アンセルムの企み
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「お前が俺の言うことを聞き、大人しく帝都についてくると言うのなら、2人の命は諦めてやる」
「えっ……」
「捜しに来ないところを見ると、ダンテは俺達が森にいることを誰にも話していないんだろう。つまり、今ここで計画を変更しても一向にかまわないわけだ。俺達は何食わぬ顔をして、道に迷っていたお前達を町へ連れ帰る」
アンセルムが提案して、ノラは戸惑った。2人を助けてくれる?本当に?
「慎重に答えろよ。もしも首を横に振れば、ダンテは今この場で殺す」
アンセルムは一度は鞘にしまった剣を半分ほど引き抜き、ノラの目の前にちらつかせた。隣の部屋から漂ってくる血の臭いが、冷静な思考を奪う。
「心配するな。お前のことも、悪いようにはしない。今の生活からは想像もつかない、贅沢な暮らしを約束しよう。一番広い部屋をあてがってやるし、うまいものをたらふく食わせてやる。宝石でも人形でも、欲しいものは何でも買ってやるぞ」
「…………」
「お前専用の下僕もつけてやる。必要なことはすべて召使にやらせるので、お前は椅子に座ったまま、ああしろこうしろと指図するだけで良い。年頃になったら、位の高い、背格好のちょうど良い相手をあてがってやろう。どうだ?庶民が貴族の男と結婚なんて、夢のようだろう?」
返答のしようもなく、ノラは唇を噛んでだんまりした。
「選択肢はないと思うがな。抵抗すると言うなら、無理やりにでも連れて行く。犬のように鎖に繋がれたいか?」
ノラが思わず首を左右に振ると、アンセルムは「そうだろう、そうだろう」と微笑んだ。
「私が一緒に行けば、マリとダンテに手は出さないのね?本当ね?」
「もちろん、ダルワールの名にかけて、約束は守る」
ノラが結論を出すまで、アンセルムは辛抱強く待った。ノラは長い思案の末、小さく頷いた。
「はっはっ!やったぞ!この刺青がある限り、悪魔を従えることは不可能と諦めていたが……これで我がダルワール家も一流の仲間入りというわけだ!」
アンセルムは興奮して、熱に浮かされたように喚いた。
「お前、名はなんと言う?」
「ノラ……」
「ノラ?……だめだ、だめだ、そんな貧相な名前。今日からお前は……フィンヌーラと名乗れ。悪魔学者フィンヌーラ・ダルワールだ」
アンセルムが勝手なことを言い出して、ノラは酷く気分を害した。ノラの憤慨には気付かず、アンセルムは続けた。
「そうと決まれば、早速町に帰って準備をしなければ。余計なことは言うな。もし我々の正体がばれるようなことがあれば……わかっているな?」
アンセルムはしっかりとくぎを刺した。
善は急げとばかりに、アンセルムがノラの腕を引いて、小屋を出ようとしたその時だ。
カレルとグスターボの拘束から逃れたダンテが、転がるように部屋から飛び出してきた。その左手にはカレルから奪ったと思われる剣が握られており、右肩からはだらだらと血を流し続けていた。ダンテの体の向こうに、床の上でのびているカレルとグスターボが見える。
アンセルムは舌打ちした。
「アンセルム!俺の主人に汚い手で触れるな!」
「…………」
「ノラ!こちらへ来い!」
アンセルムがノラをじろりと睨んだ。「言われなくてもわかってる」という意思を込めて睨み返し、ノラは一歩、ダンテに歩み寄った。
「やめてダンテ……剣を下ろして。私、この人たちに付いて行くことに決めたの……」
ノラが告げると、ダンテは軽蔑の目でアンセルムを睨んだ。
「お前という男は……!子供を脅迫するなんて、騎士の風上にも置けないやつ!」
「脅迫?……いいや、これは取引だ。彼女は快諾してくれたよ」
「見え透いた嘘を言うな!」
アンセルムはやれやれと首を振った。
アンセルムとダンテが言い争っている内に、奥の部屋でのびていたグスターボが目を覚ました。グスターボはダンテの背後にそろりそろりと忍び寄り、その背中に鋭いナイフの刃を当てた。ダンテは気付かず、ノラは狼狽えた。
「嘘じゃないわ。自分で付いて行こうって決めたの」
ノラは慌てて言い募った。大人しく言うことを聞くから、彼に手を出すのは止めて!
「貴族のお姫様になるの。帝都に行けば、欲しい物をなんでも買ってくれるんだって」
「ノラ、なにを言っているんだ?」
「勉強も、好きなだけさせてくれるって。我が家は貧乏だから、頑張ったって進学できるかわからないし、こんな小さな町じゃ働き口なんて見つからないもん」
「…………」
「だから、チャンスだと思って行くことしたの」
ノラは平静を装って言った。ダンテはいらいらと体を揺すった。
「なにを言われたか知らないが、こんな男の言葉を信じちゃいけない」
「もう決めたのよ」
「ノラ……!」
「剣を下ろして、ダンテ」
ノラは強い口調で命令した。ノラとダンテは互いの主張を譲るまいと睨み合った。
「わかったよ……」
睨めっこに勝利したのはノラの方だった。ダンテの手から剣がこぼれ落ちると、グスターボが彼の背中に突きつけたナイフを引いた。ノラは人知れず安堵の息を吐いた。
「話は付いたようだな」
黙って成り行きを見守っていたアンセルムが、タイミングを見澄まして口を開いた。
「お前が望むなら、これまで通り彼女の従者として使ってやる。長旅の間、世話をする者が必要だからな」
「……ああ……」
「そう怖い顔をするなよ。この娘は金の卵だ。大事にするさ」
五人は炭焼き小屋を出て、町へ戻った。自宅の玄関の前ではオリオとマリ、それにハンスの三人が、松明を掲げて、ノラとダンテの帰りを待っていた。
「遅かったじゃないか。今捜しに行こうと思っていたんだよ。どこに行っていたんだい?」
「森の中で道に迷っていたんだ」
オリオの質問に答えたのは、列の最後尾を歩いていたカレルだった。オリオは首を傾げた。「森で?」
「ダンテお前、怪我をしているのか?」
オリオが次なる疑問を舌に乗せる前に、ハンスが尋ねた。ダンテの右肩に広がる赤黒い染みを見て、事情を知らない面々は驚いた。この問いに答えたのは、アンセルムだった。
「野犬に襲われていたのだ。足手まといがいたとは言え、たかが犬に襲われて怪我を負うなど、帝国騎士の恥め」
アンセルムはここぞとばかりにダンテを嘲った。良くもぬけぬけと!ダンテは悔しさにぎりぎりと奥歯を擦り合わせた。アンセルムはダンテの殺気など意にも解さぬ風に、にやにや笑っている。
「お前が助けてくれたのか。私の従者が、面倒をかけたな」
「全くだ。私が通りかからなければ今頃はどうなっていたことか。ハンス、この貸しは大きいぞ」
「わかってる。帝都に帰ったら、酒でも奢るよ」
「結構だ。貧乏人にたかるほど、我がダルワール家は落ちぶれてはいない」
アンセルムはハンスの誘いをきっぱりと拒絶した。
「しかし、帝都には早く帰りたいものだな。今頃は対抗試合の真っ最中だと言うのに、今年は参加どころか観戦もままならぬとは……帰郷はいつになることやら……」
アンセルムがうんざりした風に言うと、マリが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おっと……これは失礼致しましたマリアン様」
「帰りたければお前達だけで帰れ。何度も言うが、俺はノラのそばを離れる気はない」
「よほどこのお嬢さんがお気に入りと見える。それならいっそ、連れて行ってしまえばよろしいのでは?」
アンセルムが提案すると、オリオやハンスは失笑した。面白い冗談だ。
アンセルムは促すように、ノラを一瞥した。
「帝都へ行く」
ノラが宣言すると、皆の視線が集中した。ダンテだけはまぶたを伏せ、地面を見つめた。
「私、マリと一緒に帝都へ行くよ」
ノラは皆にはっきりと聞こえるように言い直した。
「ノラ、いきなり何を言い出すんだい?驚かさないでくれよ。……さあ、もう夜も遅い。お家に入ろう」
「聞いてオリオ。マリに付いて行きたいの」
オリオはノラの腕を引いたが、ノラは動かなかった。ノラの本気を見て取ったオリオは、腰に手を当てて、ちょっと怒った顔をした。
「そんなこと、お父さんとお母さんが許すはずないだろう?お兄ちゃんだって反対だよ」
「でも、もう決めた」
「決めたってお前……帝都はとても遠いんだよ。一日や二日で帰って来られるような場所じゃない。下手をしたら行きっ放しになって、もう二度と会えなくなるかもしれないんだ」
「…………」
「大体、帝都までの路銀はどうするんだい?ノラのお小遣いじゃ、とても足りないよ」
唇を尖らせるノラを、オリオは優しく諭した。
「さあ、良い子だからお家に……」
「道中の面倒は私が見ましょう。なにしろ私が言い出したことですから」
アンセルムが言いだして、一同は目を丸くした。特に驚いたのはハンスだ。
「なんだって?アンセルム、お前が?」
「マリアン様がその気になって下さるのなら、道連れが一人増えるくらい、安いものだ。そうは思わないか?ハンス」
「そりゃまあ、そうだが……」
ハンスはちらりとノラの方を見た。
「ノラを帝都には行かせない。話をややこしくしないでくれ」
オリオはハンスの視線を跳ね返すように、強い口調で断言した。アンセルムが苛立った顔をした。
「待ってください」
今にも口論がはじまりそうな険悪な空気を切り裂いて、マリが声を上げた。皆が注目する中、マリはノラに近寄ると、跪いて問いかけた。
「本気なのか……?」
ノラは頷いた。二人は数秒間、目と目で会話した。ノラの気持ちが伝わると、マリは立ち上がり、オリオに向き直った。
「ノラのことは私が命に代えても守ります。兄上、どうか共に帝都に旅立つことをお許しください」
「マリ……!お前までなにを言い出すんだ!」
「俺達は、なにがあっても離れ離れになるべきじゃない。……そうだね?」
なにしろ、切っても切れない縁で繋がった二人だ。マリは再度ノラに確認した。ノラはしっかりと頷いた。
「兄上、どうぞ……」
「オリオ、お願い」
妹と弟のようなマリに懇願され、オリオは狼狽した。周囲はハンスやアンセルムの期待に満ちた瞳で固められている。
頑として認めようとしなかったオリオだが、ついには堪りかねて……
「っ……勝手にしろ!」
と怒鳴った。オリオは荒々しく扉を閉めて、家に入ってしまった。
「話はまとまったな。そうと決まれば明日荷物をまとめて、明後日には出発だ」
「明後日……そんなに早く……」
「なにか問題が?」
アンセルムは戸惑うノラを視線で威圧した。ノラは口を噤んだ。
騎士達はお屋敷に帰って行き、玄関にはマリとノラの二人が残された。マリはノラの決断をとても喜んだ。こんなに喜んでくれるなら、一緒に帝都に行くのも、悪くないかもしれない。ノラは旅立ちを前向きに考えはじめた。
「だめに決まってるでしょう!なにを考えているの、あなたは!」
父と母はノラが町を出て帝都へ行くことに猛反対した。ノラとマリも譲らず、長い話し合いの末、結論は翌日に持ち越されることになった。
全員がくたくたになってベッドに入った頃には、深夜零時を過ぎていた。
「ノラ、いったいなにがあったんだい?急に帝都へ行きたいなんて、おかしいよ」
オリオはノラの枕元までわざわざやってきて追及した。
「お兄ちゃん、お前の嘘なんてお見通しだ。なあ、困っていることがあるなら、相談してくれよ」
ノラはなにもかも打ち明けてしまいたい衝動に駆られたが、頭までキルトを被って、聞こえないふりをした。
翌日は朝早くから、アンセルムがやってきた。
「余計なことは言わなかっただろうな?」
「…………」
「反抗的な態度はお前のためにならんぞ……まあいい、教育のし甲斐があるというものだ」
アンセルムは朝から晩まで家にいて、リッピー家の警護をする振りをしながら、ノラの行動を厳しく監視した。
夕方になると、学校を休んだノラを心配して、クリフォードとアベルとマルキオーレが尋ねてきた。少し離れたところに、なぜか、サリエリもいる。
「勝手に付いてくるんだ。ノラに用事でもあるのかな」
珍しい組み合わせだなあと思っていると、アベルが説明した。
「それよりノラ、学校を休むなんて、どうしたの?風邪?」
「う、うん、そうなの……」
「俺達、森で薬草を取ってきたんだよ。後でおばさんに……」
「フィンヌーラ」
ノラが皆と喋っていると、近くで様子を見ていたアンセルムが割り込んできた。自分が呼ばれたとは気付かず無視していると、アンセルムは声に怒りを乗せて「フィンヌーラ!」と怒鳴った。
「お前はこれから、ダルワール家の一員となるのだ。下々の者達と口を利くんじゃない」
アンセルムが注意して、仲間たちは目を丸くした。
「家に入りなさい」
ノラは渋々命令に従い、仲間たちに別れを告げて家に入った。
「フィンヌーラは私の養女となり、明日、我々と共に帝都へ旅立つのだ。我がダルワール伯爵家は建国から続く貴族の家系。養女とは言え、もうお前達が気安く口を利いて良い人間ではない」
アンセルムは首をひねっている子供たちに、率先して事情を説明した。
「だから、フィンヌーラって誰だよ?まさかノラのことじゃないだろうな?」
クリフォードがいらいらと尋ねると、アンセルムは「いかにも」と、威張って頷いた。
「わかったら行け。泥くさい小僧どもめ」
アンセルムはクリフォード達を追っ払った。
すごすごと帰って行く仲間たちの後ろ姿を、ノラが二階の窓から見つめていると、クリフォード達の前を歩いていたサリエリが振り返った。目が合って、ノラは慌てて中に引っ込んだ。