻の穴をカバみたいに大きくふくらませて言った。
「どういう意味よ」
「クリフォードは戦車レースで優勝して、私とファースト・ダンスを踊るのよ。あなたに心配していただかなくても、もう決まっていることなの」
「はあーん?」
「あなたはクリフォードより自分の心配をした方が良いわ。パーティで誰にもダンスを申し込まれなかったら、一生の恥よ。2度と町を歩けないわよ」
パーティと言うのは、創立者祭の後、デムター・オシュレントン氏のお屋敷で開催される、ダンスパーティのことだ。
「アベルとマルクがいるわ」
「じゃがいもは数に入らないの」
「…………」
「パーティの参加者には、ぜひ制限を付けるべきね。そしたらあなたは真っ先に出入り禁止よ。理由はださいドレスと、性別の詐称」
シルビアは言いたいだけ言うと、カレンとけたけた笑い合いながら去っていった。詐称なんて難しい言葉をよく知ってたな!と、ノラは感心した。
「気にすることないよノラ。シルビアはクリフにかまってもらえなくて、拗ねてるんだよ」
「私は気にしないけど……今のはあんまりよ。シルビアのやつ、いよいよ救い難いわ」
ノラを貶めるばかりか、友達をじゃがいも呼ばわりするなんて!
ノラがぷんすか憤慨していると、職員室に呼ばれていたクリフォードが戻ってきた。
「良いニュースがあるんだ!これを聞いたら、ノラもきっと元気になる」
シルビアの苛立ちの原因であるクリフォードは、いそいそと走ってくると、興奮した様子で切り出した。
「帝都の国立魔学校から、使者が来るんだ!」
「国立魔学校ー?なんでまた?」
ノラは首をかしげた。帝都アヴロナリアの国立魔学校と言えば、こんな田舎の子供でも知っているくらい有名な学校だ。そんな有名校の使いが、こんなど田舎になんの用だろう?
「スカウトさ!来年から、国立魔学校に一般の生徒を入学させるんだって!オシュレントンとグズにある幼年学校から、優秀な子供が1人選ばれるらしい」
「ええ?」
「試験は今月末だって。ノラ、受けてみろよ!」
国立魔学校は帝国内でも指折りの難関校であり、貴族の子女しか入学を許されない名門校だ。莫大な入学金がかかる、お金持ち学校でもある。そんなばかな!と思ったノラだったが、クリフォードの情報が真実であることは、翌日には証明された。
「たぶん、あれがそうだ」
朝、ガブリエラに説教を食らっていたベン・ウォルソンから、職員室に知らない人物がいた!という情報を得たノラと仲間達は、大急ぎで校舎の裏手に回り、窓の外からそーっと室内を覗いた。
国立魔学校の使者……と思われる女性は、校長先生やガブリエラと、お茶を片手に談笑していた。真っ赤な唇や、白い足を包むかかとの高いくつが垢抜けた印象で、よれよれの上着を羽織っているガブリエラがひどく野暮ったく見える。
「美人だ」
「美人だな」
「そうかなあ?ちょっと怖そうだよ」
クリフォードとマルキオーレとアベルは、好き勝手な感想を口にした。ノラは使者の女性に釘付けになった。
「…………」
ティーカップを持つ細い指の形や、斜めに揃えられた長い足。首筋からぴんと伸ばした背筋を通って、腰に至るまでの美しい曲線。まるで灰色の水鳥の群れに紛れ込んだ、オオハクチョウのようだった。洗練されていて、なんて美しいんだろう!
「べつに、大したことないじゃない」
とはいえ、天の邪鬼なノラは素直に認めることはせず、憎まれ口を叩いた。クリフォードやマルキオーレが彼女を『美人』と称したのも気に入らなかった。
興味を失くした風を装い、そっぽを向くノラを見て、クリフォードはにやりと口角を持ち上げた。
「ひがむなよ。女の嫉妬は醜いぞ」
ノラはむっとした。そのセリフはぜひ、シルビアに言ってやって欲しいものだ!
「なによ。ちょっとお化粧が上手いだけのおばさんじゃないの。こんな田舎にあんな良い靴を履いてきて、ばっかみたいよ。直ぐ泥だらけになるに決まってるわ」
ノラはついむきになって言い返し、クリフォードが爆ぜるように笑い出した。
なんだ!なにがおかしいんだ!問いつめようとしたノラの耳に、やわらかな声が響く。
「ご親切にどうも。明日からは汚れても平気なくつを履いてくるわ」
ひっ!と、ノラの背筋が凍り付いた。そろそろと後ろを振り返ると、さきほどまでガブリエラ達と話していた使者の女性が、窓枠に頬杖をついて、にっこりと微笑んでいた。
「クリフっ……!この裏切り者!」
「あははは!」
ノラが腕を振り上げるより早く、クリフォードはすたこらさっさと逃げて行った。マルキオーレは慌ててクリフォードの後を追いかけて行き、ノラとアベルだけが残された。
逃げ遅れた2人は、項垂れて使者様へ向き直った。
「す、すみません……私、そんなつもりじゃ……」
ではどんなつもりかと聞かれても分からないが、ノラには時々そういうことがあった。例えばなにかにひどく怒っている時や、得体の知れない不安を感じている時、ノラの口は種子を飛ばす寸前の綿毛のように軽くなり、言わなくていいことまでついぺらぺらと喋ってしまう。そしてそれはいつも突然のことで、未熟なノラには防ぎようのないことだった。
(ど、どどど、どうしよう……)
ノラは焦った。怒らせたのがもしガブリエラだったら、屁とも思わなかっただろうが、相手は帝都からはるばるやってきた使者様だ。
どんなひどい罰を食うかと、ノラは顔面を真っ白にして叱られるのを待った。煮るなり焼くなり好きにしてくださいと言うような殊勝顔が効いたのか、彼女は縮こまるノラを見て、うふふと笑った。
「良いのよ、本当のことだもの。見て、宿からここまで歩いてきただけで真っ黒!今度から気を付けるわ」
使者様はくつを脱いで、泥だらけのくつ底を見せた。
「……私はヘルガよ。あなたのお名前は?」
「ノラ……」
「ノラ、良い名前ね。私がこの町に来た理由を知っている?」
「国立魔学校に入学させる生徒を探してるって……」
ノラが答えると、ヘルガは満足そうに、真っ赤なくちびるをにっこり引き伸ばした。
「試験は今月末、合格者には奨学金も出るの。あなたみたいな元気な子が入学してくれたら、国立魔学校も変わると思うわ。ぜひ試験を受けてね」
ノラとアベルが教室に戻ったすぐ後、校長先生からクラスのみんなに、国立魔学校の試験の件と、ヘルガがしばらくオシュレントンに滞在することが発表された。先の一件ですっかりヘルガに心酔してしまったノラは、1番に受験者名簿に名前を書いた。
『悪魔の学校など出てどうするんだ?』
ミライは、ねずみらしいつぶらな瞳をぱちくりさせて不思議がった。
「私、悪魔学者に……魔学者になりたいの」
ノラははり切って答えた。
『魔学者?……ああ、我等を集めて戦争の道具にする、けったいな連中か。わかったぞ。お前、魔学を学んで私と手を切るつもりだな。言っておくが、今さら貸し借りをちゃらにする方法などないぞ』
ミライは呆れて言って、じろりとノラをにらんだ。
「違うわ。私はただ勉強がしたいの」
『ふうん?……それならなおさら行く必要はない。悪魔のことを知りたいのなら、1番の教師がここにいる』
ミライはえへん!と胸をはった。