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新人 ④

 マーメリア海の航路に入り、風と潮流に任せて帆を進める船の上で、ヘンリーはルーネを船長室に呼びつけた。

 陸の上では彼女が君主で自身は臣下というのが表向きの立場だが、この海の上では逆転する。

 それを示すように、ヘンリーはやわらかなソファに腰をおろし、ルーネは彼の前で立ち尽くしていた。

 重苦しい、とまではいかないものの空気は張り詰め、甘く芳醇な紫煙を咀嚼するヘンリーにルーネが気さくに話しかける。

 それはこの雰囲気を何とかして和やかにしようという努力がかいま見える、彼女なりの気遣いだった。


「やっぱり船の揺れは気持ちいいわね。グレイウルフ号でないのがちょっと残念だけど、この船も中々のものじゃない?」


「まあな。だが俺は、お前さんのお転婆に心底呆れちまったよ。貴族連中相手に派手に暴れているかと思えば、今度はこの有り様だ。もう長い付き合いになるがな、俺はどうにも、お前って人間がよく分からん」


「あら、私から言わせれば船長だって分からないところのほうが多いけれど?」


「俺は至極単純なもんだ。まあいい。もう乗せてしまったからな。確かめておくが、これはお忍びってやつか?」


「ええ。抜き打ちテストってところかしら。表立って女帝が視察に行くとなると、兵も指揮官も緊張して、普段通りにしてくれないでしょう? 私はね、そういうのが嫌なの。自然な姿で、本当の心と言葉で向き合って欲しいだけ。だから船長の船を選んだのよ。お互い、遠慮なんて無いでしょう?」


「新入りの連中以外は、な。見習いらしく振る舞って貰うぞ? 仕事もな」


「勿論。早速ハリヤードさんのところでお芋の皮むきをしてくるわ。それに掃除と洗濯と、やることが山ほどあるもの」


 と、腕まくりをしてみせる彼女の顔は、ことの外、活き活きと輝いていた。

 ヘンリーは更に続ける。


「わかっているとは思うがな、こっちも水夫どもに給料を払わんといかん。航海の途中で狩りもするが、生意気な行動だけはしてくれるなよ?」


「わかってる。ここでは貴方の指示に従うわ。じゃ、仕事に行くから、失礼します」


 船長室から飛び出したルーネは駆け足で通路を抜け、階段を一息に下り、昼食の仕込みをしている厨房のドアを勢い良く押し開けた。

 料理長のハリヤード以下、手伝いとして雇った者が他に二人おり、今は下拵の最中の様子。

 ハリヤードは鍋で煮え立つスープを木べらで混ぜながら、今しがた入ってきたルーネに顔を向けた。


「お、麗しの見習いさんのお出ましだ。ルーネちゃん、また頼むよ?」


「はい! 他のお二人さんも、よろしくお願いするわね?」


 小躍りすような軽い足取りで洗ったばかりのジャガイモを手に取ると、ナイフを片手に、慣れた手つきで次々に剥いていく。

 船の揺れも全く邪魔にならず、自ら率先して仕事をこなす様を見たコックたちも負けじと雑務に勤しんだ。

 甲板で作業をしている水夫たちの話題も彼女のことばかり。

 特にタックはあまりの嬉しさでニヤけ顔になっており、それを黒豹たちにさんざんイジられていた。

 正午になると鐘の音と共に、伝声管を通して船内にルーネの声が響く。


「昼食の時間ですよ~」


 すると飢えた男共がこぞって狭い食堂に殺到した。

 が、ルーネはそんな野郎たちを前にして包丁をちらつかせながら、にこやかに言った。


「紳士の皆さんは、きちんと、並んで、くれますよね?」


 可憐な見た目と言葉に含まれた威圧感のギャップに、荒くれ者たちは開きかけた口を閉じ、生意気な、と言おうとした言葉を喉の奥へ引っ込めた。

 男たちは整然と一列に並んで器に昼食を盛ってもらい、席についてからも、手早く料理を胃袋に流し込んでいた。

 その様子を陰から覗くヘンリーは、おお怖い怖い、と内心で呟き、自身も食事をするために船長室へ戻った。

 他の水夫たちと違って、船長を始めとした船の幹部たちは船長室のキャビンで食事を囲む。

 給仕人はいつも通りタックが務め、基本的には同じ料理を味わうが、船長と航海士には銀食器に盛りつけられた魚料理と果物が追加されていた。


「でも、いいのかよ? オレたちがルーネより先に飯食べてさぁ。女帝様だろ?」


 リンゴを齧る黒豹が尋ねると、ヘンリーは魚の骨をボリボリと音を立てて咀嚼しながら手を左右に振った。


「ごくり……ここじゃアイツはただの見習いの小娘よ。女帝面なんぞさせんし、あいつも心得ている。頑固で癇癪持ちなところは性格だ。流石にそこはとやかく言えんがな」


「とはいえ、船長。立場が違えど、彼女が帝国の長であることは変えようがありません。仕事は炊事洗濯を主とし、甲板作業等は控えるべきと提案します」


「元よりそのつもりだよ、ウィンドラスくん。下手に動かれて怪我でもされたらたまらん。黒豹、あいつが甲板でウロチョロしていたら頼むぞ?」


「あいよ。部屋はオレと一緒でいいんだよな? な?」


「目を輝かせて言うんじゃねえよ。好きにしな。タック! コーヒー持ってこい」


「はーい!」


 注文を仰せつかったタックが厨房へ入ると、ようやく水夫たちが使った食器を片付け、昼食にありつくことが出来たルーネが席についていた。

 干し肉のスープを啜り、蒸かした芋を頬張り、壊血病対策で積み込んだキャベツの酢漬けに顔をしかめる。

 しかし厨房に入ってきたタックを見ると、すぐに顔を朗らかにして歩み寄った。


「タックもお昼ごはん? まだスープ残ってるよ?」


「ああ、オイラはまた後で。料理長! 船長がコーヒーくれってさ!」


「おう、そろそろ言ってくる頃だと思ったところだ」


 ハリヤードは既にコーヒーの豆を挽いており、あとは湯を注ぐのみの状態に段取りをつけていた。

 流石の手際だとルーネも舌を巻き、淹れたての熱いコーヒーをカップに注いでいく。

 そして冷めないように蓋を被せ、足早に船長室へ戻ろうとするタックにルーネが言った。


「待って、私も行く」


「いいの? せっかくの昼休みなんだから、ゆっくりしていなよ」


「動いていないと落ち着かないの。皆と喋りたいこともあるし」


「ん、まあ、ルーネがそう言うなら」


 心なしか嬉しそうに頷いたタックに続いて通路を歩くと、やはり物珍しいのか、彼女のことをよく知らない連中から熱い視線を受けていた。

 そんな彼らにルーネはニコリと笑って応え、鼻の下を伸ばすエドワードの耳をキールがつまみ上げた。


「早う仕事をせい、この阿呆」


「いででで! おやっさん、勘弁してくださいよぉ!」


 哀れにも船底へ引きずられていったエドワードのことなど知る由もなく、タックとルーネが船長室に入ると、黒豹や船医のジブは既に退出しており、中ではヘンリーとウィンドラスが食後のトランプに興じていた。


「どうだ! フルハウスだぞ! 今日という今日は俺の勝ちだな?」


「フォーカードです」


 ウィンドラスが広げた手札には、無慈悲なことに、ジョーカーが二枚含まれていた。

 途端にヘンリーは先ほどまでの勢いを消沈させてコーヒーを啜った。


「相変わらず、ウィンドラスさんには勝てないのね?」


「いえ、決して船長が弱いわけではありません。これも天が万物に与え給うた運のおかげです」


「お前さんの神は随分と平等なことだな?」


「日頃の行いというものですよ。ときに、陛下……ああ、いえ、ルーネさん」


 敬称を口にした直後にルーネの顔が険しくなったのを見たウィンドラスはすぐに訂正し、言葉を続けていく。


「我々は先日、南方王国の要塞を陥落させました。既に本国へ報せも届いていることでしょう。報復も十分に考えられますので、ご身辺にはくれぐれもお気をつけて」


「ありがとう、ウィンドラスさん。ごめんなさいね。辛い仕事ばかり頼んでしまって」


「それが私掠船というものでしょう。ねえ、船長?」


「今の御時世、勝手気ままな海賊じゃあ生き残れんからな。悪事をするにも後ろ盾があったほうがこっちも楽だ。誰かさんのおかげでな」


 室内が朗らかな笑声で満たされていると……。


「船が見えたぞーっ! 南方の商船だぁ!」


 マストの見張り員の叫び声が伝声管を伝わって聞こえ、全員の顔つきが一変した。



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