彼は何者?
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正面の玄関にはマリがいて、その周りを取り囲むように、騎士達が跪いていた。
「友人を返してもらおう」
マリは床に膝を付き頭を垂れる騎士達を一瞥すると、屋敷中に聞こえるような大声で要求した。
「聞こえなかったか?友人を迎えにきたと言ったんだ」
ノラは身を捩ってハンスの腕から逃れ、マリの元へと駆け寄った。
「マリ……!」
「ノラ!……良かった!無事だったんだな!」
マリは走ってきたノラをしっかりと受け止めた。
「ね、ねぇマリ……どうなってるの?この人たちは……」
ノラは微動だにせず地面を睨んでいる騎士達を、困惑気味に見つめた。マリはノラを安心させるように、にこりと微笑んでみせた。
「心配するな。彼らはすぐに出て行く」
「そうは参りません」
すかさず口を挟んだのは、ハンスだった。ハンスは階段を下りてくると、他の騎士達と同様、マリの前に跪いた。
「あなた様を帝都へお連れするよう、言い付かっております」
ハンスは警戒するマリに、慇懃な口調で告げた。
「行かないと言ったら?」
「……足を切ってでも連れてこいとのご命令です」
ノラはぎょっとし、マリは苦い顔をした。
「これより帰還の準備に入ります。必要なものは道中揃えるとして、まずはその、物乞いのような衣服をお着替えください」
ハンスはマリが着ている、オリオのお下がりの上下を指して言った。
「必要ない」
「では、お食事の用意を……」
「いらんと言っているだろう。かまうな」
マリは頑な態度で、きっぱりと拒絶した。
「なんと言われても、俺はこの町を離れるつもりはない。あの男にはこの靴でも差し出すが良い」
マリは泥で汚れたブーツを脱ぐと、ハンスに向かって放り投げた。マリは裸足のまま、ノラの手を引いて屋敷を飛び出した。
帰り道、マリは一言も口を利かなかった。難しい顔で黙り込むマリに事情を訊ねるのは躊躇われ、ノラもマリに倣って、黙々と歩いた。
その夜、靴を失くしてきたマリは母に叱られ、ノラはそのとばっちりで夕食を食いっぱぐれた。
空腹と不安で眠れぬ夜を過ごした翌朝。
リッピー一家がキッチンで朝食をとっていると、玄関の戸が叩かれた。
「誰かしら?こんな忙しい時間に……」
ぶつぶつ言いながら玄関に向かった母は、扉の先にいた人物を見て悲鳴を上げた。来客の正体はハンスとその従者のダンテで、マリとノラは顔を見合わせた。
「朝早くに申し訳ありません、奥様」
「はあ……騎士様が我が家になんのご用でしょう?」
母は目を白黒させて、爽やかな笑顔を浮かべるハンスにたずねた。
「本日はご家族の皆様に挨拶に参りました。どうぞ、こちらをお納めください」
ハンスが言うなり、従者のダンテが前に進み出て、両手に抱えていた小箱のふたを開けて見せた。小箱の中には金銀貨がぎっしりと詰まっていて、母はぎょっと目を剥いた。
「こんなもの、受け取れません!いったいどういうおつもり!?」
我に返ると、母はきっと眉を吊り上げて、胡散顔でハンスを睨み付けた。
「マリアン様を保護していただいた、せめてものお礼です」
「マリアン様?」
「そちらにおられる、尊きお方です」
ハンスはうろたえることなく答え、母の背後を示した。母が振り返ればそこには、苦々しい顔をしたマリが立っていた。
「詳しくは申せませんが、マリアン様は然る名家のご子息でいらせられます。我々は主より命を受け、マリアン様を捜していたのです」
マリはハンスを刺すような視線で睨んでいたが、ハンスは痛くも痒くもないという風に、平然と続けた。
「まあ、そうでしたの……マリ、あなたそんなこと一言も……」
「騙されないでください、母上!この男は私がなにも覚えていないと思って、嘘を吐いているに違いありません!」
マリは困惑する母に向かって、声を荒げて断言した。
「おかしなことを仰る。嘘を吐いて、私になんの得があると言うのです」
「悪党の考えることなど知るものか。ここには、お前が騎士だという証拠もないではないか!この誘拐犯め!」
マリはもっともなことを言って、ハンスを黙らせた。ハンスは額に手を当てて、苛立たしげなため息を吐いた。
「誘拐犯とは無礼な。お忘れでしょうが、あなた様はご自分で逃げ出したのですよ。お暮しになっていた屋敷のメイドを丸め込み、護衛を二人も花瓶で殴り倒してね」
「だとしても……いや、だとすれば尚更、俺は帰らない。絶対に」
マリは強い口調で、きっぱりと拒絶した。
「俺が逃げ出したのはきっと、耐えきれなかったからだ。孤独で、愛されないことが惨めで、堪らなかったからだ!」
マリが感情を爆発させ、ハンスや母やノラはその剣幕に驚いた。
「母上……!母上!俺を余所へやらないでください!帝都になんか、行きたくない!」
マリは悲痛な声で訴えて、そばにいた母の胸に縋った。戸惑う素振りを見せた母は、しばらくすると、マリをその腕の中に囲い込んだ。
「お帰り下さい……」
母は震えるマリを胸に抱いたまま、未だ迷いの残る、弱弱しい声でハンスに告げた。
「しかし、奥様……」
「……人違いだわ」
ハンスが渋々引き上げて行き、胸を撫で下ろしたのも束の間。昼頃には、ハンスは騎士達を連れて舞い戻ってきた。
「帝都へ行く行かないはさておき、この町に滞在する間、こちらの者達が交代で尊家の警護にあたります」
ハンスが告げると、背後に控えた六名の騎士達が、次々に膝を折った。
「警護?警護って、うちを?」
「はい。マリアン様はいつ何時御身を狙われるかわからぬ身。どうぞご理解ください」
母と父は困り顔を見合わせた。
「ご安心ください。このカレルという男は、伯爵家で従者を務めたこともある男です。その他の者達も、決して皆様を煩わせるような真似は致しません」
「カレル・ベルナスコーニと申します」
カレルは胸に手を当てて、優雅な礼をした。
「それで、マリアン様は今どちらに?」
母に案内されて、騎士達はぞろぞろと移動した。家の裏手ではマリが馬糞を片付けていた。家畜小屋と堆肥置き場の間を忙しなく行き来するマリを見て、ハンスと騎士達は目を疑った。
「そこ退いてくれよ。忙しいんだから」
馬糞を片付け終わると、マリは呆気にとられているハンス達の前を横切って、井戸の方へ歩いて行った。騎士達はカルガモの親子の行進みたいに、ぞろぞろ後に続いた。
「マリアン様は、いったい何をされているので?」
「見てわからないのか?水を汲んでるんだよ」
「いったい何のために?」
「洗濯するためだ」
「洗濯ですって!?自分で服を着たこともないあなた様が!?」
大げさに驚いて見せたハンスに忌々しげな顔を返して、マリはさっさと井戸を後にした。
「お前たち、暇なら鍋でも磨いていろよ」
「は、はあ……」
「くれぐれも母上の邪魔だけはするな」
その日、ハンスと騎士達はマリの言いつけ通り、母の仕事を手伝った。
ある者は家畜小屋を掃除し、ある者は庭や畑の雑草を抜き、またある者は煙突に潜って煤を払い、ある者は踏むとぎしぎし鳴る階段の板を修理した。
「そうよ、それはそっちの棚に上げて。その額はこっちに。大事なものなの、気を付けてちょうだい」
母は家に男手があることを喜び、はたきを片手にいきいきと采配を振るった。
リーダーのハンスは騎士達が忙しなく行き交うキッチンで、ノラと共に豆の筋を取りながら、シーツやを桶を抱えて通り過ぎるマリを恐々と見ていた。
「ノラ、買い物に行こうと思うんだけど、一緒に来るか?」
「行くー!」
買い物かごを手に家を出た2人の後を、ハンスが慌てて追いかけてきた。マリは当然、嫌そうな顔をした。
「付いてくるなよ」
「そう邪険にしないで下さい。けっこう傷付くんだから」
ノラとマリ、ハンスの3人は馬車で市場へ向かった。道中、ノラは御者台に座るハンスに尋ねた。お屋敷でハンスに追いかけられ、咄嗟に飛び込んだ部屋で出会った、恐ろしげな老婆のことだ。
「あの方はキルシマルヤ様と仰って、皇帝陛下をお守りする、七人の悪魔学者の一人だ。これまでに13体もの悪魔と契約し、カタシュタフ戦では2千人からなる賊軍を、たった1人で破った我が国の英雄だ。キルシマルヤ様は我等の考えに賛同し、今回の旅に特別に同行して下さったんだ」
市場へ向かう際、3人はお屋敷の前を通ったのだが、門の前では従者のダンテが、シルビアとカレンにちょっかいをかけられていた。荷馬車で近付いて行くと、ダンテはさっと跪いた。
「マリアン様、こちらは私の従者のダンテです」
「はじめましてマリアン様。ルーザン伯爵家長子、ダンテ・ビアジャンティと申します。今朝はご挨拶もせず、大変失礼を致しました」
ハンスに紹介されたダンテは跪いたまま、慇懃な口調で自己紹介した。ノラやシルビア達の視線が集中し、マリは居心地悪そうに身じろいだ。
「よせよ、うっとうしい」
「と、申されている。立つんだダンテ」
ハンスが命じて、ダンテは漸く立ち上がった。
「それよりお前、こんなところで何をやっているんだ?そちらのお嬢さん方は?」
「私達、伯爵様に町を案内して差し上げようと思って」
ダンテに代わって、カレンが張り切って答えた。それを聞いたハンスは片方の口端を持ち上げて、にやりと笑った。
「行ってくれば良いじゃないか。どうせしばらく仕事もないんだ」
「お断りします。そんな暇があるくらいなら、俺は剣の練習をします」
「真面目だなあ。せっかく女の子からの御誘いなのに。俺だったら仕事を放り出してでも行くけどね?」
「俺はハンス様と違って、勉強中の身ですから。婦女子と遊んでいる時間などありません」
あんまりな言い草に、シルビアとカレンは頬を赤らめた。
「これから市場へ買い物に行くところだが、一緒に来るか?」
「お供します」
マリの陰に隠れるようにしていたノラは、厚かましくも荷台に乗り込んできたダンテをじろりと睨んだ。ダンテが負けじと睨み返すと、御者台からその様子を見ていたハンスが苦笑した。
「お前は四角四面でいけない」
「真面目のどこがいけないんです?ハンス様だって、騎士たる者いついかなる時でも民の手本となるべしと、仰ったではありませんか」
ダンテが口を尖らせて言い返すと、ハンスはうんざりしてため息を吐いた。
「そりゃ言ったけど……ああ、嫌だ嫌だ。なんでこんなの従者にしちゃったんだろ」
「ハンス様!」
ハンスとダンテが軽口を言い合っていると、前方から見知った顔ぶれがやってきた。
「その2人をどこへ連れて行く気だ!」
クリフォードとアベルとマルキオーレの3人は、荷台の上のノラとマリを見ると荷馬車の前に立ちふさがった。
「市場へ買い物に行くだけだよ。そこ退いてくれよ」
「断る!」
「ああん?」
「通りたければ正々堂々、俺たちと勝負しろ!」
代表して、クリフォード手に持った木の棒をつき出して言った。
「俺たちが勝ったら、その男を連れて行くのは諦めろ。そして町から出て行け!」
ハンスとダンテはきょとんとして、顔を見合わせた。
「待て待て、どうしてそうなるんだ。君等はマリアン様の友人か?」
「違う」
「じゃあ、なぜ邪魔をするんだ?関係ないだろ?」
「ないことあるか」
クリフォードはちらりと荷台の上のノラを見た。彼の心の機微を察したハンスは、にやりと嫌らしく笑った。
「いいだろう。だが、俺達が勝ったらどうする?お前達は俺達に、なにをしてくれるって言うんだ?」
「この町にいる間、お前の奴隷になってやる」
「奴隷だって?……最近の子供は、まったく。そんな言葉をどこで覚えるんだか」
嘆かわしい。と、ハンスはぶつぶつ言って頭を抱えた。
「今のところ不自由はしていないし、俺には既に従者が1人いる。よって奴隷は必要ない。その条件じゃあ、勝負は受けられないな」
「じゃあ、なにが望みだ」
「そうねぇ……なら、この子もらおうか」
ハンスは荷台の上から事態を静観していたノラを指差した。
「な、なんだって!?」
「おっと、誤解するなよ。もらうと言っても、一緒に帝都に連れて行こうってんじゃない」
血相を変えたクリフォード達に、ハンスは慌てて弁解した。
「お前達が負けたら、このダンテを、彼女の従者にする」
これに驚いたのは、黙って成り行きを見守っていたダンテだった。
「ハンス様!?……なにを馬鹿なことを!お遊びも大概にしてください!」
「なにが遊びなものか。騎士たる者いついかなる時でも民の手本となるべし。先ほどお前は、淑女に恥をかかせるような真似をした。騎士にあるまじき……いや紳士にあるまじき振る舞いだ」
「淑女って……子供でしょ!?」
「1人のか弱い女性に変わりはない。かわいそうに、あの2人の少女はお前の心無い態度に傷付いただろう。婦女子に対する礼儀を身に着ける良い機会だ。否とは言わせない」
「っ……」
「もっとも、勝てればの話だがね?」
ダンテは憎々し気にハンスを睨むと、荷台を下り、クリフォードの手から乱暴に得物をひったくった。
「真剣にやれよ」
「……どうなっても知りませんからね」
ダンテはハンスに向かって1つ忠告すると、クリフォードに得物の先を向けた。
「それでは両者見合って……はじめ!」
ハンスが試合開始を合図したその瞬間、クリフォードとアベルとマルキオーレの3人は、1、2の3でいっせいに襲いかかった。
「待て!1人ずつじゃないのか!?」
「言っただろ!『俺たち』と勝負しろって!」
クリフォードが勝利を確信してにやりと笑い、ダンテは顔面を引きつらせた。
「どこが正々堂々なんだ?」
御者台の上から様子を見ていたハンスが不思議そうにたずね、ノラは「さあ?」と首をすくめた。
驚いたダンテは1度体勢を崩したものの、直ぐに冷静さを取り戻した。突進してきたマルキオーレをひらりとかわしたかと思えば、アベルの足をすくって転ばせ、一撃を食らわせようとしたクリフォードの懐に潜り込んで、その体を投げ飛ばす。全く歯が立たず、渾身の力を込めて繰り出した攻撃が一度も掠りもしないまま、3人はぎったぎたのけちょんけちょんに叩きのめされた。
「容赦ないなあ」
地面に転がった3人の有様を見て、ハンスは感心半分、呆れ半分で唸った。
「ハンス様のせいですよ。子供の言うことなど取り合わなければ良かったのに」
「はい、はい。こいつ等は俺が責任もって家に送り届けるよ。……わざと負けることだってできたのに、お前って本当くそ真面目」
ダンテはふんっ!と鼻を鳴らして、得物をほうり投げた。
「約束は約束だからな。お前はこの町を出るまでの間、こちらのお嬢様の従者だ。誠心誠意お仕えするように」
意外なことに、拒否するかと思われたダンテは、素直にハンスの言葉に従った。
「お姫様になったつもりで、うんと困らせてやってくれよ」
嫌味の1つも言われるに違いないと構えるノラに、ハンスが言った。