王冠八旗 ②
都の港に一隻の小舟が入った。
いや、漂着した、と言ったほうが正確かもしれない。
マストは折れ、帆は破れ、狭く小さな船内に押し込められた水兵たちは衰弱しきって死体と混じり、生き残った者たちがやっとの思いで都まで辿り着いた。
はじめは海底から浮き上がってきた幽霊船ではないかとちょっとした騒ぎになったのだが、すぐに救援隊が駆けつけ、生き残った兵士たちは担架に乗せられて街の病院という病院へ搬送されていった。
しかし彼らの中で最も階級の高い士官は救護を一旦断り、街を守る衛兵たちの肩を借りて王宮へ赴く。
国王カスティエルは玉座の間にて彼と謁見し、そのあまりの姿に息を呑んだ。
まるで敗残兵のようではないか。軍服は擦り切れ、目に生気がなく、頬も痩せこけて、とてもではないが直視出来る有り様ではなかった。
しかし彼は王としての責務を優先し、淀んだ士官の瞳を真正面から見据える。
そして大臣が王に成り代わって士官へ尋ねた。
「一体何事があって、陛下に謁見を願い出たのか?」
虫の息となった士官は、王と大臣の顔を見るなり泣き崩れた。
生と死の狭間をさまよい、今ようやく自分生きて戻ってきたという実感がわいたのであろう。
額を地につけて嗚咽する彼は酷く哀れなもので、王も大臣も急かすことはしなかった。
ひとまず気を落ち着かせるために冷たい水を用意し、一息にそれを飲み干した士官は、たどたどしく、言葉を紡ぐ。
「サン・フアン要塞が、落ちました」
それは聞くもの全てにとって、晴天の霹靂であった。かの大要塞が、王国の守りの要が陥落したとなれば、これは由々しき事態だった。
王はなるべく平静を装うことに徹した。
慌てれば、臣下を更に動揺させることになる。
「陥落とは、如何なることか? 帝国が軍を寄せてきたというのか? 余が信任したバルガスはどうなった?」
直答を許された士官は、質問によってあの日の惨劇を生々しく思い出し、言葉をふるわせる。
「バルガス司令は、我々将兵の命と引き替えに、あえなく最期を遂げられました」
「敵は!? 敵は誰だ!」
「敵は、帝国の私掠船、ヘンリー・レイディンです!」
ありたけの力で叫んだ士官は、懐から一枚の布切れを取り出して王の前に広げ、白目を剥いて事切れた。
彼らの前に広げられた黒い旗、髑髏に牙を突き立てる狼の紋章が、彼の報告が真実であることを如実に物語っていた。
「陛下、如何なさいますか?」
大臣が肩の震えを抑えながら尋ねると、カスティエルはギロリと睨み返しながら命を下す。
「無用な混乱を避けるため、将兵や民に知られぬように全力を尽くしたまえ。ただし八島の長には確実に事態を知らせよ。臨時に会議を招集する」
「かしこまりました」
執務室に籠もったカスティエルは憤激し、机の上に置かれていた書類や宝石箱を両腕で払い、床へぶちまける。
もはやこのまま黙っていてなるものか。
そちらがその気ならば、こちらも穏便にことを済ませる気などない。
「ルーネフェルトめ! 今にみておれよ!」
世界地図に描かれた北方の帝国を睨む彼の決断は迅速だった。
八つの島から船で集った大酋長たちに対して彼はいつもと違う強硬な態度を崩さなかった。
「かくまでも我が国に対する侮辱、略奪を繰り返す帝国に対し、余は速やかなる制裁を加え、ヘンリー・レイディンなるものの首を断頭台に送るべきと考えるが、諸侯の存念は?」
八人の大酋長は互いに顔を見合わせ、長老の一人が身を乗り出す。
「恐れながら、陛下はどのような制裁をお考えで?」
「まずは帝国に輸出している香辛料、砂糖などを全面的に禁輸とす。帝国からみれば微々たる抵抗に見えようが、我らは歴とした伝統と文化を持つ国家ぞ。意地を見せねばならん」
「それで戦になったとしても、ですか? 我々の財政はどうなりましょう? 帝国と戦になれば、他国も我々との貿易を差し止めるかもしれませんぞ?」
「このまま座して賊に奪い尽くされるのを待つというのか! そのような臆病者は大酋長たる資格はない! 今すぐ帝国なり他国なりに亡命するがよい!」
これに彼らは押し黙った。
王のいうとおり亡命したところで、あの女帝がただで済ますわけがない。
磔か、あるいは火炙りか、地獄の悪鬼でさえ震え上がるような処遇が待ち受けている。
また生まれ故郷を離れたくないという思いも強かった。
さらにカスティエルは畳みかける。
「先日、我が国の兵が報せてきた。かのサン・フアン要塞が陥落した、と」
「な、なんですと!」
途端に彼らはざわめいた。
長年に渡って帝国の南洋進出を食い止めてきた楔が折られたのだ。
カスティエルは机を強く叩き、立ち上がる。
「諸侯よ、敵はすでに我らの喉元に食らいつこうとしているのだ。剣を取って戦うか、獅子と狼の餌食となるか、答えよ!」
かくして八人の大酋長は王に従う意向を示し、帝国に対する制裁が決定した。
交易を担う商社や船主たちからすればたまったものではない。
何せ仕事が一晩のうちに消え失せたのだ。せっかく仕入れた積み荷も、整備した船も、そして乗組員たちも全て無駄になった。国が決めたこととはいえ会社としての信用も失墜した。
王も彼らの怒りを理解し、帝国へ出港する予定だった船には開拓中の植民地へ物資を輸送する仕事を与え、給金も全て国庫から賄うことを約束し、ことを収めた。
しかし、そのようなことがあれば、民衆は言われずとも気づく。
間もなく戦が始まるのだ、と。
不安に思うのも事実だが、島国ゆえの気質なのか、どこにも逃げる場所が無いという意識が彼らに諦めにも似た勇気を与えていた。




