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ノラとパン焼き窯の悪魔  作者: kaoru
ノラと不思議な少年
10/91

彼は何者?

著作権は放棄しておりません

無断転載禁止・二次創作禁止


 正面の玄関にはマリがいて、その周りを取り囲むように、騎士達が跪いていた。

「友人を返してもらおう」

 マリは床に膝を付き頭を垂れる騎士達を一瞥すると、屋敷中に聞こえるような大声で要求した。

「聞こえなかったか?友人を迎えにきたと言ったんだ」

 ノラは身を捩ってハンスの腕から逃れ、マリの元へと駆け寄った。

「マリ……!」

「ノラ!……良かった!無事だったんだな!」

 マリは走ってきたノラをしっかりと受け止めた。

「ね、ねぇマリ……どうなってるの?この人たちは……」

 ノラは微動だにせず地面を睨んでいる騎士達を、困惑気味に見つめた。マリはノラを安心させるように、にこりと微笑んでみせた。

「心配するな。彼らはすぐに出て行く」

「そうは参りません」

 すかさず口を挟んだのは、ハンスだった。ハンスは階段を下りてくると、他の騎士達と同様、マリの前に跪いた。

「あなた様を帝都へお連れするよう、言い付かっております」

 ハンスは警戒するマリに、慇懃な口調で告げた。

「行かないと言ったら?」

「……足を切ってでも連れてこいとのご命令です」

 ノラはぎょっとし、マリは苦い顔をした。

「これより帰還の準備に入ります。必要なものは道中揃えるとして、まずはその、物乞いのような衣服をお着替えください」

 ハンスはマリが着ている、オリオのお下がりの上下を指して言った。

「必要ない」

「では、お食事の用意を……」

「いらんと言っているだろう。かまうな」

 マリは頑な態度で、きっぱりと拒絶した。

「なんと言われても、俺はこの町を離れるつもりはない。あの男にはこの靴でも差し出すが良い」

 マリは泥で汚れたブーツを脱ぐと、ハンスに向かって放り投げた。マリは裸足のまま、ノラの手を引いて屋敷を飛び出した。

 帰り道、マリは一言も口を利かなかった。難しい顔で黙り込むマリに事情を訊ねるのは躊躇われ、ノラもマリに倣って、黙々と歩いた。

 その夜、靴を失くしてきたマリは母に叱られ、ノラはそのとばっちりで夕食を食いっぱぐれた。

 空腹と不安で眠れぬ夜を過ごした翌朝。

リッピー一家がキッチンで朝食をとっていると、玄関の戸が叩かれた。

「誰かしら?こんな忙しい時間に……」

 ぶつぶつ言いながら玄関に向かった母は、扉の先にいた人物を見て悲鳴を上げた。来客の正体はハンスとその従者のダンテで、マリとノラは顔を見合わせた。

「朝早くに申し訳ありません、奥様」

「はあ……騎士様が我が家になんのご用でしょう?」

 母は目を白黒させて、爽やかな笑顔を浮かべるハンスにたずねた。

「本日はご家族の皆様に挨拶に参りました。どうぞ、こちらをお納めください」

 ハンスが言うなり、従者のダンテが前に進み出て、両手に抱えていた小箱のふたを開けて見せた。小箱の中には金銀貨がぎっしりと詰まっていて、母はぎょっと目を剥いた。

「こんなもの、受け取れません!いったいどういうおつもり!?」

 我に返ると、母はきっと眉を吊り上げて、胡散顔でハンスを睨み付けた。

「マリアン様を保護していただいた、せめてものお礼です」

「マリアン様?」

「そちらにおられる、尊きお方です」

 ハンスはうろたえることなく答え、母の背後を示した。母が振り返ればそこには、苦々しい顔をしたマリが立っていた。

「詳しくは申せませんが、マリアン様は然る名家のご子息でいらせられます。我々は主より命を受け、マリアン様を捜していたのです」

 マリはハンスを刺すような視線で睨んでいたが、ハンスは痛くも痒くもないという風に、平然と続けた。

「まあ、そうでしたの……マリ、あなたそんなこと一言も……」

「騙されないでください、母上!この男は私がなにも覚えていないと思って、嘘を吐いているに違いありません!」

 マリは困惑する母に向かって、声を荒げて断言した。

「おかしなことを仰る。嘘を吐いて、私になんの得があると言うのです」

「悪党の考えることなど知るものか。ここには、お前が騎士だという証拠もないではないか!この誘拐犯め!」

 マリはもっともなことを言って、ハンスを黙らせた。ハンスは額に手を当てて、苛立たしげなため息を吐いた。

「誘拐犯とは無礼な。お忘れでしょうが、あなた様はご自分で逃げ出したのですよ。お暮しになっていた屋敷のメイドを丸め込み、護衛を二人も花瓶で殴り倒してね」

「だとしても……いや、だとすれば尚更、俺は帰らない。絶対に」

 マリは強い口調で、きっぱりと拒絶した。

「俺が逃げ出したのはきっと、耐えきれなかったからだ。孤独で、愛されないことが惨めで、堪らなかったからだ!」

 マリが感情を爆発させ、ハンスや母やノラはその剣幕に驚いた。

「母上……!母上!俺を余所へやらないでください!帝都になんか、行きたくない!」

 マリは悲痛な声で訴えて、そばにいた母の胸に縋った。戸惑う素振りを見せた母は、しばらくすると、マリをその腕の中に囲い込んだ。

「お帰り下さい……」

 母は震えるマリを胸に抱いたまま、未だ迷いの残る、弱弱しい声でハンスに告げた。

「しかし、奥様……」

「……人違いだわ」

 ハンスが渋々引き上げて行き、胸を撫で下ろしたのも束の間。昼頃には、ハンスは騎士達を連れて舞い戻ってきた。

「帝都へ行く行かないはさておき、この町に滞在する間、こちらの者達が交代で尊家の警護にあたります」

 ハンスが告げると、背後に控えた六名の騎士達が、次々に膝を折った。

「警護?警護って、うちを?」

「はい。マリアン様はいつ何時御身を狙われるかわからぬ身。どうぞご理解ください」

 母と父は困り顔を見合わせた。

「ご安心ください。このカレルという男は、伯爵家で従者を務めたこともある男です。その他の者達も、決して皆様を煩わせるような真似は致しません」

「カレル・ベルナスコーニと申します」

 カレルは胸に手を当てて、優雅な礼をした。

「それで、マリアン様は今どちらに?」

 母に案内されて、騎士達はぞろぞろと移動した。家の裏手ではマリが馬糞を片付けていた。家畜小屋と堆肥置き場の間を忙しなく行き来するマリを見て、ハンスと騎士達は目を疑った。

「そこ退いてくれよ。忙しいんだから」

 馬糞を片付け終わると、マリは呆気にとられているハンス達の前を横切って、井戸の方へ歩いて行った。騎士達はカルガモの親子の行進みたいに、ぞろぞろ後に続いた。

「マリアン様は、いったい何をされているので?」

「見てわからないのか?水を汲んでるんだよ」

「いったい何のために?」

「洗濯するためだ」

「洗濯ですって!?自分で服を着たこともないあなた様が!?」

 大げさに驚いて見せたハンスに忌々しげな顔を返して、マリはさっさと井戸を後にした。

「お前たち、暇なら鍋でも磨いていろよ」

「は、はあ……」

「くれぐれも母上の邪魔だけはするな」

 その日、ハンスと騎士達はマリの言いつけ通り、母の仕事を手伝った。

ある者は家畜小屋を掃除し、ある者は庭や畑の雑草を抜き、またある者は煙突に潜って煤を払い、ある者は踏むとぎしぎし鳴る階段の板を修理した。

「そうよ、それはそっちの棚に上げて。その額はこっちに。大事なものなの、気を付けてちょうだい」

 母は家に男手があることを喜び、はたきを片手にいきいきと采配を振るった。

 リーダーのハンスは騎士達が忙しなく行き交うキッチンで、ノラと共に豆の筋を取りながら、シーツやを桶を抱えて通り過ぎるマリを恐々と見ていた。

「ノラ、買い物に行こうと思うんだけど、一緒に来るか?」

「行くー!」

 買い物かごを手に家を出た2人の後を、ハンスが慌てて追いかけてきた。マリは当然、嫌そうな顔をした。

「付いてくるなよ」

「そう邪険にしないで下さい。けっこう傷付くんだから」

 ノラとマリ、ハンスの3人は馬車で市場へ向かった。道中、ノラは御者台に座るハンスに尋ねた。お屋敷でハンスに追いかけられ、咄嗟に飛び込んだ部屋で出会った、恐ろしげな老婆のことだ。

「あの方はキルシマルヤ様と仰って、皇帝陛下をお守りする、七人の悪魔学者の一人だ。これまでに13体もの悪魔と契約し、カタシュタフ戦では2千人からなる賊軍を、たった1人で破った我が国の英雄だ。キルシマルヤ様は我等の考えに賛同し、今回の旅に特別に同行して下さったんだ」

 市場へ向かう際、3人はお屋敷の前を通ったのだが、門の前では従者のダンテが、シルビアとカレンにちょっかいをかけられていた。荷馬車で近付いて行くと、ダンテはさっと跪いた。

「マリアン様、こちらは私の従者のダンテです」

「はじめましてマリアン様。ルーザン伯爵家長子、ダンテ・ビアジャンティと申します。今朝はご挨拶もせず、大変失礼を致しました」

 ハンスに紹介されたダンテは跪いたまま、慇懃な口調で自己紹介した。ノラやシルビア達の視線が集中し、マリは居心地悪そうに身じろいだ。

「よせよ、うっとうしい」

「と、申されている。立つんだダンテ」

 ハンスが命じて、ダンテは漸く立ち上がった。

「それよりお前、こんなところで何をやっているんだ?そちらのお嬢さん方は?」

「私達、伯爵様に町を案内して差し上げようと思って」

 ダンテに代わって、カレンが張り切って答えた。それを聞いたハンスは片方の口端を持ち上げて、にやりと笑った。

「行ってくれば良いじゃないか。どうせしばらく仕事もないんだ」

「お断りします。そんな暇があるくらいなら、俺は剣の練習をします」

「真面目だなあ。せっかく女の子からの御誘いなのに。俺だったら仕事を放り出してでも行くけどね?」

「俺はハンス様と違って、勉強中の身ですから。婦女子と遊んでいる時間などありません」

 あんまりな言い草に、シルビアとカレンは頬を赤らめた。

「これから市場へ買い物に行くところだが、一緒に来るか?」

「お供します」

 マリの陰に隠れるようにしていたノラは、厚かましくも荷台に乗り込んできたダンテをじろりと睨んだ。ダンテが負けじと睨み返すと、御者台からその様子を見ていたハンスが苦笑した。

「お前は四角四面でいけない」

「真面目のどこがいけないんです?ハンス様だって、騎士たる者いついかなる時でも民の手本となるべしと、仰ったではありませんか」

 ダンテが口を尖らせて言い返すと、ハンスはうんざりしてため息を吐いた。

「そりゃ言ったけど……ああ、嫌だ嫌だ。なんでこんなの従者にしちゃったんだろ」

「ハンス様!」

 ハンスとダンテが軽口を言い合っていると、前方から見知った顔ぶれがやってきた。

「その2人をどこへ連れて行く気だ!」

 クリフォードとアベルとマルキオーレの3人は、荷台の上のノラとマリを見ると荷馬車の前に立ちふさがった。

「市場へ買い物に行くだけだよ。そこ退いてくれよ」

「断る!」

「ああん?」

「通りたければ正々堂々、俺たちと勝負しろ!」

 代表して、クリフォード手に持った木の棒をつき出して言った。

「俺たちが勝ったら、その男を連れて行くのは諦めろ。そして町から出て行け!」

ハンスとダンテはきょとんとして、顔を見合わせた。

「待て待て、どうしてそうなるんだ。君等はマリアン様の友人か?」

「違う」

「じゃあ、なぜ邪魔をするんだ?関係ないだろ?」

「ないことあるか」

 クリフォードはちらりと荷台の上のノラを見た。彼の心の機微を察したハンスは、にやりと嫌らしく笑った。

「いいだろう。だが、俺達が勝ったらどうする?お前達は俺達に、なにをしてくれるって言うんだ?」

「この町にいる間、お前の奴隷になってやる」

「奴隷だって?……最近の子供は、まったく。そんな言葉をどこで覚えるんだか」

 嘆かわしい。と、ハンスはぶつぶつ言って頭を抱えた。

「今のところ不自由はしていないし、俺には既に従者が1人いる。よって奴隷は必要ない。その条件じゃあ、勝負は受けられないな」

「じゃあ、なにが望みだ」

「そうねぇ……なら、この子もらおうか」

 ハンスは荷台の上から事態を静観していたノラを指差した。

「な、なんだって!?」

「おっと、誤解するなよ。もらうと言っても、一緒に帝都に連れて行こうってんじゃない」

 血相を変えたクリフォード達に、ハンスは慌てて弁解した。

「お前達が負けたら、このダンテを、彼女の従者にする」

 これに驚いたのは、黙って成り行きを見守っていたダンテだった。

「ハンス様!?……なにを馬鹿なことを!お遊びも大概にしてください!」

「なにが遊びなものか。騎士たる者いついかなる時でも民の手本となるべし。先ほどお前は、淑女に恥をかかせるような真似をした。騎士にあるまじき……いや紳士にあるまじき振る舞いだ」

「淑女って……子供でしょ!?」

「1人のか弱い女性に変わりはない。かわいそうに、あの2人の少女はお前の心無い態度に傷付いただろう。婦女子に対する礼儀を身に着ける良い機会だ。否とは言わせない」

「っ……」

「もっとも、勝てればの話だがね?」

 ダンテは憎々し気にハンスを睨むと、荷台を下り、クリフォードの手から乱暴に得物をひったくった。

「真剣にやれよ」

「……どうなっても知りませんからね」

 ダンテはハンスに向かって1つ忠告すると、クリフォードに得物の先を向けた。

「それでは両者見合って……はじめ!」

ハンスが試合開始を合図したその瞬間、クリフォードとアベルとマルキオーレの3人は、1、2の3でいっせいに襲いかかった。

「待て!1人ずつじゃないのか!?」

「言っただろ!『俺たち』と勝負しろって!」

 クリフォードが勝利を確信してにやりと笑い、ダンテは顔面を引きつらせた。

「どこが正々堂々なんだ?」

 御者台の上から様子を見ていたハンスが不思議そうにたずね、ノラは「さあ?」と首をすくめた。

 驚いたダンテは1度体勢を崩したものの、直ぐに冷静さを取り戻した。突進してきたマルキオーレをひらりとかわしたかと思えば、アベルの足をすくって転ばせ、一撃を食らわせようとしたクリフォードの懐に潜り込んで、その体を投げ飛ばす。全く歯が立たず、渾身の力を込めて繰り出した攻撃が一度も掠りもしないまま、3人はぎったぎたのけちょんけちょんに叩きのめされた。

「容赦ないなあ」

 地面に転がった3人の有様を見て、ハンスは感心半分、呆れ半分で唸った。

「ハンス様のせいですよ。子供の言うことなど取り合わなければ良かったのに」

「はい、はい。こいつ等は俺が責任もって家に送り届けるよ。……わざと負けることだってできたのに、お前って本当くそ真面目」

 ダンテはふんっ!と鼻を鳴らして、得物をほうり投げた。

「約束は約束だからな。お前はこの町を出るまでの間、こちらのお嬢様の従者だ。誠心誠意お仕えするように」

 意外なことに、拒否するかと思われたダンテは、素直にハンスの言葉に従った。

「お姫様になったつもりで、うんと困らせてやってくれよ」

 嫌味の1つも言われるに違いないと構えるノラに、ハンスが言った。


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