裏切りのダンテ
著作権は放棄しておりません
無断転載禁止・二次創作禁止
騎士達が便利な労働力として活躍するようになり、しばらく経ったある日のこと。
その日、暇さえあれば剣の修行に忙しいダンテが、珍しくノラを散歩に誘った。願ってもないお誘いにノラは舞い上がり、早速パンとチーズのお弁当を準備した。
2人は森の小道を、炭焼き小屋目指してのんびりと歩いた。
最初は張り切っていたノラだったが、歩きはじめて半時もすると、うきうきした気分はしぼんでしまった。ダンテは物憂げで、散歩を楽しんでいる様子はなかった。ノラが世間話を振ったり、質問をしても、生返事をするばかり。ノラは悲しくなった。
「……なにか、悩み事があるの?」
ノラが勇気を出して尋ねると、ダンテははっとして、「悪い」と小さく謝った。
「……姉のことを、考えていたんだ」
「お姉さん?……どんな人?」
ノラが興味津々に尋ねると、ダンテは少し困った顔をした。
「体が弱くて、1日の大半をベッドの上で過ごしているような人だよ。無口で控えめで、押し花や刺繍が好きで……お前とは正反対だな」
暗に女の子らしくないと言われたようで、ノラは小さくなった。ダンテはノラの心中を察して、くすりと笑った。
「持病のせいで、なかなか良い縁談がなくてな」
ノラは熱心にダンテの話に耳を傾けた。口が重く、自分のことなど話さない彼が、家族のことを打ち明けてくれるのが嬉しかった。
「継母には伯爵家の恥と謗られ、使用人達にはやれ行き遅れだ石女だと陰口をたたかれ、ずいぶんと肩身の狭い思いをしてきた。彼女はこのまま独り身を貫くのだろうと、誰もが思っていた。思っていたのに……」
ダンテの声が、一段低くなった。暗く陰った瞳は、ノラには見えない何かを睨んでいるようだった。
「……一昨年の暮れ、引きずられるようにして連れて行かれた舞踏会で、ある男と出会ったんだ。身分も、社交界での評判も、申し分ない男だった。姉はその男と恋に落ち、年が明けた頃には婚約していた」
だんだんと熱を帯びて行くダンテの口調に、ノラは不穏な空気を感じはじめた。こんな私的な、家族の込み入った事情を、自分が聞いても良いんだろうか?
ダンテは戸惑うノラに構わず続けた。
「恋人ができてからの姉は、幸せそうだった。以前より明るくなって、笑顔も増えた。そのうち姉は家を出て、男の家で暮らしはじめた。普通なら、結婚前に同棲なんて体裁が悪いと反対するだろう。しかし俺は2人の門出を祝福して、婚約祝いを送った」
ダンテはそこで1度話を切った。ため息に後悔が混じる。気が付けば、炭焼き小屋は目の前まで迫っていた。
「今思えば、おかしなところもあったのかもしれない。なにもかもが上手く行き過ぎていた。愚かな俺は姉の幸福を信じて、疑いもしなかった」
炭焼き小屋の扉の前に立ち、ダンテはノラの瞳をじっと見つめた。
「?……ダンテ?」
「すまない。ノラ……」
ダンテが謝罪を口にした瞬間、炭焼き小屋の扉が突然開き、中からにゅっと伸びてきた手が、ノラの腕を掴んだ。ノラは悲鳴を上げる間もなく、薄暗い小屋の中に引きずり込まれた。
バタンッ!!
炭焼き小屋の扉が、乱暴に閉じられた。ノラの腕を掴んでいたのは、騎士の1人だった。ハンスから、伯爵家で従者を務めたこともあると紹介された男だ。名前はカレル・ベルナスコーニ。オオハクチョウがその長い首を擡げるように、美しいお辞儀をする。
「遅かったな」
ノラが尻もちをついて呆然としていると、背後から低い男の声がした。
ノラは振り向いて、男の顔をまじまじと見た。黒い髪を後頭部に向かってきっちりと撫でつけ、四角い顔の周りは同色のひげで覆われている。堀の深い顔立ちは整ってはいるが、眼差しは鋭く、唇は薄く、やや冷たい印象を受ける。
ノラがまじまじと見つめていると、小さな薄い色の瞳が、ノラをじろりと睨んだ。
「手荒な真似をするな。アンセルム」
ダンテが注意して、男の名前が判明した。
室内には、カレル、アンセルムの他に、もう1人男がいた。2人と同じく騎士で、何度かリッピー家にも出入りしていた、グスターボという男だ。
「な、なあに……?」
ノラは身を固くして、3人を見回した。美しい顔に、酷薄そうな笑みを浮かべているカレル。ギラリと輝く剣を手にしたグスターボ。そして、1人だけ椅子に座り、パイプを燻らせているアンセルム。扉のそばに立つダンテはノラの視線から逃れるように、顔をそむけている。ノラは混乱した。
「奥の部屋に閉じ込めておけ」
命令したのはアンセルムだった。そばにいたカレルがノラの腕を掴もうとすると、ダンテが慌てて駆け寄ってきて、ノラを静かに立ち上がらせた。
「ダンテ、どうなってるの……?この人たちは……」
「ノラ、すまない……とにかく今は、彼等の言うことを聞いて」
ダンテはノラを奥の部屋へと連れて行った。製炭中、炭焼人が寝泊りするための部屋だ。ノラが入ると、扉が閉められ、外からかんぬきがかけられる。
訳が分からないノラは、とりあえず様子を見ることにした。炭焼き小屋は壁が薄くぼろで、扉に開いた穴から隣の部屋の様子が見えたし、声も良く聞こえた。
「抜かりはないな、ダンテ」
ノラが耳をそばだてていると、アンセルムが薄い唇から煙を吐き出しながら言った。ダンテがしっかりと頷く。
「……手紙を残してきた。人質を殺されたくなければ、一人で来いと……」
「ハンスには知られていないだろうな?」
「ああ……心配ない」
ダンテがしっかりと保証し、アンセルムが満足そうに笑う。
「結構。あの男、叩き上げというだけあって、腕は確かだからな。ぺったりとマリアン様に張り付いて、なかなか隙を見せん。鼻の良い犬みたいなやつだ」
アンセルムは優雅な仕草で顎髭を撫でた。
「貧乏男爵家の四男坊風情が……近衛騎士だと?帝国の品位も落ちたものだ」
「…………」
「しかし、お前がハンスの従者に取り立てられたことには驚いた。剣術以外取り柄のないお前が何故と不思議に思ったものだが……今考えれば生まれの卑しい者同士、似合いの主従だ」
ダンテはアンセルムの皮肉を聞き流し、沈黙を守った。
「ふん、だんまりか……まあいい。今のうちに着替えてこい。認知されていないとはいえ、高貴な方を手にかけるのだ。相応しい格好をしろ」
隣の部屋で話を聞いていたノラは、どきりとした。
(高貴な方……?手にかける……?)
なにやら、不吉な予感がする。ノラは2人の会話をもっと良く聞こうと、扉に耳をぴったりとくっつけた。
ダンテが決意の滲む瞳で、アンセルムを睨む。
「こんなこと、間違ってる……」
「なんだと?」
「今ならまだ間に合う。考え直してくれアンセルム。どんな理由があったとしても、人殺しなんて、赦されるはずがない」
ノラは驚愕し、息を呑んだ。
(人殺し!?)
先ほどアンセルムが言っていた高貴な方というのは、マリのことだったのだ。気が付くと、ノラは青ざめ、狼狽した。
「怖気付いたか。やはりまだ子供だな」
「アンセルム、頼む!もうこんなことはっ……」
「おい」
アンセルムはダンテが言い終わるのを待たず、カレルとグスターボに指示を出した。ダンテが腰の剣を抜くより早く、身体の大きなグスターボが彼を羽交い絞めにした。
「ぐっ……」
後ろから首を絞められ、ダンテが苦しそうに呻く。グスターボはダンテを素早く担ぎ上げ、歩き出した。つま先はノラが閉じ込められている部屋の方へ向いている。
ノラは慌てて壁際に寄った。バタンッ!扉が開くと同時に、ダンテの体が室内に放り込まれた。
グスターボの後をアンセルムがゆったりとした動作で追いかけてきて、床の上で苦しがるダンテの腹を、硬いブーツの先で蹴った。
「ぐっ……!」
「ダンテ……!」
我に返ったノラはダンテに駆け寄った。
「あ、あんた達!こんなことして良いと思ってるの!?」
「威勢が良いな。お前から先に始末しても良いんだぞ」
アンセルムは尖った眼をにっこりさせて、ノラを脅し付けた。ノラは負けじと睨み返した。
「いい気になっていられるのも今のうちよ!ハンス様が必ず助けに来てくれるわ!」
「なにを言い出すかと思えば……」
アンセルムは肩を震わせ、しまいには大声で笑い出した。
「お前はどうやら、あの男のことを正義の味方か何かだと勘違いしているようだな」
漸く笑いがおさまった頃、アンセルムは腰の剣を抜き、気でも狂ったのかと兢々とするノラの首元に突きつけた。ノラはひっ!と息を呑んだ。
「あの男、ハンス・ビューヒナーは革命家気取りの謀反人だ。皇帝陛下より勅命を賜ったなどと大嘘をついて仲間を集め、今回の遠征を強行した。あの男はマリアン様を担ぎ上げて、戦争を引き起こそうとしているのだ」
「違う……!」
ダンテが上半身を捻り起こして、すかさず反論した。
「ハンス様は圧政に苦しむ民のため、命も捨てる覚悟で立ち上がったのだ!集まったのはハンス様の志に感銘を受けた、真の同志たちだ!」
「お前がそれを言うのか?ダンテ。裏切り者のお前が」
「っ……」
図星を指されたダンテは押し黙り、アンセルムはそんな彼を嘲笑した。
「我々はハンスの企てを阻止するため、ある御方よりマリアン様抹殺の命を受けた。我々とて、罪もない子供を殺したくはない。しかし、彼の存在は必ずや争いの火種となる」
「…………」
「先ほどの無礼な発言は看過してやろう。お前はマリアン様を誘い出すための人質だ。その時が来るまで、大人しくしていろ」
なす術もなく震えるノラにもう一言も発する気がないとわかると、アンセルムは剣を鞘にしまった。
部屋を出る際、アンセルムはダンテの方を振り向いた。
「そうそう、1つ言い忘れていた。お前の姉だがな……死んだぞ」
アンセルムは、まるで明日の天気の話でもするように告げた。しばらくの沈黙の後、ダンテの肩ががたがたと震え出す。震えはやがて全身に渡った。
「なぜ……」
「風邪をこじらせたんだ。医者に診せた時には手遅れだった。……おい、そんな目で見るな。出来るだけのことはしたんだ」
「…………」
「悲しむことはない、お前も直ぐにあちらへ送ってやる。マリアン様の次にな」
アンセルムは部屋を出て行き、呆然とするダンテとノラが残された。
(お姉さんって……)
ノラはダンテをちらりと見やった。瞬きすら忘れて座り込むその姿は、抜け殻のように見えた。魂の抜け殻だ。
悄然としているダンテに、声をかけることは躊躇われ、ノラは長いこと黙ったままでいた。
ダンテが漸く口を開いたのは、小一時間も経った頃だった。
「悪かったな……こんなことに巻き込んで……」
壁際で膝の間に顔を埋めていたノラは、のろのろと顔を上げた。ダンテは反対側の壁に座っていた。幾分落ち着いているようだ。ノラは立ち上がってダンテの方まで行き、少し離れたところに座った。
「これからどうしよう……なんとかして、マリに罠だって伝えなきゃ」
マリがここへきたら、殺されてしまう。
「そのことなら、心配いらない。マリアン様は来ない」
「え……?」
「渡してないんだ。手紙なんて」
ダンテが告白して、ノラはほっと胸を撫で下ろした。
「マリは、何者なの?」
「……本来なら俺やお前が口を利くこともできないほど高貴なお方さ。そして、なにを犠牲にしてでも守らなければならない、希望だ」
それきり、ダンテは黙り込んでしまい、しばらくの間沈黙が流れた。
ノラは手持無沙汰に膝のかさぶたを引っ掻きながら、マリが持つ不思議な能力について考えていた。恭しく頭を垂れる動物達。森の木々や野草までもが、彼を傷つけまいと遠慮する。ダンテは知っているんだろうか?マリの……マリアン様の秘密を……
「今何時だろう……」
ノラがぽつりと呟くと、ダンテは室内を見渡した。窓のない部屋は薄暗かったが、壁板の隙間から差し込む光で、まだ日があると知れた。
「わからないが……夜になれば誰かが気付いて捜しに来るはずだ。お前のことは、俺が必ず守ってやる。信じろ」
ダンテが断言して、ノラはどきりとした。ノラはしっかりと頷いた。
「ダンテは、どうして騎士になりたいの?伯爵様なのに」
ノラはふと気になったことを尋ねた。
「伯爵は父で、俺じゃない。俺の母親は、身分が低くてね。継母との間に男子が生まれれば、直ぐにでも屋敷を追い出される。だから俺は、1日も早く剣で身を立てなければならなかった。味方が誰1人いない屋敷で、寂しい思いをしている、姉のためにも……」
ダンテは額に手を当てると、前髪をぐしゃっと掴んだ。声に涙が混じり、ノラはまずいことを質問したと気付いた。
「なにも知らない姉を、悲しませたくなかったんだ……アンセルムは貴族主義で、ことごとく差別的だが、あんな奴でも姉が選んだ男だ。説得すれば、わかってくれると信じていた。本音を言うなら、中身がどんな奴だって構わなかったのさ。姉の前でだけ、非の打ちどころのない婚約者を演じてくれれば、それで……」
ダンテは涙を見られないように、ノラの肩に頭を寄せた。
「わかっていたんだ……残り時間が少ないことは……」
時が過ぎて夕闇が迫ると、扉の向こうのアンセルム達は苛立ちはじめた。待ち草臥れたアンセルムはとうとう部屋に入ってきて、ダンテを問い詰めた。
「ダンテ、お前、ちゃんと呼び出したんだろうな?」
室内は真夜中のように暗かった。アンセルムに続いて、松明を持ったカレルが部屋に入ってきて漸く、お互いの顔がぼんやりと確認できた。
「さあ、どうかな。今頃は、帝都に向かう馬車の中じゃないか?」
ダンテはノラを背中に庇い、挑発的な口調で答えた。いくら待っても、マリは来ないはずだ。手紙を出したなんて真っ赤な嘘なのだから。
真実を知ると、アンセルムは舌打ちし、額に青筋を立てた。
「あの方の崇高な意思を理解しないとは、愚か者め」
アンセルムは腰の剣を引き抜いた。今日の日のために準備された刃は、鋭く研ぎ澄まされていた。
カレルとグスターボが二人がかりでダンテを捕まえて、地面に押さえ付ける。
「人質は1人で十分だ。お前の首を切り落として送り付けてやろう。そうすればさすがのハンスも考えを改めるに違いない」
ダンテとノラは青ざめた。
「や、止めろ……!」
「さらばだ、義弟よ」
アンセルムは剣を振り上げ、俯せに這い蹲るダンテの首目掛けて一直線に振り下ろした。
「だめ―――っ!!」
絶叫したノラは、夢中で手を伸ばした。ダンテは硬く目を瞑り衝撃に備えたが、首と胴が切り離されることはなかった。
ノラの手首を掴む腕輪からしゅるりと伸び出した炎が、アンセルムの剣を弾いたのだ。アンセルムは地面に突き刺さった己の剣とノラを見比べて、目を白黒させた。一方のノラは落ち着いていた。救いの手の正体はわかりきっていた。
「これは、魔法……?」
驚愕の声で呟いたのは、カレルだった。カレルはダンテを押さえつける手を緩めて、ノラを呆然と見つめていた。
「お前はまさか、悪魔学者か!」
カレルの声で我に返ったアンセルムが、素早く駆け寄ってきて、ノラの腕を掴んだ。
「きゃあ!」
「はははっ!いいぞ!やっと俺にも運が向いてきた!」
アンセルムは漁師が釣ってきた大物の魚を自慢するように、逃れようともがくノラの腕を、力任せに引っ張り上げた。ノラの体は宙ぶらりんになった。
「ノラ!……くそっ!離せ!」
「始末しようと思ったが、予定変更だ。この娘は共に帝都へ連れて行く」
アンセルムが宣言し、ノラとダンテはぎょっとした。
「な、なんだって!?」
「このような田舎町に悪魔学者がいるとはな。良い拾い物をした。あの方もさぞお喜びになることだろう」
アンセルムが意地の悪い笑みを浮かべ、ノラは恐怖に慄いた。
「いや!放して!私は魔学者なんかじゃない!」
「暴れるな」
アンセルムは本気で暴れ出したノラの頬を、ぴしゃりと打った。ノラは放心し、ダンテは青ざめた。
「ノラを離せ!アンセルム!」
「もうお前に用はない」
「ああっ!!」
非情なアンセルムは、抵抗できないダンテの肩を剣先でぐさりとやった。床に鮮血が飛び散り、ノラは絶叫した。
「これでもう剣は握れまい。騎士になる夢は諦めるんだな」
アンセルムは剣先にこびりついた血をダンテの背中で拭くと、ノラを引きずって部屋の外に出た。床に投げ出されたノラは、尻もちをついたまま、じりじりと後退った。
「まあ聞け。お前にとっても、悪い話ではないはずだ」
アンセルムは恐怖で言葉を失っているノラに向かって、上機嫌で切り出した。
「取引をしよう」