新人 ③
かくして迎えた出港の朝。
船には市場という市場から仕入れた物資が積み込まれ、新たに雇い入れた船乗りたちも積極的に手を動かしている。
船大工見習いのエドワードも既に船の構造を凡そ理解しているようで、各部の点検や強度の確認などを、親方のキールと共に行っていた。
ヘンリーは船尾の指揮所から皆の作業風景を眺めつつ、港へ気を配る。
女帝が言っていた件の人材とやらが、未だに姿を見せないのだ。
そもそもどういう容姿で、何という名前の人物なのかも聞かされてはいなかった。
総責任者たる船長としては不満この上ない。
然るべき人物とも言っていたが、果たして今回の航海の役に立つのだろうか。
なにせ今回の行き先は帝国軍の駐屯地。
しかも管轄は陸軍で、情報によるとそこでは日夜に渡って激しい訓練を繰り返しているという。
実戦さながらの実弾演習が主な上に、ヘンリーらのような荒くれ者たちが多く詰め寄っていると聞く。
そんな物騒な場所へ視察に赴くというのだから、恐らくは宮殿の武官あたりだろうとヘンリーは予想していた。
出来れば船旅に慣れた海軍関係者であることを祈り、ウィンドラスが纏めた航海計画書を確認していく。
やがて出港の時刻となったことを懐中時計が示した。
「おい、タラップ引っ込めろ」
「よろしいのですか? 使者は未だに姿を見せておりませんが」
「時間までに来ないヤツを待っていられるか。上げろ」
岸壁と船を渡していたタラップが引き上げられ、その間にもヘンリーは望遠鏡で街の大通りを眺めていた。
そのとき、街の人混みの間を何者かが船に向かって駆けてくるのが見えた。
その人影は全身を麻のマントで包み、フードを深く被って見窄らしいが、どうやら宮殿から出てきたようなので、あれが件の人物だと彼は直感した。
しかしどう見ても武官や貴族のようには見えない。
自然と望遠鏡がその者の動きを追うと、恐るべき身軽さで人混みの雑踏を躱し、一気に港の喧騒の真っ只中へ躍り出たかと思えば、ちょうど船へ搬入中の酒樽に飛び乗ったではないか。
樽はそのままマストの滑車によって吊り上げられ、そこから別のロープを掴んだその者は、呆気に取られている水夫たちのど真ん中へ降りてきた。
見れば、屈強な水夫に比べて随分と華奢な出で立ちをしており、腰のベルトに吊るされた得物もカットラスやサーベルのような長剣ではなく、身体に見合った刃渡りの両刃剣であった。
甲板に降り立ったその者は観衆を無視して、船尾の指揮所にいるヘンリーのもとへ急ぎ足で近寄っていく。
「おまたせしました、船長」
「お前さんが例の遣いとやらか? 冗談きついねえ。俺が聞いた話じゃあ、相応しい人材とか吐かしていた気がするんだが?」
「これ以上に相応しい人材がいるとでも?」
マントの隙間から白い手が伸び、勢い良くフードと共にマントが宙に舞う。
そしてヘンリーと水夫たちの視線の先に現れたのは、くたびれた白い襟付きのシャツに長ズボンを穿いた、女帝ルーネフェルトその人であった。
自慢の美しい金髪は結われてショートポニーテールになっており、持ち物は肩掛けのバッグ一つだけに纏められていた。
面食らって固まっている一同に対して、彼女はぺこりと頭を下げる。
「見習いの、ルーネです。よろしくおねがいします!」
暫しの沈黙が流れ、やがてどこからともなく拍手の音が響いた。
甲板長の黒豹からキャビンボーイのタックへ、そして彼女を知る古参の水夫から新人へと、拍手は人から人へと伝わり、やがて彼らは仕事も忘れてかつての仲間を取り囲む。
ルーネは懐かしき面々の視線を背に受けながら、改めて船長に願い出る。
「ヘンリー・レイディン船長、どうか私を、あなたの見習いとして船に乗せてください」
するとヘンリーは彼女の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でまわす。
「お前さんには、やらんといけねえ仕事が山ほどあるんじゃなかったか?」
「これも仕事の一つです!」
「城の連中はどうする? お前さんがいなきゃ、手下が困るんじゃねえのか?」
「私は、自分の部下を信じているもの。貴方と同じように」
「途中で死んだらどうするつもりだ?」
「死なないわ。だって、ヘンリーがいてくれるもの。それに私だって、ただ宮殿で引きこもっていたわけじゃない。自分の身は自分で守れるわ! 自分が決めたことだもの! 私は私の自由によって、選択し、そして責任を持ちます! だから、乗せてください!」
そのとき一陣の風が二人の間を吹き抜けた。
優しくも温かな、信心深い者から言わせれば、神の息吹とでも表現出来る追い風が。
それと同時にヘンリーが声を張り上げる。
「何をボケっとしてやがる! 仕事にもどれ! 出港するぞ!」
「おお!」
拳を天に向けて振り上げ、男たちは声高に船乗りの歌を唄いながら綱を引く。
新たに加わった仲間たちを乗せて、灰色の帆に風を受け、狼は都を後にした。




