ノラの従者
著作権は放棄しておりません。
無断転載禁止 二次創作禁止
そこまで言うなら、うんと我がまましてやろう。翌日から、ノラは早速ダンテをこき使うことにした。
「ハンカチ拾って」
「のどが渇いたから、お茶を淹れて」
「髪にリボンを結んで」
「疲れた。おんぶ」
ダンテは従順で、口答えをするどころか、眉ひとつ動かさず、ノラの無茶苦茶な命令に従った。調子に乗ったノラは、無理難題をふっかけてはダンテを困らせた。
しばらくはお姫様気分を満喫していたノラだったが、数日もすると、ノラはダンテを従者にしたことを後悔しはじめた。
「付いて来ないでよ」
というのも、生真面目なダンテは、ノラの行くところならどこへでも付いてきた。買い物へ行くにも、教会へ行くにも、遊びに行くにも。にこりともしないダンテといるのは気詰まりで、ノラは次第に彼を疎ましがるようになった。
ある日、ノラが学校へ登校してみると、目を三角にしたガブリエラが教室から飛び出してきた。彼女の手にはひもが握られていて、ひもの先には1匹の、みすぼらしい野良犬が繋がれていた。
「ノラ!あなたね!?この犬を教室に連れ込んだのは!学校に生き物を連れてきてはいけないと、いつも言っているでしょう!」
ガブリエラは怒り心頭といった様子でノラを叱りつけ、ノラは肩をすくめた。
「だってガブリエラ先生、だめって言ったのに、付いてきちゃったんです」
「だからってなにも教壇の下に引っ張り込まなくても……?……こちらの方は?」
ノラの背後に立つダンテの存在に気付いたガブリエラは、目をぱちくりさせてたずねた。
「だめって言ったのに、付いてきちゃったの」
「…………」
ついつい同じ言い訳を繰り返すノラを、ガブリエラはじろりと睨んだ。
ダンテのせいでガブリエラに怒られたノラは苛々しながら半日を過ごし、放課後。まるで追い打ちをかけるように、その事件は起きた。
「あんな子のお守りをさせられるなんて、伯爵様かわいそうね」
日頃からノラを目の敵にしているシルビアとカレンが、教室の壁に寄り掛かるダンテを捕まえて、ノラの悪口をあることないこと吹聴したのだった。 その日に限って上手い反撃を思い付かず、ノラは怒りに身悶えた。なにが一番腹立たしいって、ダンテが黙って2人の話に耳を傾けていることだ。従者のくせに、庇ってもくれないなんて!
「あっちへ行ってよ。私、もう従者なんていらない」
帰り道、すっかりへそを曲げたノラはぷりぷり怒って言った。
「そうはいかない。俺はハンス様に、お前のことを任されたんだ」
「だったらハンス様の前でだけ、従者の振りすれば良いじゃない。真面目ぶっちゃって、嫌な感じね。あんただって本当は面倒だと思ってるくせに」
ノラが図星を指して、ダンテは口を噤んだ。ノラはやっぱりねと鼻を鳴らした。
「言っておくけど、お互い様なんだからね。お姫様なんて、もうたくさん。どうしても従者がやりたきゃシルビアのとこへ行けば?喜んでご主人様になってくれると思うわよ」
ノラはダンテをきっぱりと拒絶して、森の方へと歩きはじめた。ダンテはしばらく迷って、ノラの後を追いかけた。
「付いて来ないで!……来るなったら!」
ダンテの追跡から逃れようと森の中を無茶苦茶に走り回るノラが、川を飛び越えようとして足を滑らせたのは、半時ほどした頃だった。
「とんだ淑女がいたもんだ」
頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れになったノラを見て、ダンテは呆れ顔で言った。返す言葉もなく、ノラはなんだか情けなくなって、差し出された手に素直に掴まった。
「……いじめられているのか?」
冷たい水の中からノラを引き上げたダンテは、彼女の肩に上着をかけてやりながら、控えめな口調でたずねた。
「意地を張らずに、身近な者に相談すれば良いんだ。学校の先生は助けてくれないのか?父上や母上はどうだ?」
「…………」
「しかし、お前がいじめられていると知ればお前の兄やマリアン様は、烈火のごとく怒るだろうな。大事になるのが嫌なら俺が……」
「余計なことしないで!」
ノラはダンテが庇ってくれずに拗ねていたことも忘れて、彼の善意の申し出を、ぴしゃりとはねつけた。
「意地なんか張ってないわ。あのくらい、どってことないわ」
シルビアなんかに泣かされるなんて末代までの恥だと考えているノラにとって、彼女との喧嘩で他人に助けを求めることは、この上なく不名誉なことだ。それはシルビアにしても同じで、ガブリエラやクラスメート達はそんな彼女達の心情をわかっているので、どちらがどんなに不利であろうと、2人の喧嘩に決して手は出さない。
「いつもなら、ちゃんと言い返せるのよ。口喧嘩で負けたりしないんだから」
「…………」
「本当よ。今日はたまたま調子が悪かっただけよ」
ノラが口を尖らせて言い訳をすると、怒るかと思われたダンテは苦笑して、ノラの額を軽く小突いた。
「わかったよ」
はじめて見たダンテの笑顔に不覚にも胸が高鳴り、ノラはおろおろと視線をさ迷わせた。
「……俺の姉上も、お前くらい強かったらな」
森の中を黙々と歩き続け、家まであと少しというところだった。前を歩いていたダンテがぽつりと呟いた。とても小さな声だった。
聞き直そうとしたノラは、前方から歩いてくる人物に気が付いて口を閉じた。
シルビアとカレンはダンテの隣にずぶ濡れのノラを見つけると、嬉々として近寄ってきた。
「なあにその格好?この寒いのに水遊び?」
「あら、感心じゃない。泥だらけのブーツもこれで少しは綺麗になるわ」
下着までびしょびしょのノラはまたしても言い返すことができず、唇を噛んだ。調子付いたシルビアとカレンが、追い打ちをかけようとしたその時、黙って成り行きを見守っていたダンテが、ノラの腕を引っ張って自分の背に隠した。
「悪言は品位を損なうだけですよ、淑女達。少なくとも私は嫌いだ」
ダンテの穏やかな叱責は、シルビアとカレンを大いに辱めた。シルビアとカレンが涙ぐむのと、ノラの胸に春風が吹いたのは、ほぼ同時だった。
ずぶ濡れで帰宅したノラは風邪をひき、翌日は寝込むことになった。
朝、ダンテは手のひらをノラの額に当て、熱を測った。彼の剣だこで硬くなった指先が前髪を撫でると、ノラはどきどきして、いっそう頬が熱くなった。
「大事を取って今日は休もう」
ダンテの提案に、ノラは首を横に振った。
「このくらい、平気よ」
学校をさぼるのは大歓迎だが、川に落ちて風邪を引いたなんて知られれば、シルビア達にどんな陰口を叩かれるかわからない。
ノラの複雑な心中を察したダンテはおかしそうに笑った。
「なにを言われたって、平気なんだろ」
「そうだけど、その場にいないと言い返せない」
「戦士にも休息は必要だ。今日は一日大人しくしてな」
ダンテが部屋を出て行くと、入れかわりにマリが入ってきた。
「熱があるんだって?いつも元気なノラが病気なんて、心配だなあ。診療所へ行こうか?薬をもらってくるか?」
「いいの。平気」
「本当に?じゃあ、欲しいものあるか?お屋敷へ行って本を借りてきてやろうか?退屈だろ?」
「いいってば。マリ、最近オリオに似てきたわ」
「そうかい?そんなことないと思うけど……」
「いいえ、そっくりよ」
ノラは断言した。
噂をすれば、控えめなノックと共に、オリオが部屋に入ってきた。オリオはベッドに横たわるノラの顔を見るなり、大げさな心配顔を作った。
「風邪ひいたんだって?具合が悪いなら、早く言えば良いのに。アルバート医師に診てもらおう。お兄ちゃん、連れてってやるよ」
ノラとマリは顔を見合わせた。
「平気。ちょっと熱があるだけだから」
「そうか?なら、食べたいものはあるか?お母さんに頼んで、作ってもらおう。後でお屋敷へ行って、本を借りてきてやるよ。1日寝てるんじゃ退屈だろ?」
ノラは堪えきれずに笑い出し、マリは気恥ずかしそうに頬を染め、オリオは訳が分からず首をひねった。
しばらくしてオリオが仕事へ行ってしまうと、ノラは再びマリと2人きりになった。マリはいつまでも笑い転げているノラを、恨めし気に見た。
「ごほんっ……冗談はさておき、俺になにかしてほしいことないか?」
ノラは少しの間考え、お願い事を思い付くと頬を染めて、もじもじした。
「……じゃあ、1個だけ……」
ダンテが学校に連絡を入れて帰宅すると、玄関の前でマリが待っていた。腕を組み、いらいらと地面を踏み鳴らしている。
「これはマリアン様。おはようございます」
ダンテは身軽な動作で御者台から降りると、地面に片膝を付いて、慇懃に挨拶した。マリは挨拶を返さず、代わりに不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ノラがお前の足のサイズを聞いて来いだと」
マリが不機嫌の理由を説明し、ダンテは目を丸くした。
「私の足でございますか?なぜ?」
「こっちが聞きたいよ」
その時はさっぱり訳が分からなかったマリだったが、間もなく謎は解けた。
それから数日後、母の言い付けでお使いに行くことになったマリが、道連れにノラを誘った時のことだ。
「ノラ、これからカートライト牧場に行くんだけど、一緒に行かないか?」
「うーん……いい。私、留守番してる」
「そういわずに、一緒に行こう。もしかしたら、御駄賃をもらえるかもしれないぞ」
「…………」
「?ノラ?」
ノラの視線の先には、無心で剣を振るダンテがいた。彼女はうっとりとした表情で、ダンテが素振りしたり、時々汗を拭いたりするのを見つめていた。マリはぎくっとした。(これはまさか……)
疑いはその日の内に確信に変わった。
「あのね、このスープに入ってるじゃがいも、私が刻んだの」
昼食の皿を配り終えたノラが、重大な秘密を告白するみたいに発表した。
「すごいじゃないかノラ。もうすっかりお姉さんだな」
「とてもうまいよ。毎日でも食べたいくらいだ」
オリオはかわいい妹を悲しませまいと大げさに驚いたふりをし、マリは慌ててスープをかき込んで感想を述べた。
2人のお世辞に自信を付けたノラは、期待を込めた目でダンテを見つめた。ダンテは聞いているんだかいないんだか、黙々とスープを口に運んでいた。ノラはがっくりと、わかりやすく肩を落とした。
見かねたオリオが、ダンテを肘で小突いた。
「ああ。うまいよ」
2人にじろりと睨まれたダンテは漸く気が付いて言った。とってつけたような賛辞だったが、ノラには十分だった。頬をピンクに染めて、今にも踊りだしそうな様子だ。
オリオとマリは顔を見合わせた。良く見れば、ダンテの分のスープだけちょっと多いし、パンも大きい。あからさまな贔屓に、2人が嫉妬の炎を燃やしたのは言うまでもない。
「なにが違うんだ?」
マリはノラがいない時を見計らい、愛馬スニヨンを洗うダンテを捕まえてたずねた。
「は?」
「ノラだよ。あんなにかわいくなっちゃって……お前の前じゃ、まるで猫の子みたいじゃないか」
「はあ……」
「俺だっていい線いってるのに……お前と俺のなにが違うって言うんだ?」
「なにがと聞かれれば、なにもかもでしょう。マリアン様は、選ばれたお方ですから」
ダンテは水桶に突っ込んだ手を引き上げて、率直に答えた。
「心にもないことを言うな。腹の底では憎まれっ子と蔑んでいるくせに」
「滅相もありません。我々は殿下を真の主君と仰ぎ、その栄進を信じて疑いません」
「ふんっ。おだててその気にさせようとしても無駄だ。俺は絶対に帝都には行かない」
そんな風に、マリが帝都に行くことを頑なに拒絶しているので、とりあえずは平穏な日々が続いた。騎士達は昼夜を問わずマリの身辺を警護したが、一週間もすると緊張感は薄れ、玄関先であくびをかみ殺すようになった。人を使うことに遠慮のない母は、そんな彼等を捕まえては洗濯や掃除を手伝わせた。リッピー家の玄関先では腰に剣を佩いた屈強な騎士が、見張りの片手間にサラダやソースをかき混ぜる姿が度々目撃された。